反規制緩和批判
耐震偽装をはじめとする問題を、規制緩和の悪弊と単純に決めつけることに疑問を感じています。私は、これらの問題は、規制緩和によって起きたのではなく、元から存在するルールのコアとなる部分が曖昧でデタラメであることによって起きたと考えています。そして、その曖昧でデタラメなルールを、当局の「裁量」で行き当たりばったりに処理してきた仕組みが破綻したのだと考えています。

必要なのは、規制を強化することではありません。当局の「裁量」を制限し、きちんとした規則によって管理する体制こそが必要です。

これまでの「裁量」は、結局、役に立っていないばかりか、手間ばかりかかる仕組みになっています。意味の無い手間を減らすことこそが、「規制」緩和ではないかと思います。

海外より障壁として非難された「規制」とは、ルールの厳しさや手続きの厳格さではないと思います。非難されたのは、ルーズで無責任であるが、複雑で手間ばかりかかり、時間がかかる「裁量」に根ざした「規制」だったと思います。「御上のお気持ち」次第の仕組みが障壁の正体だったと思います。

どんなにルールをいじっても、「裁量」に根ざす仕組みが核として残る限り、規制として機能しない「規制」が幅を利かせ続けることになると思います。そのような「規制」こそ排除すべきだと思います。そういう方向性が、今必要な「規制緩和」ではないでしょうか。

ルーズな「裁量」が、「御上意識」ばかりを肥大させ、無責任な体制を作ってしまったということの反省が必要だと思います。

核となるルール自体は厳しくしてもいいと思います。ただし、明確に示されていて、「裁量」の入り込む余地を制限しなくてはならないと思います。「裁量」によりねじ曲げられることのないルールを作ることで、「官から民へ」、「中央から地方へ」という流れも、「専門家による自由」も保証されるのではないかと思います。

私たちは、問題としなくてはならない「規制」の正体を見誤ってきたのではないかと思います。
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by gskay | 2007-01-15 21:42 | 政治と役所と業界