風評
風評を恨んだこともあります。あれやこれやと風評の根っこを考えてみたりもしました。今のところ、風評を封じ込める方法はわかりません。風評を封じ込めることはできないものの、巻き起こすことはできるのかも知れません。

風評の形成にメディアやネットは大きな役割を果たしていると思います。しかし、全てではなく、化け物を作ったり、パニックを作ったりするのは、最終的には、その風評を共有する個人個人ではないかと思います。

耳に入っても、興味がなければ、聞き流されてしまいます。しかし、関心があれば、風評の影響に巻き込まれてしまいます。風評を肯定するにしても、否定するにしても、巻き込まれてしまえば同じようなものだと思います。

風評について、それが正しいか誤っているかという観点から考え、正しさのために行動することに価値はありません。

誤りをやっきになって否定しようとしても、封じ込めは、無理です。理性や論理で否定しても、問題として取り上げ続ける限り、風評は消えません。「人の噂も75日」で消えてしまうまで、影響に巻き込まれたままです。

むしろ、風評の影響に対し上手に立ち回ることが、必要だと思います。

うまく立ち回れなかったり、被害ばかりが拡大するような時、風評は、悪い風評に見えるのだと思います。

その一方で、もうけの種になったり、発展のきっかけになったりする時、風評は、良い風評に見えるのだと思います。

同じ風評でも、見方によって良くも悪くもなります。うまく立ち回れたり、被害を受けなければ、必ずしも悪い風評ではないわけです。

風評は、事実そのものより、人々の思惑や、不安、誤解が原因で生まれる現象のような気がします。

もともと、根も葉もないもの。時に、誰かの意図による風評かもしれません。単なる誤解が原因かもしれません。被害や影響を受ける当事者とっては、必ずしも自業自得とはいえないことが多々あり、天災に似ているところがあります。

やり過ごせれば、やり過ごすのが一番で、被害や影響を最小限にくい止め、逃げられるなら逃げ、無駄な抵抗をしてはいけないものかもしれません。そして、さっさと事後の復興を考えなくてはいけません。誰かの悪意が原因なら、そいつをとっちめることも念頭におきつつ……。(大抵は、忘れちゃうけど)

風評によって、会社が危機に陥るのは、乗り切れないような災害にあったようなもので、経営が不適切で、準備が不十分であったという不運を嘆く事しかできないと思います。風評を恨んでも仕方がないことです。乗り切る事ができれば、全く違った展開が待っています。頑張るしかないと思います。

風評によって、個人が傷つけられるのも、同じかもしれません。ただ、そのストレスをうまく受け止めたり、処理することができれば、不幸は最小限になるばかりか、転じて良い経験にすることもできます。

いつまでも恨んでいるわけにはいきません。

ところで、そんな風評が立つからには、それだけの背景があります。風評を聞き流すことができず、関心をもってしまう問題意識があります。その問題意識は、必ずしも問題を明確に意識できていないかも知れません。その問題意識の中から、問題を抽出し解決の糸口を掴めるかどうかが、別の次元で重要ではないかと思います。

風評に対してうまく立ち回る工夫と同時に、風評の背景にある問題を解決する糸口を掴む努力が必要ではないかと思います。その問題を解決してしまえば、もう、くだらない同じ風評に付き合わなくて済みます。
[PR]
by gskay | 2006-05-16 22:08 | いろいろ