警告の限界と大きな期待
イーホームズの社長の耐震偽装に対する責任についての考え方は、賛否の両方から考える必要があると思います。

建築確認や検査の見逃しという事実には責任がないということを訴える点では、責任を受け止めようとしない態度のように見えます。

彼は、大臣認定プログラムを用いた制度上の欠陥を訴えています。私は、それをふくめて、技術的な限界ではないかと考えています。それを改善することは重要です。しかし、そのことと、建築確認や検査が、違法な設計に対し、「適法」という判断を下した責任とは別の問題ではないかと考えています。

不可避であったとしても、背負わなければならない責任があると考えます。それは、所有者になった住民にとっても同じことです。自らの責任に誠実でなくてはならないと思います。

それとは別に、もっと重大な「責任」についての議論があります。

建築確認や検査については、たとえ見逃しがあったとしても、違法建築自体は、建築主や施工、設計の問題であり、検査機関の違法に対する責任はないという考えもあるかもしれません。彼がどのように主張しているか詳しくは知りませんが、確認や検査の位置付けは、とても曖昧です。

その曖昧な仕組みに対する議論は、新たにピアチェックを入れるという話とすり替えられてしまいっています。しかし、無責任体制の上に、いくら新しい制度を重ねたところで、意味はないと思われます。

それはそうと、建築確認や検査には、誤謬は生じないと言う前提に立っていて、責任を問う仕組みがありません。違法建築に対する対応として、建築の前提になった建築確認や検査をどのように位置付けるのかがはっきりしません。建築中はともかく、出来上がってしまった建物については、取り消しのような手続きが取られるわけでもありません。手続きとしての「適法」がいかに否定されて、「違法」になるかということが、明確には決まっていません。

建築確認や検査の責任が曖昧であるために、他の関係者の責任を強く問う事ができるはずでした。建築確認や検査にどんな意義があり、彼がどんな責任を負わなければいけないかと問うことは、関連する建築主や、施工、設計の責任を問うことでもあり、強いては、所有者である住民の責任を問うものでもあります。彼の場合、関係者の責任を追及し、自らの責任をミニマムにしようとしました。見方によっては、責任転嫁のようにみえますが、普通なら、これは、まともな考えだと思います。

しかし、建築の無責任は、建築確認や検査に限った話ではありません。このため、他の関係者の責任を問う事にも限界があります。そういう実態を無視しているため、彼の努力は、暖簾に腕押しになってしまったように思われます。

もともと、曖昧な責任関係の上に成り立っているという仕組みを理解していたなら、嵐が過ぎ去るのを待っていても良かったのかも知れません。そうしている人がいるのではないかと思います。それが、良い事かどうかは別ですが……。

彼が、そのような条件にもかかわらず、警告を発し続けていることは、評価すべきかもしれません。しかし、そのような条件である限り、その警告は、何も残さない可能性があるのではないかと思います。どうせ、誰も責任を負う気はなく、負う筋合いもなく、放置されてしまうでしょう。それは、マスコミや世間が取り上げないからという問題ではないと思います。

彼に期待したい事は、マスコミが死んだと嘆くことではなく、建築システムの問題を目の当たりにし、切実に悩んだプロとして、民主的な責任体制を確立できるようにするための筋道を切り開くことです。

イーホームズの責任を許すわけにはいきません。発覚後の彼の行動も、混乱を拍車をかけた不適切なものだったと思います。その後の発言も、不誠実なものも少なくなかったと思います。いたずらに、自らが発覚の過程で果たした貢献を強調しすぎ、関係者を非難しすぎました。

しかし、それと、これからのことは別です。時代の道化になってしまわぬように、望ましい方向に修正し、努力して欲しいと思います。

立ち上がることはできないが、内心、この仕組みを変えたいと考えている人は大勢居ると思われます。彼は、その先頭をきっていく一人になることができると思います。
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by gskay | 2006-10-24 14:45 | 政治と役所と業界