政策会議
日本の複雑な機構の中で、国会があるのに、どうしてこんなに「会議」が必要なのか不思議に思ってきました。これは、地方自治体においても同様です。

我が国では、官僚制度の中で、国会を迂回し、内閣さえも迂回する形で意思が決定されてしまいます。その異常な状況と議院内閣制との妥協の産物なのではないかと考えています。

いくら、国会が総理大臣を選らび、内閣が作られても、公的な根拠が希薄な「次官会議」の結論を形式的に認めること以上は、これまでの閣議にはできませんでした。実質的には、官僚の最高決定機関としての「次官会議」が、我が国の意思の最高決定機関になっています。

国会があるにもかかかわらず、様々な「会議」を作られていることは、いびつです。いびつではありますが、官僚の決定への対抗という観点からみるなら、納得できるように思います。とはいうものの、実際には、あっという間に官僚制度に取り込まれてしまって、官僚制度の末端以上の機能は果たしていないような会議だらけであり、無意味なものが多いと思います。

内閣が絶対的に国会の側を向いているなら、「会議」は、異なる力を持ち得ると思います。しかし、内閣でさえ、官僚にがんじがらめにされている以上、相当な努力をしない限り、陳腐になってしまうものと思われます。

それ程に、官僚制度は強固であり、見事に国会を無視することが可能です。

<政策会議>統廃合へ 官邸に100以上「多すぎて支障に」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース


10月8日22時59分配信 毎日新聞

 政府は首相官邸に設けられた100以上の政策会議の統廃合に乗り出す。「作るのは易しいが、やめるのは難しい」と放置してきたが、首相や官房長官の日常業務の支障にもなりかねないと重い腰を上げた。
 「多過ぎても困る。本当に重要なこと、官邸で扱わないといけないことを効果的に行うことが一番求められている」
 福田康夫首相は9月25日の記者会見で、会議の多さに苦言を呈した。町村信孝官房長官も「会議と記者会見だけで(一日が)終わってしまう。整理合理化した方がいい」と同調した。
 内閣官房によると、首相か官房長官がトップを務める会議は76あり、それ以外も含めれば100を上回る。首相や官房長官が「会議漬け」のことも珍しくない。安倍内閣では1年間に「教育再生会議」「成長力底上げ戦略推進円卓会議」など22会議が新設された。しかし、安倍晋三首相の辞任で廃止されたのは「『美しい国づくり』企画会議」など四つだけだった。
 官邸の会議は複数省庁にまたがる政策課題に官邸主導で取り組むために作られたが、「政権のアピール材料」(政府関係者)の側面もあったことから乱立状態を招いた。この結果、「少子化社会対策会議」「少子化への対応を推進する国民会議」などテーマが重複する会議が多く、首相か官房長官がトップの会議では、06年4月以降一回も開かれていないものも「イラク問題対策本部」「食育推進会議」など23に上っている。【坂口裕彦】

この要請がどのように生まれてきたのかは、私にはわかりません。

単に無駄というだけではないように思います。

特別会計と同じように、国会の手の届かないところにある聖域という性格もあり、議会政治にとっては、好ましいものではありません。また、「会議」が、官僚制度の枠組みの中での活動だけしかしていないのなら、行政手続きの重複にすぎず、減らしていくのが妥当だと思います。

実際のところ、責任を分散し、どのような意思決定が行われたのかを、わかりにくくしているだけの「会議」が多くなっています。

肝心なことは、他ならぬ、国会で! ……そういうことなら歓迎です。

しかし、もし、内閣が官僚から自立していくことを阻止しようと言う企みだとしたら、困ったものだと思います。

内閣や閣僚の元での「会議」による政策決定が、内閣や閣僚自身によって実施に移されるという前提が守られているのであれば、官僚の裁量よりも責任は明確で、透明性が高くなります。しかし、「会議」を否定するついでのどさくさに、こうした部分まで消滅し、官僚の独壇場になってしまうのではないかと危惧します。

そもそも、国会がきちんと機能を果たしていたなら、いたずらに「会議」が増殖することもなかったでしょう。あるいは、早い時期に閣議が、「次官会議」と決別することができたなら、このような状況は発生しなかったと思います。

耐震偽装に巻き込まれ、いろいろと見聞きした結果、私が抱いていた官僚のイメージは、大きく変わってしまいました。

想像していた以上に強い力を持つ集団ですが、専門的な能力は大したことがないようで、これについては残念に思っています。ただ、おおむね、ひとりひとりは、魅力的で誠実で、「優秀」な人たちであることは知っています。しかし、この国の仕組みでは、その魅力や誠実さ、「優秀さ」を発揮することは難しいのかもしれません。

既に官僚にとりこまれていて、「会議」としての価値を失い、官僚制度の責任回避システムとしてしか機能していない「会議」は、さっさと統廃合して整理してほしいと思います。

その一方で、官僚制度と対抗し、議院内閣制を正常な形にするための過渡的で一時的な機能を果たしている「会議」には、一層の活躍を期待しています。

ところで、「国会議員の数が多すぎる」という主張に対し、私は、反対です。

それは、「まともな国会議員が少ない」ということであり、だったら、「まともな国会議員」を選ぶべきです。

今の国会では、国会で本来議論すべきことまで、内閣や閣僚のもとに作られた「会議」に任せてしまっています。そのような「会議」での議論は、国会でなされなくてはいけません。

乱立する「会議」を運営する費用や、責任の不明確さは、機能を国会に集約することで克服すべきです。断じて、官僚制度に吸い取られるようなことがあってはならないと思います。

そういう意味で、「国会議員の数」については、減らす方向で検討することが妥当だとは思えません。

「会議」のメンバーになるような人材は、国会議員として発言してもらうべきです。それは、志のある官僚についても同じことです。

そのためには、議員数が今より少なくて済むとは思えません。また、しかるべき人材が国会議員になることを妨げている様々な障壁があるようにも思われます。それを取り除かなくてはいけないと思います。
[PR]
by gskay | 2007-10-09 06:18 | 政治と役所と業界