「絶対」
仕事の関係で毎年、業務の安全のための再教育訓練を受けなくてはいけません。その時に気になったこと:

安心と不安 信頼と不信 理解と誤解 安全と危険 ……。

これらの物差しは、相互関係はあるものの、それぞれ別のものです。

また、その尺度は、相対的なものです。

ところが、絶対の安心、絶対の信頼、絶対の理解、絶対の安全を求めたいという気持ちが強くあるように思います。そして、不可避の危険や誤解、不信や不安から目をそらし、無視しようとする。その上、それぞれの物差しを冷静に評価せず、ごちゃ混ぜにしてしまう。

それが、安全に対するパニックを生む土壌のように思われます。

一方で、「絶対の」などというのは、不可能な境地であり、科学や技術の辿り着く境地ではないという見方もあります。そのことを意識しすぎると、今度は逆方向にすすみ、否定がはびこる。

でも、否定でさえも、「絶対」への過剰反応であることには変わりません。「絶対」が手に入らないからと言って、現実のあり方や対応を否定する理由とはなりません。

「絶対」というものは、無知と無関心と無作為の中に引きこもり現実に対して目を背けているなら、求めるにせよ、否定するにせよ、大きな価値を見出せるものかもしれません。しかし、そんな幻想を見つめている限り、現実を見る目はくもり、自他に対しては不寛容になってしまいます。

それでも、あまり困らないかもしれませんが……。

現実は、「絶対」というものを意識しようがしまいが、構わずに物事が進行して行きます。だからこそ、実際の経験を反省し教訓を学ばなくてはなりません。「絶対」を信仰したり、理想にするのは構いません。しかし、それと現実との間には、溝があることを忘れてはならないと思います。いつも、現実に戻って見なくてはなりません。なるべく細かく、なるべく詳しく、なるべく多角的に。

また、自分に対してさえ、「絶対」を求めるのは難しいと感じています。他人に対して、「絶対」を求めるのは、なお難しいと思います。そのことを受入れた上で、考えることも大切だと思います。

厳しい基準やマニュアルは、遵守されなくてはなりません。しかし、残念ですが、「絶対」をもたらす魔法ではありません。不備もあるし、遵守しない輩も出ます。時には、無意味な規制や過剰な規制もあります。常に基準やマニュアルを見直すだけでなく、問題発生時の対応を含め、次善の策を何重にも考えておくことも大切だと思います。

絶対の安心、絶対の信頼、絶対の理解、絶対の安全の「絶対の」を見つける事が不可能であるということに対し、現実的な対応が必要です。そのことを忘れていると、「裏切られた」とパニックになるか、「当てにならない」と否定するかの両極端にとどまっているだけになってしまうと思います。

ところで、自分たちが、「絶対」によって呪縛されているのか、それとも「絶対」に対して執着しているのか解りません。ただ、本来の物差しを捨てさせた上で、「絶対」を軸に物事を議論させたり、判断させたりするのは、極端な「思い込み」をつくるには便利な方法のような気がします。問題の中身や限界を見抜かれないようにするには、適切な方法かもしれません。
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by gskay | 2006-02-28 13:36 | 安全と安心