目標と失敗
「しなくてはならない」という目標や義務を定めた時から、それが達成できないことが「悪」になります。達成されていないことは許されないことです。許されないことだとしても、そのような状況は出現してしまうかもしれません。達成できていない状況や失敗という状況が出現した時の対応をおろそかにしてはいけません。

許されない「悪」は、存在してはいけないから「悪」なのですが、それは、存在して欲しくないから「悪」なのであって、存在しないわけではありません。逆にいえば、存在しているために「悪」と認識されます。存在しうる「悪」に対する対処を整えておかなくてはなりません。

軍隊は、戦争に勝つための組織です。近代国家、あるいは歴史上の国家も、戦争に勝つことがめざされていました。少なくとも、戦争で負けないように体制を整えてきました。勝利や不敗は、達成すべき目標です。必ず勝つということや決して負けないことは、前提ではなく、目標です。

戦前の軍隊も、戦争に勝つという目標をもった組織でした。ただし、その目標が達成されず、戦闘に負けたときに、どうするべきかということは、あまり準備されていなかったように思われます。負けた場合や負けそうな場合に、被害を最小限にとどめたり、少しでも有利な形で退却するという発想が欠けていたように思います。

そのような準備を怠ってきた原因は、必勝・不敗という目標が、必ず勝ち、負けることはないという思い込みに変質し、それがエスカレートして、負けるということを想定することさえ許されなくなったことにあると思います。

現実に、戦闘に負けるという事態に直面し、想定に限界があったために、上手に事態を収拾することができませんでした。収拾することができなかったばかりか、さらに悲劇をまき散らしてしまいました。

負けることを想定することができなかったことが、民間人自決にもつながるシステムの欠陥であったと私は思います。

不敗という目標があり、負けることは「悪」だからといっても、負けた場合を想定して準備しておかないことは怠慢です。「万に一つ」に備えなくてはなりません。

また、不敗という目標が、不敗という前提に変質することが、進歩し変化している技術や環境から目をそむけることにもつながりました。装備やシステムを最新で最良のものに常に保つという努力を怠り、陳腐になった古い道具に固執し続けることにつながりました。

本来、問題は、単に最新のものに更新すれば解決できるはずでした。しかし、問題が指摘されるたびに、古い道具についての練度をあげたり、動員をかけるとか、管理をきびしくするとか、検定制度を整えるというその場しのぎの小手先の対応が繰り返されました。

目標が前提に変質し、同時に、前提に反することがあってはならないし、あるわけがないという思い込みができてしまったために、現実を直視することができないという思考停止の状態にあったのだと思います。不敗という前提があるために、抜本的に問題を検討する努力を怠りました。

その結果、小手先にすぎないが大きな負担がかかる無益な努力に苦しんだにもかかわらず、当然のように負けた。そして、敗北への対応も稚拙で、混乱に拍車がかかった。

旧軍が陥ってしまったワナから、私たちの国の国家制度は、今も抜けられずにいるように思います。

軍事については、戦争に負けたことを契機に問題を直視しなくてはならなくなりました。本当に直視できているかどうかは別として、少なくとも、放置されることはなくなりました。

しかし、それ以外の分野では、誤った発想がいまだにはびこっているところが少なくありません。
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by gskay | 2007-11-03 01:03 | 安全と安心