引越にあたってテレビをやめます
引越の日程が、ほぼ決まり、引越屋さんの見積もりも出ました。当面の引越の準備はあっと言う間に終わり、後は当日を待つのみ(と家内が言っております)。半年も経たないうちの引越なので、準備は慣れたものです。私は、役立たずですが。

前回も、家具のいくつかを、親戚や知人に送りました。収納スペースが多い部屋への引越であったので、収納家具を引き取ってもらいました。

今回も、いろいろと親戚や知人に送りつけます。今回は、テレビやエアコンと言った新居にあわせて用意したものを引き取ってもらうことになりました。特に、エアコンは工事を伴うので厄介です。

テレビについては、ブラウン管テレビと違って、最近のテレビは近くで見ても奇麗なので、仮住まいに持って行っても平気です。しかし、圧迫感がありそうなので、やめます。もともと、単なる置物に近い存在でした。テレビが大きくなったら視る時間が増えるかと思いましたが、そうでもありませんでした。

巻き込まれてしばらくは、ニュースを視ていましたが、今は、また、ほとんど視なくなりました。自分に関係するニュースが少なくなったからということもありますが、ネットのニュースや新聞の方が、便利です。自分の都合の良い時間に読む事ができるのが第一点。文字の情報は、比較しながら考えたりするのに都合がよいのが第二点。そして、いらないコメントに付き合わなくていいのが第三点。出演者の表情や感情に影響されなくて済むのが第四点。取材と編集の限界を越え、演出になってしまっている胡散臭い報道に付き合わなくてはすむのが第五点。

もともと、新聞や雑誌といった文字での報道は、「何とでも書ける」だけでなく、所詮は言葉の世界に過ぎません。受け手も、それを承知しています。テレビに比べ、理性的であったり、分析的にしやすいかもしれませんが、書いた人の眼と筆を通して出来て来たものであるのが明らかであり、いつも説得力があるとはいえない気がします。

これに対し、テレビ画像には、真実だと思い込ませる迫力があります。作り物でない迫力を感じさせます。

しかし、今や、画像にまで作り物が進出。

事件の背中を追いかけるのがカメラの本来の姿だと思います。背中だけの「つまらない映像」を並べることが真実を追いかける時には必要な気がします。せいぜい、横であったり、斜め前から。

しかし、事件を待ち構えて正面から撮るようになった時から、迫力はあるが、真実を探る態度からは遠ざかったと思います。真実っぽい演出が、編集者の先入観で垂れ流されているだけになっているような気がします。しかも、真実をリアルタイムで追いかけているわけではない。そして、時に、放送の都合にあわせて真実の方に介入する。

速報性も、インターネットのおかげで、放送のアドバンテージは低下し、文字の持つ力が蘇ったような気がします。しかも、ブログや掲示板という新たなメディア。そことうまく連携できるのは、放送局ではなく、出版社や新聞社のような気がします。

この事件の当事者になり、ますます、インターネットのニュースサイトにシフトしました。

テレビがなくても平気だと思っています。子供のころから、テレビがある生活でしたが、しばらくテレビなしでもいいと思っています。テレビは、DVDやビデオをみるモニターとして欲しい気がしますが、それも、引っ越してからほとんど観ていないので、この際……。

引越の中で、決断らしい決断は、このテレビのこと位しかなかったかもしれません。他は、考えてもどうしようもないことばかりなので。
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by gskay | 2006-01-09 23:56 | 仮住まい