官僚主体への後退の可能性
政府の税調会長が、スキャンダルで辞任とのこと。

報道されているような行状は好ましいものではないが、この人が辞任してしまうことで、税制が思わぬ方向に進んでしまうとしたら、残念なことです。さらに、財政や政策の決定過程にも影響があるのではないかと思います。

内容の議論を進める前に、勢力争いを行って、然るべき方向性を確保しようということかもしれません。あるいは、ここでの議論自体を無意味にしてしまおうということかも。

彼がやろうとしていたことは、内閣の力を強化し、官僚の力を弱める方向性の実践です。経済財政諮問会議が方向性を打ち出し、官僚を拘束する仕組みが機能しかけています。これは、明治以来の仕組みの大改革です。

官僚制度や省庁制度は、内閣よりも国会よりも古い仕組みであり、憲法は、新旧ともに官僚制にとっては、後からやってきたもの。官僚の方が、しばしば超越した存在になっています。国会も、官僚制からみれば、ほんの一部の権限を担っているにすぎず、そもそも、議員の実力に問題があって、いいなり。内閣についても、議院内閣制のはずが、実態は、官僚制。

スキャンダルで辞任した人は、脇が甘かったと思います。内閣の権限が強くなって、議会の意思が、官僚の意思よりも優位に立つ仕組みが機能するはずだったのに、それを逆行させかねない事件だと思います。

官僚制が様々な点で破綻しているなかで、国会と、国会に選ばれた内閣が実質的な権限をもつ仕組みができかかっているものと思っていましたが、まだまだ、紆余曲折あるようです。

もし、官僚がもう少しまともなら、任せておいてもいいのかもしれません。しかし、今は、官僚に舵取りを任せるべきではないと思います。発展が頭打ちになっている一方で、無責任体制のまま、不適切は方向にズルズルと進んでしまうと思います。

国会が責任を持つ体制の方が、今は良いと思います。国会議員がどんなに無能でも、任期ごとに、あるいは解散時に国民の審判を受けています。国民の方を、いやでも向かざるをえません。それに対し、官僚はその必要も機会もありません。無責任体制の官僚の方が、選挙毎の短い時間しか展望できない議員よりも、近視的になっています。

国会がまともに機能し、内閣が議院内閣制の内閣として機能するための部品として経済財政諮問会議や、政府税調のメンバーが政治任用されているはずです。それが、陳腐になってはいてはいけないし、骨抜きにしようという勢力の言うがままになっても行けないと思います。

官僚のいいなりになるより、もっと、こうした会議のメンバーを大切にしなくてはいけないのではないかと思います。人選が適切である必要があると同時に、スキャンダルなどで辞任されずに済むように充分に配慮し、人材を活用しなくてはいけないと思います。
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by gskay | 2006-12-23 15:52 | 政治と役所と業界