「構図」と危機管理
政権交代後の与党の幹事長の政治資金をめぐる騒動には、あまり感心できません。

耐震偽装の時と同じように、先に「構図」があります。

疑われている側の発言というふれこみで、「構図」に都合がいい情報が流れています。しかし、辻褄があわなくなると、二転三転します。疑われている側の発言が翻ったとして報じられ、ますます疑いが深まったと解釈されます。

このような状況の場合、「構図」はあてにならないというのが、耐震偽装以来の私の印象です。

騒ぎになり、大掛かりな捜査が行われた以上、しかるべき巨悪を暴かなくてはならないという本末転倒な正義感から、強引な捜査や報道が行われています。しかし、そうした騒ぎのこれまでの裁判の内容をみると、別件であったり、無罪になったりということが少なくありません。裁判になってみたら、報じられてきた内容が荒唐無稽な言いがかりであったということがしばしばです。

そのような状況でも、疑われた人が失ったものを回復する方法がないということに疑問を感じます。逮捕されるということや、起訴されるということ自体に「罰」としての意味がこめられているのだと思いますが、それが不適切であった場合への配慮が不十分であると思います。

「誤りが許されない」という覚悟は結構なことですが、それは、「誤りを認めない」ということであってはいけないと思います。誤りは誤りで認め、それによって不適切な処遇を受けた被疑者や、容疑者、被告人への補償の充実が必要だと思います。さらに、そのような誤りを犯した担当者がしかるべき評価を受けるという仕組みがしっかりとしていなくてはいけないと思います。捜査当局も、報道機関も。

ところで、このような場合、疑われている側に説明の責任を求めて、社会的な追及が行われますが、これは、どんなに説明しても無駄です。ありのままに全部を公開しても、もっと隠している「はず」だと、非難がエスカレート。説明をせずにいても、説明をしても同じことです。

仮に言いがかりであったとしても、第一にすべきことは、世間を騒がせていることへの謝罪。その上で、捜査当局とは別の担当の官庁と相談し、修正すべきところを修正するという手続きを誠意を表しながら行うことが大切だと思います。それが、このタイプの騒ぎの我が国における危機管理だと思います。

幸か不幸か、官庁が縦割りです。一方で、法令が曖昧で解釈に幅ができてしまいます。ここに、官僚の裁量の余地が生まれます。所管している官庁の官僚に認めさせてしまえば、追及は難しくなります。私は、官僚の裁量には批判的ですが、現状では、それを逆手にとった危機管理が可能だと思います。邪道だとは思いますが、背に腹はかえられません。

ところで、そのあたりをうまく切り抜けているのが、与党の代表で首相。これに対し、法律を作った当人としての法令の理解に対する自信と、官僚の裁量と対決するという決意で、騒ぎに真っ向から取り組んでいるのが幹事長。

幹事長への疑いが、どのように決着するのかわかりません。

疑われている側にダメージが加わって終わるのが、これまでの通常のパターンだったと思います。たとえ追及する側に無理があっても、その無理を通してきました。

その無理が通らず、うまく疑いをはねのけて見せる可能性もあると思います。さらに、無理なことをしようとした追及側にダメージを与えるという逆転も起こるのではないかと思います。

その実現は、国会の権能を最大限に利用できるかどうかがポイントではないかと思います。今まで、その権能を利用して、追及をかわすことに成功した人はいません。というか、挑戦しようとした人がいません。それを、はじめて成功させる可能性があるように思います。

これは、政治家以外には与えられないチャンスです。逆にいえば、政治家さえも無理な追及をかわすことができないとしたら、当局はフリーハンドを手に入れたことになってしまい、戦前の統帥権の再来ということになってしまうのではないかと恐れます。

疑惑の方が正しければ、そんな超越的なフリーハンドの心配などする必要はないのですが、近頃は、筋が悪い追及が多くて……。
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by gskay | 2010-02-01 04:49 | 政治と役所と業界