「王様の耳はロバの耳!」(3)
王様の耳が、ロバの耳にされるには、いきさつがあります。このいきさつも、いろいろなバージョンがあるようです。

有名どころでは、「触ると何でも金になる」という話。太陽神アポロンを無能呼ばわりした王様に対し、アポロンは、「願いをひとつかなえてやろう」と。そこで、王様は、「触ったものが何でも金になるようにしてほしい」と。

その願いはかなうものの、触ったはしから金になるので、親しい人も金になり、食べ物も。食べ物にいたっては、触らないように注意して家来に食べさせてもらったのに、のどで金になり、窒息しそうになる。それで、助けと許しを請い、何とかしてもらいます。

ここで、ロバの耳にされてしまうというバージョンもあります。しかし、もうひとひねりあるバージョンもあります。また、アポロンではなく、デオニソスのバージョンもあります。

いずれにせよ、この願いは、破滅につながる願いであり、幸せが吹き飛んでしまいます。王様自身の個人の欲望だったという説と、民を飢えさせないための願いだったという説があります。民のためという部分を活かしたバージョンでは、この力を落とすために浸かった川から砂金がとれるようになったという話が加わっているようです。

もうひとひねりあるバージョンでは、反省して、金や富に対する欲望を捨てた王様の話になります。王様は、富の追求にこりて、田園で芸術生活に入ります。そこで、パンという神に心酔します。笛の達人です。この笛の達人とアポロンが音楽の腕比べをします。アポロンは竪琴の達人です。結果、アポロンの演奏が優れていると判断されました。しかし、当のパンのことは脇において、それに王様は断固抗議。

「おまえ、一体、何を聞いていたのだ!」ということで、そんな出来の悪い耳は、「ロバの耳にしてしまえ!」そこから、床屋のエピソードになります。

肝心の演奏を聴いておらず、心酔するパンを勝たせたかっただけ。それは、現実を直視できない王様の態度を表しているとされています。どんなにすばらしかったとしても、人物でも、信仰でも、規則でも、現実を無視して執着するべきものではないということだと思います。

床屋のエピソード以降も、様々なバージョンがあり、民衆の知るところとなって、恥ずかしい人生を送らなくてはならなくなったというバージョンもありますが、床屋を許し、現実にそった思慮深さにより、アポロンに罰を解かれる話の方が高度な気がします。

富の追求と破滅から、愚かしい遵守や墨守の弊害を経て、国や民にとって本当に必要なものを知ろうとする思慮深い名君になっていく話とまとめるのがいいように思います。

経済至上主義から、道徳の尊重へと価値がシフトしようとしています。道徳の尊重自体に異議を挟む余地はないかもしれません。しかし、その進め方については、思い込みにとらわれてはならず、現実を直視しなければはいけないと教えられているように思われます。
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by gskay | 2007-07-16 06:23 | いろいろ