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職場の上司の退職にともなう後任の公募に応募しました。4人が最終選考に残り、所属機関の内部からの候補が2人と外部からの候補が2人でした。結局、外部からの候補が選ばれ、私はダメでした。
選考委員会への提出物やプレセンテーションを準備する過程で、これまでのキャリアの総括をすることができました。やれることはやれたので、満足しています。 選考委員会では良い評価を頂戴したようです。ただ、他の候補に比べて10歳若いというようなところが問題となり、「見送り」になったという説明を受けました。提出物やプレゼンテーションに関しては、勝ちをおさめることができたようですが、最終結果にそれが結びつきませんでした。 フェアではないという怒りや慰めをくれる人が大勢いますが、本人はあまり深刻ではありません。 この選考は、役者のオーディションのようなもので、最高の候補が選ばれるのではなく、最適な候補が選ばれるという競争です。能力を評価すること以上に、演出家の構想にあっていることが重要です。 その点で、選考委員会で審議されるような能力については良好でしたが、根回しだとか政治力だとか、影響力、人間関係などいう他の要素を加味すると選ばれた候補が、今の上層部にとって最適だったということだと思います。 杓子定規に選考委員会の審議のみで決めるよりも現実的であろうと思います。 現在、長期出張の形で別の機関で仕事をしていることがほとんどで、そちらの仕事はとても順調で、高い評価をもらっています。待遇も評価も、出張先での方が高いくらいです。しかも、快適。 もし、選考に選ばれて昇進した場合、その仕事を中断しなくてはいけないことになるということを悩んでいましたが、その悩みが消えて安心しています。 上層部からは、忙しい時には新しい上司のアシストをしながら、長期出張でしている仕事を続けるようにといわれました。それに納得しています。 応募する以上、選考には勝ちたいが、長期出張の仕事も続けたいという欲張りな目標を設定していました。 最終的に選出されなかったことは残念ですが、選考レースには勝っていたことがわかり、準備を手伝ってくれたスタッフも満足してくれました。 結局、欲張りな目標は、どちらも手に入れることができたように思います。 ポジションについた場合にやりたかったことができないことを残念がってくれる人も大勢居ます。しかし、今でなくてもできることであり、今しかできない長期出張での仕事に専念できる状況をありがたいことだと感じています。 選考以降、泡沫候補のはずだった私が思わぬ健闘をしてしまったためか、混乱が続いてきました。そちらへの対処に気をとられていました。思惑が外れてしまった人は、あまりジタバタすると辻褄があわなくなるのではないかと、他人事ながら心配しています。 普段よりも派手な宴が催され、退職予定の上司からのねぎらいを頂戴し、ここでの仕事は一段落。後始末は完璧ではないものの、長期出張先に戻ることになりました。 約一ヶ月、年末年始をはさんで、放置していました。
秋口から仕事の環境に変化がはじまり、その決着をつけなくてはならず、そちらに集中していました。といっても、経済危機や政治とは何にも関係がない話です。それに、建て替えにも……。 年始早々に、私の出番は終わり、今は結果待ち。どうなることやら? 耐震偽装に巻き込まれたために、仕事が今イチになっていました。一人前として独り立ちしようと心がけていた時であったので、大きなダメージに。 このため、私のキャリアは、想像していない方向に進み始めました。 順調に伸びていくことができなかったことは不本意ですが、自分の能力不足が原因です。幸い、新たに踏み出した想像していなかった方向が思いのほか順調で、むしろ、当初の成長よりも早く現在のレベルに到達することができたのかもしれないと感じています。 今回については、結果はどうあれ、やるべきことをやったという手応えもあり、応援してくれている人に堂々と報告できます。 それにひきかえ、あの頃はひどかった。仕事に集中していなかったし、そもそも、自分自身のレベルが独り立ちにふさわしかったかどうかも怪しいものです。 耐震偽装と重なっていたため、中途半端に取り繕うこともできず、完璧な破綻が目前に迫っている中で、新しい道が用意されました。うらやましいと思ってもらえるような道でしたが、やはり自分は不本意。それを不本意だと感じてしまう傲慢さが、未熟さだったと反省しています。 結果次第で、今後の仕事が大きく変わることになると思います。どっちに転んでも大丈夫だと思っています。望まれている方に進んで行きたいと思っています。 景気の悪化が深刻であるということについては、街に出ると感じる部分もありますが、今のところ、自分の財布には響いていません。響いてこない理由は、安定した職に就いていることに加え、この3年間、耐震偽装に巻き込まれたおかげで、消費意欲が低かったからだと思います。住宅ローンについても、金融機関による金利減免のかわりに繰り上げ返済が制限されていました。その分を消費にまわすわけにはいかないので、残っています。
経済の状況を考えると、この景気悪化の克服は、個人消費がカギとのこと。 その気になれば、消費のための支出を増やせないわけではないのですが……。 これまでのように、不況に対し、個人消費を抑え、賃金を抑制し、輸出関連の製造業のコストを下げて、輸出の競争力を上げることで景気を回復するというシナリオは絶望的なように思われます。むしろ、個人消費が伸びるように、賃金を上げ、国内の産業構造を内需型に転換しなくてはいけないという解決策の方が説得力があると思います。 しかし、だからと言って、自分が内需拡大のために財布のヒモを緩めるべきか? うまく内需型の経済に移行できれば良いのですが、製造業を中心とした雇用の悪化が問題となり、それに関連した企業にも悪影響が及びそうです。この情勢で、消費の意欲を伸ばせと言われたところで、それは難しいと思います。 いろいろと批判があるようですが、定額給付は良い政策だと思います。それに踏み切ることができないところが、日本の困ったところだと思います。産業構造を根本から変えるという決意ができないところが問題だと思います。 従来型の輸出経済の延命のために、個人の収入や消費が犠牲にならざるを得ない仕組みを続けようとしているように思います。それでは、じり貧です。 耐震偽装の公表から3年が経過しました。建築どころか除却もまだですが、再開発の手続きは着々と進んでいます。
再開発になったことで、心配してくれた知り合いたちには、良い方向に進んでいると評価されています。 しかし、再開発になったからと言って、新たに生じる負担が減るわけではありません。今後の負担を考えると、うんざりまします。 加えて、すでに、当初の住宅ローンの返済期間の1割が過ぎていますが、実際に住んでいたのはわずかであることを考えると、とても複雑な気分です。 幸いにして、東京には大きな地震がなかったため、心配されるようなことは起きていません。せめて、このまま除却が進み、再開発が進むことを願っています。 仮住まいは、まだまだ続きます。
株や資産の暴落は、通貨の価値が急激に上がっていることによる、相対的な暴落だと思います。企業の業績が悪化しているとか、資産価値が下がっているということではないと思います。少なくとも、今のところは……。
通貨の値段を、何らかの別の指標で表して、その指標で補正すれば、暴落といっても、通貨の価値以外は、何も変化してはいないのではないかと思います。通貨の価値が変動しただけだと思います。 これまで、貸し出しを増やし、それを金融商品にすることで、通貨がどんどんと増え、その分、通貨の価値が低下し、相対的に、株や資産の値段が、通貨に対して上がっているようにみえていただけだと思います。その上がり方を利用すれば儲けをだすことができました。また、金融機関には取引の手数料による儲けもあったと思います。 ところが、貸し出し先が無くなり、通貨の増加が無くなり、通貨が増えることを前提とした儲け話に穴があき、それが、一転して信用収縮の引き金となり、通貨が消えて行くという事態に混乱しています。 通貨が増えることを前提とした仕組みでは、これ以上、儲けることはできないというだけの話です。しかし、今まで儲けていた人が損失にうろたえているように思えます。通貨が減ることを前提として、儲けの方法を考えればいいだけだと思うのですが……。 金融によって通貨が供給される仕組みにしても、企業の会計にしても、法的に決められたルールに基づきます。ルールの正当性は、公的に決めたということ以上の根拠はなく、ルールを破れば処罰の対象になるかもしれませんが、ルールに従っていれば安全であるとか、正義であるということではないと思います。 ところで、「金融産業」という言葉がありますが、そもそも、金融を「産業」とみなすべきか疑問です。むしろ、「制度」と考えるべきなのではないかと思います。もともとは、銀行業や、金貸し業、金細工業から発展してきた営利的なものであったかもしれませんが、今の金融は、すっかり異質なものです。 金融は、経済の重要なインフラを提供していて、あらゆる経済活動に浸透しています。その仕組みが、営利目的の投機や投機の失敗によって、機能不全にならないようにしなければならないと思います。そのためには、投機から切り離すことができる金融の機能を、切り離すことが必要だと思います。金融が、通貨の価値を安定させるどころか、かえって不安定にする働きをしているのは、営利追及の投機のためだと思います。 ルーズベルトが大恐慌を克服した最大の武器は、公共投資ではなく、金本位制と訣別し、新たな金融システムを構築することで、新たな金融政策を可能にしたからだという説明をきいたことがあります。 おそらく、今は、そのような大胆な金融システムの見直しが必要になっているのだと思います。今回の金融危機は、金融システムのシステムエラーは、バグをとって、リセットすればすむのではなく、システムの根幹を作り直さなくてはならないと思います。 かつて、宗教や軍事、政府を営利活動から追放したように、金融を営利活動から追放するべき時期に来ているように思います。通貨の価値を変動させることが、金融機関の儲けとなり、投資家の儲けになるという仕組みに終止符を打つべき時だと思います。そうすれば、とりあえず、通貨までは追放しなくていいと思います。それができなければ、通貨は、ますます産業の実体から乖離し、むしろ足を引っ張る存在になってしまうと思います。 通貨の価値や富というものを、金融の営利活動から切り離すという、文明的な転換を迫られているように思います。 いざとなったら、これまでの「国の通貨」と決別することも不可能ではありません。ITの進歩により、通貨を介さなくても、物々交換の相場や市場を作ることや、あるいは、価値の指標を別に作ったり、代替えの通貨を流通させ、為替で処理をすることもできると思います。ただし、面倒で、コストがかかり、また、金融業者のかわりを、当初は、商社が行うだけで、現行の通貨に比べたメリットは少ないようには思います。そんなことをするべきかどうかは、提供される便宜次第だと思います。 さしあたっては、安定した「制度」として金融を整え、金融機関を営利から切り離し、通貨の価値の変動を金融機関自身の営利目的の投機の対象にできないようにすることが必要だと思います。 金融危機と関係させて放送しているのかどうかわかりませんが、『ウォール街』という映画の放送を観ました。1987年に公開された映画で、1985年の出来事という設定です。
この映画は、インサイダー取引やスパイ活動という違法行為と、利益目当ての企業買収と解体という二つをとりあげた映画で、資本主義や市場の自由の行き過ぎと弊害を描いていると思います。映画の最後は、違法行為が摘発されます。行き過ぎの取り締まりが行われ、正義と秩序が政府の手で保たれた形で幕を閉じます。 この当時と今の金融危機とを比べると、かなり事情が異なっているように思います。 『ウォール街』が描いたのは、ゼロサムの世界で、誰かが得をする一方で、誰かが損をするという状況です。富裕層が富を独占する一方で、富裕層同士も熾烈な戦いを繰り広げています。また、利益を上げるための違法な行為を政府が取り締まることが可能でした。 これに対し、今の金融バブルと金融危機は、「ねずみ講」と「錬金術」が組み合わさっています。実物を担保にしたローン貸し出しを元に、金融資産が増え続けるという前提が「ねずみ講」。一方、預金やローン貸し出しを元となる資産として「信用」を拡大しつつ、それを金融商品へと再構成し、それを資産とみなして「信用」をさらに拡大していくのが「錬金術」。そのプロセスを続けることで、金融関係の人々に高額の報酬がもたらされました。 この「ねずみ講」と「錬金術」を可能にしたのは、金融機関を取り締まるべき法律や会計の規則だと思います。規則の範囲のギリギリまで徹底的に「信用」を創出し、それを拡大し続けてきただけだと思います。 しかし、「ねずみ講」が無限に続く訳ではなく、実物を担保にした貸し出しの無限の成長が不可能になった時、「信用」の創出がにぶりました。「信用」の拡大が止まっただけですが、「拡大」をあてにしていた仕組みに穴があき、それによって資金の流れが滞り、損失を避けられなくなり、一転して、「信用」が収縮してしまう方向に進んでいるとされています。 これに対し、アメリカは公的資金を用いることを決めました。金融機関の損失が、預金などを損なうことを防ぐ必要はあると思います。また、実物を扱う事業の決済が金融機関の都合で滞ることも避ける必要があります。短期的には、適当な方針だとは思います。 ところで、今回の出来事は、『ウォール街』とは異なり、不正な会計でもない限り、関係者が罰せられるということはないと思います。そのような「悪」は存在しないと思います。 「ねずみ講」が無限に続くと信じて経営をしていた人は、経営の失敗者として退場するだけだと思います。その経営者も、「錬金術」からの圧力がなければ、そのような経営をしなかったのではないかと思います。 大きな損失を作ってしまった「錬金術」師も、単に失敗しただけです。その「錬金術」を可能にしたのは、国が決めたルール自体にあり、「錬金術」自体が悪ではありません。このため、国や政府は、経営の責任を追及するという立場ではありません。それを追及できるのは、損失を被る投資家や債権者だけだと思います。 政府ができることは、「錬金術」の失敗が、預金や決済に悪影響が出ないように、金融機関の事業の切り離しを進めることだけだと思います。「錬金術」の部分とそうでない部分を区別するのは困難なので、公的資金の投入は避けられないと思いますが、不良債権の多くは、金融商品にすぎません。 日本の土地バブルとその崩壊では、土地の取引が不活発になり経済に支障が生じたからこそ、公的資金の投入に意味があったと思います。しかし、アメリカの金融バブルの場合、不良債権は、金融資産という帳簿上の資産にすぎないのではないかと思います。それを解決する方法は、関係者が相対で決着をつけるか、徳政令くらいしかないように思います。 国が定めたルールに基づく「錬金術」の破綻を、公的資金によって繕うというやり方は、少なくとも、「錬金術」をやめるという意思表示ではないのだと感じています。 『ウォール街』で描かれた違法行為に比べ、現在の金融危機の方が、「行き過ぎ」ているように思います。違法ではないかもしれませんが、適当だとは思えません。このまま続けるという選択もあると思いますが、金融システムを抜本的に見直すという選択肢もあると思います。 コンピューターや情報工学の発展にともなって、金融工学のテクニックが発展したように思います。その発展がいびつになってしまったのが、金融バブルであり、アメリカの金融機関の破綻だと思います。
この金融工学の高度な発展は、コンピューターや情報工学の発展が高度であったから実現したのではなく、むしろ、コンピューターや情報工学の発展が中途半端で、数値くらいしかまともに扱うことができないかったため、偏って発展してきたのだと思います。 今後、コンピューターや情報工学がさらに発展した時、金融工学も一緒に発展するかどうかは,疑問です。これまで扱えなかった情報が扱えるようになったとき、金融工学以外の情報工学の応用分野が発展し広く用いられるようになるのではないかと思います。 その結果、取引においても、経営においても、経済においても、金融工学のような、情報としては「原始的」で「単純」なものしか扱えないテクニックの重要性は低下すると思います。 金融工学は、一見すると高度で複雑なものに見えますが、実物を扱う経済の複雑さを、マネーという指標に置き換えて、単純にしたものにすぎません。複雑なものを直接扱うことができる情報工学が登場したなら、意味が無くなるものだと思います。 一方で、だからといって、マネーや金融や金融機関がもつ様々な意味が損なわれるということはないと思います。金融工学偏重によって損なわれてしまったり軽視されてきた機能や役割が充実していくのではないかと思います。 金融バブルをもたらした金融工学の発展は、コンピューターや情報工学の発展の中間段階の「あだ花」だと思います。 大分県の教育委員会の汚職に関連して採用を取り消された教員には、実は、その前年には合格点に達していたにも関わらず不正に不合格になっていた教員が含まれていたとのことです。
採用試験自体が不正なものだった以上、どうしても、正当な採用にこだわるのなら、採用試験全体をやり直すしかありません。しかし、それは現実的ではないし、意味もないと思います。 現行の試験が、教員の教育能力や教育効果と無関係な、無意味な試験だからです。そのどうでもいい試験を、厳格にしていこうというのは、無駄な努力だと思います。 その試験が、教員の能力を反映しているかどうか疑問である以上、細かい得点を検証しても、意味はないと思います。
試験の中身を抜本的に見直さない限り、採用を正常化したとはいえないと思います。 現状で行うべき対応は、不当に不合格になった人への救済と、不正な合格が疑われる人の能力向上だと思います。 汚職の問題と、その舞台となった採用試験の問題では、対応が異なります。その区別が、まったくついていないことが、混乱の原因だと思います。 この採用取り消しの混乱は、耐震偽装で建物への使用禁止などの処分が曖昧な判断で行われたことと、酷似していると感じています。
会計をめぐって木村建設が咎められ、ライブドアや村上ファンドが槍玉にあげられました。大騒ぎにはなりましたが、その影響は小さいばかりか、問題の本質も、会計や法令の解釈の相違というレベルの問題だったと思います。
これに対し、アメリカの大手証券会社の破綻は、規模が大きいだけでなく、そもそもの仕組み自体に問題があったのではないかと思われる出来事です。 現在の仕組みは、「信用」とか、「流動性」というキーワードで、高度な金融テクニックを発展させてきました。それは、法的に認められるとともに、制限が加えられ、その制限の範囲で、ギリギリまで「信用」や「流動性」を活用すると資産が生まれるという仕組みのように思われます。 この仕組みでも、元になる資金は必要で、ゼロからは何も生まれない事になっています。その元になる資金が、他で使われるようになってしまったことが、今回の金融危機の問題の根底にあるような気がします。 これまでは、金あまりでした。いくら余っていても使い道がなく、眠らせておくしかない中で、ファンドなど金融テクニックや会計テクニックを駆使したビジネスが資金を集めて業績を上げてきました。 しかし、様々な理由で金あまりでなくなっているのが今の状況ではないかと思います。ひとつは、物価の上昇で資金のあまりが減っているのではないかと思います。また、一方で、多くの企業で、本来の活動自体が新しい局面に入ったことで、より多くの資金を必要としていて、ファンドなどに資金を使っている場合ではなくなっていたり、あるいは投資先としてファンドよりも有利になっているのではないかと思います。 ファンドは、金あまりである一方で、企業の経済活動が低調な時には、そこに資金が集まり「続ける」ことで儲かるのであり、そうでなければ、良い業績はあげられません。 もし、本来使われるべきところで使われていなかった資金が、本来の形で使われるようになったのだとしたら、「恐慌」を恐れる必要はないように思います。 また、かつて批判の矢面にたった村上ファンドは、絶妙のタイミングで逃げ出したように思われます。資金が本来使われるところで使われ始めると、村上ファンドのようなファンドは意義を失います。上り調子の頂点の直前で、望んでいたわけではないかもしれなせんが、見事に勝ち抜けしたように思えます。下り坂で転がらずに済ますことに成功しています。 ところで、建築業界の「官製不況」。これは、確かに法律改正の悪影響もありますが、同時に、たまたまサブプライムローン問題に影響されて我が国の金融機関の融資の体力が低下している時期に重なっていたことで、悪化しているように思います。 建築における公的な手続きが大きく変更になったことによって、建築のビジネスの資金の流れるスピードが変わったにも関わらず、金融機関が対応できなかったことが、建築業界を苦しめているように思います。 建築業界は、金融機関からの資金供給を前提にしたビジネスモデルに依存しすぎていたことを反省しなくてはならないのかもしれません。 そもそも、金融自体は、資金確保や資金運用とともに、決済を行う上で便利なサービスのはずです。 そのうち、決済の機能は、金融機関の業績が企業の活動の足かせになってはならないものです。ただ、金融機関の本来の役目は、資金供給や資金運用であるように思います。このため、決済だけのつもりでも、いつの間にか資金を金融機関によって縛られてしまうことが、このシステムの問題点です。 「信用」とか、「流動性」ということも含め、金融システムを通じて供給されるサービスは、副次的な存在であったのに、それが、決済と強く結びついた資金供給を通じて、いつ間にか中心に来てしまっています。このシステムには大きなメリットがありますが、本来の機能以上に、経済や経営の中心に来てしまっていることが問題なのだと思います。 決済については、今更、現金を決済の手段の主役に戻すのはスジが悪いと思いますが、現在の金融機関とは距離を置いた決済の仕組みを構築すれば、「信用」の収縮や、「流動性」の危機にも影響を受けずに済むのではないかと思います。「信用」や「流動性」が、都合の良い効果を発揮している時だけ、それを活用し、そうでなくなったときに、悪影響を受けずに済む方法が必要です。 アメリカの金融危機が次の段階に入り、日本の金融機関がその影響を回避したり、克服したりすることは、日本の企業の資金供給にとって大切なことです。同時に、建築業界をはじめとした企業は、金融機関に決済の機能以上に、資金確保の役割を期待しすぎている体質から抜け出す必要があるように思います。
採用試験で成績の改ざんが簡単に出来るシステムということは、取り消し手続きでも改ざんが簡単にできてしまうということです。教育委員会のシステムが抜本的に見直された訳でもなく、資料の管理もずさんな組織の決定なので、採用取り消しという決定には疑問を感じています。
取り消しの根拠となる証拠の管理が信用できません。 データのセキュリティーが不十分で、ログもなければ、アクセス制限もいい加減。持ち出しもし放題。 教育委員会の中の不正の証拠にはなると思いますが、そのデータが、不正に採用されたとされる教員の洗い出しの証拠にはできないと思います。 教員については、少なくとも、教員免許は持っている人たちなので、1学期の間に問題を起こしていないようなら、経過をみるという措置や、研修を増やして能力の向上を図るという措置でもよかったように思います。 デタラメなシステムしか持っていない以上、公正な採用試験をしていなかった大分県の教育委員会が、公正な取り消し処分を行っていると考えることはできません。
引用の記事での議論では、データ管理の問題が取り上げられていません。「救済策」以前に、取り消し手続きの妥当性や、その根拠となるデータの信頼性が問題になると思います。 また、汚職を糾弾することと、採用の取り消しとは分けて考えなくてはいけないと思います。それが、ゴチャゴチャのままだと感じます。 採用の取り消しの正当性が、少なくとも証拠の面からは、あやしいままだと思います。取り消しを受けた教員が処分の撤回を求めて訴えた場合、教育委員会側がもっている証拠には、根本的な信頼性が足りないと思います。 騒ぎの大きさに混乱して、暴走してしまった、拙速な対応だと思います。
今後の対応としては、透明性の確保の問題が重視されているようです。そこに加えて、データ管理の見直しが必須です。 日本の公的機関の多くは、データ管理についての能力が不足していると思います。それが、不正や汚職の温床になっていると思います。データのセキュリティーの確保には費用がかかります。なるべく集約して取り組み、レベルを向上させる必要があると思います。兵庫県の改善策は妥当だと思います。 < 前のページ次のページ >
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耐震偽装発覚から、5年。建て替えが再開発事業としてすすめられています。
by gskay 以前の記事 2010年 11月
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