国権
国連安保理決議に基づく国際治安支援部隊への参加の問題では、「海外での武力行使を禁じた憲法9条」というフレーズで問題視するというパターンが定着しています。そして、護憲や改憲の議論に流れていってしまいます。

しかし、民主党の小沢代表が投げかけた問題の最重要なポイントは、そこではないと思います。

武力行使や軍事問題の議論に矮小化してしまいがちですが、これは、憲法が想定している「国権」とは異なる権力を想定した難しい問題です。「国際機関」と、「国の主権」との関係が問われていると思います。

これまでの国際社会は、国に主権があることを前提にしています。法による統治にしろ、軍事にしろ、「国」の行為です。「正規」の軍隊やその他の武装組織を、「正規」とするのは「国」の役目です。また、集団的自衛権にしても、軍事条約にしても、そのような武装組織を組織した「国」同士の関係であり、「国」以外の存在が主体として参加する問題ではありませんでした。

そこに、国連という「国」とは異なる主体を、小沢発言は想定しています。しかし、そのような主体による軍事的な行動や、そこへの参加を、憲法は想定していません。おそらく、我が国に限らず、他の国も想定していないことと思います。

これは、憲法違反を問う問題ではありません。憲法が想定していない問題です。現行の憲法では、違憲とも合憲とも判断できない問題です。

「国」による軍事行動の問題として考えるべき問題ではないからです。その点を念頭におかず、「国」の武力行使や軍事問題として議論し、「9条」に答えを求めても答えはないと思います。

戦前に、「天皇機関説問題」というものがありました。「近代国家」、「主権国家」という今から考えれば当然の発想を論じることなく、歪んだ形で「国体を明徴」にするという方向が突出してしまった出来事です。これは、近代国家や主権国家を考えている人にとっても、国体を尊重しようと真剣に努力した人にとっても、不毛なことでした。

戦前の「天皇機関説問題」は、「国」というものを改めて問い直す機会とはならず、結局、誰も責任を取らない「国」へと我が国が変質していきました。これは、肥大化し陳腐化した当時の官僚組織によって進められました。その体制が暴走する形で、「近代国家」間の衝突に巻き込まれ、大変に不幸なことになってしまいました。

これを過去のこととするのは、危険です。今日の官僚組織も、戦前に暴走した官僚組織の陳腐化に共通した背景を抱えているからです。

「国際治安支援部隊参加」問題では、国の主権以上の権限を認めるかどうかが問われています。これは、「9条」の前提となる「国」という想定を超えています。国と国の間の集団的自衛権とも異質です。

憲法が想定していないことに対し、無理なこじつけや、矮小化をしてはいけません。想定がない以上、憲法解釈で乗り切ることは、賛成だろうと、反対だろうと無理です。

「国」のあり方に想定していない不備があることを謙虚に認めるところから始めなければなりません。そうでなければ、戦前の「無責任体制」を繰り返し、暴走を許す危険性があると思います。その暴走を防がなくてはなりません。これは、9条を守るとか、改正するかという問題とは別の問題です。

さしあたっては、小沢代表がいうような「国」以上の存在を受け入れる体制は整っておらず、我が国の国家機構の準備はできていません。もし、無闇に受け入れると、「国」以上の存在を根拠に、国民による歯止めが利かない国家機構が生まれてしまいます。

憲法を含めた法で判断できない問題は、しばしば、官僚の裁量で処理されてきましたが、このような一大事では、決してそれを許してはいけません。戦前と同じ、陳腐化した官僚機構による暴走へと突き進む可能性をもっていることを、危惧します。(そういうことでなくても、官僚の裁量を制限すべきだと、私は考えていますが……)

しかし、その一方で、小沢代表の主張は、「近代国家」を超越した未来を想定した発言でもあり、新たな世界の秩序を先取りしています。これは、9条の理想の延長とも位置づけることができ、憲法前文の精神にも合致しているように思われます。歴史を先取りした卓抜した見識でもあると思います。
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by gskay | 2007-10-13 03:35 | いろいろ