カテゴリ:揺れる システム( 87 )
元建築士への論告求刑
耐震偽装で裁判が行われているのは、この裁判だけです。他は、別件であったり、発覚後の不適切な行為に対する裁判で、耐震偽装を直接裁くものではありません。

元建築士の論告求刑が行われたことは、イーホームズ社長への判決とその後の社長によるキャンペーンに比べれば、既存のマスコミも取り上げているような印象です。

ところで、建築確認においては、元請けの建築事務所から書類が出ており、この元建築士が直接書類を提出した訳ではないと思われます。実際に違法な建築が行われ、最終的に違法な建築が世に出る上で、決定的な原因はこの人の偽造ですが、この人は一部分を担ったに過ぎません。

下請けに過ぎない以上、この元建築士が設計への責任を負う筋合いは無いのかも知れません。設計の責任をとるのは、あくまで元請けとなっている設計事務所です。

設計事務所については、資格の取り消しのような行政処分がすでに行われていて、刑事的な責任追及の対象になっていません。元請け設計事務所への公的な処分としては行政処分で充分だろうとは思いますが、民事的な追及は別です。ただ、追及したところで損害が回復できるかどうかは別問題です。さらにいえば、この元建築士に民事的な請求をしたところで、私たちの損害の回復には寄与しないと思われます。

当初、この元建築士には、巧妙なエセ経済設計を行ったズルイが優秀な建築士という位置づけがあったように思います。今でも、そう思っている人がいるかもしれません。実際は、基礎的な能力の不足していたダメな建築士だったというのが真相だと思います。それを、たまたま経済設計と勘違いしたことで、問題が拡大しました。

勘違いについては、設計事務所と検査機関の実力不足が必要な条件です。大臣指定のプログラムであっても、完璧ではないということが、設計事務所と検査機関にはわかっていて、チェックの対象になっていたなら、こんなことにはならなかったのかも知れません。そこは、イーホームズの主張するポイントの一つだと思いますが、実際のところは、どうなのでしょう?そういう問題だったのでしょうか?

チェックしたところで、見落とされている可能性も否定はできないように思います。私は、設計事務所の能力も検査機関の能力も、この問題には無力であったのではないかと思います。

また、書類の不十分ささえチェックできない体制になっていたようです。中途半端で未完成な書類を出しておいて、後で修正するということがまかり通っていたようです。技術的に問題を見抜く能力ばかりか、手続きの厳格さにも問題があるようです。

私は、検査による適法という判断がどのような意義があるのかという点にも問題を感じています。結局、後で違法が発覚した時に、何の責任も負わないのなら、設計事務所や、施工、建築主、それに所有者の責任を明記し、公的な機関は取り締まりだけをしっかりやればいいのではないかと思います。

余計な仕組みを作るから、こんな人が悪事を働く余地を作ってしまったのだと思います。

この元建築士がデタラメな設計をし、それが違法建築として形になるプロセスにも問題があります。検査の実力と手続きの厳格さの不足の問題です。

それだけでなく、この元建築士が行ったデタラメな設計の背景には、建築確認という形ばかりで意味のない仕組みがあって、それに合格すれば適法になるとというみなの錯覚があったのではないかと思います。そんな仕組みさえなければ、こんな馬鹿馬鹿しい事件は起きなかったのではないかと思います。
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by gskay | 2006-11-01 16:18 | 揺れる システム
違法ではなく独自基準 (前エントリの訂正)
直前のエントリで書いた内容は、私の間違いです。建築基準法に違反する建物ではなく、公団が設定した独自の厳しい基準に対する問題のようです。

(10/11)都市再生機構マンション、1棟が耐震強度独自基準下回る

 東京都八王子市のマンションの住民側が建物の耐震強度不足などを指摘していた問題で、分譲した都市再生機構は11日、日本建築構造技術者協会(JSCA)の検証の結果、1棟の耐震強度が同機構の独自基準を下回っていたと発表した。同機構は住民と協議して補修か建て替えを進める考え。

 同機構は建設時の構造計算書を紛失しており、JSCAが現存する図面から新たに構造計算書を作成。建築基準法より厳しい同機構の基準で耐震強度を算出したところ、基準値に満たなかった。同機構は「建築基準法に違反しているとはいえず、居住者が緊急避難する必要はない」と話している。

 また、住民の求めで同機構自らが再計算した際にミスを繰り返したことについて、同機構は「担当者が計算方法の解説書を読み誤った」と謝罪した。

大きく話が変わります。補償についても、必要性は減ります。他のマンションで行ったような措置は不要になるのではないかと思います。

耐震性能に関し、違法でないが、独自に設定した基準に充たないということなら、建築基準法に基づく措置は不要になると思われ、建て替えや補修は、民民の問題です。民事的な話し合いで納得できるかどうかの問題になります。

(とりあえず、「違法」という表現をつかった前のエントリは、不適切でした。タイトルからして、ダメです。誤解していました。本文は、少しいじって、追記を加えました。)

ただ、だとすると、疑問が呈されてからの再計算の「ミス」や対応の不手際の問題が重大な問題として浮かび上がります。

このマンションの問題では、違法でないにもかかわらず、前向きの対応が取られるとすれば、すごいことだと思います。一般的な「欠陥住宅」では、大きな違法があっても、なかなか住民にとっての解決に進まないのが問題だからです。
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by gskay | 2006-10-12 14:05 | 揺れる システム
公団の違法建築  (このタイトルは不適切です)
朝日新聞が詳しく報じているので、引用します。89年という古い物件です。公団は、民間に対する建築確認制度とは異なる仕組みで建築確認が行われます。特定行政庁では審査はなく、通知のみとのこと。

書類は、保存されているはずでしたが、すでに、重要な書類が失われてしまっているとされ、検証の方法はなく、設計段階の意図を明らかにするのは、困難であろうと思われます。どういう経緯で、このような建物が生まれてきたのかは謎のままになることと思います。

URによる補償が行われることと思います。さすがに公的な団体であり、ヒューザーのようなことは、様々な意味で起こらないと思います。破産することはないでしょう。経緯の解明や、関係者に対する責任追及も、ヒューザーのようには行われないでしょう。

書類が整っていないせいで、施工より前の経緯は追及できないため、「施工不良」で済まされてしまうのかもしれません。

asahi.com八王子の旧公団マンション、都市機構検証でも強度不足


2006年10月11日20時24分
 都市再生機構が旧公団時代の89年に分譲した東京都八王子市のマンション1棟の耐震強度不足を住民が指摘した問題で、同機構は11日、通常の設計を前提に計算した場合、最弱部分の強度が基準の71%にとどまるとする検証結果を明らかにした。同機構は「機構の分譲住宅として不適切な部分があった」と謝罪する一方、「評価方法によっては最低限の基準を満たし、違法とは言えない」とも釈明した。

 この棟は鉄筋コンクリート造り6階建て。同機構は設計時の構造計算書を紛失し、日本建築構造技術者協会(JSCA)に設計図に基づく構造設計の検証を依頼した。

 JSCAの報告では、安全性の余裕を見て、梁(はり)や柱をせん断破壊する力を2割増ししても耐えられる設計を前提とした場合、耐震強度は1階の最弱部分が基準の71%。1割増しでも1階が83%と強度不足だが、割り増しせずに計算すると、全階で100%以上だった。

 同機構は通常、せん断破壊の力を1〜2割増しで構造設計し、JSCAも2割増しを推奨している。このため同機構の稗田昭人カスタマーコミュニケーション室長らが11日、記者会見し、「居住者に瑕疵(かし)物件を販売した」と謝罪した。

 当時の住宅・都市整備公団が分譲したこの棟がある団地では、施工不良が次々に発覚し、建て替え問題に発展。この棟の住民は独自に耐震強度の検証をJSCAに依頼し、5月下旬に最弱部分が基準の58%という結果を得ていた。

このような建物がなぜ造られてしまったのかという問題と同様に、問題に対してどのように対処してきたのかという点も重要です。このような建物が出来てしまった経緯に関心が集中しがちですが、旧公団の場合、いろいろあって、書類をもとに検証することができなくなっていて、追及は断念せざるをえません。

他紙では、設計の経緯を調査して、関係者の処分を行うという内容の報道もあるようですが、どうなることでしょう。建築の経緯にこだわっても、成果はないと思われます。むしろ、違法ではないかという疑いが起きてからの対応の的確さが問われるべきではないかと思います。同時に、書類の管理についても。

引用記事中の、「通常の設計を前提に計算した場合」というのが、何を意味するのか、私にはわかりません。このフレーズは、「2割増ししても耐えられる設計」を論ずる段落と関係しているのでしょうか?「実は、大丈夫」といいたいのでしょうか?

「評価方法によっては最低限の基準を満たし、違法とは言えない」という釈明は、技術に関する議論で、難しい問題です。これは、ヒューザー物件についてもいえることでした。もし、ヒューザーの時のような対応であれば、このようにのんびりとしていられたかどうかわかりません。まして、そういう釈明をしたら、何をいわれたことか……。

性能が足りない建物をどのように評価し、どのように対処するべきかということが、世間的にも、法律的にも、全くはっきりしていません。このケースもその問題を抱えています。

年数が経っている物件で、19戸という多いと評価するにも少ないと評価するにも微妙な戸数です。現実問題として、今後、どのように対応が行われるのか気になります。

(追記) 違法という表現は不適切ですが、タイトルは違法と言う言葉を残し、不適切であることを付記しました。本文中では、違法という言葉を減らしました。次のエントリは、このエントリへ訂正エントリになっています。

「2割」の意味もわかりました。「実は、大丈夫」のようですね。
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by gskay | 2006-10-12 10:22 | 揺れる システム
知らされなかった理由?
小嶋社長が刑事裁判は、私自身には直接関係ない事件です。しかし、とても関心があります。

関係者が事情を議論していた時期に、すでに所有者になっていた私は、何も知らないままでした。再計算の対象になっていたことさえ、知りませんでした。知らされなかった理由を知りたいと思います。

知らされたのは、再計算で強度不足が確認された最初の物件が出た11月17日木曜日。その時点では、まだグレーでしたが、結局、自分のマンションについては、週明けに耐震強度の不足が確認されました。

その遅れによる、不利益も発生します。もし、知っていれば防げたことがあります。

小嶋社長を道義的に許す事ができないのと同じように、許されるべきでない人がいます。

私が小嶋社長の刑事裁判に注目するのは、発覚以降の不適切な判断が問題になっているからです。

違法建築の取り締まりである以上、当然、行政的な判断がともなっています。その判断の問題は、全く、問題になっていないようです。
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by gskay | 2006-10-06 23:21 | 揺れる システム
現場は見抜く事ができたか?
「耐震強度が不足していたことを、現場の関係者は見抜く事ができたはずだ。素人でもわかる程だ。」そのように言われ続けてきました。実際のところはどうなのでしょう?

常識的には、上層に行く程、鉄筋が少なく細くなるということで、そうなっていないことへの疑念はあったと報じられています。鉄筋の業者がそういうコメントをしているのを報道で見た事があります。しかも、通常の鉄筋よりも細いと指摘していました。

だったら、その業者は、しかるべき形で指摘すべきだったのではないでしょうか?そういう指摘を活かす仕組みがないという建築システムの欠陥があって、活かされなかったのかもしれません。

「うすうす思っていたが、指摘しなかった」というのであれば、とても破廉恥なことだと思います。指摘せずに、大変な違法建築を作ることに関与してしまったことに責任を感じるべきです。そういう責任を感じることなく居られるところが、現在の建築システムの歪んだところだと思います。

また、「当時はわからなかったが、発覚してからみるとおかしい」ということなら、それは、見抜いた事にはなりません。話題性を提供するための無責任な発言であり、センセーショナルに取り上げるのはおかしいなことです。

「素人でもわかる」というのは暴言です。現場の関係者が見抜いていたのではないかという指摘さえ、根拠が希薄で合理性が乏しいように思われます。

現場の関係者が耐震強度不足を見抜くのは厳しいと思います。同じコストでも、性能を極大化するための経済設計の高度な技術が存在し、簡単に強度不足を指摘できるような問題ではありません。また、一般的な設計であっても、わずかなコストの増減で、強度は大きく変わってしまいます。

そもそも、もし現場が見抜くことができるような簡単なことなら、建築確認もその他の検査も不要になると思います。また、難解な構造計算さえ余計と言うことになりかねません。強度不足を認識しながら施工を続けたとは言うことはないと思います。

この問題は、施工業者の責任にも関わります。木村建設が破産整理中であるので、私たちは取り立てて論じるには至らないように思いますが、施工業者には、設計の欠陥を見抜く責務があるのかどうかや、結果として出来てしまった違法建築に責任を負うべきかという点は厄介な問題です。現在の建築システムは、責任関係が不明瞭という問題を抱えています。
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by gskay | 2006-09-27 11:10 | 揺れる システム
『耐震建築の考え方』
耐震について、それほど多くの本に目を通してはいません。設計の技術論は、専門家に任せていていいと、こんな事態に巻き込まれていても、呑気に考えています。というより、そんなの理解できたら、自分で設計します。

それよりも、建築の合理性が気になります。その関心に応えてくれたのは、『耐震建築の考え方』という本です。一般人向けに考え方や心構えを説いた本です。このような本は少ないようです。

128ページしかない薄い本なのに、1200円という本で、巻き込まれていなかったら、手にはしなかっただろうという微妙な価格です。

この本の中身を理解した上で、報道が行われたり、対策がとられていたなら、別の方向性もあったように思います。技術的なことを不勉強のままトンチンカンに取り上げてしまったため、無邪気なバカ騒ぎになってしまったのではないかと思います。肝心なところは、別のところにあったということになると思います。

ところで、この本の17ページに、「設計用地震動強さとコスト上昇」というグラフが示されています。400ガルを1.0として相対的に建築費がどう変わるかを示しています。2倍の800ガルにするには、1.1。逆に2分の1の200ガルにするには、0.95。たったこれだけの変化で、劇的に強度が変わります。

マンションの価格にしめる建築費の割合を念頭におくと、この数値は、かつてNHKスペシャルが試算していた数値に似ていると思います。「たったそれだけ」で大きく変わることがわかります。

一方、82ページから「総費用最小化の原理」が書かれています。建設費と期待損失費の和が最小になるところがちょうどよいバランスだとしています。損失の評価が難しいところですが、その最適値以上のコストはかけておくべきだということになると思います。

この最適値の概念を用いると、元建築士の行った設計は、全く経済設計とはいえないということになると思います。削減できたコストが少なすぎます。その上、今回、地震の被害による期待損失以外に、違法が露見した場合の損失という別の損失が加味されました。結局、元建築士の設計は著しく不経済であったということになると思います。売り主にとっても、住民にとっても不経済でした。

そういう点で、「安物買いの銭失い」という評価には妥当性がないわけではありません。しかし、それは「たったそれだけ」。ヒューザーの「安くて広い」の「安い」に対する合理的な説明にはなっていないように思われます。(それに、世間で言う程、安くはないし……)

それはそうと、適法を前提に、地震被害の期待損失を加味した購入はできていたと思います。その部分については、大きな疑問や不安を感じませんでした。おそらく、売り主である建築主のヒューザーも同様の判断だったと思います。

ところが、違法。これは、建築確認や検査の無謬を前提にしていただけに想定していませんでした。違法発覚後、どのような影響が生じるかは、誰も確固たるイメージを持っていなかったのではないかと思います。

少なくとも元建築士が設計した時点では、違法の露見がこのような損失を作り出すということはわかっていなかったと思われます。違法が大きな損失につながることが明らかになったのは、この事件が問題になってからのことです。

そもそも、違法という状況は想定されていなかったのです。『耐震建築の考え方』でも、その点への言及はありません。当然です。

ところで、「経済設計」というのは、同じコストなら性能を極大化したいという願望でもあります。それは、『耐震建築の考え方』が取り上げる経済性とは全く異なった次元の問題であり、純粋に技術の問題だと思います。それを混同してはならないと思います。
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by gskay | 2006-09-26 10:53 | 揺れる システム
住宅建築のルールの見直し
耐震偽装に巻き込まれ、法律や仕組みが陳腐になっているのを目の当たりにしました。法律が想定していない部分を、行政による細かいつぎはぎでしのいできたという印象です。よくやっていると思いますが、場当たり的です。今後も、このやり方を続けていいとは思いません。

建築関係の法令は、建築の規模が大きくなっている事や、住宅が分譲と言う形で供給されているという点に目が届いていないと思います。また、使用者が建築主であるという想定にしばられ、売り主が建築主になるという仕組みへ対応が不十分で、結局、真の使用者には、何も積極的な対応が出来ないような仕組みになってしまっています。

現状では、住むだけであれば、分譲であるか、賃貸であるかという差には、形式の違いがあるにすぎないのではないかと感じることがあります。住宅の買い手は、ちょっと余計にお金を出しているだけです。賃貸住宅を借りていることにくらべ、有利な点は少ないかもしれません。所有という観点から、責任や税金に縛られ、むしろ不利な点を看過できないと思います。

注文住宅が中心であり続けるなら、現在の仕組みも悪くはないと思います。しかし、現状はそうではありません。とりわけ、共同住宅の場合、住む人自身の注文による建築はまずありえません。戸建てでさえ、新規に取得する場合、分譲が多いのではないかと思います。そうしたことへの配慮が充分ではありません。

一連の法律は、制定された戦後の復興の促進という目標と、当時の習慣や技術レベルにはふさわしい仕組みであったかもしれません。しかし、従来の仕組みは、今の時代の必要性に適応できていないと思います。

制度の設計が古くなり、建築の大規模化にも対応が不十分で、無駄が多いと思います。複雑な業界構造が肥大化し、中間マージンの積み重ねが儲けを圧迫する一方で、責任が曖昧になっています。また、儲けが大きい訳ではないとわかっていても、新しく建物を作り続けなくてはならない仕組みになっています。

新しく建てることに偏った従来の仕組みは、復興を前提とした発想であり、仕方がないことです。しかし、今は、新規の建築への偏重を改めなくてはならない時期だと思います。修繕や補修に切り替える必要があります。それに伴った新築のあり方の変化まで、期待するべきです。

住宅などの建物に限らず、これまでの公共事業も、新しく作るところにしか配慮が届いていませんでした。今、公共事業でメンテナンスの充実を目指すことに転換できれば、業界の体制を一新するような効果が期待できるのではないかと思います。

一方で、買い手側については、注文主や建築主とは限らないにもかかわらず、注文主や建築主と大差のない扱いです。そういう意味では、耐震偽装に巻き込まれた分譲マンションの住民と賃貸マンションやビジネスホテルのオーナーとで、同じ所有者であるものの、行政上の扱いに大きな差が設けられたのは、新しい方向性を示すものなのかもしれません。

原点にもどって、住宅の買い手が建築主として注文するという形で住宅建築への関与の機会を増やす方向に規制するのは一つの方策だとは思います。しかし、共同住宅では、再開発や建て替えの時くらいにしかありえないことです。戸建てでも、分譲のための開発では非現実的です。

住宅の取得については、住む人の注文でない建築である場合にもふさわしい仕組みが、別に必要です。分譲と注文の場合と区別する必要があると思います。これは、行政的な対応には限界があり、立法で対応しなくてはならないと思います。注文には注文のメリットがあり、分譲には分譲のメリットがあるという形を作らねばならないと思います。

現在のシステムは、建築の現状を統制するのも不十分であり、建築の発展への対応も出来てはいないと思います。将来への見通しも明快ではないと感じています。供給側も、買い手側も、そして、行政に携わる人でさえ、我慢しているだけのルールで、満足や安心には程遠いのではないかと思います。行政だけで対応できる限界を超えていて、立法的な大きな改訂の必要性を感じているのではないかと思います。

耐震偽装事件についての一連の経緯を機に、住宅建築は、行政をベースにしたルールから、立法をペースにしつつ、建築の専門家による民主的な取り組みを尊重したルールにいち早く乗り換えて行く可能性がある分野だと思います。

たしかに、行政主体の柔軟な運営も魅力的ですが、必要以上に行政組織に負担をかけるべきではないと思います。重い負担が、重層化した官僚機構を生み、結局、柔軟ではなくなります。柔軟性は、現場に限定して欲しいと思います。専門家の民主的な取り組みを期待しています。
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by gskay | 2006-09-01 12:01 | 揺れる システム
技術の問題/制度の問題
耐震偽装を見抜けなかった原因として、「官から民へ」の流れがあったという議論が行われて来ました。しかし、問題は、民のモラルにあるのではなく、技術の側にあったのだと思います。また、チェックにチェックを重ねるという注意を怠らせるような制度も問題だったと思います。

偽装した本人の責任は言うまでもない事かも知れませんが、厳密にいえば、建築の全体にとっては、設計事務所の下請けにすぎません。北海道のケースで議論になったように、その責任がどれほど重いのかは微妙な問題だと思います。

設計図が正されることなく、最終的な違法建築の完成にいたるには、設計事務所、建築主、建築確認などを行う検査機関、施工、監理という責任ある関係者が関与しています。責任のなすり合いが続く中で、建築確認を行う機関が機能していなかったことが重視されました。建築確認が安心の源だとみなされていたのだと思います。

しかし、昨日保釈された元支店長は、自らの見落としの責任について反省の弁を明らかにしています。かつて、元支店長も建築確認の重みを尊重していました。しかし、その仕組みに裏切られた結果を、真剣に受け止めているのだと思います。

もし、設計の問題を見抜く能力があり、かつ、建築確認を疑うという意識を持っていたなら、このような事態にはならなかったかもしれません。防ぐ事ができる重要な位置にいたということを、自らが受け止めているのだと思います。

技術的に言えば、見抜くのは無理だったと思います。再計算に要する時間とコストを考えるとナンセンスだったと思います。(達人の眼力やカン、超能力者の特殊能力は別として)

法的に負わなくてはならない責任についても曖昧だと思います。建築確認によって適法であることが確認されてしまったことに対し、積極的に見直しをしなくてはならない制度とはいえません。

技術的に困難な問題に対し、責任の所在を曖昧にしてしまう制度が続いて来た挙げ句の出来事だったのではないかと思います。

元支店長は、陳腐になってしまった建築の制度に様々な面から翻弄されているように思われます。元支店長は、不注意と言えば不注意です。私は、それを心の底から責める気にはなれません。
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by gskay | 2006-08-09 16:41 | 揺れる システム
個人資格の限界
新たな建築士制度では、上級資格の「新1級建築士」に、一律に高度な知識と技術を求める仕組みが検討されているようです。全体を見通せる人が必要と言う事かも知れません。しかし、そうした全体の管理は、事業に対する免許や、企業に対する免許で行うべきだと思います。

資格制度の見直しの対象になるような大きな建築物に関わっている建築士が担っているのは、大抵、分業化された仕事の一部分です。大きな建築物では、高度な分業と連携によって、一人では完結させることが不可能な大きな事業を可能にしています。そうした大きな建築物を作る仕組みを、一人でも完結できる小さな建築の延長で考えるのは無理だと思います。

必要なのは、鉄道会社や航空会社のような間違いの防止のための高度なシステムをもった企業や事業体を作ることです。病院のような、診療所の延長で、個々の医師や医療専門職が寄せ集められて作られているシステムに留まるべきではないと思います。直面している建築の問題は、個人の能力の向上だけで対応出来ない問題であると考えるべきです。

業界は、独立志向の強い小規模業者が集まってできています。これは、小さな建築には都合が良かったかもしれません。このため、重複して同じような業者がひしめく一方で、重視されずに放置されている分野もあり、いびつです。業界は、小さな建築に対応した仕組みのままで、大きな事業を手がけるようになっていると思います。

事業が巨大化し、高度になっている以上、単に小規模業者を寄せ集めただけでは、質の高い建築を、間違いがないように実現するのは難しくなっていると思います。また、企業の利潤や、働く人の報酬を高めようにも、バラバラな仕組みが足枷となっているのではないかと思います。小規模業者を集めて管理すること自体、無駄なコストが必要になっているのではないかと思います。

必要な技術は確保されていると思います。しかし、それが制度的に活かされていません。

そこで、個人個人や小規模業者の寄せ集めに期待するのではなく、包括的に事業体や企業を審査し免許を与える仕組みが必要ではないかと思います。

同時に、高度な内容についての個人資格は、個別の専門について審査し、個別に免許を与えるべきだと思います。オールマイティーな免許は、小規模業者が何もかもこなすために必要な資格であり、大きな組織の大きな事業で必要なものだとは思いません。

設計や監理に関する資格、構造に関する資格など、きめ細かく業務を分析し、個々人の能力向上を促すべきだと思います。その一方で、企業や事業体という組織が効率的で間違いがないように事業を進めることができるかどうかを審査するべきです。そして、個人個人の専門家の役割と責任や、組織の役割と責任を明確にする必要があると思います。

耐震偽装についていえば、それを見抜くような能力を個々の建築士全員に求めて済ますべきではなく、検査能力を向上させるべきです。耐震偽装を見抜く能力が、超能力のように個人の建築士に身につくとは思えません。再計算で問題が判明したように、手間を惜しんではいけないのだと思います。厳格な検査が実現できる方策をとれば済む事です。

新たな仕組みは、「新1級建築士」に責任を押し付けていますが、もともと無責任体制であった検査を一層骨抜きにする制度だと思います。耐震偽装などの致命的な誤りへの対策に必要なのは、検査の責任を明確にしておくことです。

専門的で高度な能力をもった専門家を確保することは必要ですが、大きな建築物を作るという巨大な事業を間違いなく進めるためには、個人の力に頼るには限界があります。そこで、優れた企業や事業体という組織の力によって、適切に様々な分野の専門家の能力が連携できるような仕組みを構築しなくてはなりません。

現在、小さな事業が大きくなっただけの仕組みや、小規模業者の寄せ集めが、適切な事業を進める上での障害になっていると思います。これは、安全や品質の確保に問題があるだけでなく、効率を損ね、結局、業界に働く人の首を絞めていると思います。
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by gskay | 2006-06-28 14:29 | 揺れる システム
「新1級建築士」?
「試験をする」とか、「降格」とか、センセーショナルな部分ばかりが報道されています。肝心なところに触れていると私が思ったのは、朝日新聞です。

asahi.com構造・設備設計に専門資格創設へ 建築士改革で国交省


2006年06月26日23時30分

(略)

構造と設備の新設2資格は、新1級建築士の指示を受けて高さ20メートル超の建物の構造設計、設備設計をする際に必要。無資格者に対する両設計業務の委託は禁じられる。

引用で省略した部分については、他と大差ないと思います。

そもそも、能力不足の1級建築士の存在が、問題が表に出る発端でした。このため、建築士の能力の向上に注目が集まっているようです。しかし、そのような能力のない専門家については、厳しく追及し、処分する仕組みをつくれば済む事です。

より深刻な問題は、有資格者のもとなら、無資格でも業務についてしまうことが常態になっている点ではないかと思います。しかも、これまで、それを許した有資格者の責任も、業務に従事した無資格者の責任も曖昧でした。その問題を、明確にすることが「資格制度」の第一歩です。

逆にいえば、そんなことも実現できていないということです。そんな状態で、資格制度をいじったところで、良い効果はでないと思います。朝日新聞が報じた「無資格者への業務委託禁止」は、とても重要です。

ところで、建築士の資格制度を考える上で、医師の資格と比較されることが多いように思います。しかし、医師と建築士では性格が違います。

強いて言うなら、パイロットの資格に倣うべきではないかと思います。パイロットの事業用免許は機種別です。安全の確保が優先なら、医師に倣うより、パイロットに倣うべきです。そもそも、今や、「国土交通省」なのだから、その辺はお手の物でしょうに。

現在の医師の仕組みで最も重要なポイントは「応召義務」ではないかと思います。困っている人に頼まれたら、相当の理由がない限り、自分の都合で断ってはいけないというルールです。最善をつくすことが求められています。その最善には、応急処置だけして、他の医師に任せるということもふくまれてはいますが……。

医師は、何でも診なくてはいけないので、何でも診てよい資格になっています。

一方で、建築士に「応召義務」はありません。イヤなら断れる。無理なら断るべきです。

ならば、医師のような「何でも」という資格を用意する必要はないと思います。「新1級建築士」というオールマイティーなスーパー免許を用意する必要はありません。むしろ、高度化し専門化している点を重視し、一定以上の難易度については、個別の免許を用意し、厳格に審査していくべきだと思います。

朝日新聞が注目した「無資格者への業務委託禁止」は歓迎です。それは、責任を明確にするからです。しかし、新たなスーパー免許導入は感心できません。技術の高度化や専門化への対応は、きめ細かく行われるべきだからです。
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by gskay | 2006-06-27 16:19 | 揺れる システム