「王様の耳はロバの耳!」
選挙中は、どの程度のことを書いていいのか見当がつきませんが、放送や新聞、雑誌を参考に無難なことを書いている限り、お咎めはないものと考え、我慢できないので気がついたら書こうと思います。ちょっとバタバタした生活が一段落し、いろいろと思っていることがたまっているので。

このブログ自体、つぶやいているだけですが、穴にむかって「王様の耳はロバの耳!」と言った床屋さんも、罰がこわくて配慮していたように、私もどんな目にあうのかわからないので腰がひけます。ネットで言いたい放題言う事に対しては、厳しい見方をする人も少なくないようです。

それはそうと、王様の耳がロバの耳になった経緯は?だまっていられなかった床屋さんはどうなってしまったのか?そして、王様の耳は?

もとになったイソップの寓話から、寺山修司の戯曲まで様々なバージョンがあるようですが、言いたい事を言えないストレスの話だけではないようです。あるいは、噂は止められないとか、隠匿していてもバレるという話だけでもないようです。

そもそもは、太陽神アポロンに対し、思慮が足らずに言いがかりをつけた王様(ミダス王)が、お仕置きとしてロバの耳にされてしまったことがことのはじまりのようです。思慮が足りない言動の王様も王様ですが、アポロンも大人げないように思います。

たとえ理不尽な約束といえども、約束を破った形に追い込まれた床屋さんを、極刑にしようと考えた王様やその家来については、それはそれで仕方がないかも知れないと思います。約束だったのだから……。

一応、床屋さんは、他人の耳に届かないように配慮してはいます。その辺に、情状酌量の余地があるのかもしれません。この点で、床屋さんの行為が不法行為にあたるのかどうかは、とても微妙な問題なりますが、その微妙な問題に対し、王様は無罪と判断。床屋さんは救われます。その思慮深い判断を認めたアポロンは、王様の耳を普通の耳に。

どういうこと??

そもそも、なぜ、王の耳がロバの耳ではいけなかったのでしょうか?そして、なぜ、それを秘密にしなくてはいけなかったのでしょうか?別に、ロバの耳である事に問題性がなければ、秘密を守る努力もいらなかったように思います。

ロバの耳は、異民族の王族の象徴で、統治に正当性がないことを表しているというような話もあるようで、その関係から考えてみるべきかもしれません。

ところで、物語には、「王様の耳はロバの耳!」を広めてしまう葦(風であったり、井戸であったりするバージョンもあるみたいですが……)と、それを噂して動揺する(面白がる?)庶民も登場します。この存在が曲者のような気がします。

私の勝手な想像ですが、正当性に問題がある支配者が恐怖政治に陥り、言論が統制され、庶民の不満が高まり緊張が進む。ここで、取り締まりの強化をすれば泥沼になるが、寛容な対処に成功すれば、問題となっていた正当性だって、もはや問題にならなくなる。そんな話ではないかと、こじつけて考えてみました。

このこじつけにより、王様と庶民の関係については納得した気持ちになっています。とりあえず、王様も庶民も安泰なので、めでたい事だと思います。

ただ、アポロンが何者なのかがわかりません。それにロバの耳の意義。

このこじつけでは、アポロンもロバの耳も、王様の思慮深さと庶民の関係には積極的な役割を果たしていません。なぜなら、普通の耳にならなくても、ロバの耳のままで、思慮深い名君になれるからです。

「そういえば、ロバの耳だった」と、問題視されていない状況もいいと思います。あるいは、「うちの王様の耳って、ロバの耳なんだよね」と誇らしげに語る庶民がいてもいいと思います。「昔は思慮が足りなくてロバの耳にされてるけど、今は名君」ということもありえると思います。

ロバの耳をどうでもよくすることはできると思います。

ところが、実は、庶民の方にも問題があって、どうでもいい「ロバの耳」にこだわり続けて、すでに思慮深い名君へと成長した王様の邪魔をしてしまうのかも知れません。「王様の耳はロバの耳!」とセンセーショナルに煽る葦。どうでもいいことに動転する庶民。

問題は、王様の思慮深さであるはずなのに。

庶民がそうであるから、アポロンを登場させて、取り繕わなければ行けないのかもしれません。結局、王様と庶民の関係を安定させるには、王様と庶民だけにしておいてはダメだということを言っているのかもしれません。

そのダメな部分を重視しすぎると、普段から、問題があったとしても、庶民に対しては隠匿しておいて、解決してから都合よく公表するのがよいということになるのかもしれません。あるいは、あることないこと、事後に創作する。その都合のよさは、王様にとって心地良いだけでなく、案外、庶民にとっても心地良いものなのかもしれません。

「王様の耳はロバの耳!」と穴に向かって叫ぶことまで禁止すると、息苦しくなるのは確かです。しかし、それを野放しにすると、どうでもよいことが、どうでもよくなくなってしまうこともあります。ついには、意図的に取り繕わなくてはならないほどにこじれてしまうこともあります。そうなると、王様の耳を普通の耳にして庶民に示さない限り、庶民は納得できなくなってしまいます。

どうでもいいことなのに。

どうでもいいことを流布されることもあれば、深刻なことを流布されることもある。そこで、都合の良いのことを叫ぶサクラを用意したり、それを広める葦を仕込んでおいたり。そういう心理的な闘いはエスカレートします。

その闘いの決着がついた暁に、「カミの手」で都合よく取り繕う。「カミ」がそうしたという真相が明らかになって、かえって納得できるような形で。逆に、「カミ」に見放されたら、負けてしまうと考えさせる。負けてしまえば、もちろん、取り繕うこともできない。

アポロンはそんな「カミ」として、この話に不可欠な存在なのかもしれません。

本当は、アポロンは王様の耳をロバの耳にしていないし、最初から王様の耳は普通の耳だったのかもしれません。実は、この床屋はほら吹きだったり、工作員だったりして。でも、誰にもわかりません。

選挙は、放っておくと、「王様の耳はロバの耳!」と穴も掘らずに叫ぶ人が増えてしまう特殊な緊張状況を作ってしまいます。だからこそ、ある程度の規制が必要なのかもしれません。

真実さえ、言ってはいけないのか?

たとえ真実だとしても、我慢する方がいいような気がします。

ねじ曲がってややこしくなって、取り繕わなくてはならなくなるからです。得体のしれない「カミ」の手を借りて。

選挙という心理戦が繰り広げられている間は、たとえ規制がなくても、穴に向かって叫ぶことさえ注意するべきではないかと思います。どうでもいいことがエスカレートし、その後を、「カミ」によって取り繕わねばならなくなります。取り繕うことによって、訳がわからなくなるだけでなく、「カミ」のことであるために、不可侵になりかねません。
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by gskay | 2007-07-14 09:37 | いろいろ