「官から民へ」、「中央から地方へ」
耐震偽装を見抜けなかった原因のひとつとして、民間検査機関がやり玉に挙げられて来ました。私は、この考え方はナンセンスだと思っています。民間であろうと、特定行政庁であろうと見抜く事はできない問題だったと考えているからです。

耐震偽装の問題を、「官から民へ」の流れを止める理由として引き合いに出すのはおかしいと思います。この問題は、技術的な問題であり、能力の問題であったと考えています。

もちろん、いい加減な審査が行われていたことは問題視すべきです。しかし、いい加減にやっていようが、しっかりやっていようが、耐震偽装が審査の中で見抜かれたのではなかったということを反省すべきです。審査は機能しなかったのです。技術的に妥当でしっかりと機能する仕組みを作ることができなかったという深刻な問題です。

技術的な問題を克服する仕組みをつくるために必要なのは、責任の所在や担当すべき役割を明確にすることだと思います。

ところが、担当官庁では、責任や役割を曖昧にしているという問題を抱えていると思います。立案したり企画する部署と、実施する部署、監査したり取り締まったりする部署が、きっちりと分かれていません。無責任なお手盛りが通用してしまうくらい、権限が集中してしまっていると思います。首をかしげるような仕組みしか作れず、ザルのような取り締まりしか行えない元凶だと思います。

大きなレベルで言えば、立法と行政、司法は分立しています。とはいうものの、行政を担うとされる中央官庁は、実施機関としての役割に留まらず、立法に大きく関わるとともに、取り締まりの権限を担っています。

ところで、国のあり方を考える時、いかに適切な立法を行うのかが最重要だと思います。そこがダメなら、仕組みとして対応するのは無理です。現場任せに放任するしかありません。そういう仕組みでいいのなら、国会も中央官庁も要らないでしょう。そして、取り締まりも、違法という判断も無意味です。

私は、中央官庁は、負担となっている実施の機能を積極的に切り離し、企画立案に集中するべきだと考えています。国会の立法機能をより強化することに集中出来る仕組みが必要だと思います。

国会については、独立して立法が行えるのが理想かも知れません。しかし、国会議員やスタッフだけで立法を全てこなすのは無理だし、議院内閣制の仕組みは、そんなことを期待してはいないと思います。

一方で、実施については、国が自ら行う必要のないことが多くあります。にもかかわらず、現状は、中央官庁でさえ、実施する業務を優先するような仕組みになってしまっています。そして、立法や取り締まりが充分に機能していません。

その問題の解決策の一つが、「官から民へ」だと思います。実施の負担から解放されたとき、より高度な企画立案の機能を果たすことができると思います。技術的な問題の議論を、大胆に先進的に進められると思われます。

また、実施主体を切り離すことは、取り締まりについても、身内を取り締まるという足枷からの解放になります。思い切って取り締まれる仕組みになります。

「官から民へ」の流れと同様に、「中央から地方へ」という流れも重要だと思います。「民」を利するとか、「地方」に負担を強い、レベルが低下するという懸念だけで考えるのは不十分だと思います。中央が、適切に立法を行い、同時に取り締まりを厳密に行える姿を整えるために「官から民へ」、「中央から地方へ」という流れが必要だと理解すべきだと思います。

予算や権限が中央から「民」や「地方」に移ることへの抵抗があると言われています。財政再建やコストカットの問題に絡めて議論されています。また、「民」に移ることのモラル低下や、「地方」に移ることでの地方の負担増と財源不足が懸念されています。

しかし、その前に、「中央」がしなくてはならない任務が充分に行われているかを再確認しなくてはならないと思います。「民」や「地方」にもできることに張り切りすぎて、「国・中央」に固有の任務がおざなりにされているのではないかと思います。

「官から民へ」、「中央から地方へ」は、単に、財政的な問題ではないと思います。

他に任せるべき余計な仕事を背負いすぎて、技術的に高度な問題への立法を通じた対応や、取り締まりの厳格さの確保が出来なくてなっています。そうした状況を踏まえ、仕事の中身から見て、「官から民へ」、「中央から地方へ」という流れをもっと加速すべきではないかと思います。
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by gskay | 2006-08-23 18:40 | 政治と役所と業界