問題の認識
耐震偽装には、様々な人が、様々な形で関わっています。それぞれが、異なる形で事件を認識しています。藤田さんが著書に記した考え方や見方もひとつだと思います。

ことの経緯に関する部分は、藤田さんの著書のインパクトは絶大だと思います。

私は、平成17年11月17日の夕方以降の事柄については、一面的ではあるものの、リアルタイムで体験しています。報道を含め多くのメディアがいかにデタラメで偏っていたかを知っています。あいにく、11月17日以前の部分については、そのデタラメで偏った情報しかありませんでした。

利害のある関係者である以上、藤田さんの著書の内容を鵜呑みにすることはできないと思いますが、これまでの情報よりも、はるかに良質であると感じました。少なくとも、中立を装って、デタラメで偏った情報を垂れ流しにしているという態度よりも好感を持てます。

耐震偽装問題の初期の対応では、いかに、国土交通省が、建築行政への信頼と期待を裏切っていたかが描かれているように思います。単に、行政への信頼と期待を裏切っただけでなく、あらゆる建築関係者を道連れにしているように思います。

しかし、そのことを問題として取り上げよういう人は少ないように思います。全く知らなかったり、関心がない人がほとんど。知っている人でも、目をつぶって、通り過ぎるのを待っている……。

ところで、私が、イーホームズや藤田さんを認識したのは、衆議院国土交通委員会の参考人質疑です。あの時、わたしは藤田さんに対し、不愉快な印象を持ちました。その最初の印象は、今でも続いています。

なぜ偽装が見落とされたのかという問題と、発覚後の初期対応がどうであったかという問題が、藤田さんの参考人質疑のポイントであったと思います。

見落とされた原因については、原因追及の方向が誤っているというのが藤田さんの主張だったようです。大臣認定プログラムの利用の仕方についての理解が不適切であったために、問題発生の原因の分析が誤っているということを主張していたようです。

これは、とても重要な指摘ですが、その指摘が、あたかも責任逃れのように見られてしまいました。今から考えると、もっと上手な受け答えをしていれば、全く異なる展開になっていたのではないかと思われ、残念です。

また、発覚後の対応については、ヒューザーの小嶋社長との亀裂が生まれる原因を作ってしまいました。判断の背景にある技術に限界があり、幅があるのは仕方がないことです。その点こそ明らかにされなくては行けなかったのに、悪者探しに矮小化されてしまう原因を作ったのは、藤田さんの発言だったと思います。

技術的な問題と同時に、公的な権限が優柔不断で肝心なときに適切に機能しなかったばかりか、混乱に拍車をかけることになってしまったということも、国会ではっきりさせなくてはいけなかったと思います。建築において、責任に隙間が存在しているという、脆弱さこそ明らかにされなくてはなりませんでした。

それができなかったために、その後の、国会の議論は、くだらない構図を探るレベルに落ちてしまい、脆弱な基盤に何の検討も加えず、小手先の変更だけが行われるだけになってしまいました。

藤田さんは、構造についての検査および確認が適切できなかったという事実を認めるところから始めなくてはいけなかったと思います。その上で、それが不可避であった事情を明らかにしていくべきでした。

そのステップを充分に踏まなかったために、自己弁護の責任逃れではないかと受け止められてしまったと思います。おかげで、不可避な深刻な問題であるにとどまらず、国土交通省の原因追及の方向性が誤っているという重大な指摘を理解してもらうことができませんでした。

彼やイーホームズ、それに一部の官僚や学識者は理解していたようです。しかし、国会議員をふくめ、ほとんどの人がそれを理解するのは困難でした。相手が受け止められるように順に説明しなくてはいけないところを、ストレートに結論をぶつけたために拒絶されてしまったと思われます。

結果として、彼やイーホームズの責任はどうなるのかということから先に進めなくなって、原因追及の方向性が不適切であるという最も強調すべきことが霞んでしまいました。

さらに、責任逃れの印象のままで、公表までのプロセスが論じられることになり、ヒューザーとのやりとりも、責任のなすり付け合いであると誤解される結果になったと思います。

公表までのプロセスでは、考慮されなくてはいけないポイントがたくさんあったと思います。実際のところ、もっとも重要なポイントである危険性の評価でさえ、現時点でも明確ではありません。とても難しい問題です。

適法な手続きと、結果として違法との関係は?
危険の評価は?
建築に関与した人の役割や責任の分担は?
所有者がどう行動すべきであるのか?
違法に対する公的な処分の手続きは?
瑕疵に対する対応は?
 ……

どれも明確ではありません。だからこそ、国会の場で論ずるべきだった。

そうした不明確のまま放置されている問題が、公表のプロセスを論じることで認識されるべきでした。しかし、公表までの紆余曲折は、単なる責任のなすり付け合いのプロセスであったかのように印象付けられてしまいました。

ますます、あの時の彼の言動を残念に感じます。

これ程のことを訴えようとしていたのに、発言の仕方を間違えたために、肝心なところへの理解が進まず、国全体が足踏みになってしまいました。関係者への影響も大でした。さらに、彼自身も逆風に。

もう少しだけ、発言の展開を注意するべきだったと思います。

あの時に戻ってやり直すことはできれば、楽だと思います。しかし、そんなことは無理です。

結局、いまだに解決していません。解決のための道筋すら切り開かれていません。切り開かねばならないと問題を提起する人もわずかです。

自分のブログの昔のエントリを読むと、参考人質疑後にイーホームズや藤田さんへの怒りを露にしています。しかし、問題はイーホームズだけではないということに、すぐに私自身が気付いていて、この問題を、最も的確に把握していると思われる藤田さんへの期待も、折々に記されています。

もう少し、他の人がわかるように工夫して欲しかった。その工夫によって、こんな混乱は避けることが出来たかもしれません。問題の抜本的な解決の方向性も、とっくに確立していてもおかしくありません。

その鍵を彼は持っていたのに、うまく使えなかったのだと思います。

あの時の失敗を取り返す必要があると思います。

藤田さんがそれをやりたいというなら、私は、彼をゆるすことが出来るように思います。
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by gskay | 2007-02-09 11:35 | 反省とまとめ