元建築士の判決についての取材。
年末のことでした。元建築士の判決に関連した取材が家内のところにあったそうです。その担当の記者さんとは、この件以外でも接点があるそうで、取材しやすかったのではないかと家内。

「判決が重いとか軽いとか、満足か不満かという点には、刑事的な処分は国の問題で、自分にはあまり関係ないと考えている。また、元建築士には、損害の賠償をして欲しいところだが、現実的ではないと思われる。建て替えの現場で働いてもらうというのも面白い発想かもしれないが、それで償えるような小さな損害ではなかろう。」というようなことを答えたとか。

我が家では、懲らしめて満足という発想は乏しく、いかに適切に後始末をつけるのかということが関心事です。元建築士の判決は、我が家ではあまり大した話題にはなりませんでした。

ただ、元建築士の家族の心配をしました。亡くなった奥様も気の毒ですが、子どもさんが心配です。

ここから先は、我が家で話題になった余計なお世話な話です。

子どもさんが、建築の世界に進むというのは、心情的にはどうかと思いますが、もし、建築の世界に進み、構造設計のエキスパートになったら成功するのではないかというような話をしました。

構造設計はマイナーな世界で、スターがいません。そもそも人材難であり、間に合わせの構造設計屋があふれているようです。

また、当然目指すべき経済設計の努力が、悪であるかのような印象が刷り込まれてしまいました。おかげで、余計なコストと材料を投入し、程々の性能を確保しておけば安心と言う風潮が出来ています。これは、構造設計としては、“手抜き”であるにもかかわらず、正当化されてしまっているようです。

残念ながら、同じコストや材料なら最高の性能をめざし、同じ性能なら最小のコストや材料で達成するという努力が評価されていないように思います。

構造設計の分野は、人的に参入する余地が大いにあると同時に、本来なら難しい仕事かもしれませんが、要求される水準は決してハイレベルではないのが実情ではないでしょうか?

ところで、人々の脳裏には、偽造を行った元建築士の名前は刷り込まれていますが、熊本の本物の経済設計を行うプロの名前は、ほんの一部が知っているに過ぎません。構造設計のエキスパートの名前は全くポピュラーではないと思われます。そんな程度の認知度です。

元建築士の子どもであるということは、マイナスのように見えますが、これだけマイナーな分野では、思わぬ利点に変わる可能性を秘めているように思います。

今は、どんなに優れた構造設計者でも、社会的な認知は高くありません。そもそも、正当に評価されているかどうかもあやしいものです。しかし、元建築士の子どもということなら、世間からの注目を浴びる可能性を秘めているのではないかと思います。優秀な設計者になれたなら、今までの構造設計者には得られなかったような評価を受ける可能性があると思います。

優れた設計者として自立できるようになるまでには、他人以上の苦労が必要であろうし、世に認められるようになっても、最初は、冷たい視線や好奇の目を覚悟しなくてはならないと思います。それでも、本当に実力があれば、正当な評価を勝ち得ることができるのではないかと思います。

その時には、子どもが「元建築士の子ども」として認知されるのではなく、元建築士が「成功した子どもの困った親」として思い起こされるのではないかと思います。

子どもさんが、どんな方向に進むのかどうかなど、私は全く知りません。家内から取材があったという話を聞いているうちに、そんな方向に話が進みました。

余程のことが無い限り、元建築士が私たちにあたえた損害を償う責任は、子どもさんにはまわらないはずです。つらいことも多いと思いますが、しっかり頑張って欲しいと思います。
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by gskay | 2007-01-03 00:16 | いろいろ