戦後レジーム
安倍首相が、総裁選前に出した本を読んで、脱却すべき「戦後レジーム」とやらが何かを理解するのは難しいと思います。おそらく、「美しい国」のキャッチフレーズと同様、曖昧なままではないかと思います。

「美しい国」の方は、これから目指すべき理想を言っているのだろうと思います。焦って取り組まなくても構いません。ゆっくり議会で議論していても平気だし、メディアや世論の関心の高まりを待っていてもいい問題です。

一方、「戦後レジーム」の方は、今、脱却しければいけない根本的な問題です。「美しい国」とは異なって、目の前にある問題です。弊害が無視できないため、なるべく早く対応してほしい問題です。

戦前は官僚の天下で、国会議員といえど、政治家は脇役だったと思います。主権在民ではないので、国民の代表は添え物でした。議論は、決定するためにあるのではなく、力をあわせ、知恵を絞るため機関だったと思います。

それが、戦後、主権在民となり、国権の最高の決定は国会でなされることになります。しかし、直ちに政治家が実権を握ることはできず、今でも実権は、官僚の裁量の方にあります。

表向きの制度は、国民の代表である政治家に権限があるはずなのに、実際には官僚が握ったままです。

政治家が全く手をこまねいていた訳ではありません。議員立法を連発し、官僚にできない発想で新しい制度を作ることで名をなしたのが、若き日の田中角栄。彼は、官僚以上のことをすることで、政治家主導を実現していたように思います。

一方、下っては、中曽根行政改革、橋本官庁再編。それに小泉政権の経済財政諮問会議。これらは、官僚の自律を無制限に認めることを否定し、国会および内閣による政治主導が発揮されました。

しかし、いずれにせよ、現在にいたるまで、国民の代表である政治家が国権の最高機関において実権を握るというシステムは確立していません。結局、官僚のものになってしまっています。

あいにく、田中角栄の後には新しいシステムは構想されず、政治家は単なる利権の添え物になり、官僚の手によって利権システムが際限なく増殖するだけになってしまいました。しかも、問題があったとしても、そこへの対処を怠りながら。

一方、官僚の自律への介入も、官僚によって骨抜きにされてしまいました。小泉政権の経済財政諮問会議も、官僚システムの抑制効果は一時にとどまり、どうやら、官僚システムに飲み込まれてしまいそうな気配です。

実権を、官僚の手から、国民の代表である政治家へと移すプロセスは、これまで、進んでは戻るの繰り返しで、一向にはかどりませんでした。むしろ、後退し、官僚の実権は拡大しているかもしれません。

その問題を直視し、実権の移行が未完成な過渡的な段階を「戦後レジーム」と位置づけることができます。その脱却は、国民の代表である政治家に実権が完全に掌握されることです。

これには、官僚の裁量という魔物の退治が必要です。誰も、正面切って手をつけようとしなかった問題です。

「主権在民」という言葉が一人歩きし、誰もが当たり前のように考えているかもしれません。しかし、この原則が実現されているとはいえません。少なくとも、国民の代表である政治家がそれを手にしてはいません。

「主権在民」といいながら、実権は官僚にあり、無制限の裁量がまかり通っているといういびつで中途半端な状態が、「戦後レジーム」であり、それが、異常なまでに長期に渡って維持され、様々な問題の元凶になっているのではないかと思います。

主権在民という原則が、実際のものとなり、それが当然のように実現してる状態が達成されたとき、「戦後レジーム」が脱却されたことになるのだと思います。

現政権は、それを現在の切迫した問題だと位置づけるようになっているように思います。その姿勢が貫かれるなら、とても高く評価できると思います。選挙前の混乱から、選挙の惨敗を経て、「美しい国」というロマンチックなテーマよりも、「戦後レジーム」という抜き差しならない問題へと、政権の焦点が移っているように見受けられます。
[PR]
by gskay | 2007-08-03 13:32 | 政治と役所と業界