様々なコメントありがとうございます。
様々な分野からの卓抜したコメントに感謝します。

「地震に強い国へ」のエントリに対するコメントへのコメント

う さん、阪神大震災においては、耐震基準が守られていた建物と、そうでない建物では、被害が異なっていたと聞いています。現時点で、被害が出やすいとわかっている建物を放置しないということを、「目先の問題」として処理しなくてはならないと思います。さらに凄い地震については、どう考えていいやら?

shin さん、そうなんです。どこまで、書いていいのか難しいのです。「紛争」のさなかですから、駆け引きは大事。一応、報道に出たトピックは、OKと考えています。あるいは、報道に載せてほしいこと。それに、自分が考えたことは載せていいかなと考えています。住民には、いろいろな考えがあります。総意は、それぞれの節目に、「民主的」に決めているので、ここに書いた内容とは真逆と思われるような対応をしているかもしれません。

たくさんの方の目にふれるようになって、少し緊張しています。このブログでは、「問題になっていることは何か?」ということを問うことができればと思っています。

住民は、これから、時には、交渉を有利にするために、卑怯と思われるようなこともしなくてはならないことがあると思います。表面的には、醜悪な部分もあるかもしれません。それは、テクニックとして必要だとは思います。そういう行動を否定はしませんし、足を引っ張ろうとは思いません。

また、マスコミにとっては取り上げやすいものとそうでないものがあることがわかりました。取り上げてもらうための工夫も必要でしょう。

しかし、そうした行動が過激になりすぎて、「大事な問題」から乖離してしまうことを恐れます。

だから、問い続けます。

たなな さん、さまざまなシュミレーションが行われていて、いくつかが、具体的な作業に進みつつある段階です。それこそ、絶望的なものから、バラ色のものまで。住民が、集団として統率されていることが、幸いし、前向きです。

ななしさん、私は、自分の身の周りのことしか、とりあえず出来ません。自分が直面している問題を、片付けます。しかし、「私有財産だから……」という議論と、「安全第一」という議論にへだたりがあることが、わかって来ました。思わぬ方向に進んでいくのではないかと期待しています。

自分のふところの心配より、街が危険で一杯であるという想像していなかった事実に衝撃を受けています。

「二転三転」のエントリに対するコメントへのコメント

AWさん、起きてしまった自然災害に対する援助との整合性の問題は大切なポイントです。今回は、自然災害は起きていません。正しい言葉かどうかわかりませんが、「平時」だと思います。「平時」の経済活動として考えると、仮に公的資金が投入されることがあっても、それが、一方的なものではなく、最終的には、回収できるようなものでなくてはならないと思います。

資金は、融資であるべきだと思っています。その融資は、ヒューザーが負うべき負担の分の肩代わりに限られるべきだと思います。そして、瑕疵担保責任において、ヒューザーが返済しなくてはいけないと思います。(といっても、無理な雰囲気が漂っているので、住民が自分で返すことになるのでしょう。でも、急場がしのげたのだから、よろこんで、返済していけると思います)

そういう意味で、横浜や川崎の打ち出す対策が正しいのかわかりません。また、それを手本にして、自治体の足並をそろえさせようとする国の考えかたも、好きではありません。都の対応や区の対応は、何もしていないようにも思えますが、どのような制度であるべきかをよく考えると、「すみやかな対応」や「手厚い対応」がどうあるべきかということに慎重になるのは理解できます。

住民は、理不尽な要求をするかもしれません。しかし、「冷静に要求する」ということではないと思います。「大変な緊急事態」が起こったと思っているのですから。でも、冷静に見回すと、うちの快適な部屋は快適なままです。ただし、「違法」という「瑕疵」をかかえながら。

その「瑕疵」をヒューザーが補償できれば、早期に解決したはずです。その上で、検査制度の落ち度や偽造の違法性を追求し、賠償を請求すればいいだけでした。

しかし、そこがうまくいかない。そして、本当は、「平時」なのに、「大変な緊急事態」にしか見えない不安定な状態に追い込まれている。

これまで、うちの住民は理性的だと書いて来ました。しかし、混乱や不安を、理性で処理していくことには限界があるようです。耐えられなくなった人から、やり場のない気持ちを、必ずしも適切とはいえない場所で爆発させていくのではないかと恐れています。みんなが、最後の最後まで、理性的でいろというのは無理だと思います。

もう、2週間以上、不安定なままなのですから。(だから、対策がないのに、公表なんてして欲しくなかった)

玄関をくぐるたびにマイクやカメラがないかを確認する生活だけで、精神的におかしくなる人がいても当然ではありませんか? しつこく粘って、ろくでもない質問を浴びせられる生活。

にもかかわらず、公式の発表や通達ではなく、報道によってしか情報を知り得ない状況。

普段なら、理性的で善良な人たちも、おいつめられ、精神的に破綻しつつ有ります。

その破綻が、たとえば、住民説明会などで、少しでも発散されるなら、まだましかなと思います。(そういう会には、出たくないという臆病者で、逃げて帰りたくなりますが、我慢します)

どう対応していいかわからないまま、マスコミに注視されたまま、放置された人が、機会をとらえて爆発してしまうというのは、そういうことだと思います。理性的な日常であれば決して出ないような理不尽な要求でも出したりして騒いでいないと、怒りや不安でこわれてしまいそうなのです。(いや、こわれっちゃった人もいるかも)

その部分だけを切り取って、「気の毒な住民」とか、「自分勝手な住民」とか報道するのは自由なのかもしれません。それを受け取って、受け手がいろいろ考えるのも自由だと思います。

でも、そんなことで、進むべき道がねじ曲げられて欲しくないと思っています。

爆発や理不尽な要求は、しっかりと考えるためのきっかけくらいに考えるべきだと思います。そこに本質や問題解決の糸口があるわけではないと思います。

「本当の問題」に、ひとつひとつ立ち向かっていかなくてはならないと思います。

コメントをみて、まず、お答えしておきたいと思ったことや、反省したことを書き連ねました。本業の方を、おろそかにしたくないので、不十分かもしれませんが、ご容赦下さい。
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by gskay | 2005-12-02 11:14 | 反省とまとめ