落書き
匿名の書き込みには、翻弄されました。ネット上の書き込みは、パソコン通信の時代から、過激になりやすく、なぜか、問題を離れて、人格への攻撃がはじまってしまいます。小学生の出来の悪い学級会のようです。

優れた主張や貴重な情報もあります。玉石混淆の中から、いかに優れた情報を拾い出すかが問題だという人がいます。実際、参考になる書き込みがあり、そのため、すたれることがないのだと思います。そういう「玉」のような書き込みをあてにして、探しに行きます。

しかし、「石」が多い。まるで、学校や駅のトイレの落書きのよう。根拠のない憶測。余計なお世話。そして、本人の前はおろか、他人にさえ言えないような悪口も、落書きだったら平気。それを、愚かとか、卑怯とか、蛮勇であると不愉快に思います。

なのに、つい、そういう落書きを見てしまう。これは、多分、ヒマだから。

何かを主張する訳ではなく、粗探しと誹謗中傷にすぎない意味のないような書き込みも、ちらっとだけは、見てしまいます。ヒマだし、ついでに。そうした誹謗中傷を受け止めて対応しようとする人もいますが、ほとんどの人は、ちらっと見て、無視。眺めるだけの人が多いと思います。

落書きは、同類が集まってエスカレートしていくようです。でも、ほとんどの人は、落書きをする側にはなりません。見ているだけで、書き込む人は少数です。落書き好きの少数意見が、必ずしも「世の中の声」を反映しているとはいえないでしょう。

落書きをけしからんと思っても、書く人がいて、見る人がいる限り、無くなることはないでしょう。世の中のヒマと言うヒマがなくなれば、落書きは消滅するかもしれませんが、あり得ない事だと思います。

エスカレートしていくことで、当事者に苦痛を与えたりすることが問題になっているようです。言論の自由と、そうした被害との間のバランスが議論されていますが、取り締まる程のことではないと思います。

言論の自由という程の真剣さがないのが落書きだと思います。風評が流れると、身動きがとれなくなることがあることや、見栄えを損なうということが被害らしい被害ですが、それ以外には、直接的な被害という深刻さがないのも落書きだと思います。

落書きは、無視できるなら、無視してしまうのが一番ではないかと思います。見なければいい。近付かずにすむなら、近付かない。消せるものなら消してしまう。からかっている書き込みがほとんどで、何かを主張しようとか、妨害をしようという熱心さが無い場合は、そうした対処で充分だと思います。見えないところに、追っ払ってしまえば充分です。

誹謗中傷を打倒したいという怨念が湧いて来るかもしれませんが、所詮、からかっているだけの書き込みを相手に奮闘する意味はありません。

さらにエスカレートして、落書きが直接的な行動の動機になることがあるかもしれませんが、それは、別の問題として対処しなくてはなりません。

落書きは、面白く、盛り上がることが目的です。正しいことを探すことは、盛り上がるための調味料のひとつですが、正しいことが目的ではないと思います。中には、「本気で」落書きしている人もいるかもしれませんが、所詮、落書きと言う「メディア」は、書き手にとっても、読み手にとっても、ヒマつぶし以上の意味はありません。

サイトを立てたりブログを作って、情報発信が簡単に行えるようになりました。ネット上では、落書きと情報発信の再編成が行われているように思えます。匿名が前提の掲示板は、数行以下の文章による落書きに特化していくのかと思います。数行以上の文章が書ける人にとっては、ブログが便利だと思います。落書きブログもあるし、情報発信ブログもあるという状態になると思います。落書きブログと情報発信ブログについては、明確には住み分けられないような気がします。そういう意味では、今後も同じかもしれません。

ところで、空いた時間や、何ができる訳でも無い時、人は、情報を消費して、ヒマをつぶして暮らしているような気がします。放送も出版物も。そして、ネットも。発信するにしても、受信するにしても。井戸端会議や、飲み会などの雑談のような双方向の情報のやりとりもふくめ、そういうものかもしれません。ヒマつぶしであり、レクリエーションだと思います。

しかし、すべての情報がヒマな人向けではないと思います。むしろ、現実の世の中は、ヒマな人用の情報で動いているわけではないと思います。真に「世の中の声」を反映していたり、将来を決めるのは、ヒマつぶしのために大量消費されるような情報ではないようです。しかし、大量のヒマつぶしのための情報には囲まれているものの、肝心な情報を探すのは難しいと感じています。
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by gskay | 2006-04-13 18:54 | いろいろ