「偽」
「今年の漢字」というのは、清水寺のイベントというより、財団法人 日本漢字能力検定協会 のイベントだそうで、投票によって決まるのだそうです。選ばれた理由や、その漢字の意味については、 漢検ホームページ 「今年の漢字」は「偽」 にあります。

清水寺は、奈良の興福寺や薬師寺の法相宗の流れの北法相宗の寺だそうです。玄奘三蔵にさかのぼる唯識を主として学ぶ宗派だそうです。

FujiSankei Business i. 総合/今年の漢字は「偽」…揮毫の清水寺貫主「悲憤に堪えない」


FujiSankei Business i. 2007/12/13  


 1年の世相を漢字1文字で表す2007年「今年の漢字」が12日、「偽」に決また。清水寺(京都市東山区)の「奥の院」で、森清範貫主(かんす)が、特注の和紙に揮毫(きごう)した。食品をはじめ政界やスポーツ界などさまざまな分野で偽装が相次いだ年を反映した。

 発表は13回目。日本漢字能力検定協会(京都市)の公募で、過去3番目となる9万816通の応募があった。

 「偽」には投票の約18%が集中。身近な土産物や老舗料亭、年金記録、英会話学校、相撲などスポーツ選手にまで次々と「偽」が発覚し、「何を信じたら良いのか、分からなくなった1年」との声が寄せられたという。

 2位は「食」、3位が「嘘」。4位以下には「疑」「謝」「変」などが続いた。

 森貫主は「こういう字が選ばれるのは恥ずかしい。驚きどころか悲憤に堪えない。己の利ばかりを望んでいることが原因。神仏や親が見ていると思い、自分の心を律してほしい」と呼び掛けた。

 揮毫された漢字は、清水寺本堂で31日まで一般公開される。

瑜伽行唯識を深く学び、修行をきわめてこられた猊下にとって、「偽」といい、「嘘」とい、「疑」といい、引用の記事には書ききれないほどの思いがあることと思います。「偽」が次々と明らかになったという表面的な現象だけが、猊下の悲嘆の対象ではないだろうと思います。

-「偽」の反対にあるはずの真実や正義はどこにあるのか?- ということまで、瑜伽行唯識の行者として思いをめぐらせておられることと思います。

我々の多くは、報道や公的機関による発表を鵜呑みにしています。基準や規則については、その根拠や限界を疑う事は稀です。

しかし、そのような公の権威も、完璧ではないばかりか、期待に反して、陳腐化し、それを覆い隠すかのような虚構の上になりたっている状況です。これは、明らかになっているような表面的な「偽」よりも、深刻な事態です。

その虚構による権威を維持するためなのか、是非もなく、センセーショナルに「偽」をこらしめ、権威への疑いを拒否する風潮が生まれています。

「偽」が生まれ、明らかになり、それを過激に取り上げるのは、「偽」の悪質さだけによるものではなく、その裏にある権威さえも揺れているからです。権威は、「偽」の反対にあるはずの真実や正義から離れてしまっています。

そもそも、「偽」の反対にある真実や正義も、仮のものにすぎません。絶対の真実や正義をめざし、追求するという姿勢は評価できます。しかし、様々な問題の背景や前提にあるのは、絶対の真実や正義ではありません。問題の背景や前提にあるのは,所詮、仮の真実や正義にすぎません。

その仮の真実や正義に固執し、かえって、世の中が不安になってしまっていることも、きっと、猊下は嘆いておられることと思います。

「偽」の悪質さに加え、仮の基準や規則に拘泥し、過剰に反応して、自分の首をしめてしまう愚かさへの戒めも説いておられることと思います。

さらに、「偽」を取り上げる事自体が、意図しているかどうかは別として、新たな「偽」につながりかねないという悪循環の危険性にも警鐘をならしておられることと思います。

これは、おそらく、今に限った話ではなく、仏教の経や論で取り上げられるだけでもなく、いつの時代のどんな社会にもある話であり、古今のすぐれた人たちが心を痛めてきたことなのではないかと思います。
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by gskay | 2007-12-13 14:50 | メディアの狂騒