「新しい公共」
「新しい公共」円卓会議というものが内閣府にあって、地味ながら重要な問題を議論しているように思われます。「御上依存」への反省や、「「公共」は「官」だけが担うものではなかった」という明治維新以前の社会のあり方などが、議論の原点になっているようです。そのような問題意識には共感しますが、議論の方向性には疑問があります。

「官」や「御上」という存在と、議会という存在に、きちんとした区別がついていません。

また、「年貢」や「税」と、その使い道の決定方法がどういうものなのかということを意識することなく、寄付のありかたを論じています。

寄付によって支えられる組織が大きな役割を果たして行くという方向性を打ち出す上で、集まった寄付の使い道の決定方法が曖昧なままではいけません。

政府の予算は、議会で決められます。議会は、納入した税の多寡など関係なしに、1人1票の投票によって選ばれた議員によって構成され、多数決で意思を決定します。

一方、寄付による公的な組織を、政府とは別に作る意味は、寄付する人の意思を反映させられるところにあると思います。税として納めなくてはいけないお金の一部を、自分の意思で、自らが振り向けるというのが、「新しい公共」における寄付のあり方だと思います。

政府の指示や官庁の指示に従うという組織があってもいいと思いますが、そういう指示に距離をおき、自律を原則とする組織があってもいいと思います。

そのためには、組織の方針に賛成する人だけが寄付をするとか、寄付の多寡で発言権が異なるというような、様々な意思の決定方法を認めることからはじめなくてはいけないと思います。

そうしたことを抜きにしたまま、成功した事例やサービスをとりあげて、御上のお褒めをあたえているかのような議論をしているように思われます。欧米の仕組みなどを紹介してはいるものの、表面をなぞっているにすぎず、本質を見失っていると思います。

税や議会の決定、政府の決定ということから距離を置く仕組みを、公的に認めることが、「新しい公共」の第一歩だと思います。

現在の議論の方向では、「官」や「御上」による統制が強い組織ができるものの、その統制には責任が伴っていません。このままでは、責任を末端の組織に押し付けるような「公共」ができてしまうのではないかと思います。

これは、第二次世界大戦で懲りた悪夢の道筋だと思うのですが……。
[PR]
by gskay | 2010-05-17 06:22 | 政治と役所と業界