不作為
公的な組織が、やるべきことをしなかったことで悪影響ががでることと、やりすぎて悪影響がでることは、同じ背景をもつ問題かもしれません。いずれも不作為です。やりすぎは、ちょうど良いところで歯止めをかけなかったという不作為の結果だと思います。

目の前の問題に真剣に取り組むというシステムがしっかりしていれば、程度の差はあっても、それなりの対応ができると思います。しかし、目の前のことから目をそむけ、規則や制度、人間関係などを重視すると、やり続けることが自己目的になって、やるべきことをおこたったり、やりすぎに歯止めがかからなくなってしまったりするのではないかと思います。

目の前の現実から離れたところに力を注いでも、問題の解決には結局つながらない徒労になってしまいます。徒労だとあきらめられれば、まだ良いのではないかと思います。

目の前の問題とは別のポイントを重視しているため、それを満足させるためには、問題が改善していないという現実を認めることは許されません。あげくのはてが、隠蔽ではないかと思います。悪事を働いているということよりも、どうにもならない事態に陥っていることに耐えられないと感じているからできることではないかと思います。

結局、本来の目の前の問題を大切にしていないため、不作為が積み重なってしまうのだと思います。

どのような問題があって、どのような目標があって、どのような方法をとるべきかを考えれば良いだけなのに、そこには力は注がれません。

目標が達成されていることを過剰に意識しすぎて、目標が達成されていないという事実から目をそむける。

従来の方法で対応できない問題なのに、新たな方法の検討には目をつぶり、厳密化やしめつけによって対応しようとする。

どうしても辻褄があわなくなったら隠蔽する。

規則や制度、人間関係は、仕事に励む動機にもなります。しかし、目の前の問題よりも優先してしまうと、それは、本来なすべきことに対しての不作為の元凶になってしまいます。
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by gskay | 2007-11-04 13:38 | 安全と安心