刑事訴追のための能力の不足
福島県の産婦人科医の業務上過失致死をめぐる裁判の無罪判決をきいて、耐震偽装に巻き込まれた当初の出来事を一つ思い出しました。

耐震偽装が世間の注目を浴びている時、警視庁に捜査本部が置かれました。私たちのマンションの住民集会にも警視庁の担当者が説明にやってきました。捜査への協力依頼が主なものだったと記憶しています。その説明の中に驚いたことがあります。

警視庁には、建築の専門家がいないというのです。

外部の専門家に協力を求めるそうですが、警察独自の力では、捜査をやり遂げることは不可能です。自信をもって判断を独自に下すのは難しいのではないかと想像します。ただ、建築には建築主事という専門家がいて取り締まりができるという仕組みがあることはあるので、特定行政庁が主体的に取り組めばよく、警察や検察は司法上の実務を担当すればいいのだろうと、その頃は考えていました。

福島県の産科医の無罪判決をきいて、少し考えが変わりました。

この事件をめぐる警察の動きには、多くの医師が反対の声を上げました。ほとんど全ての医療の専門家が、患者の死亡という深刻な結果があるものの、医学的な合理性からみて適切な医療行為であり、業務上過失致死に問える問題ではないと疑問をむけ、警察や検察の方針に反発するという事態になりました。

産科医を逮捕し立件した警察は、このような事態を想定していなかったのではないかと想像します。医療の結果の深刻さからみて、有罪と考えたのではないかと思います。しかし、異例の逮捕勾留という強権を発動したにもかかわらず、無罪判決になりました。

この事件では、警察や検察に、医学的な合理性や常識が欠けていました。家族の感情や、蔓延する医療不信を背景とした主張しか出来ず、専門的な合理性をもった主張ができていません。患者の死亡と言う最悪の事態を回避できたはずだという主張の裏付けを何も出す事ができませんでした。それが、無罪となった理由だと思います。

医師の側から、警察や検察の主張を支えるような主張は、ほとんどなかったと聞いています。これは、医師たちが身内をかばったのではなく、警察や検察の主張に無理があったからです。

警察や検察に、医学の知識が欠けていたことが、このような事態を招いたと思います。医学の知識があったなら、このような強引な立件は無かっただろうと思われます。このような事態への反省もふくめて、「医療事故調査委員会」というような第三者機関が構想されています。その取り組み自体は、大切だと思いますが、だからと言って、警察や検察の能力不足を放置していよいのかどうかを疑問に感じました。

もし、合理性を欠いた強引な立件が繰り返されれば、医療は萎縮してしまうでしょう。しかし、あってはならないことが放置されてしまったら、医療が荒れてしまいます。そのどちらにもならないように、警察や検察による取り締まりや処罰の能力を高めておくことが必要だと思います。そのためには、警察や検察に医師を加えたり、警察官や検事に医学教育を施せばよいのではないかと思います。

同様なことが、建築にも言えるように思います。専門的なことを、国土交通省や特定行政庁、あるいは民間検査機関に頼らざるを得ない警察は、建築の不正に対して無力です。しかし、これも、専門的な知識や資格をもつ建築士を登用したり、警察官や検事に教育を施せばよいはずです。

ところで、建築に関しては、規制と取り締まりが、特定行政庁に集中しています。この状況では、取り締まりの手柄は、規制の手落ちを指摘することに他ならず、身内に傷をつけることになりかねません。このような状況を見直し、規制と取り締まりを分離すべきです。分離された取り締まりの役割を担う機関として、警察は能力を発揮することが期待できると思います。

医療にしても、建築にしても、専門家による自律や自治が、技術の向上のためにふさわしいと思います。しかし、それとは別に、逸脱してしまったことについては、警察や検察による厳しい取り締まりが必要で、警察や検察は、それを行うだけの能力をつけておく必要があると思います。

専門家には、警察や検察による介入への忌避感があると思います。その忌避感は、今回のような能力不足による無理な立件があると、さらに強くなってしまうと思います。これをきっかけに、自律や自治への自覚が目覚めるのは好ましいと思いますが、だからと言って、警察や検察の能力不足を放置してはいけないと思います。警察や検察の能力を向上させ、有効で的確な取り締まりをめざすという筋道も検討されるべきだと思います。
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by gskay | 2008-08-28 23:40 | 安全と安心