「御役人様」の「絶対」
日本は国民が主権を持つと定められた国ですが、一般的には、そういう意識はしっかりとしたものではないと思います。どちらかというと、多くの日本人は、政府への服従を希望していて、「御役人様」に統治されたがっているように思います。「御役人様」の方も、その気になってしまっているように思います。

公務員に対するイメージや、政府に対するイメージは、上から下への統治のイメージが強く、無条件の無限の権威を持っているかのようです。

公務員に対する風当たりが強かったとしても、許し難い悪徳の役人がいたとしても、施策が失政でも、なんとなく、正しいと位置付けてしまう。あるいは、その風当たりも糾弾も、その権威を傷つけるものだからこそ怒る。

また、なぜか、選挙で選んだ議員よりも正しいと思ってしまう。

あげくのはては、正しくないことでも、「御役人様」のいうことだということで、正しいと思い込むことにしてしまう。

国民は、自ら判断したり、選択するかわりに、「御役人様」への服従を選んでいるように思えます。そして、「御役人様」は「絶対」だと決めつけてきたように思います。

ところで、約束事や決まり事、掟に関しては、「絶対」があって、それを破ることは許されません。しかし、技術的な問題では、現実問題として、「絶対」というものはなく、「限界」があります。

その「限界」の存在を、「絶対」という決めつけに邪魔をされ、「御役人様」も国民も認めることができなくなっています。

本来、「限界」と「絶対」は両立しないものではありません。「限界」を明示することも、「絶対」には含まれます。

「限界」が明示されると、そこから先は、国民自身が考えなくてはいけません。そのような領域を認めることで、国民が目覚めることにつながります。もはや、一方的に統治されるだけの立場ではなくなります。そして、上から下への強力な統治だけでなく、国民から政府への信頼が重要な課題になります。

明らかに、技術的な問題について政府が示す「絶対」が陳腐なものになっています。その陳腐さが、昨今の偽装や隠蔽の根源です。これは、民間で行われていることも、官で行われていることも同じです。

「絶対」が陳腐になっているために、信頼にヒビが入っています。今、この国の政府に必要なのは、技術に対する「絶対」の一層の追求や、締め付けではありません。「限界」の明示です。

これは、耐震偽装しかり、薬害しかり、食品衛生しかり。

あるいは、財政にしても、福祉や年金、医療の将来にしても。そして、防衛や防災、防犯。

「限界」が明らかになればこそ、次の課題も明らかになります。「限界」の範囲内での責任については明確でなくてはなりません。また、その「限界」を克服するための「不断の努力」は、何よりも尊重されなくてはいけません。安心も利便性も満足もそこから向上するのですから。

そこから、曖昧で空虚な権威ではなく、はっきりとした権威が生まれます。

「絶対」などというものを無闇に追求し、それが「御役人様」に備わっといるという幻想にしがみついてきました。そのために、バカバカしい騒動が次々とおこり、出口がなくなっています。
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by gskay | 2007-11-21 04:42 | 政治と役所と業界