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価格差と中身の差(2)
6月27日に、「価格差と中身の差」 というエントリを書きました。あの時点では、ものを購入する立場からの視点しかありませんでした。価格差と中身の問題は、消費者としてものを購入する時に問題になるだけでなく、ものを販売したり、働いて収入を得たりする時にも重大な問題になります。

ものを購入する時、2倍のお金を出すと、2の二乗の満足が得られるところでは、4倍の満足度を提供しなければ、2倍の収入を得ることができません。

一方、ものを購入する時、2倍のお金を出しても、2の平方根の満足しか得られないところでは、1.414倍の満足度を提供しただけで、2倍の収入を得ることができます。

二乗になる国では、お金を使う人が有利です。平方根になる国では、お金をもらう人が有利です。

次に、投資と労働について考えます。

お金を使うことが有利な「二乗の国」では、自分で働くよりも、人に働かせる方が有利です。自分が働く限り、4倍の成果を出さない限り、2倍の収入は得られません。しかし、2倍のお金をはらえば、4倍の成果となって戻ってきます。

「二乗の国」では、汗水たらして働くよりも、投資を行うことが有利です。

一方、「平方根の国」では、その逆で、自分でやれば2倍にできるのに、人に働かせると1.414倍にしかならず、目減りしてしまうことになります。労働者は、2倍の成果を出せば、4倍の収入になります。

「平方根の国」では、汗水たらして働く方が、投資よりもてっとり早い収入アップの方法です。

このような問題は、経済や経営を考える人にとっては、当たり前のことなのかもしれませんが、そんな問題と縁が遠い私は、外国でお金を使ってみて、はじめてわかりました。

同じお金で、同じものがどれだけ多く買えるかということを判断の基準にすることの限界のように思います。この考え方には、質や満足は反映されず、また、質や満足の向上のために必要なコストが反映されません。さらに、質や満足の向上に必要なコストは、国や地域によって異なっていて、ひとつの考え方が、どこでも通用するというわけではありません。

労働コストが安い国に生産拠点を移すことも、フェアトレードも、グローバリゼーションも、この問題への配慮が足りないように思います。格差社会を論じる統計も、そこへの配慮がないために、実態や実感を反映することができていないように思います。

仕事の都合で長期滞在のために訪れた国には、多くの移民が、次々と流入して来ます。この国では、投資家はどんどんと豊かになっています。科学技術も最強です。しかし、景気のかげりの予兆のようなものがみえたあたりから、外国からやってきた人たちを含め、科学者や技術者、専門的な労働者の流出が始まっているようです。

これまでは、働きに見合った収入でないということに目をつぶっても、この国にいる魅力があったのだと思います。しかし、他の地域の発展により、この魅力にはかげりが出ています。

しかし、まだまだ、この国にあこがれる人が世界中にいる限り、移民の供給元には困りません。この国は、国や地域の経済格差を前提にして繁栄するという仕組みで成り立っているように思います。

ものやお金を、国や地域の間で移動させることは、どこでも活用している仕組みです。そこに加えて、人を移動させてしまうというシステムを活用することが、この国の繁栄の鍵であったと思います。しかも、投資に有利な仕組みは、これまでは、経済を安定させていくことができました。たとえ、産業が空洞化しても、対人サービスや、研究や管理さえ、この国に残っていれば、この国は繁栄することができます。

しかし、科学者や技術者、専門的な労働者の流出がはじまりました。この国に負けないくらいの水準の国や地域が増え、そこでは、価値の体系が異なります。「科学者や技術者、専門的な労働者」にとっては、「二乗の国」より「平方根の国」の方が楽に稼ぐことが出来ます。これが、この国の根本を揺るがすことになりかねないと感じています。投資をする人だけでは、繁栄を維持することはできないと思われます。

ところで、グローバリゼーションに、日本人は、ポジティブにもネガティブにも過剰に反応しているように思います。長期滞在中のこの国が、グローバリゼーションを主張する張本人ですが、この国の将来にとって、本当に合目的な方針なのか疑問に感じています。

昨今の様々な問題を、グローバリゼーションという外圧のせいにする風潮がありますが、本当でしょうか?あるいは、グローバリゼーションに乗り遅れると、国は滅びるでしょうか?

いずれも、「価値の体系」が国や地域で異なっているという事実を無視した極端な説であるように思います。

経済的に繁栄していて、かつ、「平方根の国」である我が国は、本来なら、「科学者や技術者、専門的な労働者」にとって、あこがれの国であるはずです。しかし、彼らを積極的に受け入れる状況にはないように思います。

その一方で、なぜか、見返りが少ないと文句をいう内外の投資家の言葉ばかりに注目している。

そして、介護や福祉、看護のような仕事を、低賃金で外国人に頼ろうとしている。日本人にとって報われないと感じる仕事は、おそらく、外国人にとっても満足できるものではないという点を無視して。

我が国が繁栄することになった経緯はともかく、当面は、繁栄した「平方根の国」であるという前提でのグローバリゼーションへの対応が要だと思います。「二乗の国」の仕組みを導入するのは、とても大きな社会的な変化が必要であり、そんなことをしているヒマがあるとは思えません。

とりあえず、「科学者や技術者、専門的な労働者」のポストを外国人に開放するべきだと思います。そして、必要な職種であるにもかかわらず報われない職種について、報われる仕組みを整えることが必要だと思います。

内外の投資家の言い分については、彼らは都合のいいところを探したり、作ったりすることができるので、国をあげて、みんなでつきあってあげる必要はないのではないかと思います。

国際的な問題について、「公」の力を注がなくてはいけないポイントを、単なる国際的な価格差ではなく、価値の体系の国際的な相違から明らかにできるように思います。

それができる人を、私は、リーダーとして仰ぎたいと思います。
by gskay | 2007-11-18 04:37 | いろいろ