カテゴリ:メディアの狂騒( 38 )
参議院選挙とメディア
メディアが、あまりに二つの大政党に注目しすぎるために、参議院のあり方がわかりにくくなっていす。衆議院の小選挙区では、当選者が一人という選挙区になっているので、二つの政党の激突という構図で説明できると思います。しかし、参議院の場合、比例区(旧全国区)が大きな割合をしめているという点が、衆議院との大きな違いです。取り上げ方も、衆議院と同様にはいかないはずです。

参議院の地方区で定数がばらついていて、1人区があったりするところが中途半端な仕組みとして残されているものの、参議院を比例を反映する議会だと考えるべきだと思います。

比例では、二大政党の間に埋もれてしまいがちな小政党が議席を確保することができます。その上、全国を選挙区とする参議院の比例区なら、地方別の選挙では埋もれてしまいそうな全国に散らばった支援を背景として当選する議員も出てきます。それが、少数意見の尊重になっていると思います。政権の大枠は衆議院で決まるにしても、こうした参議院の少数は政権の構成に影響を与えています。

参議院は、政党政治から距離を置くべきだという意見は傾聴に値すると思いますが、選挙による代表の選出の仕組みをとっており、定数もあることから、組織の支援なしに当選するのは容易ではないだろうと思います。人柄や実績を評価する組織は、審議会や学術団体など国会とは別にあり、これでよいと思います。あくまで、国会については、選挙という手続きで選出するべきです。

その上で、衆議院での二大政党の政権をめぐる競争とは異なって、二大政党に比べれば遥かに規模は小さいが、一定以上の支持を受けている組織が代表を送り込めるという参議院のあり方を積極的に評価すべきだと考えています。

その点では、現政権・現与党が、不利な状況への言い訳として用いてるのかもしれませんが、参議院選挙の結果と政権交替とを別にして考えているというのは、参議院のあり方を尊重しているようにも見えます。逆にいえば、野党第一党が圧勝したとしても、政権交替をすべきかどうかは別の問題だと考えるべきなのかもしれません。

ところで、地方政治における政党とは異なって、国政では、政党は事実上「公営」だと思います。政党助成により賄われている部分がとても大きくなっています。是非はあるかもしれませんが、少なくとも、議員を確保している少数にまで政党助成が行われているということを評価したいと私は考えています。政党が、そこにこめられた期待に応えているかどうかは別として。

「解党」か「離党」かでもめている政党があるとか。これは、政治信条や政治姿勢の面から見れば、大差がありませんが、政党助成による資金の行方を考えるとすっきりします。党から出ようとする議員が、資金を持って出るためには、「解党」。「離党」では、それができません。

メディアは、このあたりのことをわかっていて伝えないのか、わかっていても伝えないのかわかりませんが、国のあり方を、ねじ曲げる存在に堕していると思います。
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by gskay | 2007-07-08 21:59 | メディアの狂騒
偽装の象徴
偽装事件が起こると、ヒューザーの小嶋社長が引き合いに出されます。しかし、未決である藤沢の物件の詐欺事件についてはともかく、偽装への関与に関しては、被害にあった会社の社長にすぎません。マスコミに登場して変な注目のされ方と、目立ち方をしたばかりに、このような目にあっているようです。

ひき肉の偽装をした会社の社長は、偽装した張本人である姉歯元建築士に相当します。断じて、小嶋社長ではありません。

少なくとも、小嶋社長は首尾一貫して購入者に誠意を示そうとしていた点も異なります。異常な事態を乗り切ることができず、実際には、それは実行できなかったものの、決して購入者に責任転嫁したり、馬鹿にするような発言はありませんでした。小嶋社長は、偽装を知らなかったというのが真相のようです。また、彼は、良いものを提供してきたと信じていたと思います。

小嶋社長は、そんなものと、一緒にされたくないと思っていると思います。
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by gskay | 2007-06-26 13:09 | メディアの狂騒
『官僚とメディア』(魚住昭)
「耐震偽装の構図」を信じている人も信じていない人も、読んだ方がいいと思います。

耐震偽装では、何が起こっていたのかということさえ、普通にしていたら解らなかったと思います。私は、巻き込まれていて、実体験の中から考えて、「構図」を始めから信じていませんでした。同時に、自分が体験しているものと報道されているものの差に驚いていました。さらに、報道を信じて、実際の出来事を信じない人々に愕然としました。

報道を鵜呑みにする人を批判しようとは思いません。しかし、鵜呑みにして、操作されてしまっているということには、問題意識を感じます。耐震偽装事件をのぞけば、私も操作されて、報道を信じてしまっているという自覚があるので……。

別に近くにいたわけではないのに、きちんと取材をすると核心に辿り着くことができることがわかりました。状況の分析については、指摘の通りだと思います。報道の現場体験からの発言であるだけに、緻密でリアルだと思います。

ほかには、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(郷原信郎)も、イーホームズの藤田社長の著書と並んで、実態をとらえた本だと思います。ただ、これらは、ジャーナリストによる著作ではありません。『官僚とメディア』が、ジャーナリストの著作であるという点は、特筆に値すると思います。耐震偽装の捉え方は、メディア批判、官僚批判のための材料にすぎませんが、充分な描かれ方だと思います。

私は勉強不足であるのか、このくらいしか、耐震偽装の本質をとらえていると実感させてくれる書籍を知りません。他の耐震偽装関連書は、口当たりのよい一般論を言っているにすぎないと感じていました。極端に言えば、別に耐震偽装に触れる必要もないような書物ばかり。ただ、話題性で、耐震偽装を語っている本さえあるのではないかと思っています。「構図」を垂れ流しにしたメディアと変わらない存在だと思います。

真相については、三冊が指摘する通りだと思います。しかし、いずれも実態の把握や分析にとどまり、問題への処方箋としては充分なものではありません。断固とした方向性を見いださない限り、繰り返しになったり、状況が一層悪化してしまうのではないかと思います。

ところで、現在、海外に来ているため、新刊書をタイムリーに入手することができません。たまたま、日系の書店が複数ある街にいるため、どうにか、手に入れて読むことができました。国内で入手した場合の、約2倍の値段になってしまいましたが、帰国まで待たずに読んでよかったと思っています。
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by gskay | 2007-06-25 11:44 | メディアの狂騒
報道発表後
発表時期に大きな事件が重なってしまったためか、共同化再開発による建て替えは、あまり注目されなかったようです。内容については、中央区のホームページに載っています。

平成19年5月30日 グランドステージ茅場町の共同化建替えについて 中央区ホームページ

苦労した方々や、そのことを知っている立場からすると、とても大きな節目であり、もっと取り上げられてもいいのではないかと感じることと思います。内容的にもユニークであるばかりか、将来的にも意義がある節目だと思います。

しかし、あまり注目されず、内容についても広く知られるということには程遠い状況です。それを残念に思っている人もいると思います。

私は、それを仕方がないことだと思っています。そもそも、人々の注目を浴びるには、内容が難しすぎるのではないかと思います。今後、専門家や関係者の間で、じわじわと評価されていくような出来事ではないかと思います。

メディアの狂騒による翻弄を取り返したいと思うこともあります。あれだけ騒いだ事件の続報だし、工夫と努力の末の明るい話題なので、もっと取り上げて欲しいという気持ちもあります。きちんと取り上げてくれれば、苦労した方々へのねぎらいにもなったのではないかと思います。

それを期待すると残念な気持ちにもなりますが、この事件に巻き込まれ、メディアのことを少しわかってきたので、「やっぱり」と思うだけです。

この事業は、メディアに取り上げられるための事業ではなく、あくまで生活を取り戻すための事業です。個人としては、最終的な負担や損害を最小限にすることは重要なポイントです。そして、公共性への配慮を大切にしています。

これらは、いかにメディアに取り上げられ、世間にどのように評価されるべきかということよりも大切なことです。

当初、メディアの狂騒に巻き込まれ、惑わされました。また、メディアの狂騒により、マンションについての情報や、住民についての印象は、事実とは大きく異なるイメージが広く刷り込まれてしまっています。そのことで、不利益がなかったとはいえません。

その不利益は、この節目をメディアでポジティブに取り上げてもらうことで解消できるようなものではありません。むしろ、一面だけを一方的に取り上げられて、思わぬ流れに再び巻き込まれることを恐れます。

また、関心がある人はすでにわかっているだろうし、メディアによって刷り込まれた内容を盲信している人は、もはや新たな情報を受け入れようとしないでしょう。

「すっきりしない」ままですが、一時的に大騒ぎをするメディアとは一線を画し、次の世代にも評価されるような事業をやり遂げ、しっかりとした建物を築くことが大切なのだとあらためて思います。
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by gskay | 2007-06-15 02:25 | メディアの狂騒
恣意的なバッシング
耐震偽装では、ヒューザー、木村建設、イーホームズが徹底的に叩かれ、事業が続けられなくなりましたが、他は大きく取り上げられず、何とか切り抜けたようです。

特に、イーホームズについては、耐震偽装の発見に貢献したという功績は忘れ去られてしまいました。他の民間検査機関はもとより、特定行政庁の建築主事も耐震偽装を見逃していたという事実は重大視されず、ひたすら、イーホームズのみが叩かれました。

ついでにいうなら、耐震偽装の「構図」とやらも、何も実証されませんでした。結局、登場人物は、ヒューザーでなくても、木村建設でなくても、あるいは総研でなくても良かったのかもしれません。騒ぐだけ騒いで、終わってしまいました。

そういえば、耐震偽装とかぶる時期には、公団分譲マンションの欠陥や建替えが行われていることや、書類が行方不明になっているという失態が細々と報じられていましたが、その責任追及はどうなったのでしょうか?

ところで、介護が話題になっていて、バッシングが行われていますが、引用の記事の様な実態があるようです。

時事ドットコム:返還額、計4億円超に=コムスンなどの介護報酬不正


2007/05/29-18:25 返還額、計4億円超に=コムスンなどの介護報酬不正−東京
 訪問介護大手のコムスン、ニチイ学館、ジャパンケアサービス(いずれも東京都)が介護報酬を不正請求していた問題で3社は29日までに、東京都が算定した不正請求額に加え自主点検で判明した不正分の返還を決めた。同日都が発表した。最大手のコムスンの場合、都内の自治体への返還額は約2億260万円で、3社合計では約4億2650万円に上る。
 ニチイ学館の返還額は約8550万円、ジャパンケアサービスは約1億3840万円だった。

介護の場合、介護を受けている人も多く、従事している人も多いため、耐震偽装の時と同じような「叩きつぶしてしまえ!」という展開では、事態を収束させることが難しいのではないかと思います。事業を続ける方策が必要です。

そこで、事業譲渡の受け皿となる企業の名前が挙がっていますが、引用した記事の様な実態があります。この実態を踏まえ、なぜコムスンがことさらに取り上げられているのか、その取り上げられ方は適切であるのか、再検討が必要です。

曖昧でデタラメな制度と、いきあたりばったりの取り締まりを裁量によって行う中央官庁。それに乗って煽動するかのような公平性に疑問のある報道。そして、注目をそらせたい公的な失態。これが、昨今の恣意的なバッシングの基本的な要素ではないかと思います。

今回は、公的な失態からどこまで注目をそらすことができるのか気になります。あまりに巨大な失態で、これまでのように済ますのは難しいような気がします。

また、曖昧でデタラメな制度については、耐震偽装では、抜本的な解決が行われなかったばかりか、小手先の対応でさえ不具合が生じているようです。介護や福祉の問題も同様な展開になってしまうとしたら残念です。
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by gskay | 2007-06-12 14:34 | メディアの狂騒
危機管理の教訓
耐震偽装を含め、数年来の企業不祥事の原因について、いろいろと分析されています。私は天の邪鬼なのか、私には納得のいかない説明がまかり通っています。そういう分析では、今後も抜本的な解決をはかるのは難しいだろうと思います。

その一方で、不祥事と言う危機に直面した企業のサバイバルについては、数年来の不祥事のおかげで、様々なノウハウが蓄積されているように思います。サバイバルに成功した見本のようなケースもあれば、火に油を注ぐ結果になり復活ができなくなってしまったケースもあります。

まだ中途の段階であり、サバイバル成功とはいえないものの、アパグループは見事だと感心しています。

まず、基本的に、自らの責任や過失を認めてはいけません。発覚しただけで自らの責任や過失を認めることは、損害の補償などで不利になる可能性があります。謝らざるをえない「決定的」なポイントまでは頑であるべきです。

アパは、イーホームズに問題を指摘されても、頑として認めませんでした。はっきりしないうちから認めてしまうと、そこで調査などがストップし、全ての責任を負うはめになりかねません。それを避けなくてはいけません。

確かに、もしかしたら、さらなる調査やあらたな問題の発覚によって真相が明らかになってしまうかもしれません。しかし、調査や追及が途中で止まってしまえば逃げ切ることができます。頑に否定する必要があります。

また、中途半端に自分の責任を認めてしまうと、あらゆる責任を負わなくてはいけなくなる危険があるだけでなく、本来の責任の範囲を確定するための以後の調査の費用が自腹になりかねません。

ただし、頑に否定し続けることにはリスクが伴います。責任や過失について、「決定的」な調査結果が出た場合、判断を誤ると大変なことになります。「決定的」というのは、科学的な因果関係や、論理的な必然性を、必ずしも意味しません。マスコミが動き出したとか、役所や政治家が動き出したというような事情で、「決定的」となるようです。

この「決定的」なポイントで、態度を変えることに失敗した会社はたくさんあります。パロマやシンドラーエレベーターなど、それまでの個別の対応では、自らの責任や過失については否定しつつ、それなりに切り抜けてきました。その対応を、「決定的」なポイント以降も続けてしまい、大変なことになってしまいました。ヒューザーもイーホームズも、態度を変えることには失敗していました。

アパは、不祥事が表ざたになった途端、直ちに態度を翻しています。報道陣に頭を下げることで、「潔い」という評価さえ得ています。謝罪会見では、何も説明していないのと同じでも、涙の映像のような強い印象を与えるシーンを撮影してもらえれば、その後は、くり返し放送される可能性があります。

ここで、きちんと筋道たてて説明しても、取材陣はそんなことを理解してはくれません。望まれてはいません。むしろ、取材陣の質問が厳しくなり、あたかも正義のジャーナリストによって追及される悪徳業者という構図になってしまいます。

必要なのは、それ以上の追及をうけないこと。だとしたら、内容らしい内容は必要無く、とにかく謝り続ける必要があります。加えて、感情に訴えるような「涙」のような武器を駆使し、今後、くり返し流されることになるシーンを提供しなくてはなりません。

もちろん、必ずしも好意的に受け入れられるとは限りません。しかし、そうしなければ活路はありません。記者の厳しい質問の餌食になってしまいます。また、謝り続けるだけではダメです。良い素材となるシーンを提供しなくてはなりません。

意図的かどうかは不明ですが、アパの場合、女性社長のマスカラが涙で流れて、凄まじいことになりました。これは、素材としての強い印象を持ちます。その状況で、厳しい質問を浴びせる記者がいたとしたら、その記者の方が責められかねません。

演出でできることかどうか解りません。ただ、流れやすいマスカラを使うなどといった工夫は考えられるように思います。今後の参考になるように思います。

また、その映像が効果的に世間に広まり、好意的な評価を残すためには、裏切らない「友人」を有名人に持ち、コメントさせるのが有効であるようです。影響力のある人物を、積極的に企業の広報誌やイベントなどに登場させることで、しっかりとした絆が築かれていくようです。その辺りは、広告会社がどうとでもしてくれるのでしょう。

一方、あまり、政治家に期待してはいけません。政治家による圧力や介入の効果は、「決定的」なポイントを回避することには、ほとんど役に立ちません。おそらく、「決定的」なポイントがくるまでの時間の、精神的な安定に役立つだけです。何もしないのは不安です。しかし、政治家に頼んでいるなら期待を持って過ごすことができます。不安でいるより、期待をもっている方が、前向きに時間を過ごすことができることが多いという効果はあるように思われます。

政治家が関わったとしても、隠ぺいなど、なかなか困難です。政治家の関与は、むしろ、問題が大きくなった場合に、逆効果になることもあり、十分な配慮が必要です。政治家の存在が、印象を悪くすることもあるばかりか、その政治家に見捨てられて、仕打ちをうけてしまうこともあります。

さて、アパは、とても参考になる危機管理をしているように思います。しかし、最初の耐震偽装であるヒューザーは、様々な意味で、アパと逆です。イーホームズについても、同様かもしれません。

会見などで、自らの主張を展開しようとしました。そんな話に、マスコミは関心ありません。科学的であったり、論理的である主張は、取り上げられません。なぜなら、良い映像にならないからです。メディアにとってダメな素材しか取材できないとなると、取材側も困ります。そこで、正義のジャーナリストによる激しい追及というような構図を作って、良い素材になるように努力する必要が出てきます。

会見の席などでは、もっと有効に、メディアに好まれるような素材を見せるための時間として使うべきです。

ちなみに、私は一回しか出ていませんが、ヒューザーの小嶋社長の住民説明では、ぐっと涙おさえ、歯をくいしばるように説明するシーンがたびたびありました。水を飲んで、感情を抑えようとしていました。そういうところを見せたがらない人物なのだと思います。説明も明解でした。

私が出ていた説明会は、マスコミはシャットアウトでしたが、たとえマスコミに取材をさせても、あれでは映像的にはダメだったのかもしれません。もし、そこで、感情のままに涙できるようであれば、展開は変わっていたかもしれません。

さらに、広報誌や広告も、ヒューザーは、とてもそっけないものでした。有名人が登場することもなく、広告費を抑えているいることが、価格競争には有利になりましたが、思わぬところで裏目に出てしまったように思います。

政治家の関与が、大きな政治的な問題になってしまったのも、ヒューザーの場合、逆効果でした。たとえ、関与する政治家が問題に真剣に取り組んでいただけだとしても、そのようには見てくれません。政治家の影をいかに薄くするかという配慮も必要だったようです。

これらは、真相や責任の所在そのものとは、関係のないことです。しかし、騒ぎが大きくならなければ、そうしたことは追及されずに済む以上、大事にしなくてはなりません。厳しい注目があると、当局の取締も、捜査による追及や裁判も厳しくなります。逆にいえば、注目を小さくすることができさえすれば、一般的な非難だけでなく、様々な追及や処罰さえかわせる可能性が出て来ます。

小手先の技術とあなどることはできないと思います。センセーショナルな報道と、根拠の乏しい断片的な印象が流れを作ります。短期的には、それをコントロールしなくてはなりません。そして、なるべく早く、人の記憶から忘れ去られるようにするのが良いのかもしれません。
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by gskay | 2007-01-30 08:29 | メディアの狂騒
「あるある」騒動
そういう番組が作られたのは単純に許しがたいと思います。「科学をなめるな」と言いたいところです。というより、むしろ、「科学では、そんなことまでわからない」と白状すべきかも。

科学に対する無理解が、メディアが流すエセ科学に対する無批判な「信仰」を作っているように思います。その一方で、まともな科学に対しては、無関心であったり拒否的。

「あるある」の納豆騒動では、メディアの主張のサポートにエセ科学が用いられました。一方、耐震偽装や不二家の「消費期限・賞味期限」騒動では、ネガティブな他者へのバッシングに用いられました。

ポジティブなイメージを演出するために用いたウソやデタラメがバレた場合は、とりあえず、虚構を作った人たちは、ねつ造を責められるようです。

一方、ネガティブな他者へのバッシングのためのウソやデタラメの場合、苛烈なバッシングの後は、安全や安心を損なったまま、時間とともに風化してしまうようで、バレる事も少なく、お咎めはないように思われます。

どちらも、ウソやデタラメであることに変わりはなく、科学的な根拠や理性的な判断をないがしろにしている点では共通しているように思われます。いずれも、誤解や偏見をうみ、悪影響を残すものです。しかし、メディアが一次的な当事者である場合と、二次的な批判者である場合とでは扱いが異なるようです。

耐震偽装でも、不二家騒動でも、科学的観点からの本当の危険性は明らかにはなっていないと思います。

耐震性能の真の評価はわからないまま、当時は、不思議な専門家が登場していました。藤田さんの著書でも、批判的に取り上げられていました。

一方、不二家騒動においては、消費期限や賞味期限が親しみやすい指標であったためか、食品の安全の専門家はあまりメディアに登場しなかったように思います。おそらく、専門家にとって、安全や安心について、メディアに歓迎されるような発言をするのが難しい問題だったのではないかと思います。

また、不二家の問題は、材料の品質の管理の問題であって、製品の品質が保たれれば良い問題ではないかと思います。消費期限も賞味期限も、独自の品質チェックができない消費者への指標であり、加工のための材料として用いようとする二次的な生産者を拘束するような指標だったのでしょうか?

不二家は、他に、自ら定めた「期限」を誤摩化すというような信頼を裏切ることをしていたことは許し難いことですが、発覚の発端である材料の期限問題に限って言えば、私には、悪いとされている部分の意味がわかりません。

真に科学的であろうとすると、メディアには歓迎されないように思います。大抵の問題が、そんなにセンセーショナルな問題ではなくなってしまいます。問題の重大性については、科学的な評価とは別の価値によって示されなくてはならないものではないかと思います。例えば、法令遵守であるとか、信頼であるとか、経済性とか。

ところで、「あるある」については、放送局の経営陣や職員などへの厳しい批判が出ているようです。放送を司る大臣は、厳しい処分を求めているようです。

放送は、免許による事業であるので、公的な処分があることは仕方がないことだと思います。しかし、企業の内部の処分に口を出すことには疑問です。放送するという免許を停止するような処分を、適切な手順をもって実施すべきだと思います。

大臣のコメントでは、世間を納得させれば、手続きを超越した処分でも良いということなのでしょうか。このコメント自体が、メディアを通して聞いているに過ぎないだけに、どのように考えたら良いのかわかりません。

明示されたルールに基づく、正当な処分が望ましいと思います。
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by gskay | 2007-01-24 22:48 | メディアの狂騒
いやがらせ
引用した記事からは、礼意が感じられません。紛争の相手であるからと言って、許されることだとは思えません。好意からの贈り物ではないだろうと思います。

姉歯被告へ…Xマスプレゼントはヘルメット


 耐震強度偽装事件で建築基準法違反などに問われた元1級建築士・姉歯秀次被告(49)の判決公判が26日、東京地裁で行われる。検察側は懲役5年、罰金180万円を求刑。住宅の安全を揺るがした事件の刑事責任を司法がどう判断するか注目だが、判決を2日後に控えた24日、姉歯被告に何とも皮肉なクリスマスプレゼントが贈られた。

 姉歯被告の自宅を訪問したのは被告が手がけたグランドステージ(GS)東向島の元住民で対策委員会の代表・田中拓さん。何度も呼び鈴を押したが反応はなし。エアコンの室外機は稼働している。居留守であることは明らかだった。玄関前のゴミ袋にはビール缶が約30個詰められ放置されていた。「飲み会…。信じられない」と田中さんは絶句した。

 それでも田中さんは、家の中でひっそり息を潜める姉歯被告に向け反撃を開始。「彼にはこれをプレゼントします」と言うと、持参した紙袋から黄色のヘルメットを取り出した。後頭部には「GS東向島解体工事 姉歯秀次」。大手百貨店で自費で購入したという。「解体工事ならできるはず。建て替えも? それは嫌です。無理です。彼には不可能です」住民たちの抗議文も添えると、足早に立ち去った。

 クリスマスイブの、この日、周囲の家の玄関先はもみの木にきらびやかな照明が飾られていた。だが姉歯被告の玄関先は黄色のヘルメットが、むなしく悲しく光を放っていただけだった。

(2006年12月25日06時04分 スポーツ報知)

メディアへの露出が多い人物です。とある会議で見かけたことはありますが、会話を直接した事は無く、どのような人物がであるかは知りません。

ただの腹いせのための「いやがらせ」ではないかと思います。

刑事上の処罰がある以上、私的な制裁は許されないと思います。損害についての追及だとしても、妥当性はないと思います。

ビール缶についても、記事では表現が微妙になっているものの、言いがかりや八つ当たりの類いに過ぎないように思います。

そして、この記事の報道の意図がわかりません。

元建築士の所行をみれば、「この位は当然だ」とでもいうのでしょうか?私は、私的制裁やいじめ、いやがらせを容認すべきだとは断じて思いません。損害原因や責任の追及、損害回復のための努力とは全く関係のないことだと思います。

あるいは、これを機会に、ヒューザー物件の住民の卑劣さをメディアで取り上げようというのでしょうか?

まともな行為だと思えません。そして、それが報道されてしまっている点については、背景の事情や意図を含め、慎重に考えなくてはならないと考えます。
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by gskay | 2006-12-25 19:55 | メディアの狂騒
グローバル化
グローバル化といっても、アメリカナイズを穏やかに表現しただけではないのかと思っていました。アメリカに有利な仕組みを押し付けて、グローバル化と呼んでいるいるなら、要らないと思います。

しかし、国内の特殊な条件が障害になっている場合、グローバル化を積極的に活用することは意味があると思います。情報に関しては、我が国の特殊な条件を前に断念しなくてはいけないことは減っていると思います。

肝心な情報は、既存の国内のメディアには期待ができないのではないかと思います。その代替がグローバル化によってもたらされそうです。

すでにネットの威力を思い知りました。ネットでは、国内の特殊な障壁が問題にはなりません。そして、今回、出版に関しても、国内の特殊な事情が克服されることになりそうです。これからは、国内事情にこだわることが陳腐な思い込みになりそうです。

イーホームズの社長の本が海外から出版されるというのは、とても画期的な出来事だと思います。

陳腐な思い込みに惑わされている既存のメディアは、あっと言う間に取り残されてしまうような予感がします。

そういうグローバル化なら歓迎したいと考えています。
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by gskay | 2006-12-16 03:19 | メディアの狂騒
専門誌
世論には、わずかな影響しか与えないものの、専門誌においては、一般的なマスコミや報道とは異なった議論が展開されてきました。健全だと思います。それを見ていると、専門家による民主的な取り組みこそ尊重されなくてはならないのではないかと思います。

我が国においては、専門家の民主的な取り組みより、世論とよばれる風潮や思い込みの方が優先されてしまいます。そして、真の専門家でない人が祀り上げられてしまうのではないかと思います。

ほとんどの場合は、専門家は自律的に民主的な仕組みで現場を適切にこなしているのではないかと思います。しかし、時々、問題になってしまうことがあります。その時の対応こそ、より専門的であるべきだと思います。

あいにく、問題が露見すると、まず、世論や風潮とやらが事態を翻弄し、思いもよらない影響が出てしまいます。どうも、専門家が機能を停止してしまうようです。もっとも評価されるのは、問題をうまく克服することであるべきですが、そうしようという方向に具体的には働かないようです。

専門誌が一定水準以上を保って議論していることは、とても意義のあることだとは思います。しかし、それが積極的な対応につながってはいません。結局、世論や風潮の不適切な暴走を許し、素人同然でありながら権力を握ってしまった人に判断を委ね、適切とはいえない方針に進まざるを得ない状況を作っているのではないかと思います。

一般的なマスコミに持ち上げられた疑問符のつく専門家が幅を利かせたり、素人同然の権力者の存在が許されてしまうのは、不幸なことです。疑問符がつく専門家の意見などより、専門誌で評価されるような専門家の意見こそ傾聴すべきです。また、強引な権力者の方針さえも取り締まってしまうような、専門家の民主的な取り組みこそ必要だと思います。そのために、専門誌のような存在をもっと充実させる必要があるのではないかと思います。
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by gskay | 2006-12-13 02:36 | メディアの狂騒