カテゴリ:メディアの狂騒( 38 )
番組の評判
せっかく番組で取り上げてもらいましたが、アクセス数が増えませんでした。これは、私にとって興味深い現象です。

私は、視ていないので、番組の影響を、職場での会話などから再構成して考察しています。

打ち合わせの段階では、その番組は、従来の番組の枠を二つの意味で破ることが目指されていたと思います。

一つは、「安価」で「手軽」な中継
もう一つは、一人一人の市民に目をむけること

このうち、中継については、すばらしい成果を上げていると思います。ネット利用により「安価」に「手軽」に中継ができるようになりました。それを最大限に活用した番組になっているようです。それ自体が意義深い事で、ここに特化する価値があるようです。

今まで、撮影には大掛かりな取材班を必要としました。中継となれば、さらに大掛かりでした。それが、ネットの活用で、「安価」で「手軽」になりました。

大抵の人にとって、メディア、それもテレビに取り上げられるというのは、ありがたい事です。テレビに映ったり、取り上げられるだけで、一大イベントになります。「テレビさま」の前では、非日常的な祝祭がはじまったかのように盛り上がり興奮します。テレビカメラには、そこに存在するだけで、人を興奮させる魔法があります。

しかし、簡単につながってしまうと、今後は、その喜びや興奮はなくなっていくかもしれません。今は、「テレビさま」の権威が残っていると思いますが、過渡期をすぎると、身近になりすぎて、大したことではなくなるのではないかと思っています。この番組の中継は、「テレビさま」の中継で興奮に盛り上がる最後の姿を伝えているような気がします。誰もが、「ふーん、テレビ来てるんだ」「どっかで放送されているのかもね」と、大して興奮しない日が来るような気がします。そして、もっと、リアルな中継ができるようになると思います。

一方、一人一人の市民に目をむけるという点については、あまり鮮明になっていないのではないかと、私の周りの人は評価しています。

一人一人の市民に目をむけるため、二つの方法が、この番組では大きく取り入れられていると思います。一つは、安価で手軽になった機材を用いた機動力のある取材。そして、ブログからの企画のピックアップ。

企画のテーマは、番組スタッフの中から生まれるものもあるし、視聴者からのリクエストによるものもあると思われます。これだけでも、取り上げなくてはならないテーマがたくさん見つかると思いますが、ブログにも目をつけているようです。

ブログに目を向けることで、マスコミ側の視点でない発言を拾い上げる事ができる可能性があります。意外性のあることを拾い上げることが可能になります。常識を覆すような発見も期待できます。担当してくれたディレクターさんやレポーターさんは、ブログとの付き合い方で、既存の枠から踏み出したいと思っているようでした。

取材の打ち合わせでは、ブログと既存のマスメディアとの交流や対立、軋轢、そして住み分けや統合など様々な可能性について議論しました。とても盛り上がりましたが、取材の後半、どんどん、その部分が縮んでいってしまったような気がします。番組が、「安価」で「手軽」な中継で上々に滑り出したことや、ライブドアの衝撃も影響していたように思われます。

ところで、これまで、多くのマスメディアが、同じ事を、同じような視点で、同じように報道するという体制が、ずっと続いて来ました。中には、新しい発見をしたり、真相を掘り起こすジャーナリストもいましたが、組織としては、大して変わらぬ中身を、再利用・二次利用しながら流してきたように思います。

視聴者や読者が声をあげるチャンスが限られ、一方的に受けているだけなら、それでも成り立つのでしょう。しかし、インターネットの登場で、そうはいかなくなりました。しかも、ブログという便利なツールが登場しました。その結果、マスメディアによる報道を批判的にとらえることができるようになってしまいました。その姿勢は、今後強まると思います。

また、ブログには、トラックバックという仕組みがあり、様々な見解同士がぶつかりあえる機能が備わっています。同じ問題意識を持っていても、異なる見解があるのは当然ですが、それがお互いに連携して、議論が高度になっていく可能性を持っています。再利用と二次利用に慣れきったプロの報道がついていけなくなる可能性さえ持っていると思います。この番組で、ブログに着目している点は、今後の企画のために有益な経験を提供すると思います。

ただ、放送後にこのブログへのアクセスが増えなかったという現象は、よく考えてみる必要があるようです。

テレビを視る人のほとんどは、「テレビからの情報で満足し、オリジナルに簡単にアクセスできても、それをしない」ということだと思います。

視聴者は、再利用・二次利用の情報に慣れてしまっているのではないかと思います。

少なくとも、この番組は、ブログを素材として使ったけれど、ブログとテレビのインターフェースとなったり、ハブになったりというような、新しい関係を築くところには到達していないといえると思います。その点で、従来の枠組みの範囲から抜け出てはいないと思います。テレビの視聴者はテレビの視聴者のままで、編集されたVTRで納得してしまうようです。

現状では、既存のマスメディアと、ブログのような個人の視点での発言とが、相互作用をしながら発展する段階にはまだ到達していないように思われます。それは、受け手に準備ができていないからだと思います。

これから、ブログと既存のマスメディアとの「交流」や「対立」、「軋轢」、そして「住み分け」や「統合」を経験することで、その土壌が作られるのではないかと思います。

ところで、そうしたメディアとの新しい可能性の議論はともかく、内容についての周囲の感想ですが、私に近い人程、違和感を感じているようです。

もともとは、「私」を取り上げて欲しいと思っていた訳ではなく、「私が関心があること」に目を向けて欲しいと思っていましたが、結局、「私」が材料になったようです。”にんげん”を主人公にするのが番組の方針であるようなので、仕方がないことであろうと思います。

愚かにも、カメラからのリクエストに応じてしまいました。私が、歩いているシーンなんて、放送する意味が有るのか?と思いましたし、そんなに頻繁にコンピューターを覗いてはいないんですが……。

中には、リクエストを断固拒否したこともあります。例えば、電車でパソコンをいじっているシーンも撮影されましたが、その時は、窓をシェードで閉めてしまいます。これは、映り込みがあって、画面が見えにくくなるからです。しかし、車窓に景色があった方がいいということで、あけてほしいというリクエストをもらいましたが、これは拒否しました。また、仕事場は暗闇が多く、撮影しにくかったようです。

苦労をおかけしました。

何といっても、傑作は、VTRの最後だと思います。私の周囲では、賛否が真っ二つに分かれます。「悪者扱いされる」と私がつぶやいているシーンで終わるらしいのですが、それは、問題提起として面白いという意見と、全体の流れを解りにくくしていると言う意見がありました。

しかし、私が傑作だと感心しているのは、そういう内容のことではありません。

あのシーンは、「あいつは、あんな神妙な表情はしない」「あれは、あいつの真の姿を現していない」と、評価されています。「あれは、おかしい」そうです。

視ていない私の感想は、その評価を聞いて、一瞬垣間見せた姿を、逃がさず捉えて、効果的に使っているところが「凄い」と思いました。やりすぎると、編集過剰になったり、恣意的な編集、偏った編集になるのだと思いますが、プロの技だと思いました。そこには、リクエストもなかったし、演技もありませんでした。

そうそう、再放送はないそうです。
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by gskay | 2006-02-08 16:24 | メディアの狂騒
家内のコメント
例の放送局の番組が放送されたそうです。事前にディレクターさんから、これから放送と言う連絡は頂戴していましたが、家内には内緒にしていました。普段なら寝ている時間だし、視て欲しいと思わなかったからです。私も視たいと思わなかったし。

当然のことですが、私の意図を汲んで「作られた」ものではなく、私は材料。あくまで取材した側の「作品」です。何となく、取材のあり方や方針が変化していることに違和感を感じていたし、始まった番組の噂も私の周囲では好意的ではありませんでした。担当のディレクターさんも、取材が進めば進むほど、歯切れが悪くなって来ていたし。それで、自信をもって家内に視て欲しいとは思えませんでした。

普段なら寝ている時間だったのに、その日は、大雪で新幹線ダイヤが乱れたりで時間が遅くなり、その時間に起きている事になってしまいました。私は、知らないふりをして、いろいろしていたので、視ていません。

家内は、その番組の情報をどこかで耳にしたらしく、住民のブログが紹介されるらしいということで、気にかけていたようです。私以外にもブログを書いているいる人っているの?という疑問があったのかも知れません。

「なーんだ、君の取材か」と関心半減。さらに、取り上げられ方に、不満。加えて、番組自体が気に入らなかったようです。ぼそっと、「迷惑……」と言っていました。

家内は、「あんな番組に出たんだね」とひとことコメントし、以後、その話題はありません。(「あんな」の部分には、もっと辛辣な修飾語が使われていました。)

取材のきっかけは、ブログの非公開のコメントを通しての、ディレクターさんからの接触でした。取材や番組の趣旨等を説明され、取材をうけることにしました。取材を受け始めた時点では、番組の骨格は、しっかりとしてはいなかったように思われます。可能性のある面白い企画だと思いました。制作発表の前のことです。

家内にも取材をさせて欲しいとも頼まれました。取材としては、ブログのことを知らない家内にブログをみせて、その率直な感想を取材したいと言うことでした。ブログのことは内緒で、家内に聞いてみましたが、あっさり拒否。番組の内容は、制作発表前だったので彼女は知らないはずですが、イヤということでした。

そこで、このブログのことを白状しました。もともと、家内に内緒で始めたブログでしたが、愚かにも明かしてしまいました。家内にも知らせずに続けていた方が、秘密の悪戯をしているようで面白かったかもしれないと思うと、大失敗です。

取材の開始時点で、gskayの正体を知っているのは、ほんの一握りの友人だけでした。しかし、取材が進むにつれ、正体がバレて行きました。

取材にあたり、マンションの広報担当の役員さんには、私が簡単に報告しました。それだけなら、役員さんの胸の内にとどまったでしょう。その時点では、うちのマンションでも、gskayの正体はバレていませんでした。さらに、取材側からも一報を入れてもらいました。しかし、そこから、みんなに知られてしまうことになりました。役員会の議事録に載っちゃって、バレました。

この辺から、自分自身がルーズになりました。引き返すチャンスはいくらでもありました。顔を出すなといえば、出なかっただろうし、名前(名字だけにしてもらいました)を出すかどうか等、直前に確認しています。

私は、「素材」にされることを覚悟していました。それを調理するのが、取材や編集でしょう。うまく作り上げてくれればいいと単純に希望していました。

ただ、解っていなかったことがあります。取材や編集は、マスコミの権利であるようですが、マスコミは、素材になった私に対する責任はないし、とりようがないということに気付いていませんでした。マスコミ関係者が責任を感じたり、責任をとったりできるのは、視聴者に対してや、会社に対してだけです。

影響については、いずれも自分の責任として引き受け、処理しなくてはいけないことだと思います。

こういう愚かな自分への自己嫌悪も「自己責任」なのかと考えています。

私を取材した人にも、あの番組を視た人にも、解らないし、どうしようもないことです。
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by gskay | 2006-02-06 10:59 | メディアの狂騒
生中継はパスです。
とある放送局から、小嶋社長と生中継で話をしないかという誘いを受けました。取材をしてくれている放送局です。

申し訳ないけれどパスします。

以下は、取材全体をふくめ、希望にそえないことへの言い訳のメールの一部を改変したものです。

前から申し上げているように、ディテールを都合良く整える姿勢に違和感を感じています。やりすぎた「全面的な協力」は、フィクションであり、真実ではありません。それは、自分としては我慢できません。

インタビューを受けるのは、苦痛ではないけれど、その前後に、作り物が混じっていることに後悔しています。その部分の取材を全面的にパスすべきだったのではないかと後悔しています。

現状では、取材した方の視点で、限られた材料を編集して仕上げて頂くのが、私にとっては最もうれしいことです。「内」からみるのではなく、なるべく近い「外」からみた内容を取り上げて欲しいと思います。

わかったと錯覚させて好奇心を満足させる編集ではなく、わからないことはわからないということが、はっきりわかり、かつ、それで好奇心がますます刺激されるような編集を期待しています。

錯覚に満足した好奇心は、しぼんでしまったも同然です。一方、わからないということで苦痛をあたえるような編集は最悪です。わかるところもあれば、わからないところもあり、それはそれでワクワクできるような発展的な編集を期待しています。

これまでも、こちらの都合にあわせてもらってきたのに申し訳有りません。なるべくできることはしたいという考えは変わりません。しかし、取材にあたっては、こちらの姿勢や都合にあわせてもらうという点は譲れない点だと、今さら、思います。

ブログ自体が、書き手の都合が最優先で出来ているものだと思います。無理に他のメディアの都合にあわせようとしたとき、終わると思います。

このブログを書いている自分は、事態を乗り越えて総括するまで、ライブで他のメディアでは発言しないつもりでいます。今は、全然です。


ナマの小嶋社長には、説明会でいくらでも意見をいう機会があったのに、特に何も言いませんでした。というより、ここに書いているようなことくらいしか、私は考えていません。

そういえば、放送局の取材で、「小嶋社長についてどう思うか」と聞かれました。何て答えたのかうろ覚えですが、「一杯飲みにいくならOK。温泉一泊はNG。上司としては避けたい。近所のおじさんでも引くかも。だって、こっちの言うこと、聞いてくれなそうだし……。でも、商売は別」というようなことを答えたような気がします。

その他、ムチャクチャなインタビューになっていると思いますが、不適切な発言をかわしながら、うまく編集されていると信じています。

ところで、これまでも、TBを下さったブログは、参考にさせて頂いています。その他、感心するブログや、参考になるブログはありましたが、脱帽したのはじめてです。

71歳・じじのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/chudojp/)

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by gskay | 2006-02-04 01:13 | メディアの狂騒
コメンテーター
無責任なコメンテーターの存在が報道番組のあり方をゆがめていると思います。あたかも、多角的に論じているように画面には映ります。しかし、そのコメンテーターの無責任な存在が、真実を遠ざけているように思います。

傾聴に値するコメントも、少なからず含まれています。しかし、ほとんどが、充分な勉強を伴わないその場しのぎのコメントで、先入観や予断、偏見を披露しているに過ぎないような気がします。短い時間に短いコメントを求められるせいか、分析が不十分。そして、非論理的であるにもかかわらず、極端に単純化され、断定的です。

残念ながら、まともなことを言おうとしている人ほど、冗長な発言になり、あたかも準備不足で無能であるかのようにみえてしまう。さらに、自分の理性に誠実にものごとを追究しようとすれば、断定的な発言からは遠ざかり、複雑な理屈で、わかりにくいコメントが多くなってしまいます。

真剣に論じようとすればするほど、時間もかかり、面白くない。時には、落ち着きがなく、自信がなさそうに見えて、見るに忍びなく、むしろ、馬鹿にされてしまう。あるいは、素直ではないとか屁理屈だと反感を持たれる。しかし、そんな中から、発展的なまともなコメントが出て来るのだと思います。

その一方で、受け手の理性ではなく、心理や感情に訴える断定的な短いコメントが、よいコメントとして好まれているような気がします。単なる感情や直感によるコメントにすぎなくても、受け手の先入観や予断、偏見に訴えかけ、共感を得るようにすればいい。あやふやな感じをなくすためには、なるべく極端な表現で単純化し、断定的に表現すれば、深く考えるまでもなく受入れやすい。しかも、自信たっぷりに発言できれば、信頼感が増す。

大抵の受け手は、わかったような気になり、面白いと感じることでしょう。しかも、受け手の先入観や予断、偏見を肯定すれば、視聴者の声を反映しているかのように見せかけることができ、支持も得られるのでしょう。複雑な論理を遠ざけられ、自分の思い込みを肯定される受け手にとっては、心地よいものだと思います。

しかし、それで、受け手の理解が深まっている訳ではありません。楽しんだだけです。にもかかわらず、理解が深まったと勘違いする。

こうした無責任なコメントと、恣意的な編集画像の相乗効果によって、先入観や予断、偏見の再生産が行われてしまっているような気がします。再生産により、抑制がなくなり、方向を誤り、真実を遠ざける。その再生産は、ある日、関心がなくなって取り上げられなくなる日まで続いて、無反省に消滅する。

誤りも含まれているかもしれないが、そんな事はお構いなし。時間が経てば、みな忘れるし、問題になったら、そのコメンテーターを叩いたり、真相をにぎる悪者に騙されていたといえばいいだけのこと。それで、もう一度、番組を盛り上げることができるし……。

ワイドショー以上になれない報道番組ばかりになっている原因として、コメンテーターの存在が大きいと思います。映像の恣意的な編集と並んで、報道番組の問題点ではないかと思います。

コメンテーターの存在自体は否定しません。しかし、いつの間にか、使い方を間違え、中途半端なエンターテイメントになってしまいました。真のエンターテイナーでもなく、ジャーナリストでもなく、スペシャリストでもない存在です。そうした存在を使い続ける番組作りは、そろそろ限界のような気がします。

お笑いであれば、非論理的で単純で断定的なコメントに、価値があります。意表をつけば、「ボケ」として笑いのもととなります。さらにツッコミによるわかりやすい否定により、笑いに拍車をかけます。そこに繰り広げられる変な理屈は、笑いとして肯定されます。面白ければ、いいのです。そのためには、わかりやすい必要があります。

報道番組でのコメントも、これと同じレベルで捉えられているような気がします。そして、わかりやすさの延長に真実があるという錯覚があるような気がします。あるいは、真実よりも、わかりやすさに価値があると思われているような気がします。

わからないということを理解したり、不確かであるという事実を理解することの意義をないがしろにしたままであるような気がします。わかりやすい社会は、心地よい社会なのかもしれませんが……。
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by gskay | 2006-01-21 17:10 | メディアの狂騒
使用禁止命令
使用禁止命令を出している自治体もあれば、出していない自治体もあります。

使用禁止命令を出す事で、退去を促進しようと言う考えがあると報道されています。しかし、うちの区の考えは違うようです。

早い時期に命令を発した自治体や、現在、命令を出すことを促していると報じられる国も、使用禁止命令で建物からの退去が促進できるという前提に立っているようです。

しかし、うちの区の場合、今のところ使用禁止命令を出していません。また、使用禁止命令で退去を促進できるとも考えていないようです。

退去の促進には、準備として、受け皿の確保が重要です。上の方が二転三転しているにもかかわらず、これは、予定通りに進みました。

期限について、「12月中旬」とか、「年内」とか、「年明け早々」とか、国の方針がいろいろと報道されてきましたが、現場では、そんなことには構わず、当初の予定通り、粛々と進んでいます。国が出したとされる期限は、何を根拠に、何を目指しているのか、当事者としてはわかりにくいと感じてきました。実情を無視していると思います。そもそも、報道されているのは、「退去」を、「避難」と混同しているような気がします。

さて、いよいよ、「退去」です。

いろいろと言われていますが、1日にこなせる退去の軒数には限界があります。階段やエレベーター、玄関の形状が退去の能力を決めてしまいます。また、幹事になる引越会社の能力も重要だと思います。その調整も進んできています。

第三者には遅々として進んでいないかのように見えるかもしれません。しかし、着実に退去の手順は進んでいます。居座りを決めこんでいる人や、いまだに抵抗をしている人を私は知りません。

そういうわけで、命令をふりかざしたところで、退去が促進されるということはないでしょう。早い時期に使用禁止命令を出している自治体の意図はともかく、今も、国は、退去促進のための使用禁止命令を出すよう促していると報道されています。この件については、ひょっとすると報道の勘違いがあるのではないかと疑っています。変な先入観で報道されているような気がします。建築のプロであるだけでなく、災害のプロでもある国土交通省の担当者が、本当にそんな混乱した発言を繰り返しているとは到底思えません。

ところで、今後、うちの区でも使用禁止命令を出すそうです。その命令は、空っぽになった建物に、誰かが入り込んで居座ったりしないようにするために出すそうです。ある程度、退去が進んだ段階で、誰かが不法に入り込むことを防ぐために命令が出されるとのことです。

せっかく空っぽにしても、誰かが使っていたら解体できません。誰かは、住民とは限りません。それを防ぐ命令ということです。
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by gskay | 2005-12-23 22:32 | メディアの狂騒
取材
最初の頃とは違うタイプのマスコミの記者さんたちと話をする機会があります。

以前の突撃取材のようなインタビューにも、急いでいない時には応えていたのですが、ことごとくボツみたいです。取材をされていて感じたのは、おそらく、始めから欲しい絵やコメントが決まっているのだろうということです。

意図に沿ったものしか使われないようです。また、少なくとも、受け手に受入れられる素材でないとダメということだと思います。マスコミは、その辺を、考えて編集しているのだと思います。その結果、受入れやすい分、かなりテキトーなことを伝えても、ほとんどの受け手にとっては、マスコミは「真実を伝えている」と思えるようになっているような気がします。

受け手の了解可能という点が重要だなと思うようになってきました。一方的な発信では、ダメなんですね。

最近の取材は、かなり上品です。意図や目的が、明確で、話をして楽しい時間を過ごす事ができます。しかし、やはり、付き合っているうちに、「真実」から乖離していくので、むなしくなります。受け手がいることが前提の立場であるから仕方がないことだと思います。受け手に受入れてもらわないと、無駄骨でしょうから。

しかし、それに付き合うのは、かなり忍耐が必要です。

企画が練れれば練れる程、本質や核心をえぐり出し、誰も知らないような発見をするのかと思っていましたが、なかなかそうならないようです。むしろ、企画が練れれば練れる程、その企画にあわせたディテールが必要となるようです。取材は、瑣末なディテールの整える作業にになり、新しい発見から遠ざかるような気がします。
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by gskay | 2005-12-17 15:15 | メディアの狂騒
ちょっと、救われます。
住民としては、はじめて救われるコメントを聞いたような気がします。

流れが変わるのかもしれない予感がします。


Excite 倒壊恐れのホテルなど視察 耐震偽造問題で国交委

耐震強度偽造問題で、衆院国土交通委員会は29日、姉歯建築設計事務所(千葉県市川市)の姉歯秀次一級建築士が構造計算書を偽造し、地震で倒壊の恐れが指摘されているマンションなどの現場視察をした。

 林幹雄委員長らは午前8時45分ごろ、ヒューザー(東京都千代田区)が建築主で、指定確認検査機関イーホームズ(新宿区)が建築確認した千葉県船橋市のマンション「セントレジアス船橋」に到着。国交省、船橋市の担当者らから問題発覚から工事中止に至る経緯の説明を受け、約20分間建物内を回った。

 林委員長は「内部も外部も見た目には立派でどこに問題があるのか分からない。救済措置をどう取れるのかなど、午後からの質疑で議論を詰め一刻も早く対応したい」と感想を語った。

 工事の担当者は「設計者に『鉄筋が少ないのでは』と指摘すると、『姉歯氏はこれが売りだから』と言われた」と説明したという。

 その後、営業休止中のホテル「京王プレッソイン茅場町」(東京都中央区)も視察。

 国交委は29日午後、関係者を参考人として招き、偽造が見逃された事情などを質疑。ヒューザーの小嶋進社長や木村建設(熊本県八代市)の木村盛好社長ら6人が出席、姉歯建築士は「精神的不安定」を理由に欠席を伝えた。〔共同〕


報道番組での、調子に乗りすぎた企画の後の、冷静なコメントだと感謝します。

でも、そろそろ、普通の人の関心で理解できる対象ではなくなりつつあるような気がします。

ヒューザー以外にも問題が波及し、そこに埋もれつつあるように思います。注目されなくなっていますが、これが、いい方に転ぶのか、悪い方に転ぶのかわかりません。

悪い方にころんで、放ったらかしになったりするのは、困ります。過剰な取り上げ方で、誤解を招くのもいやですが。

(追記 2007.1.13) リンク切れのようです。 http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20051129NN000Y31029112005.html も同じコメントを扱っていたと思われるので、本文を探し引用しました。 http://blog.livedoor.jp/huser/archives/50203429.html を参照して、復元引用しています。
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by gskay | 2005-11-29 11:33 | メディアの狂騒
取材??
言わせたい事が見え見えの取材って、取材なのでしょうか?

「社長がゴルフに言っていたそうですが、どう思いますか?」

社長のプライベートに関心は、ありません。個人的な友達でもありません。どうでもいいです。

「社長について、どう思いますか?」

強引な人のようですね。でも、少なくとも、ニーズや欲求をとりあげてきた業界の改革者といっていいのではないかと思って来ました。これは、強引な人でないとできないのかもしれません。
ただ、私たちのマンションは、周囲にとって迷惑な建物ですから、そうした人たちに気を配ると、どうでしょうかね。

「姉歯さんが、業者からの圧力があったと言っていますが?」

コスト削減をめざすのは、業者にとって当然の努力で、それを違法にならないギリギリまで追求するというのは間違いではないと思います。しかし、違法にしてしまってはなりません。

「今の状況から、社長についてどう考えますか?」

こちらもこういう事情で、やらなくてはならない事があって、忙しいので、そんなことを気にかけていられません。

というような受け答えをしたかな。期待した受け答えじゃなかったのでは?頑張って、都合のいいようにつないで使うのかしら?それとも、ボツ?

そうそう、正しい答え方を、反省してみつけました。

……そのゴルフのスコアどうだったのでしょうね?こんなときだから、心底楽しめたのか心配です。それから、ゴルフ場から雲隠れというのは考えなかったのかしら?
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by gskay | 2005-11-24 21:52 | メディアの狂騒