設計者の処分
国政の場や、マスコミも、誰が悪者であるかという話に集約される中、新たな大事件で、見事にうやむやになりそうです。

そんな騒動の中で、設計にかかわった建築士の処分が発表されました。デタラメな設計を作った張本人たちです。彼らの責任において作成された設計がデタラメでした。下請けがインチキをしたのだとしても、自らの責任で修正するのが仕事のはずでした。

しかし、いつの間にか、この人たちは、微妙なニュアンスで取り上げられるようになってしまいました。

設計事務所や設計に関わった建築士は、重大な責任を負っているはずなのに、いつの間にか、「ヒューザーに無理矢理、デタラメな設計をさせられた」という存在に「格下げ」になってしまいました。

中には、命を落とした方もいます。責任の重大さを物語るのかもしれません。同情すべき部分もあるのかもしれません。しかし、小嶋社長のいう「殺人マンション」の設計者であるという責任から彼らを解放することはできないと思います。

建築主・売り主のヒューザーばかりが問題になり、「真相」とやらの解明が求められ、背景の構図ばかりが追及されています。設計をした人たちについても、その構図の中での責任にしか注目されなくなってしまいました。

設計に対する責任は、そんなものなのでしょうか?

検証し、議論しなくてはいけないのは、そんなレベルの責任ではなく、建築士としての本来の責任のはずです。しかし、悪の構図における責任だけが関心の的です。

これだけの騒ぎにもかかわらず、結局、悪者自体もわかったようなわからないような……。今後、真相の闇は、闇のままになってしまい、人々の脳裏から消えてしまうのでしょうか?

騒いだ割には、何も残っていません。そもそも、その「闇」とやらは、どのようなものだったのでしょうか?その闇は、空っぽのフィクション、無責任な妄想ではないかと思うことがあります。そもそも、「闇」自体が、本当にあったのかどうかもわかりません。

何も確かなものが出ていません。出るなら、はっきり出て欲しいと思います。

騒ぎは、根拠のはっきりしない印象だけを残し、尻切れになりそうな気がします。

そんな不毛な騒ぎとなった「闇」の構図の有無にかかわらず、デタラメな設計の責任は、追及されなくてはいけないはずです。その責任を問う事から、将来のための「損なわれた安全」への対策が始まります。損害への賠償責任という過去への後始末も、ここから始まります。不毛な騒ぎがおさまりそうな今こそ、話題を、そこに戻す事ができればいいと思います。
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by gskay | 2006-01-26 15:53 | 真相 構図 処分