家族の保護
いろいろな要因が積み重なっていたのではないかと思います。もともと、「病気がちな妻」とのこと。単純なことではないと思います。しかし、身につまされます。

当事者にとって、急性のストレスの時期は過ぎました。多くの人が、ストレスを自然に克服している一方、少なからぬ人に慢性の影響が続いているようです。

住民については、保健所のサポートが用意されています。しかし、加害者の側はどうなのかと心配になります。

単に対立するような関係であれば、そのような心配は持たないかも知れません。しかし、異常な取材攻勢と、理不尽な報道、不愉快な視線に曝されているという点については、立場をこえて不快感を共有できるような気がします。

はっきり言って、迷惑でした。許せません。

そうした気持ちを、フラッシュバックさせる出来事でした。

なぜ、報道陣のあのような過剰な取材と、いい加減な報道が許されるのかという怒りがこみ上げて来ます。

もちろん、そうした取材を迷惑と感じない人がいるかもしれません。しかし、迷惑だと感じる人がいるということを忘れないで欲しいと思います。

不適切な取材や報道、風評によるPTSDはありえると思います。

最初の説明会から、不愉快な取材に曝されてきました。デタラメで不勉強な記者の存在にあきれました。取材を受けたくない人をまもるための囮さえ用意しなくてはなりませんでした。

取材や報道の行き過ぎは、被害を生んでいます。それは、事件の加害者の側であろうと、被害者の側であろうと、関係ありません。

これは、正常なことだとは思えません。

日を同じくし、富山の病院で起きた人工呼吸の中止事件について、患者家族の声明が貼り出されたという報道がありました。家族を亡くした人に対して、何てことをしているのでしょう。

しかし、それをやめさせる手段はない。

まともな取材はあります。良心的で尊敬できるジャーナリストも知っています。

でも、限度をわきまえない人が多すぎる。もはや、これを被害として認め、告発しなくてはいけない段階に来ているのかも知れません。

あるいは、加害者、被害者を問わず、適切に家族や関係者を保護しなくてはいけないのかもしれません。時には、加害者さえ保護する必要があるような気がします。

せめて、保健所のような機関が、心理的・精神的な問題についてだけでも、フォローしていくことができればいいと思います。

そして、できれば、取材をはじめとする攻撃からの保護も欲しいと考えています。

そんな保護は、本当の悪者にとっては、好都合な逃げ道かもしれません。しかし、そんなものを必要とするような、節度のない取材をしていることが、既存のメディアの自己否定です。言論の自由、取材の自由、編集の自由では肯定できない程、限度をこえてしまっていると思います。

事件のことだけでも、大きな事です。しかし、それ以上に、この異常な取材や報道、そして風評が、事情を深刻にしています。

立場をこえ、心からお悔やみを申し上げます。
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by gskay | 2006-03-28 23:23 | メディアの狂騒