「拝金主義批判」批判
「拝金主義」と批判して、切り捨てていいのかどうかわかりません。この事件を含め、様々な事件によって、コストカットや、成り上がり的な「急成長」に対し、極端に否定的な空気があるように思います。

この事件は、「新しく急成長した企業による、違法な会計や過剰なコストカットが、社会に実害を及ぼした事件」と位置付けることができるのかもしれません。急成長した企業も、違法な会計も、過剰なコストカットも「拝金主義」と片付けて、批判することができます。

しかし、新たなビジネスへの挑戦の機会をものにした新たな成功者は評価すべきです。規制緩和や新技術によって、時機をとらえた急成長が目を引きます。その急成長や、それを支える野心は、不道徳なことでも迷惑なことでもないはずです。

また、そうした急成長の背景にある巧みな会計手法が攻撃のポイントになりがちですが、合法的である限り否定する理由はありません。巧みな会計を、いかがわしい錬金術とみなして、悪と決めつけるのは間違いだと思います。会計は、よく勉強して、上手に活用するべきものにすぎません。違法行為をしている人は取り締まるべきですが、上手に活用している人の足を引っ張るべきではありません。

「新しい時代の寵児」ともてはやされていたライブドアをひきずりおろしたときと同じ様な心理が働き、新しいビジネスの「急成長」や、その背後にある巧みな会計手法に対する否定的な空気が広がりつつあるような気がします。しかし、既存の業者は、その巧みな会計手法を駆使していないとでもいうのでしょうか?

さらに、同じ品質であれば、コストの競争になるのは当然です。

ヒューザーについては、品質管理に問題が出ました。結局、ヒューザーは、その問題を乗り切ることが不可能になってしまいした。しかし、全部の物件の問題ではなく、元建築士が関わった特定の物件の問題である事が明らかになっている以上、無闇に、ヒューザーがとってきた戦略を否定してはならないと思います。

本来なら、「安くて良いもの」こそ、多くの消費者には都合が良いはずです。逆に、同じコストで品質改良されているものも歓迎です。それらには、当然、競争力が生まれます。同じものなら安い価格で、同じ価格なら良い品質を。当たり前のことだと思います。しかし、それを、否定するような空気が蔓延し、高コストで、無駄の多い品物が、品質改良の努力もなしに、我が物顔で売られ続けるなら、不幸な事です。

もし、コストカットを悪とみなすなら、既存の高コストで品質が停滞した体質の保護になりかねません。コストカットへの警戒は、コスト競争を否定するのではなく、品質確保を伴わない過剰なコストカットへの警戒にとどまるべきです。

新しいビジネスも、会計の問題も、コストカットも、「拝金主義」という構図で全面的な否定をしてはならないと思います。

ところで、今、規制緩和や新技術が、社会の構造を変えようとしている気がします。そこに、新しい機会があります。一方で、その変化を歓迎しない人もいるのでしょう。機会を捉えそこねた人もいます。変化を逆風と感じる人もいます。

とりわけ、既存のあり方にこだわる業者や、規制を担当する官庁にとって、変化は必ずしも歓迎すべきものでないかもしれません。ここで、「成り上り」的に急成長する新しい業者に対する警戒感をもつ既存の業者と、規制を行う官庁の利害が一致してもおかしくありません。

さらに、そこには、メディアからの援護射撃が加わるような気がします。大衆心理の巧みな操作です。既存の勢力は、株主や広告主というスポンサーになっています。既存のメディアは、そういう道具であるという宿命を背負っているのかもしれません。

いずれのところからか、「『拝金主義批判』に対する『批判』」がおきてもおかしくはないと思います。

しかし、難しいことなのでしょう。ふつう、「拝金主義」批判は、既存の勢力に有利な議論です。コストカットのリスクや、違法性と言うしっぽをつかんだ後の議論だからです。その上、メディアが既存の勢力に支配された条件でなされる批判です。この批判は、消費者や大衆の側にメリットがなかったとしても、メディアで大衆を操作できなくなることは、極まれです。

「『拝金主義批判』に対する『批判』」を始めたところで、当事者、とりわけ、巻き込まれた急成長中の業者にはあまり意味はないような気がします。

コストカットにしても、新しいビジネスにしても、こうした既存の勢力との攻防に勝ち抜くことだけが活路です。批判の対象となるようなコストカットのリスクは、品質管理で低減しなくてはなりません。さらに、違法性をなくさなくてはなりません。もし、批判にさらされても、生き残らなくてはなりません。

正しさは、業績で示さなくてはなりません。退場を余儀なくされた人や企業は、その正しさを示すまで勝ち残ることができなかったということだと思います。

ところで、この攻防に勝ち残り、成長を終えた瞬間から、新しい勢力は、既存の勢力の側になるのかもしれません。挑まれる競争に対し、「拝金主義」と批判する側にまわる。「拝金主義批判」自体が、拝金主義の動機を持ち、かつての自分を批判しているだけなのかもしれません。
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by gskay | 2006-04-25 16:04 | いろいろ