監理の不在
11月9日のエントリに対する 三介 さんのコメントに関連して。

先日から伝えられている市川の超高層マンションの問題は、検査機関が行う検査の有効性の証という角度から伝えられているように思います。そこには、施工と監理が独立して建築に責任を負うという視点がかけていると思います。

建築のプロセスでは、設計を完璧に反映させることが、様々な事情で不可能になります。設計通りに作ることが不可能になったからと言って、そこで、建築を止めてしまうわけには行きません。

施工者が、適切に克服してくれれば、それはそれで済む話かも知れませんが、法的な仕組みとして施行と監理が独立して建築に関与しています。負うべき責任は、異なるものです。

しかし、どうも伝えられる話の範囲では、建築主と施工、それに監理が一体として捉えられていて、その対極として公的な検査があるかのように位置付けられているように思います。

監理に問題を指摘する能力が伴わず、また、施工とは独立した責任を監理が負うという方向性も無いのであれば、監理は中身のない存在です。だとするなら、全てを検査に譲って、監理という制度はシステムから退場させてもいいのかもしれません。

ところで、設計は、あくまで設計です。それは、建築工事の実際のプロセスの中で、変更が余儀なくされます。想定された通りの地盤ではないかもしれないし、手配の都合で建材を変更しなくてはならないかもしれない。また、コンクリートはいつも理想通りに固まるわけでもなく、柱や壁も設計通りにピタリときまるわけではない。

設計通りにいかないという現実に対応するために、施工だけでなく監理が建築に関与しているのではないかと思います。

本当に設計通りに建築ができるのなら、検査だけでいいのかもしれません。しかし、毎日毎日、どのステップでも、疑義が生じたり、変更が生じるもの。それを克服するのが独立した監理の仕事を作った意味なのではないかと思います。検査機関による中間検査や竣工検査とは、性格が異なると思います。

監理が形骸化していることが問題ですが、これは、監理を徹底することによって克服されなくてはいけないと思います。

超高層マンションの問題は、監理が機能していなかった可能性もありますが、すでに、問題に対処し、適格な対応をしていた可能性があるところに、中間検査が割り込んできている可能性もあると思います。

そうした肝心のところがわからないので、検査機関の手柄とは断定できないと思います。

設計とは異なる仕様になっていても、すでに問題が解決している可能性があります。それを大げさに騒いでいるという可能性もあると思います。性能は、適法性が確保され、損なわれていないかもしれません。

今回のケースについては、性能の実際の値や手続きの妥当性を検証する必要があると思います。本当に違法性や不法性があるのか、そして、性能の欠陥があるのかという観点からみなくてはいけません。

設計図と違うことは確かのようですが、大騒ぎをしなければならないほど、鉄筋の数が少なくなったと単純に決めつけることはできないと思います。単に、適切な変更が必要な状況と位置付ければすむ問題に過剰反応している可能性もあります。

とはいうものの、やはり、監理。実務においても、権威においても、形骸化しているように感じられます。それに、検査の肥大化が拍車をかけているように思います。書類通りの工事をすることだけが大切なのではなく、現実に即してもっとも適切な工事をすることこそが大切なので、監理がもっと充実することを期待します。

追記)市川の高層マンションは、配筋の記録が実態と異なっていたようです。これ自体が不法行為だと思います。それが、どのような違法と位置付けられ、どのように処罰されなくてはいけないかということも興味深いことです。
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by gskay | 2007-11-13 04:44 | 揺れる システム