国のスキームに対する個々の努力
国のスキームといっても、実際には自治体が主体であり、国土交通省からは制度が示しされただけで、国の実際の関与は限定的です。このため、自治体の動きはバラバラです。中には、ほとんど、国のスキームに基づく対応をしていない自治体もあり、立法の要求もあります。

すでに、使用禁止命令の発令や国のスキームを活用するかどうかという時点で、自治体の態度が分かれてしまいました。除却や立て替えについても、バラバラ。ヒューザーへの債権届出のやり方も考え方も、バラバラ。ヒューザーの破産管財人の判断に対する国土交通省での「決定」を、自治体がどのように受け取るかによっては、バラバラにさらに拍車がかかりかねません。

中央の行政組織が力を持つべきだという立場から見れば、国土交通省の指導力が低下したと評価されかねない状況です。国土交通省としては、存在と影響力を改めて示し、引き締めたいところかもしれません。その方が、差をなくした均衡のとれた対応が可能かもしれません。

しかし、強制的な措置が立法化されていない以上、自治体の独自の判断が尊重されるべきです。「監査請求や住民訴訟で訴えられる」という懸念など、自治体自身が取り組まなくてはならない問題だと思います。すでに、その懸念を理由に、国のスキームに沿った対応に取り組んでいない自治体もあるのですから。

こうした状況は、「中央から地方へ」が進んだ結果であり、望ましいあり方だと私は思います。中央官庁は考え方を示し、それを取り入れるかどうかは自治体次第です。国の方針を有無をいわせず強制的に実施しようとするなら、そういう規定の立法をするべきだと思います。逆にいえば、国のスキームには、そういう強制力はないということだと思います。

それはそうと、ヒューザーの破産管財人の配当についての判断と、それに対して立てられた国の方針が、自治体の態度を後ろ向きにさせ、住民を追い込み、建て替え事業を頓挫させることにつながらないようにと、私は願っています。しかし、自治体が独自に動いている以上、自治体によっては頓挫してしまうような方向に進む可能性もあると思います。

もし、頓挫のような望ましくない結果を出来る限り確実に避けようとするなら、しかるべき立法が必要です。ただし、現状は立法への圧力は乏しいように思われ、立法に進むには、何らかの引き金が引かれる必要があります。

例えば、いよいよ頓挫するような物件が出たら、国土交通省の国のスキームでは不十分で、立法を必要とするという判断になるかもしれません。その場合、自治体に任せておくわけにはいかないという判断も加わって立法が進むかもしれません。

また、ひとりでも住民が破綻し、悲劇的な転帰を辿るようなケースが出たら、その生け贄の上で、一気に立法が進むのかもしれません。

幸い、まだ、いずれの事態も発生していません。そうした事態を未然に防止するため、立法が行われるべきだという発想も、この機会に、ひょっとすると出て来るかもしれません。現実に即しているなら、それはそれで歓迎したいと思います。

ただし、中央官庁の権限が過剰に強化されたり、中央官庁と地方自治体の権限や責任の分担を曖昧にするような法は、「小さな政府」「中央から地方へ」という流れに逆行するため、私は好ましくないと考えています。

国のスキームに従わない市があることを不審に思ったこともありましたが、今は、実際の対応の中身はともかく、独自に対応するという方針については肯定的に考えています。

ところで、これまでのところ、国のスキームに基づいた公的な対応が順調に進んできたという良い評価は少ないようです。実際には、着々と事が運んでいるのですが、そう言う捉え方は少ないようです。スキーム通りに進まないことや、時間がかかっていることに批判があるようで、動揺がおきています。その動揺が、ヒューザーの破産管財人による債権の認否によって顕在化してきたような気がします。

一種の閉塞状況と見なされていて、ヒューザーの破産管財人の判断や、住民の反発に責任を押しつけられかねない状況です。現状は、誰かがその気になれば、今までの努力が台無しになって、頓挫してもおかしくない不安定な状況です。

この閉塞感には、メディアの姿勢も大きな影響を与えていると思います。自治体ごとの対応がバラバラになっていることに、報道側がついていけていないと感じます。メディアの不勉強は、地方分権が進まない原因の一つかもしれません。

閉塞状況の打開策として、中央官庁が中心に座るような仕組みが立法される可能性があります。その結果、地方自治が尊重されず、自治体主体という枠組みが骨抜きになってしまう可能性もあります。

今回、自治体が主体になっていることは、国土交通省の責任逃れということではなく、自治体が責任を押し付けられたというような性質のものでもないように思います。特定行政庁による取り締まりの充実という方向性にそった健全なものだったのではないかと思います。背景となった理念は大切にされるべきではないかと思います。

どうしても、端で見ている人にとっては、展開が遅いと感じるようです。もちろん、住民にとっても、時間がかかりすぎるのは良い事ではありません。国のスキームが早々に示されたにもかかわらず、自治体ごとの公的対応の足並がそろわずに、この段階にいたっているのは確かです。

現状は袋小路に入り込んでいる状況ではなく、着々と事が運んでいます。あわてて抜本的に見直さなくてはならない状況ではありません。決して頓挫している訳ではなく、批判すべき遅れがあるわけではありません。どうしても必要な時間がかかっているだけです。

これについて、メディアの一部は、住民が追いつめられ、苦しんでいるという演出をしつつ、生け贄を期待しているのではないかと、ちょっと不信感をもって眺めています。

すでに建て替えの方針が示されたところもあり、それに準ずる段階に辿り着いているところもあると思います。そうした物件については、いたずらに話をこじらせるのではなく、自治体や住民の自主的な判断が尊重されるべきだと思います。

その一方で、建て替えの難しさが増しているところもあるかもしれません。もし、そこに不満や不都合があれば、しかるべきテコ入れや、発想の転換が必要かもしれません。その場合でも、自治体や住民の自主的な判断が尊重されるべきだと思います。

単に足並が揃わないことを、ことさら非難する必要はないと思います。自治体の主体性や、物件ごとの事情により、仕方がないこともあるからです。また、どうしても時間がかかるという実態を、軽視して考えてはいけないと思います。進み具合が遅いということを、杓子定規な机の上の空論に合わないからといって批判するのではなく、現実の問題として、個々に受け止めるべきだと思います。

国のスキームをめぐっては、これまでも混乱がありました。この問題には、自治体の主体性の問題や、国レベルの行政的な裁量による判断の是非といった根深い問題があります。しかも、判断の前提となったヒューザーに対する評価の妥当性や、耐震強度に対する認識も問われているように思われます。これついては、「構図」にもとづいたスキャンダルを追及している時に、もっと検討しておかなくてはいけないことだったと思います。

この国のスキームに関する限り、個々の努力を再評価すべきで、現実的に着実に前進していることをもっと評価すべきです。国のスキームは、不確定な条件で設定されたものです。このため、国のスキームの現実化にあたって、逸脱にみえるような大胆な修正を加えなくてはならない点も少なくありません。それを欠陥として非難するするべきだとは思いません。少なくとも、国のスキームは、動き出すきっかけをつくったことは確かだからです。

今後、個々の方向性がさらにバラバラになってしまうことについては、なるべく肯定的に考えるべきではないかと思います。たとえ、建て替えを諦める物件が出たとしても、住民が満足できる決着であれば、構わないのではないかとさえ思います。この仕組みは、そういう仕組みなのだと思います。融通が利かない仕組みより、はるかにましです。

住民を追いつめ、生け贄を作り、それをきっかけに立法によるいびつな制度整備が進み、個々の責任感や自主性が損なわれると言うシナリオが、最悪のシナリオです。立法を行うのだとしたら、現在の公的な対応の実情を肯定的にとらえ、その延長上に立法を行うのが望ましいと、私は考えます。
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by gskay | 2006-09-12 08:52 | 公的対応