朝三暮四
国のスキームが出て、そのスキームを批判しました。

民と民の間の問題に、行政の責任が関与しているケースであるという点は、すでに国交相も認めたところです。

その問題に対し、区は、あくまで、民民の関係で説明ができるような、対策を提案して来ました。既存の法令の精神を尊重しているように思われます。そこには、あえて、「建築確認」の問題は、含まれていませんでした。建築確認の違法性への対応は、今の法令では処理できません。だから、区は、処理できる範囲の問題のみに限定してきたのだと思われます。この姿勢は、評価したいと思います。そして、当面の「支援」の根拠として、民民の関係の肩代わりという立場は妥当だと思います。

ところが、その後に出された国のスキームの方は、民民の関係をあいまいにする方向にあると思われます。また、行政の強制力で私有財産を処分しようとしているにもかかわらず、その結果生じる不利益に目をつぶれと言っているような気がします。

現実問題として、建物が放置されては危険と言う主張は、理解できます。理解できるから、退去の方針を決めました。そして、その危険な建物の処分には、建物の所有者としてかかわりたいと思います。

国は、行政が買い取ることで、行政と住民が一緒になって瑕疵担保責任を請求して行けると言う前提を立てています。

しかし、この前提を了解することができません。

そもそも、国と住民とは、利害は一致していません。

住民は、行政の権限で行われた誤った建築確認の責任を追求し、その誤った建築確認によって生じてしまった不利益の賠償を求める立場にあります。

「建築物の価値」をゼロにした責任は、行政にあります。

建築確認のもと、合法的な手続きが踏まれた建築から合法的な様々な契約が発生しました。その建築確認が正しければ、何の問題もない価値を生み出しました。しかし、今回、建築確認の違法性が明らかになった途端、生まれてしまった価値には、何の配慮もなく、一方的に「価値がない」と宣言されました。

今回、建築確認が正しいことを前提として生まれて来た価値を否定する理由は、不適切な建築確認です。正しいものとして自ら出してしまった建築確認を自ら否定するのですから、その誤った建築確認によって生じ、その否定によって失われようとする価値に対する責任を引き受けるべきです。

失われようとする価値を補償するのが責任です。

その責任を明らかにせず、あいまいなまま、一方的に「建築物に価値がない」と宣言すること自体がおかしいと、私は考えています。また、このように、「建築確認」を問題にするとき、公的資金が支出される根拠は、「支援」ではなく、「賠償」の一部であるべきだと考えています。少なくとも、「賠償」の一部してして、今後、相殺されることを前提とするべきです。

行政には、その賠償責任に対して誠実に対応することを希望します。「建築確認」問題として捉える時、「支援」という言葉が適切かどうか疑問を感じています。

国は、「支援」する立場と、「賠償」すべき立場をすり替えているように思われます。

国は、「住民と一体になって、事態を乗り越えていきたい」と言っていますが、それは、「支援」する立場としては可能かもしれません。しかし、「賠償」すべき立場としては、無理な話です。

国に重くうけとめてもらいたいのは、「賠償」すべき立場の方です。

支援という「朝四」に、目をくらまされているような気がします。
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by gskay | 2005-12-07 16:06 | 公的対応