失言問題
「言葉狩り」なのかもしれません。

過剰反応と思われる風潮があります。そして、寛容でないと思います。

最大限の配慮で、失言をしない工夫は必要です。しかし、失言が出てしまうことともあります。その場合は、不適切な点を注意したり、たしなめたりすれば済むことです。また、失言をしてしまった人は、その失言が抱える問題を理解したのなら、すぐに謝ればいいのではないかと思います。

ただ、それでは済まされない風潮です。この風潮が、これ以上エスカレートして欲しくないと思っています。

ところで、その言葉の元々の意味をたどると、つべこべ言うほどのものでなかったとしても、一旦、失言が問題になると、なかなか収拾がつかなくなってしまうようです。問題視する側の意識の方が、国語の先生たちを苦笑させるような話も随分とあるようです。

また、前後の脈絡や、発言が出た状況が無視されて、些細なことや戯れ言が大きな問題になっているような気がします。発言者の本意を離れ、強引な曲解がまかり通っているように思えます。

さらに、とても大事な問題が絡んでいるにもかかわらず、肝心な問題についての主張に十分に耳を傾けず、全体の展開を追うこともなく、ほんの一部を問題視しているだけではないかと思われることもあります。

そんな問題だらけの風潮だといっても、とにかく、一旦、失言問題に巻き込まれたら、アウト。大抵は、些細な一言ですが、仮に、その言葉の用い方が、含蓄があったり、機知に富んでいたり、優雅なものであったとしても、それを知ってか知らずか、問題視する人は、引き下がることはなく、執拗に食い下がます。(飽きるまで)

その結果、肝心な議論が先に進まなくなってしまいます。全体の流れを考えたとき、足踏みをすべきでない状況で足踏みをせざるを得なくなってしまうことも多々あるように思います。

時には、陥れるための策略として、失言探しをしているのかもしれないと思うことがあります。だとしたら、納得できることもあります。ただ、それが策略として成り立つためには、過剰反応と不寛容さが背景になくてはなりません。もし、失言問題が、厳重な注意など、きちんとした対処で収拾されてしまうような風潮であったら、この策は成り立ちません。

そんな策略ばかりしていると、過剰反応や不寛容さがエスカレートしてコントロール不能になってしまうのではないかと恐れます。

さて、政治家については、議論や交渉をするのが仕事なので、言葉はとても大切にしなくてはならないはずです。また、説得したり主張したりする時も言葉の力を操っているはずです。些細な失言に対しても、聞く側が寛容でない以上、さしあたっては、上手に言葉を制御して、失言問題を避けなければいけないと思います。でないと、せっかく、世の中をよくしようとして発言している主張に耳を傾けてもらえなくなってしまいます。

同時に、政治家は、政治的な闘いの中にいるので、充分な配慮をしないと、策にはまってしまいます。ターゲットになった時点で、もう遅いのかもしれませんが……。

一方、重大な問題の当事者も、失言問題には充分な配慮が必要です。失言をした側は余計な負担を背負わなくてはいけなくなってしまうばかりか、問題の焦点がぼけ、その後の展開をねじ曲げてしまうこともあります。

たとえば、ヒューザーの小嶋社長の国会の参考人質疑での暴言。異様ではあるものの、全体の流れから見れば小さいものだったのではないかと思います。中継を見ていて、参考人質疑の中にはもっと重大な内容が含まれているように思いました。しかし、その後、繰り返しメディアに取り上げられたのはあの発言で、肝心な問題の方ではありませんでした。そして、ヒューザーの破局。

事件後や事故後の組織の危機管理では、こうした失言対策はとても重要ではないかと思います。その後の事件や事故でも、決して上手ではない対応がみられます。

似た風潮として、

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 「目標女性撃沈」海自合コンで作戦用語 内部から批判も


7月8日10時28分配信 産経新聞

 ■幹部、業界紙に投稿

 初の女性大臣、小池百合子防衛相を迎えた防衛省で、海上自衛隊潜水艦乗組員らが部外の独身女性を招いて行ったパーティーの様子を、幹部が業界紙に投書、そこで女性を「敵」や「目標」にたとえて「攻撃」し、成果を「撃沈」などと表現、海自などから「女性蔑視(べっし)ではないか」と内部批判が出ていることが7日、分かった。

 防衛省・自衛隊関係者を主な読者層とする「朝雲新聞」と海上自衛隊を専門に扱う「海上自衛新聞」に相次いで掲載された、潜水艦の副長を務める幹部自衛官(3佐)が書いた投書は、「果敢に攻撃、カップルが10組誕生」との見出しで、5月下旬に関西で開かれた潜水艦の独身乗組員と一般独身女性との「カップリング・パーティー」の様子が潜水艦の作戦用語を使って記されている。

 主な内容は、「(乗組員の)精鋭は“敵”との接触前に綿密な情報収集と積極果敢な攻撃を方針に掲げ」「前回の“海戦”の戦況を鑑み、対抗部隊、作戦に配慮」「最初の対抗部隊が芳香を漂わせながらエリア内に進入」と“戦闘前”の様子を説明。

 さらに、「いよいよ戦闘開始」「すぐさま接敵、攻撃態勢に入る」「壮絶な海戦の結果」「撃沈、誤射、自沈との各部隊の攻撃成果が確認」と戦闘状況を生中継タッチで描写。「撃沈成功は◯組」と、カップル成立の有無などの戦闘成果についての報告とみられる表現が延々と続いている。

 海自は一連の情報漏洩(ろうえい)や、隊員の無許可渡航などで外国人女性を含むいわゆる「お見合いパーティー」への厳しい目が向けられている。それだけに、この新聞の投書を読んだ複数の海自幹部は「女性に対し失礼でありセクハラだ。常識を疑う」と、書いた幹部や掲載した新聞を批判している。

 さらに「この時期にこうしたことを自慢げに書く幹部、それを許す組織だから脇が甘いと言われるのだ」(防衛省幹部)と自衛官としての基本姿勢を問う声も強く上がっている。中には「小池防衛相が知ったらどうなるか…」と戦々恐々としている声も上がっている。

掲載されたのは、一般的な新聞や雑誌ではないと想像します。投稿への批判については、納得できる部分もあるものの、この記事を読んで違和感を感じました。

専門的な言葉を比喩的に使って表現するという手法自体は昔ながらのユーモアです。きっと、良く出来た面白い文章だったのだろうと思います。それに対し、余程のことがない限り、目くじらをたてたりするものではないと思います。目くじらをたててしまうという不寛容な「基本姿勢」も問題ではないかと思います。

全くの杞憂かもしれませんが、こんな記事がでるのは、自衛隊を特別視し、完璧で神聖な組織であるべきだという考えが根底にあるのかもしれないと思いました。防衛上の不祥事については、大問題です。しかし、自衛官の人間性を否定することにつなげてはいけないと思います。

ただの公務員と変わらないような意識になったり、サラリーマン化してしまっていけないということでしょうか?普通の人の感性は、否定されるべきなのでしょうか?

自衛官を、果たすべき職務を離れたところまで、特別な枠にはめ込もうとしているような気がします。

言論が言論を圧迫しかねない不毛な言葉狩りに加え、過去の悪夢を見ているのではないかと思われるような風潮もあるような気がします。引用の記事は、自衛隊という特別な場所にスポットをあてていたために、気にかけることができたのかと思っています。むしろ、気付かないところで進んでいることが恐ろしいと思います。
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by gskay | 2007-07-24 12:37 | メディアの狂騒