負けるが勝ち?
自民党も公明党も、わざと、負けるつもりなのかも知れません。

不利だとわかっている解散総選挙をして、衆議院における3分の2という議席数どころか、政権さえも失うことが予想されるのに、与党は、なぜ、急いで解散総選挙をめざすのか不思議です。個々の自民党議員にとっても、今の時期にあえて解散総選挙をするという総裁を選ぶのは、自らの議席を失うことにつながり、愚かなことのように思います。

しかし、これからの政治的な課題を考えると、自らは手をつけず、遠巻きにしていた方がいいのかもしれません。

あるいは、もっと積極的に、攻守を交代するのが有利と考えているのかもしれません。

財政再建も、景気対策も、辻褄のあう政策が提示されているわけではありません。

官僚システムは、持ちこたえることはできないところまできているように思います。

既得権益の清算も必要です。

こうした難題を解決する上で、与党でいることは不利です。

閣僚は、官僚の代弁者となっていて、国会を通じて国民に選ばれたという立場をとることができません。しかし、一旦、野に下ってしまえば、官僚の側にたって考えなくてはいけないという制約から解放されます。

政権交代によって誕生する閣僚は、これまでの政策との一貫性を、あまり重視する必要がありません。このため、官僚の代弁者ではなく、国民に選ばれた国会議員という立場から閣僚の仕事に取り組むことができます。そのような立場で新政権が行政にとりくむのであれば、批判する立場である前与党議員は、官僚と対峙することに、表面的には内閣と対立しながら、共同することができます。

一方で、政権交代したにもかかわらず、閣僚が官僚の代弁者をしているのであれば、これまでの問題を追及すれば良いということになります。その大臣の責任ではないことまで、現職の大臣が責任をとるという風潮を逆手に利用することができます。しかも、これまで与党であったので、相当に深いことまで熟知しており、それを材料に攻撃をすることができます。本来は自分達の問題であった問題を、相手に押し付けてしまうことができます。

どちらに転んでも、内閣と官僚の関係を整理し、内閣が主導する行政が確立する方向に進むと思います。

加えて、政権を失ってしまえば、利権とも手を切ることができます。利権と手を切ることが出来れば、財政再建や景気対策のために使える手だては大幅に増えます。

道州制の議論にしても、道路などの特定財源の問題にしても、しがらみがある限り、前進は望めません。

また、この不利な選挙は、自民党にとっては、世代交代のきっかけとなります。しがらみを背負ったベテラン議員が、不利をさとって引退したり、落選を機会に引退することになると思います。その結果、次の選挙では、全く新しい自民党になっている可能性があります。

一方で、公明党は、あまりに長い期間の連立のため、政権のキャスティングボードを握っているというよりも、自民党の一派閥のようになっています。これでは、独自性が失われ、存続が危ぶまれます。一旦、野に下ることは、あらためて政権のキャスティングボードを握るために必要であるとともに、自民党にとりこまれないためにも必要です。

そう考えると、個々の議員の意思はともかく、自民党も、公明党も、この選挙は負けるつもりで取り組んでいるのかもしれません。

ただ、個々の議員の議席に対するこだわりは、決して弱いとは思えません。自身にとって不利な解散総選挙が行われることを、すんなりと受け入れられるものなのか、疑問に思います。

解散総選挙を叫んでおきながら、一旦、総裁首相が決まると、内外の情勢や世論の動向によるという建前で方針は大きく転換される可能性もあるように思います。

あるいは、総裁には選ばれても、議員の足並みを揃えられずに首相に指名されないという可能性も残っていると思います。
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by gskay | 2008-09-19 13:12 | 政治と役所と業界