番組の評判
せっかく番組で取り上げてもらいましたが、アクセス数が増えませんでした。これは、私にとって興味深い現象です。

私は、視ていないので、番組の影響を、職場での会話などから再構成して考察しています。

打ち合わせの段階では、その番組は、従来の番組の枠を二つの意味で破ることが目指されていたと思います。

一つは、「安価」で「手軽」な中継
もう一つは、一人一人の市民に目をむけること

このうち、中継については、すばらしい成果を上げていると思います。ネット利用により「安価」に「手軽」に中継ができるようになりました。それを最大限に活用した番組になっているようです。それ自体が意義深い事で、ここに特化する価値があるようです。

今まで、撮影には大掛かりな取材班を必要としました。中継となれば、さらに大掛かりでした。それが、ネットの活用で、「安価」で「手軽」になりました。

大抵の人にとって、メディア、それもテレビに取り上げられるというのは、ありがたい事です。テレビに映ったり、取り上げられるだけで、一大イベントになります。「テレビさま」の前では、非日常的な祝祭がはじまったかのように盛り上がり興奮します。テレビカメラには、そこに存在するだけで、人を興奮させる魔法があります。

しかし、簡単につながってしまうと、今後は、その喜びや興奮はなくなっていくかもしれません。今は、「テレビさま」の権威が残っていると思いますが、過渡期をすぎると、身近になりすぎて、大したことではなくなるのではないかと思っています。この番組の中継は、「テレビさま」の中継で興奮に盛り上がる最後の姿を伝えているような気がします。誰もが、「ふーん、テレビ来てるんだ」「どっかで放送されているのかもね」と、大して興奮しない日が来るような気がします。そして、もっと、リアルな中継ができるようになると思います。

一方、一人一人の市民に目をむけるという点については、あまり鮮明になっていないのではないかと、私の周りの人は評価しています。

一人一人の市民に目をむけるため、二つの方法が、この番組では大きく取り入れられていると思います。一つは、安価で手軽になった機材を用いた機動力のある取材。そして、ブログからの企画のピックアップ。

企画のテーマは、番組スタッフの中から生まれるものもあるし、視聴者からのリクエストによるものもあると思われます。これだけでも、取り上げなくてはならないテーマがたくさん見つかると思いますが、ブログにも目をつけているようです。

ブログに目を向けることで、マスコミ側の視点でない発言を拾い上げる事ができる可能性があります。意外性のあることを拾い上げることが可能になります。常識を覆すような発見も期待できます。担当してくれたディレクターさんやレポーターさんは、ブログとの付き合い方で、既存の枠から踏み出したいと思っているようでした。

取材の打ち合わせでは、ブログと既存のマスメディアとの交流や対立、軋轢、そして住み分けや統合など様々な可能性について議論しました。とても盛り上がりましたが、取材の後半、どんどん、その部分が縮んでいってしまったような気がします。番組が、「安価」で「手軽」な中継で上々に滑り出したことや、ライブドアの衝撃も影響していたように思われます。

ところで、これまで、多くのマスメディアが、同じ事を、同じような視点で、同じように報道するという体制が、ずっと続いて来ました。中には、新しい発見をしたり、真相を掘り起こすジャーナリストもいましたが、組織としては、大して変わらぬ中身を、再利用・二次利用しながら流してきたように思います。

視聴者や読者が声をあげるチャンスが限られ、一方的に受けているだけなら、それでも成り立つのでしょう。しかし、インターネットの登場で、そうはいかなくなりました。しかも、ブログという便利なツールが登場しました。その結果、マスメディアによる報道を批判的にとらえることができるようになってしまいました。その姿勢は、今後強まると思います。

また、ブログには、トラックバックという仕組みがあり、様々な見解同士がぶつかりあえる機能が備わっています。同じ問題意識を持っていても、異なる見解があるのは当然ですが、それがお互いに連携して、議論が高度になっていく可能性を持っています。再利用と二次利用に慣れきったプロの報道がついていけなくなる可能性さえ持っていると思います。この番組で、ブログに着目している点は、今後の企画のために有益な経験を提供すると思います。

ただ、放送後にこのブログへのアクセスが増えなかったという現象は、よく考えてみる必要があるようです。

テレビを視る人のほとんどは、「テレビからの情報で満足し、オリジナルに簡単にアクセスできても、それをしない」ということだと思います。

視聴者は、再利用・二次利用の情報に慣れてしまっているのではないかと思います。

少なくとも、この番組は、ブログを素材として使ったけれど、ブログとテレビのインターフェースとなったり、ハブになったりというような、新しい関係を築くところには到達していないといえると思います。その点で、従来の枠組みの範囲から抜け出てはいないと思います。テレビの視聴者はテレビの視聴者のままで、編集されたVTRで納得してしまうようです。

現状では、既存のマスメディアと、ブログのような個人の視点での発言とが、相互作用をしながら発展する段階にはまだ到達していないように思われます。それは、受け手に準備ができていないからだと思います。

これから、ブログと既存のマスメディアとの「交流」や「対立」、「軋轢」、そして「住み分け」や「統合」を経験することで、その土壌が作られるのではないかと思います。

ところで、そうしたメディアとの新しい可能性の議論はともかく、内容についての周囲の感想ですが、私に近い人程、違和感を感じているようです。

もともとは、「私」を取り上げて欲しいと思っていた訳ではなく、「私が関心があること」に目を向けて欲しいと思っていましたが、結局、「私」が材料になったようです。”にんげん”を主人公にするのが番組の方針であるようなので、仕方がないことであろうと思います。

愚かにも、カメラからのリクエストに応じてしまいました。私が、歩いているシーンなんて、放送する意味が有るのか?と思いましたし、そんなに頻繁にコンピューターを覗いてはいないんですが……。

中には、リクエストを断固拒否したこともあります。例えば、電車でパソコンをいじっているシーンも撮影されましたが、その時は、窓をシェードで閉めてしまいます。これは、映り込みがあって、画面が見えにくくなるからです。しかし、車窓に景色があった方がいいということで、あけてほしいというリクエストをもらいましたが、これは拒否しました。また、仕事場は暗闇が多く、撮影しにくかったようです。

苦労をおかけしました。

何といっても、傑作は、VTRの最後だと思います。私の周囲では、賛否が真っ二つに分かれます。「悪者扱いされる」と私がつぶやいているシーンで終わるらしいのですが、それは、問題提起として面白いという意見と、全体の流れを解りにくくしていると言う意見がありました。

しかし、私が傑作だと感心しているのは、そういう内容のことではありません。

あのシーンは、「あいつは、あんな神妙な表情はしない」「あれは、あいつの真の姿を現していない」と、評価されています。「あれは、おかしい」そうです。

視ていない私の感想は、その評価を聞いて、一瞬垣間見せた姿を、逃がさず捉えて、効果的に使っているところが「凄い」と思いました。やりすぎると、編集過剰になったり、恣意的な編集、偏った編集になるのだと思いますが、プロの技だと思いました。そこには、リクエストもなかったし、演技もありませんでした。

そうそう、再放送はないそうです。
[PR]
by gskay | 2006-02-08 16:24 | メディアの狂騒