小嶋元社長の取り調べへの期待(4)
耐震強度の数値の「意味がわからなかった」という言い訳は、感心できない弁明だと思います。「1」以上を満たさなければ、全部ダメです。このため、弁明にはなりません。

この弁明については、
(1)耐震性能が深刻に下がりすぎていて重大だという認識
(2)耐震性能が下がっているのは瑕疵として、無条件に重大だという認識
という2点から考えてみる必要があると思います。

そもそも、あの時点で、耐震性能低減の深刻さをわかっていた人は少ないし、わかっていたとしても、例の「震度5強で倒壊のおそれ」という評価や、「0.5」についての基準が、はっきりしていたかどうかわかりません。いずれも、この耐震偽装事件を契機に一般化したのではないかと思います。

といっても、「1」しか基準になりません。それを、下回ればダメです。

ところで、「震度5強で倒壊のおそれ」という表現については、理論的予測と経験的予測がごちゃ混ぜになっているという指摘があり、妥当性に疑問を感じてる人もいるようですが、学術や技術の限界なのかと思います。今後、もっと精密な分析で判断が変わるかもしれませんが、仕方がないことです。

「0.5」についても、「なぜ?」という疑問を感じない訳ではありませんが、根拠が曖昧とはいえ、理論的に説明できる数値のようです。現在のところ、少なくとも、うちの物件では、妥当な補修方法もはみつかっておらず、「経験的」にも妥当なのかもしれないと思います。

いずれも、現状では、納得せざるを得ないと思われます。

しかし、あの時点では、そのように判断ができる条件が整っていたかどうかは疑問です。「震度5強で倒壊のおそれ」も「0.5」も、公表までのプロセスで取り上げられるようになったものではないかと考えています。11月17日以降に、一般化した概念だと思います。すでに用いられてきた考え方なのかもしれないし、新規に用いられるようになったのかもしれませんが、一般的ではなかったように思われます。

そうした程度を表現する方法の妥当性はともかく、小嶋元社長の嫌疑は、そのような耐震基準違反の深刻さが問題ではないと思います。「意味がわからなかった」は、深刻さの程度をわからなかったということで弁明しているつもりなら、それは意味がありません。

そもそも、基準以下はダメだといえるからです。

だとしても、耐震性能が基準を下回るという問題は、無条件に「重大な瑕疵」であるかどうかはポイントとして残ると思います。「重大な瑕疵」を過小評価するという判断の大きな過ちをおかしたと糾弾されています。

どのように判断すべきなのかは、必ずしも自明ではないと思います。小さな問題と考えて、後で対応できると判断した可能性はあると思います。この違反を、補修工事で対応できると考え、他のもろもろの小さな瑕疵と同じように考えた可能性はあると思います。

理屈の上では、耐震補修や、免震という選択肢があり、そうした対応での解決も不可能でありません。おそらく、政治家と大手ゼネコンへ訪問したりしたのもそうした発想の延長ではないかと思います。

新築マンションでは、完璧な状態での引き渡しは、ほとんどないと思います。内覧に内覧を重ねて、補修工事を重ねて、やっと引き渡し可能な状態になって引き渡されます。それでも、問題は発生し、それは、売り主によって補修されます。それと同じレベルで考えてしまったのではないかと思います。本当は、そんな風に考えるべきではなかったというのは、後知恵です。

重大性の認識について、問題となっている構造は、「重大な瑕疵」と言い切っていいのかどうかわかりません。公表後は、疑いも無く「重大」と認識できます。しかし、あの時点で、断定できたことなのかわかりません。対応しなかったり、あるいは、判断を適切に下さなかったという点では、国土交通省も同じです。きちんとした解釈を示していませんでした。対応らしい対応もしておらず、防げる問題を防げませんでした。

「認識」できなかったことや「告知」しなかったことの「重大さ」を見極める必要があると思います。認識や告知の有無の「重大さ」と、認識や告知されなかった内容の「重大さ」は、区別して考えなくてはなりません。

私は、「告知」し、引き渡しの保留等の提案をすることができたと思っています。しかし、そうではないという考えも成り立つかもしれないと考えています。

確かに、今となっては、「重大」です。そのように「重大」であるという認識が形成されるプロセスがあります。そのプロセスを解明するような取り調べを期待します。
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by gskay | 2006-05-22 10:42 | 真相 構図 処分