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官僚の地位と能力の低下
前防衛事務次官の問題に関連し、興味深い記事を読みました。前防衛事務次官の専横が問題だったというのが一般的な認識だと思います。しかし、深層には、政治家へ実権が移りつつあり、それに従って、官僚の地位と能力が低下していたという事情があるようです。

ただ、政治に対する官僚の地位は低下したものの、関連業界に対する影響力は、そのまま。かえって透明性を失い、官僚の裁量は力を増していたのかもしれません。また、高い地位は、能力によって得られるものではなくなり、いかに政治家にとりたててもらうかということが重要になっていたようです。

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国会の委員会では局長級の官僚が大臣に代わって答弁する政府委員制度が99年から廃止され、官僚が『政府参考人』として答弁に立つことは例外的になったから、官僚はさほど実務に通暁せずとも、あるいは、見識や論理性を若干欠いていてもボロを出さず、局長が務まるという皮肉な結果を生じた。かつての局長らは自分が委員会で質問の矢面に立ったから、政策を考えたり、法案を起案する際にも「どこかに隙はないか」「弊害を突かれることはないか」と真剣で、夜まで部下を集めて討論していた。

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この記事には、「政治家優位の状況下では官僚の仕事の中で「根回し」のほうが比重を高めることになる。」という指摘や、「商社が役人を接待、という単純な構図ではなく、商社が政治家と役人の仲を取り持ったり、役人が政治家に食い込むため商社に一席設けさせたり、商社に頼んで海外で政治家の世話をさせて点を稼ぐ、といった「三位一体」の癒着構造」という分析も書かれています。

議会主導、内閣主導が強まることが望ましいと私は考えています。引用した部分に描かれているような昔に戻す必然はないと思います。この事件は、官僚の権威が失われる前のドタバタや最後の悪あがきの象徴のように思えます。

唯一残っている官僚の裁量による現場への影響力だけが、官僚の拠り所だったようです。天下国家の先行きを見据えるという使命感は必要なくなり、残された現場への影響力をフルに「活用」することだけに集中しているのだと思います。官僚の裁量による現場への影響力だけが関心事だとすれば、天下りはもとより、無意味で有害な締め付けが行われる理由も納得ができます。

また、裁量による影響力を維持するためには、国会や内閣にいかに邪魔をされないようにするかが、官僚の組織としての目標になっていたのではないかと思います。このため、息が通じた業者との連携プレーがエスカレートしていたのではないかと思います。

腐敗のみならず、混乱の原因となっている官僚の裁量の影響力は、排除されなくてはならないと思います。それさえ無くなれば、弊害を伴うような天下りも業者との癒着も、そして自己目的化して陳腐になった統制も、それらをエスカレートさせてきた動機が失われてしまうと思います。

その上で、官僚の能力を見直す必要があると思います。役割が確立する分、一層の能力の向上が必要です。私は、この能力の養成を、従来のように官庁自身が行うのは無理だと思っています。キャリア制度で、後継者を育てる仕組みは、早々に終了した方がいいと思います。

その分、高等教育機関である大学院に任せるべきだと思います。すでに、数の上では大学院は充実し、修了者、学位取得者も増えています。しかし、その活躍の場は意外に狭いのが実情です。公務員の幹部となるべき人材の確保は、大学院修了者や学位取得者を活用すれば済むことです。

公務員に任用してから教育を行うのではなく、大学院教育を終了している人材から選ぶようにすればいいと思います。大学院修了者を積極的に上級の職員として登用することは、これまでのキャリア制度のしがらみを断つことにもつながると思います。逆に、学部卒業を目安にする仕組みを残しながら、小手先に試験や採用の区分をいじっても、キャリア制度は残るばかりか、能力の向上も期待できないと思います。

裁量による影響力だけが残り、政治的な地位も能力も低下した今の官僚組織が、おそらくもっとも厄介な存在です。官僚の能力のこれ以上の低下を食い止めなくてはいけません。政治的な地位も低下し、いよいよ裁量による影響力も失われることになったとしても、本来の役割が明確になるだけで、能力が不要になるわけではありません。
by gskay | 2007-11-29 13:08 | 政治と役所と業界