阪神淡路大震災の日
「いやー、大きく揺れたねぇ」と呑気にいっていられるような、大地震があっても平気な街が出来ているかといえば、残念ながらNO。

地震を防ぐ事はできないものの、災害にならなければいいわけで、その要は建築だと思います。

私は、これまで、震災被害には無関心だったように思います。耐震偽装に巻き込まれて、ようやく真剣に考えるようになりました。認識不足であったと反省しています。

耐震を巡って、1年以上も考え続けています。

今の発想の体系は、いくら法律を積み重ねていったところで、根本的な考え方がしっかりしていないため、デタラメになりやすいという脆弱な体系だと思います。

建築基準についても、建築に関する資格についても、それを司る公的機関の位置付けについても、それを総括的な定めたものがないのではないかと思います。関わる人や組織の責任や義務がはっきりと定められていないと思います。

震災の反省から、少なからぬ制度の変更がありました。しかし、それで充分ではなく、耐震偽装など、不適切な建築を防ぐ事はできませんでした。さらに、制度改正が進められていますが、私は、今行われているような制度改正では、問題の根本的な解決は不可能であると考えています。

関わる人や組織の責任や義務をはっきりさせることからはじめなければなりません。特に、公的な立場が果たす役割を明確にする必要があると思います。公的な立場は、決して無謬ではないということを認めることも必要だと思います。

無謬を前提とした無責任でデタラメな仕組みでは、対応が不適切になったり、遅延する原因を作っているだけではないかとさえ思います。

無謬ではないという前提のもと、公的機関の責任や役割を明確にすることが必要だと考えます。

あれだけの震災があって、これだけの時間が経過しても、こんな状態であるという現実をどのように受け止めるべきかと反省しています。
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by gskay | 2007-01-17 22:05 | 安全と安心