現地視察
大臣や党首や議員や候補が、災害の現地を視察します。災害に限らず、苦労している人のところへの視察もあります。そうした視察は、現地の人に元気を与えることができるようです。

問題の解決にどれだけ役に立つのかわかりません。時には、受け入れのために、忙しい手を休めなくてはいけなくなることもあるようです。それでも強行するのは、視察に行く人の人気取りではないと思います。

もし、忙しい人への迷惑行為なら、とっくの昔にそんなパフォーマンスは撲滅されていると思います。人気取りと見透かされるような行為は、逆効果です。

「エラい人」が訪ねてくれるというのは、特別なことです。何をもって「エラい」とするかは別にして、その特別なことが、現地で苦労をしている人を励ます効果があるようです。

このタイミングで出かけるのは、迷惑かもしれないと配慮する見識も大切だと思いますが、こうしたことに対し、衝動に突き動かされて視察に赴くようでないと、エラい人は務まらないのではないかと思います。政治に携わるには、そういう側面も大切にしなくてはならないと思います。

こうした衝動は、「政治」、「まつりごと」の大事な要素だと思います。

人が集まり、誰かを担ぐ。担がれた人の行動は、逆にみんなに影響します。視察という言葉はともかく、政治家として担がれた人、あるいはエラい人が訪ねて来るということの意味を、軽視してはいけないように思います。

二世議員批判があります。だめな政治家も少なくないと思います。しかし、二世として育った環境は、理性や理屈をこえた政治のあり方を学ぶには絶好の環境でもあります。視察のような状況に、抵抗なく的確に立ちあがることができるような環境で育ってきたのではないかと思います。そうしたことを身につけて政治に携わるというのなら、格好の人物かもしれません。

逆に二世議員でない政治家には、そうしたチャンスが限られています。余計な垢にまみれていない分、肝心なところが抜けていたりするのかもしれません。二世でない場合、理屈をこえた部分に弱いのではないかと思うことがあります。政治家という立場が、身に付いておらず、演じているだけではないかと思うことも。みんながそうとは言えませんが……。

地盤とか看板とか、あるいは資金力、知名度という選挙の上での有利な点を除いても、政治家にふさわしい人が二世には少なくないように思います。そのように育てられただけのことはあると思う事がしばしばです。

私は、世襲が維持できるだけの努力をしている政治家を、二世だからといって否定しません。もちろん、二世でない人が、二世より優れていると思ったら、そちらを選びますが。

二世かどうかはともかく、視察のような行為に、真剣に取り組むことができるかどうかは、政治家を選ぶ基準の一つになると思います。

「百聞は一見にしかず」。エラい人にとっても、現地入りは大切だと思います。特に、メディアの情報もあてにならないし、現地からの情報は寸断されていたり、寸断されていないとしても、肝心な情報がなかったり……。

しかし、政治家にとっての現地入りは、学者やリポーター、あるいは救援チームの現地入りとは異なる意味を持っています。エラい人としての価値があり、現地の人にあたえる影響がとても大きいと思います。

まあ、現地の人にとっては、政治家個人の人格とか品性などは問題ではなく、政治家という肩書きやその地位、すなわちエラい人という点が、理性を超えた力を与えるのだと思います。これはこれで、勘違いしてはいけないポイントだと思います。加えて、政治家に限った話でもないと思います。

(屁理屈をこねてばかりの私は、耐震偽装に翻弄されていろいろと考えるようになるまで、こうした理屈をこえた行為から目を逸らしていたように思って、反省しています)
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by gskay | 2007-07-18 02:45 | 政治と役所と業界