カテゴリ:メディアの狂騒( 38 )
新聞の特集サイト
耐震偽装を特集したサイトは、記事も減って、閑散としています。そして、いよいよ閉鎖のようです。

朝日新聞や共同通信、それに東京新聞は更新が続いているようで、中間配当の記事も特集に掲載されていました。

しかし、毎日新聞や産経新聞は特集サイトが無くなってしまったようです。読売新聞のサイトは「(記事更新終了)」だそうです。耐震偽装に関する記事が全く取り上げられなくなった訳ではなく、新たな記事が報じられてはいます。しかし、世間の注目が離れていることを、サイトの閉鎖が象徴しているような気がします。

これまでの報道を見る限り、マスコミの能力に問題があったのか、トンチンカンな方向の報道が目立っていたように思われます。そんな実態にはおかまいなしに、事件についての総括はおろか、報道についてのマスコミ自身による総括もなく、消えていくようです。

この事件が注目されたのは、マスコミが大々的に取り上げたためだと思います。そして、それがエスカレートしました。そのエスカレートの過程で、あるまじき方向に逸脱してしまい収拾がつかなくなっていたように思います。

世間の注目を浴びるように煽り立て、不適切な情報や見解を垂れ流しておきながら、今度は、世間の注目が離れたと称して、ひっそりと撤収。注目が離れたのは、マスコミ自身が取り上げないからというのも一因だと思いますが、そのことから敢えて目を背けて……。

報道による影響は大きく、私も悩まされてきました。報道に振り回されたり、裏切られたり……。見立て違いに呆れたり……。

おかげで、報道やマスコミがとてもよくわかりました。

世の中の人々を自在にあやつろうとする傲慢さを感じました。しかし、傲慢であるわりに、世間のコントロールする能力には限界があることもわかりました。また、専門的な知識を理解し分析する能力に乏しいにも関わらず、謙虚に分析する態度にかけていることがわかりました。何より、真実を見極めたり、受け止めたりすることが苦手であるという実態を知りました。

報道が世間に与えた影響は、当分消えないと思います。かなりの部分が、偏見や勘違い、誤解だったと思います。中には意図的な企みもあるのかも知れません。

ろくでもない迷信を、たくさん生み出してしまいました。それらがまかり通ってしまっていることを、悲しく思います。迷信を信じ込んでいる人々がいることを知ってしまったと同時に、私自身が様々な迷信を疑いもなく信じているのだろうと思います。

総括も反省もないままに、いよいよ事件の風化が始まるようです。「風化させてはならない」と叫びながら、風化させようとしているのは、実はマスコミではないかと思います。
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by gskay | 2006-12-12 00:51 | メディアの狂騒
”コマーシャル”
いいものを作って安く売っているだけではダメです。しっかりとした宣伝活動が必要です。宣伝活動は、良いイメージを作る為に必要ですが、同時に悪いイメージを極力避けることにも役立ちます。

大きい会社は、このノウハウを熟知しています。広告は巨大なビジネスです。巨大なだけでなく、様々な意味で強力です。

イーホームズの藤田社長が投げかけた波紋は、ネットを中心に広がっているようですが、既存のマスコミは冷淡です。

既存のマスコミの能力にも問題があるのかもしれませんが、そもそも、放送だって新聞だって、見方を変えれば、「番組付きの広告」、「記事付きの広告」を発信している会社です。広告ぬきはありえません。このため、スポンサーの意向を尊重するのは当然だし、その意向を代弁する広告会社に強い発言力があるのも自然だと思います。

どちらかといえば個人の自発的な発信が行われるネットの中と、既存のマスコミとが一致しないのは、スポンサーの存在を考えれば当然です。既存のマスコミは、偏りを避けることができない背景を持っています。

その一方で、ネットが、市井の見方や、世論を反映しているといえるかというと、それは微妙です。ほとんどの一般的な日本人は、テレビや新聞の言う事に疑いをもたず、自らの見方を発信しようという意識もないように思われます。むしろ、ネットの中の世論の方が一部の特殊なものではないかと思われます。

結局、既存のマスコミを中心としたシステムは、これからも、大きな影響力を持ち続けるのではないかと思います。今後、時々、覆されることもあるかも知れませんが、それも、従来の暴露本のインパクトをこえる事は難しいのではないかと思います。

大勢の日本人は、既存のマスコミに満足してしまっています。そして、既存のマスコミは、免許制度等の様々な規制により強力に保護された存在です。

さて、そのようなマスコミに囲まれている以上、事業を拡大しようとするなら、”コマーシャル”には充分な配慮が必要です。

そういう点でも、ヒューザーは失格でした。あの会社は、広告費等を抑えていました。このため、既存のマスコミや広告業界のメジャーに影響力を行使することができませんでした。

単に売り上げを考えるだけなら、ヒューザーの広告は充分だったと思います。しかし、今回見えて来たように、広告はそれ以上の、「保険」になるようです。つまり、ケチってはいけないということだと思います。

広告の「力」の正当性を問うのは愚かなことです。そういう「力」がある以上、使いこなせれば有利です。そうでなければ、不利になります。「力」に対抗できるようになるか、「力」を超越するような何かが登場するまでは仕方がないことです。

(追記)はじめは、「広告付きの番組」、「広告付きの記事」と書きましたが、書き改めました。自分で変更しておきながら、複雑な気分です。
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by gskay | 2006-10-21 14:20 | メディアの狂騒
住民の責務
「安物買いの銭失い」批判は、調べれば調べる程に、的外れだと感じます。業界の専門家からの批判も聞きますが、概ね、専門家すぎるためか全体が見えておらず、価格がどのように決まっているかという事までは、目が行き届いていないようです。早い話が、自分はそんなに儲けていないというレベルにとどまります。

ヒューザーが破綻した事を考えると、売り主の体力は考慮に入れるべきです。その部分への批判は、ごもっともです。しかし、破産財団の様子をみると、破産が不可避であったかどうかは微妙です。私は、消極的ながら、破産の申し立てに参加しているので、見立て違いということになるかも知れません。

結局、地裁でも高裁でも、破産と判断されているので、間違ってはいなかったと思いますが、唯一絶対の選択肢とまでは言えなかったと、今更ながら感じています。別の方法で解決する方法がなかったわけではないと、後知恵で夢想します。そう考えると、ますます「安物買いの銭失い」と決めつけられるかどうかはっきりしないと感じます。そのような感想を持ちつつ、どのように追い込まれていったのかという流れに、あらためて関心がわきます。様々な問題が、そこに象徴的に現れていると感じています。

ところで、「安物買いの銭失い」という批判や、「素人でもわかる」というような批判については、偏ったイメージだけを残してしまいました。その批判や風評によって、住民としては追いつめられた心境のままの人もいると思います。

私は、こういうものを書きながら、ああでもない、こうでもないと考える余裕があるので、平気です。家内も、似たようなものです。分析的に考え、状況が理解でき、方策がつきていない限り、楽観的で居られます。

しかし、そうではない人もいると思います。一連の流れで、傷ついて苦しんでいる人は少なくないと思います。せめて、住民には落ち度が無かったということを確認し、名誉の回復をはかりたいと考えている人がいることと思います。

残念ながら、それを実現する方法はないと思っています。裁判で適当な慰謝料を勝ち取ったところで、元に戻ることが出来る訳ではありません。報道、とりわけ放送で傷つけられたと感じている人が少なくありませんが、それについて関連機関に訴えるべき時期は過ぎています。仮に、訂正報道をしてもらったところで、そのインパクトはわずかです。事実が後から少しずつわかって来るという性質上、巻き込まれてしまったからには、マスコミのばか騒ぎも甘んじて受け止めなくてはならないということだと思います。

除却をしなくてはならないことと同様、そうした批判や風評を受け止めることも所有者の責務なのではないかと思います。そのように考えると、とにかく、批判や風評に耐えぬいて、除却や建て替えを成し遂げることが大切だと思います。

いまさら、あの批判は間違いだったと言われても、元に戻れる訳ではありません。事態は進行しています。進行にあわせ、いかに的確に克服してきたかということを示すことが大切だと思います。

少なくとも、批判や風評に耐えられずに破綻してしまった会社を目の前に見ています。そうならないように頑張らなくてはならないと思います。
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by gskay | 2006-09-25 10:03 | メディアの狂騒
購入者のことを考えない開発
購入者への補償に失敗した以上、問題外かもしれませんが、ヒューザーは、購入者のことを考えていた方ではないかと思います。

少なくとも、業者として、「自分だったら、買わない」というようなマンションは作っていなかったと思います。

事件発覚当初、一番最初に驚いたのは、ヒューザーの社員自身がマンションを購入し、住んでいたということです。彼らにとって、それだけの魅力は備わっていたし、自信を持っていたのではないかと思います。

「他人が住む部屋だからどうでいい」という会社ではなかったと思います。

うちの物件については、ヒューザー社員は3軒。そのうち、1軒は役員さんでした。そのことは、その役員さん自身、メディアのカメラの前で語っていたそうですが、完全に封殺されました。ある司会者には、放送で、随分ひどい取り上げ方をされたという話を聞きました。気の毒です。

社長のキャラクターの問題が事態を悪化させたにしても、役員や社員が物件を購入して住んでいるという事情は、「構図」を考えるうえでも重要な情報だったと思います。傍証にすぎないかもしれませんが、社長のキャラクターより重大な情報だったと思います。

これについては、全く注意が払われないどころか、無視でした。そういう台本だったのかもしれません。うちの物件のヒューザー社員は、「構図」を描くには、相当不都合な情報です。

会社のことも、自分のことも曲解された状況で、住民としての立場を全うしなくてはならない彼らや家族のことが気になります。

捜査の終結に納得がいかないという意見を耳にします。原点に返ると、隠匿に基づく偏った「構図」に踊らされていたのではないかと思います。意図的に「構図」を描き、あのように世の中を熱狂的に踊らせることを仕掛けた人がいるのだとしたら、すごいと思います。
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by gskay | 2006-07-06 18:33 | メディアの狂騒
新聞による総括?
新聞の現時点での総括が行われています。毎日新聞は、

MSN-Mainichi INTERACTIVE 社説:耐震偽装事件 捜査で安全は確保できない

で、事件を総括しています。

「姉歯被告の独り芝居」に対する疑問のニュアンスが感じられる社説です。「施工業者や販売業者らが姉歯被告を重宝がっていたことは間違いなく、偽装計算に気づかなかったのは不思議だが、」と言っています。しかし、その偽装を、見抜くのは困難だというのが問題の一つだったはずです。この発想は、事件発覚当初の見方から進歩していないと思います。

ただ、後半で、「問題を起こした当事者の加罰にばかり目を向けがちな風潮も、何とか改めさせたいものだ。計算法によって耐震基準がまちまちになっているような建築確認の制度が、偽装を許す温床になっていた面は見逃せない。行政の不手際や怠慢こそ、姉歯被告の刑事責任にもまして問われねばならない。」と指摘しています。重大なポイントだと思います。

続けて、「事前規制型から事後チェック型へと社会が移行したとはいえ、刑事責任追及には限界があることも、事件が教えているのではないか。」としていますが、司直の捜査によって明らかにされるべき問題と、国土交通省や特定行政庁という建築の取り締まり機関によって明らかにされなければならない部分が異なっていることを無視していると思います。

建築の技術は、日進月歩であり、その進歩を促進するための民主的な仕組みが作られています。その仕組みがうまく機能していないという点が問題なのであり、それを、司直の捜査に押し付けるべきだとは思いません。警察はその部分に充分な配慮をし、民主的な仕組みを無闇に踏みにじっていないと思います。ただ、国土交通省や特定行政庁が、それに応えているかというと、疑問です。

さらに、「地震に備えるためにも、建設行政の信頼を回復するためにも、国交省は偽装の再発防止策だけでなく、建設業界からの不正、腐敗の一掃を目指し、徹底した施策を講じなければならない。」と締めくくっています。業界の構造に対するアプローチは国土交通省の責務だと思います。しかし、不正や腐敗の方は、国土交通省だけでなく、司直の手で捜査され、厳正に処罰しなくてはいけない部分だと思います。

良く読むと、論理がねじれた不思議な社説だと思います。

他に、読売新聞では、

耐震偽装「構造的詐欺」崩れる

という総括の記事を目にしました。こちらは、「姉歯被告が売り物にした格安の構造計算に、建設会社やコンサルタントの『経済設計』の思想が重なって被害が拡大したのが事件の本質。偽装を長年、見抜けなかった建築行政の不備が一番の問題ではないか」としめくくっていて、「構図」の問題より、建築について検査や手続きの問題を重視しています。

毎日新聞でも読売新聞でも、当初からつい最近まで、「構図」を取り上げて自らが狂騒してきたことについてのコメントはないようです。その狂騒に、誰がどのように関わったきたかという検証や、狂騒が残した影響についての反省はないようです。

政治の舞台や、マスコミ、それにネットで繰り広げられた狂騒は、この事件の重要な一部分です。
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by gskay | 2006-06-23 23:29 | メディアの狂騒
無神経な報道陣
エレベーター事故関連の取材過程の話が記事になっていました。少し前の記事です。事故の原因について、保守に重大な責任があるということが明らかにされる前のものです。製造元が全面的な責任があるかのごとく捉えられていた時期です。引用した記事を読んで、「彼ら」の無神経さを思い出しました。

JINビジネスニュース シンドラー幹部 国交省で110番騒ぎ


2006/6/12
国土交通省に事情聴取されたシンドラーエレベータの幹部が2006年6月9日、「身の危険を感じた」と110番、警察官がかけつけるという騒ぎを起こしていた。取材陣が詰め寄ったというわけでもないのに、幹部は3時間も省内に閉じこもり、失笑を買った。

このトラブルは6月9日、国土交通省がシンドラー社に対して事情聴取を行った時に起きた。3人の幹部が国土交通省の担当者に東京都港区の死亡事故や、日本各地の同社製エレベーターの不具合について説明し終えた午後2時20分ごろ、廊下に姿を見せた3人に、集まった約30人の報道陣が「どのような説明をしたんですか」などと質問した。3人は無言で、逃げるようにその場を立ち去った。

(略)

この様子を目撃した共同通信記者は、JINビジネスニュースの取材に答え、現場の様子を話し、そしてこう言った。

「私たちが幹部に詰め寄ったわけではない。でも、なぜか非常に警戒していた。建築指導課職員を通じ、カメラも回さないし、質問もしないと伝えたら、帰っていった」
(略)

この記事を見て、取材する側の一方的な主張にすぎないと思いました。

廊下に30人の取材陣がいて、ドキドキしないで居られますか?しかも、小走りに、口々に何かを叫びながら、マイクやレコーダーを突きつけて来ます。

「詰め寄ったわけではない」 ???

マンションの前に、取材クルーが一組いるだけで嫌になっていたころを思い出しました。

取材を受けてくれる人がみつかるまで、全部の家を「ピンポーン」とやっていましたっけ。ヒューザーの手配で、ガードマンがつくまで続きました。

住民集会があろうものなら、「約30人」の報道陣。あの手この手で、参加者に声をかけ、無理矢理押し入ろうという人も少なくありませんでした。マスコミが騒いで、会場の管理者や近隣から苦情が出ました。道路の通行の邪魔になっていたそうです。

報道陣は、集会が終わった段階で役員が会見すると言っているのに、嫌がる住民を取り囲んでいました。だれかが囮になって、道を作ったりしました。

へー、詰め寄ったわけじゃないんだ。

取り囲んだだけ……?(ひとりひとりの記者は、近寄っただけ。そして、質問のために声をかけただけ。)
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by gskay | 2006-06-16 14:01 | メディアの狂騒
篠塚明元東京支社長@NNNドキュメント
6月4日のNNNドキュメント'06で、日本テレビが制作した「独白…耐震偽装  キーマンとの150日」というタイトルの木村建設の篠塚明元東京支社長への密着取材が放送されました。

世の中の風潮やマスコミの一般的な姿勢から一線を画した内容だったと思います。

他の記者やレポーターたちは、群がってつるし上げるような雰囲気を作っていました。あれでは、新しいコメントが取れるわけがない。コメントが取れるわけがないのに、みんなが同じことをしているのは、無駄です。その上、わざと怒らせるような挑発をしておいて、怒った人を「不誠実だ」となじる。

取材と言う仕事は、つるし上げや挑発ではなく、情報を取ることだと思います。

そんなやり方は、もう、やめませんか?

コメントが取れない理由は、取材が不適切だからです。

少なくとも、このドキュメントのように密着取材しているジャーナリストがいる以上、それができなかった人たちは、反省するべきです。

住民への取材だって、不愉快でした。大抵は。

取材をしていながら、相手に自分の偏見を押しつけ、意見が異なると執拗に食い下がって、お目当てのコメントを取ろうとする。何で、あなたにそんな風に言われなくてはいけないの?そもそも、あなたの意見はどこから生まれたもの?そして、なぜ、そっちが正しくて、こっちがおかしいと決めつけられる?

真の姿を明らかにしようという気持ちや、正義を守るという気持ちがあるなら、人の話をききなさい。

マスコミに従事する人の人間性の問題なのかもしれません。

そういう取材がほとんどである一方、しっかりした人もいます。群がっている時にも、ひと味ちがいます。質問がするどく、こちらを啓発してくれるようなジャーナリストもいます。ただ、他の群がっている記者やレポーターにかき消されてしまいがちなのが残念です。多分、群がっている他の記者やレポーターにインタビューさせるより、ずっといい取材ができると思いますが、そうはならないようです。

すぐれたジャーナリストからの取材は、気分良く受けられます。そして、その後に発表される記事や番組は、こちらの意図と異なっていても、目くじらを立てようとは思わない出来映えになっています。新しい切り口を披露された時には、敬服します。

ほとんどの記者やレポーターの行為は許せません。しかし、それでも、ジャーナリズムを基本的に善だと思える理由は、そういうジャーナリストが混じっているからだと思います。

篠塚明元東京支社長を取り上げたドキュメンタリーは、深夜の放送で大した注目もなかったのではないかと思います。新しい内容はなかったような気がします。しかし、人柄が伝わってきたように思います。

友人に仕事の関係で、篠塚明元東京支社長と付き合いがあったという人がいます。その友人から聞いた評価に合っていると思いました。有能で誠実な人だという評価でした。厳しく条件を設定するのは真面目だからだとのこと。いい加減は許さない人のようです。不正で辻褄を合わせようという仕事ぶりではなかったとのことです。

元建築士からバックマージンを取っていたという関係など、適切とはいえないことだと思います。しかし、これは、業界の慣行を考えると、評価が難しいことのようです。

懲らしめられるべき「悪人」というイメージが先行する一方、どういう「悪」があったのかわからないままです。「悪」の部分を取り上げるのではなく、「悪人」のレッテルを貼られた人物の姿を報じている点に関心を持ちました。

「別件逮捕」で終わったままですが、その後の軌跡も、無理や不都合のない範囲で知りたいと思います。良い関係の取材が続いて欲しいと思います。
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by gskay | 2006-06-06 17:18 | メディアの狂騒
滑稽
本質をついていて、批判すべきポイントがしっかりしている風刺には、説得力があると思います。下にリンクしたのは、最近読んで感心した風刺系ブログです。リンク以外の他のエントリも面白いです。嘲笑するような態度ではなく、よく考えた上での批判の道具として風刺を用いていると思います。
町人思案橋・クイズ集 ヒューザー小嶋社長逮捕。もしもあのとき、正しい行動をとっていたら?

その延長として、

先取り!未来ニュース配信者 2009年〜「耐震偽装問題で圧力あった」と、当時の番組プロデューサーが告白

上の二つは、切り口は異なるものの、問題意識は同じなのかもしれません。

この他、公表された始めのころは取り上げてくれていたのですが、

なぞかけブログ

は、高度です。最近は、うちの話題は、取り上げてもらえなくなっているようで、少々、残念です。

いずれも、すごい才能だと思います。笑ってしまうだけではないところが、秀逸です。同様のサイトやブログは、探せば、もっとあるのかも知れません。

「構図」に沿ったものはいくつもあったと思いますが、情報に踊らされて、悪のりしているだけにとどまっているものが大半だったように思います。まあ、笑えるのが多くて、楽しませてもらったけれど……。

これに対し、そうした情報のあり方さえ批判しているのが、リンクしたブログのすごいところだと思います。
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by gskay | 2006-06-02 12:41 | メディアの狂騒
メディアの報道姿勢
情報を発信するメディアにとっては、見てもらうことが価値です。正しいことを伝えているだけではダメです。見てもらわなくてはなりません。見てもらったら、次もくり返し見てもらわなくてはなりません。そのように見てもらうことでメディアとしての価値があがり、企業としての収入をあげることができます。

これは、新聞でも放送でも同じことだと思います。

メディアは、自由な立場で、民主的な社会を精神的に支えているという建て前を持っています。しかし、同じような発想で、同じように反応する受け手が多ければ多い程、メディアにとっては有利になります。自由な立場や、民主的な思考は、送り手にとっては厄介です。むしろ、嗜好を揃えてしまう方向に努力した方が有利です。

ところで、近年のメディアによる報道は、結構手抜きだと思います。報道の骨格の部分は、通信社の記事の使いまわしにすぎません。様々なメディアの独自の視点によって事件の真相が明らかになるというシステムではないと思います。むしろ、誤った方向になだれをうって進みやすい仕組みになっているのではないかと思います。

メディアは、正義を標榜する以上、自らの誤りを認めるのは難しいものです。しかし、通信社の記事の使い回しなら、間違える時も、一斉に足並をそろえて間違えるので安心です。みんなが騙されているように見え、仕方がないように見えます。不可能であったとか、「巨悪」に騙されたことにすることができます。

みんなで、「力不足で、真相究明にいたりませんでした」といえば、不可能に対する充分な言い訳になるとともに、誤りに陥れた「巨悪」の存在をにおわせることができます。他人の不可能には厳しいくせに自らの不可能には甘く、責任回避のために、他人の責任転嫁。当事者の誰かのせいにしてしまえばいい。

そうした誤りの原因は、使い回しの元の記事の誤りを、無批判に取り上げた各メディアの姿勢にあると思います。元の記事の誤り自体は、あまり重要ではありません。ある程度の間違いは、仕方がないことです。しかし、それぞれのメディアが、その元の記事を無批判に受入れ、一斉に間違えることが問題です。それは、それぞれのメディアの不十分な取材によるものです。そして、知識不足による見込み違いや先入観も問題です。

中には、独自取材の成果で、騙されなかったメディアもでます。その時は、スクープとして賞賛されます。でも、スクープは、卓抜した取材力の成果というより、他のメディアの怠慢の裏返しが多いような気がします。

もちろん、個々のメディアは、他社との差別化も必要です。一応、スクープを狙って頑張っているというポーズも必要だと思います。メディアが動いているということも伝えなくては、受け手に信頼はされません。そこで、独自性を醸し出すための取材があり、編集が行われて発信されています。

肝心なところは通信社に頼る一方で、本質から離れたディテールで、「独自取材」がエスカレートしています。エスカレートした取材風景を自ら報じてみせる傾向があります。どうでもいいところに受け手の注意をそらしながら、「メディアの存在感」を出しているような気がします。

取材が殺到している場所に、スクープなんてあるのですか?これも、結局、足並を揃えているだけのような気がします。このエスカレートは、すでに異常なレベルに達し、「被害」を意識しなくてはいけなくなっているように思われます。(メディア側は、「自由」を盾に開き直っているようですが、自制をしないと……)

また、最終的には、独断と偏見で分かりやすさを追究する編集があります。高度に単純化され、複雑な事情は省かれます。面白い事実や本質に関わる事情があっても、複雑になると判断されたり、これまでの報道の経緯に都合が悪いと「表」には出ません。「表」には、勝手に作られたストーリーが流れます。

その「表」とは、画面であり、紙面。

それに受け手が飛びつき、その飛びつき具合を、広告主や、株主が評価する。何を流すかということや、受け手にどのような影響を与えるかと言うことではなく、いかに受け手に飛びつかせるかというのが、企業としてのメディアの課題です。

企業としてのメディアによる報道には、記事の使い回しによる横並び姿勢、核心から離れた部分でのエスカレートした「独自取材」というパフォーマンス、極度に単純化された編集という問題があると思います。足並を揃えて間違った方向に進んだり、真実から遠ざかる仕組みはこんなことではないかと思います。それぞれの問題が、それぞれに悪い影響を社会に与えていると感じます。そこでは、メディアの建て前は成り立たず、別の課題が優先されています。

メディアの正義に対し、疑いをもつ人と、信じる人に分化しているような気がします。私は、疑いを持っています。
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by gskay | 2006-04-11 12:10 | メディアの狂騒
家族の保護
いろいろな要因が積み重なっていたのではないかと思います。もともと、「病気がちな妻」とのこと。単純なことではないと思います。しかし、身につまされます。

当事者にとって、急性のストレスの時期は過ぎました。多くの人が、ストレスを自然に克服している一方、少なからぬ人に慢性の影響が続いているようです。

住民については、保健所のサポートが用意されています。しかし、加害者の側はどうなのかと心配になります。

単に対立するような関係であれば、そのような心配は持たないかも知れません。しかし、異常な取材攻勢と、理不尽な報道、不愉快な視線に曝されているという点については、立場をこえて不快感を共有できるような気がします。

はっきり言って、迷惑でした。許せません。

そうした気持ちを、フラッシュバックさせる出来事でした。

なぜ、報道陣のあのような過剰な取材と、いい加減な報道が許されるのかという怒りがこみ上げて来ます。

もちろん、そうした取材を迷惑と感じない人がいるかもしれません。しかし、迷惑だと感じる人がいるということを忘れないで欲しいと思います。

不適切な取材や報道、風評によるPTSDはありえると思います。

最初の説明会から、不愉快な取材に曝されてきました。デタラメで不勉強な記者の存在にあきれました。取材を受けたくない人をまもるための囮さえ用意しなくてはなりませんでした。

取材や報道の行き過ぎは、被害を生んでいます。それは、事件の加害者の側であろうと、被害者の側であろうと、関係ありません。

これは、正常なことだとは思えません。

日を同じくし、富山の病院で起きた人工呼吸の中止事件について、患者家族の声明が貼り出されたという報道がありました。家族を亡くした人に対して、何てことをしているのでしょう。

しかし、それをやめさせる手段はない。

まともな取材はあります。良心的で尊敬できるジャーナリストも知っています。

でも、限度をわきまえない人が多すぎる。もはや、これを被害として認め、告発しなくてはいけない段階に来ているのかも知れません。

あるいは、加害者、被害者を問わず、適切に家族や関係者を保護しなくてはいけないのかもしれません。時には、加害者さえ保護する必要があるような気がします。

せめて、保健所のような機関が、心理的・精神的な問題についてだけでも、フォローしていくことができればいいと思います。

そして、できれば、取材をはじめとする攻撃からの保護も欲しいと考えています。

そんな保護は、本当の悪者にとっては、好都合な逃げ道かもしれません。しかし、そんなものを必要とするような、節度のない取材をしていることが、既存のメディアの自己否定です。言論の自由、取材の自由、編集の自由では肯定できない程、限度をこえてしまっていると思います。

事件のことだけでも、大きな事です。しかし、それ以上に、この異常な取材や報道、そして風評が、事情を深刻にしています。

立場をこえ、心からお悔やみを申し上げます。
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by gskay | 2006-03-28 23:23 | メディアの狂騒