退陣?
1989年に宇野首相が、1998年に橋本首相が参議院選挙の惨敗により退陣しています。退陣とはいうものの、政権交代ではなく、自民党内での交代に過ぎませんでした。本人が納得した上で、自民党に対し責任を負う形での退陣だったと思います。

今回の選挙結果により首相が退陣するかどうかは、衆議院で多数を自民党が占め、不信任案可決の可能性が低いため、単純に自民党内の問題のように思われます。

今後、自民党内で総裁を引き摺りおろすための動きが活発になり、規則に基づく手続きが踏まれるかもしれません。その場合は、本人がどう考えようと、仕方がないと思います。

ことと次第によっては、自民党が不安定になってしまうこともあるかもしれません。内閣不信任案が可決されるような状況も考えられます。その場合も、辞任するなり、解散総選挙にするしかなかろうと思います。

しかし、そういう事情が発生しない限り、「辞めない」と決めたなら貫いて構わないと思います。

今回、メディアの力や、「世論」とやらで、首相を引きずり降ろそうという流れが強いように思います。しかし、私は、そんなことになって欲しくないと思っています。

あたかも、本人が決断したかの様に追いつめるやり方は陰湿です。その陰湿な行為を、大っぴらにするやり方は、そもそも、公序良俗に反しているのではないかとさえ思います。それは、「いじめ」にも通じる愚かな品性です。

「世論」はともかく、メディアとは一線を画した上で、議会の中で決めるのが、この国の政治の仕組みです。そして、その議会を前提に、政党が機能しています。

メディアが、それを侵し、権力としてふるまうのは危険です。メディアは選挙で選ばれているわけではありません。視聴率や購読者数が目安になるかもしれませんが、国民の歯止めの届かないところにあります。強力な圧力にはなるものの、法に定められた権力ではありません。

今、参議院選挙の結果を受け、参議院選挙の意義以上の意味を無理矢理こじつけようとしていることに疑問を感じます。そのこじつけが、まかり通ってしまうと、もはや、議会の意味も、議院内閣制の意味も無くなってしまいます。何のために多数決の原則に基づく代表を選んでいるのかわからなくなってしまいます。

国民自らが選んだ代表とは別のところで決めてはなりません。

よく考えてみると、国民自らが選んだ代表をさしおいて、メディアと官は癒着し、幅をきかせてきました。一応、目立たないようにしたたかにこっそりと行われていたはずですが、今や、これが弊害をともなった問題として顕著になりつつあります。

もともとは、官僚も、メディアも、悪意をもってそうしているのではないかもしれません。しかし、彼らがしていることが、政治のあり方をゆがめてきました。しかも、問題がおこった場合、官僚も、メディアも、自らの無謬性という空想の産物を背景に、隠蔽や改ざんが行われたり、責任を曖昧にしたままに放置するということがまかり通ってきました。そうしたことへの反省の機会さえ無く、問題の繰り返し。その点に、もっと注意する必要があると思います。

「世論」を盾に、メディアが、首相に退陣を迫るというのは、定められた手続きをないがしろにしています。官僚の裁量と並ぶ、デタラメなやり方だと思います。また、そんな風土が土台にあるからこそ、官僚の裁量がここまで増殖してこられたのではないかと思います。

それにのせられてしまっている野党は、その危険性を理解していないのでしょうか?

私は、現政権に賛成するか反対するかとは別に、政権を投げ出さずに頑張って欲しいと願っています。政権に反対するからといって、手段を選ばず、政権を破壊することが許されているわけではありません。本人が嫌になってしまったり、あきらめたのなら、仕方がありませんが、決して、退陣が当然と言う状況ではありません。

その一方で、引きずり降ろそうとする側は、きちんとした手続きで引きずり降ろす努力をするべきです。自民党内にしても、国会議員にしても、そのための権限が付与されているはずです。そうした正規の権限を行使せず、メディアで包囲し、追い込んで自ら辞任させるようなやり方がまかり通ってきたからこそ、政治の表面に出ることがない官僚中心の支配がまかり通って来たのだと思います。

ここで、追いつめることによって首相が自ら辞任するようなことがあるとしたら、政と官の関係の改革が後退するどころか、反動に向かってしまうように思います。

これこそ、一種の「恐怖政治」では?

民主党の菅代表代行は、かつて、『大臣』というベストセラー新書を出しています。その中で、官僚支配の問題を指摘し、官僚のお手盛りから訣別するという理想を掲げていました。その内容には大いに共感します。

だからこそ、政権交代を本気で目指しているのなら、選挙による対決を制して実現してもらいたいと思います。外野に惑わされることなく。首相が退陣して、自民党から新しい首相が生まれたところで、民主党が目指す政権交代には、直接関係しない事に気付くべきです。安倍首相の進退に関わっている場合ではなく、解散総選挙そして政権交代に進むための確かな道のり築く事こそ、民主党がなすべきことです。

自民党を不安定にするための心理戦として、メディアに乗る形で、首相退陣を叫んでいるのだとしたら、大した策だと思います。しかし、用いた武器は、自らの首をも絞めるでしょう。

ところで、宇野首相や橋本首相がひきあいに出されますが、もし、ここで退陣することがあるとすれば、不人気でその座を降りざるを得なかった森首相のケースに似るように思われます。宇野首相は致命的なスキャンダルで進退が極まっていたし、橋本首相は政権末期で、しかも経済政策に迷走があり、いずれも引き時でした。

一方、森首相は、不人気を極めていたものの、致命的とはいかず、また、政策の行き詰まりを経験せずに済んでいます。任期満了による円満な退陣ではないにもかかわらず、現在も強い影響力を行使できる立場にいて、政局の行方を担うキーパースンになっています。見事だと思います。

そういう点では、もし、ここで不人気を理由に安倍首相が退陣し、かつ自民党が存続するなら、新たな「元老」として君臨できるかもしれないと思います。それも、良い選択かもしれません。ただ、今のところは、自民党の存続に不安があるため、それを選ぶ事はないように思います。そういう意味でも、安倍首相には、退陣に向かうより、喫緊の課題である公務員改革を通じて官僚の裁量の打破を、一か八かで片付けて欲しいと希望します。

今、ここで、「世論」とやらに屈して、安倍首相が退陣することがあったら、政治が政治の仕組みによって決まるのではなく、外からの雑音で決まってしまうことになってしまいます。その、雑音の発生源に対する歯止めを、私たちは持っていません。メディアの増長と、官僚の裁量に無制限の権力を与え続けてはなりません。

安倍首相は退陣しないという方針とのこと。辛い決心だと思います。また、下手をすれば、次の総選挙で政権を奪われるという役回りを演じなくてはいけないかもしれません。だとしても、政治の中で政治が決まっていく仕組みを確立するために、どうしても踏みとどまって欲しいと思います。法律でもなければ、代表による政策議論でもない、全く異なる仕組みで、「公」が恣意的にねじ曲げられることに抵抗して欲しいと思います。

「美しい国」が何をさしているのかわからないという批判があります。官僚とメディアによる恣意的な支配の暴走に幕をひき、国民の代表の手に権力を取り返すという壮絶な闘争を、生々しく表現するのははばかられて、そんな表現になったのだろうと思われます。
[PR]
by gskay | 2007-07-31 09:34 | 政治と役所と業界