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行政の無謬性
建築確認や検査は、技術に関する民主的な仕組みで、技術の進歩を促進しつつ、安全や安心を確保するためのものでした。民主的であるためには、透明性が高くなくてはならないと思います。そして公平でなくてはならないと思います。そうでなければ、議論も切磋琢磨も期待できません。また、取り締まりも徹底しなくてはなりません。そうでなければ腐敗します。

ところが、現場の自治体レベルはともかく、国のレベルでは、そうした民主的な仕組みの尊重が不十分であると思います。行政の裁量の権威が強く、そこに疑いを持つことが許されません。裁量を下す側も、疑いを持たれないことに慣れてしまっているように思います。そして、誰もが、行政の裁量に盲従する仕組みができてしまいました。

これは、民主的と評価するのは憚られるような、なれあいのシステムだと思います。

建築業界の不明瞭な責任体制は、直接には、法の未整備が原因だと思いますが、間接的には、行政の無謬性という思い込みにしがみついてきたことが関係していると思います。行政の裁量に疑いを持っていれば、しかるべき法整備を行ったはずだからです。

民主的な仕組みでありながら、透明性も、公平性も充分でなく、取り締まりも不徹底な仕組みです。そのなれの果てを、今、目の前に見ているはずですが、誰もが、目を背けているように思います。行政の担当者自身、マスコミ、国民、そして国民の代表であるはずの国会議員や内閣。

「昔は良かった」式の議論は御免です。「官から民へ」の弊害を非難する議論の多くは浅薄で、「行政の無謬性」という思い込みを擁護することにしかなっていません。

すでに、技術の高度化や事業の大規模化は、「行政の無謬性」を前提とした行政の裁量で運営できるレベルにはありません。しかるべき制度の改革が必要です。少なくとも、行政自身が、その判断の妥当性を厳しく問われる仕組みを確保しなくてはなりません。
by gskay | 2006-10-03 12:26 | 政治と役所と業界