<   2006年 04月 ( 26 )   > この月の画像一覧
問題の中心
事件の「本丸」や「核心」、「真相」を解明する努力が行われていますが、中心が一つと言うわけではないようです。

はじめに描かれた構図や指摘されたポイントは、分が悪くなりつつあるように思われます。もともとの方向へのこだわりが続いているところもあるようですが、別のアプローチに切り替えているところもあると思います。

問題は、単一ではなく、複合されたものです。多中心であるだけでなく、重層しています。何が、中心として重要かと言うようなことを論じても意味はないと思います。それぞれの問題のひとつひとつが重大です。それぞれの問題を、きちんと検討しなくてはならないと思います。今回は、「別件」とされることも、捜査や調査で明らかになった重大な問題として対処されるべきであろうと思います。この場合、正当性が問われるような別件捜査にはあたらないと位置付けることが可能だと思います。

一方、そうした多中心で重層した問題をメディアで扱うのは、とても難しいことではないかと思います。ピントがぼけてわかりにくくなり、受け手にとって、受入れが難しいのではないかと思います。また、見方が変化していることに、違和感を感じる受け手がいるかもしれません。説得力は、一貫していて単純化された報道にかなわないと思います。

相変わらずのスタンスをまもっているところは、そうした複雑さや違和感を避ける事を目指しているのかと想像します。複雑なものを正確に伝えても、受け手に受入れられるとは限らないからです。また、見方の変化は、受け手を不愉快にします。そのためか、当初の構図をめざす「別件」という扱いをくずさない報道も続いています。ただ、不当な別件捜査までも肯定しかねない勢いには不安を感じます。

こうした姿勢については、どちらが「正しいか」という問題とは別の次元の問題だと思います。受け手がいて成り立つメディアの宿命だと思います。

無難なアプローチとして、はじめの構図に迫ることへの期待を述べつつ、別の様々なポイントが語られるようになっているように思います。受け手に拒絶されないようように工夫をしているのかと思います。

どういうことになるのか、混沌としていると思います。できれば、広く論じて欲しいと思います。むりやり、一つの原因にこじつけて納得してしまうと、明るみに出た問題が放置されてしまいます。また、権威の陰に隠れようとしている動きや、他人事のように居座っている当事者への追及は、もっとしっかりと行って欲しいと思います。それこそが、陰謀だと思います。

まだ、これから、新たなトピックが掘り起こされてもいいように思います。拾い上げて欲しいという願望を持っています。ただ、「多中心で重層的」であるために、誤摩化されてしまうかもしれないと思い、期待はできなものと思っています。
[PR]
by gskay | 2006-04-29 23:47 | 真相 構図 処分
破産管財人による中間報告
一連の逮捕により霞んでしまいましたが、ヒューザーおよび小嶋氏の破産管財人による中間報告がありました。うちのマンションの出席した役員さんからの報告がありました。

破産管財人としては、三点に「注力」して、管財業務を進めるそうです。「第一に、迅速かつ最大限の被害救済」、「第二に、一刻も早い危険の除去」、「第三に、建築確認検査に関する訴訟の追行」だとのことです。

第一に被害救済をあげ、資産価値の極大化により、賠償義務を最大限に果たすそうで、速やかな配当との両立を努力するとのこと。また、それにより、「公的支援」を軽減するとのこと。さらに、関係する金融機関、建築会社等に理解を求めています。

第二は、ヒューザー所有の物件についてであり、具体的には、藤沢の物件に加え、建築中の物件の扱いについて言及しています。とりわけ、金融機関に債権者としての立場より、当事者としての立場の取り組みを求めているのとのこと。

第三は、公益的役割を期待される破産管財人の職務と一部と考えているとのこと。ちなみに、イーホームズへの訴訟は、「名誉毀損」はイマイチなので、変更し継続するとのことでした。

また、記者会見やプレスリリースにより情報開示するとのことでした。すでに、この件に関する記事もみられます。

資産についての詳しい報告があり、破産財団の状況が説明されたそうです。慎重に見積もって、現時点の原資は、30億円程度とのことでした。個人的には、想像していたより原資が多くなっていますが、納得いかない資金減少要因も見られます。

訴訟の継続について、購入者の訴訟提起がないことにコメントがあったようです。これは、ヒューザーには、建築主として「あの建築申請をした」という過失があるが、購入者にはそういう過失がないという点を考慮してのコメントではないかということです。検討すべき課題なのかも知れません。
[PR]
by gskay | 2006-04-28 23:28 | 損害と回復
国土交通省に対する期待
法律違反については、違法建築の規制を司る国土交通省こそ、違反を判明させる責任を果たさなければならず、捜査機関に下駄を預ける態度は許されないと思います。

<耐震偽造>危険な建物売却…詐欺被害の立件目指し捜査(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060426-00000052-mai-soci)

(略)

 ◇「厳正な処罰を」国交省幹部
 一斉逮捕を受け、国土交通省建築指導課幹部は「法律違反が捜査で判明したということ。厳正に処罰してほしい」と語った。1級建築士が「建設会社から鉄筋を減らすよう相当プレッシャーを掛けられた」と証言し、「審査が通りやすい」と指定確認検査機関を選んだ実態が浮かび上がった今回の事件。国交省は、建築基準法など関係法令や制度見直しを迫られた。
 この幹部は「国の調査に限界のあることが分かったが、強制捜査でさらに事件の全容を明らかにしてほしい」と話した。

(略) 

 ▽建築関連法の見直しを3年前から提唱している「建築基本法制定準備会」の水津秀夫事務局長(1級建築士)の話 つまらない名目での逮捕だと感じる。耐震性に疑問のあるマンションが販売され、その過程で不正があったことは間違いない。それなのに、ささいな別容疑でしか逮捕出来ないのは、現状のシステムに問題があるからではないか。建築基準法は戦後の廃虚を国を挙げて立て直す時代に作られた法律で、今回のような不正を犯したり、不正を見逃した人を厳しく処罰することを想定していない。国も含めて関係者が責任逃れをしているが、さまざまな立場で建築に関与する人や機関の役割や責任を明確にする法律を早急に作るべきだ。

(略) 
(毎日新聞) - 4月26日13時12分更新

内容豊富な記事なので、2カ所を部分引用しました。前半の引用で指摘する「浮かび上がった実態」は、当初かかれた構図とは異なりますが、幕引きの方向性を示すものだと思います。そこに、国土交通省の幹部の談話が書かれていますが、随分と呑気なコメントだと思います。それに対し、後半の引用の「建築基本法制定準備会」事務局長のコメントは、とても厳しいものだと思います。

記事としての取り上げ方の問題もあると思いますが、国土交通省の幹部については、二重に許されないと思います。違法建築を摘発し、法律違反の内容を解明することを専門的な立場から進めることができなかったことを他人事のように語っています。また、「建築自由」の仕組みの中核にいるはずなのに、警察の介入を歓迎しているかのような発言です。

法律の不備や不適切な業務によって、本来の務めを二重に果たすことができなかったことを悔しがってもいいのではないでしょうか?また、問題を予防できなかった上に、発覚から公表までの後始末や、公表後の対応について混乱してしまった事を、もっと重く捉えてもいいのではないかと思います。

建築の仕組みは、専門家による切磋琢磨による前進を前提として促進する仕組みであり、それが国民の利益につながるはずでした。工夫や研究によって、常に進歩する専門的で高度な領域であるからこそ、取り締まりや規制が、警察ではなく、国土交通省や特定行政庁に委ねられていたのだと思います。

専門家による判断を、結果を理由に取り締まることに慎重な警察の配慮は、評価すべきだと思います。国土交通省は、その配慮に応えた対応をしていることをもっとアピールして欲しいと思います。

また、「調査の限界」は、強制捜査に委ねるべきことではないものです。国土交通省が解決しなくてはいけない問題です。権限の限界ではなく、能力の限界や、意識の限界です。強制捜査が解明するのは、建築の中身や性能の問題には及ばないと思います。そうした点については、国土交通省が明らかにした問題を、警察が処理するべきものであったのに、それができていないと思います。

そもそも、専門性の中での判断や対応の適否と、その判断や対応が遅れたりデタラメであったり恣意的であったりすることとは分けて考えなくてはなりません。判断の適否については、いたずらに責めるべきことだとは思いません。誤った判断であったとしても、国民の信頼に応えてはいないものの、限界がある以上、仕方がないこともあると思います。しかし、遅れたりデタラメであったり恣意的であったりすることは、国民の利益を害していると思います。ここには、断固とした責めが必要だと思います。

建築の自由で民主的な仕組みの上にあぐらをかいていて、何もしていなかったばかりか、冒涜しているのではないかと思います。

戦後復興体制の後始末を先延ばしにしてしまったことで、システムが陳腐になっているという指摘は、もっともなことだと思います。責任や役割を法的に明確にする作業は必要なことだと思います。その作業は、これまでの理想を尊重し、節度をもって行われるべきだと思います。その法制化の前提として、理想を担うはずの国土交通省の意識を問わなくてはいけないと思います。

落胆させられることもありますが、それを乗り越えることを期待しています。その前に、「清算」が必要であるかも知れませんが……。
[PR]
by gskay | 2006-04-27 17:04 | 政治と役所と業界
苦し紛れだったのでは?
「逮捕」というニュースです。これまでの姿勢を崩さない報道もあれば、大きく転換した報道もあるという印象です。しかし、偽装をした本人については、まだ、「高い評価」が与えられているようです。

しかし、わかる人がみると、実力の程は知れるようです。

有)コラムデザインシステムのコラム:姉歯氏の録音テープ

私は、「べらぼうな鉄筋が必要」という偽装をした本人の弁は、意味がよくわからないと思ってニュースをみていました。しかし、そういうことだったのかと納得しました。

偽装の動機は、大きな組織的背景などなく、「せこい事件」ではないかと、私は、これまでも考えてきました。今でも、組織的背景につながるような情報はないように思います。組織的犯罪という説は空想の域を出ず、推理にもなっていない憶測のままです。

ふと、こんなことを考えました。

そういえば、学生時代、ペーパーテストで答えがわからない時、白紙で提出するより、何か書いてから提出していたっけ。何か書いておけば、何かが起こるかもしれないと期待しながら。まぐれの正解でもいいし、採点ミスでもいい。得点になれば「ラッキー!」。

偽装の真相は、バツがつくのを覚悟して書いた苦し紛れのデタラメな答案くらいの意識でしかなかったと、今は想像しています。

本当は、わかっておらず、強度を充たしているのは「まぐれ」。

私は、始めは、「経済設計」を真似た「経済設計」モドキのような高度なことを想像していました。また、設計に要する時間を短縮できて、仕事を多くこなせるというメリットもあるなどと複雑に想像したりもしました。

しかし、もっと、情けない真相なのかもしれないと思います。

そう思うと、ますます、「建築確認」という制度に怒りをぶつけたくなります。

偽装をした本人は、バツがつくと覚悟していた答案に、マルがついて返ってきて、それで喜んでしまっただけではないかと想像します。それで、マルになると学んでしまいました。偽装をした本人は、建築確認の権威を信じていて、確認されて合法になったと信じていたのかもしれません。

まるで受験生や学生のメンタリティーのような気がします。専門家にあるまじきことです。悪意というか何というか……。

やはり、建築確認がしっかりしていればよかったのにと改めてがっかりします。設計事務所や建築主を欺くつもりはなく、建築確認が下りたことを、単純に「ラッキー」だと思っていただけではないかと思います。

初期の他人事のような受け答えに違和感を感じていましたが、何となく了解できます。

ただ、上記のリンクでは、そこまで実力不足だとすると、強度を充たしていたとしても、問題が出るかも知れないとの指摘。グズグズせずに、こちらもチェックする訳にはいかないのでしょうか?

検査能力に問題がある以上、期待しても無理と思いつつ、期待します。
[PR]
by gskay | 2006-04-26 23:42 | 真相 構図 処分
「自己責任論」批判
その当事者が負わなくてはいけない責任以上の責任を追及し批判し、「自己責任」として押し付け、非難する集団ヒステリーが、最近の「自己責任論」現象ではないかと思います。本来、「自己責任」は限定的な責任であるべきですが、無制限に「責任」が拡散し、非難がエスカレートしてしまうので、近代以降の社会の仕組みの中の「責任」ではないと思われます。

「自己責任」という言葉は、「自己」という言葉と、「責任」という言葉が、もっともらしく結びつけられていて、様々な解釈が可能です。最近の「自己責任論」現象でいうところの「自己責任」も、そのバリエーションの中にあります。それぞれの人が、それぞれの発想で、それぞれの思いをこめて使っているためか、「自己責任論」をもとに語っている議論には、すれ違いや摩擦がしばしばみられますが、おおむね共通した「自己責任」観があるのではないかと考えています。

「自己責任論」現象は、国あるいは全体が、個人のために何かをしようとする時、起こります。

「自己責任論」に基づく主張には、報道で伝えられる当事者の姿が、図々しいとか、態度が大きいとか、感謝が足りないという不快感をあらわすだけのレベルから、理性的な主張まで、幅広いものが含まれます。理性的な主張には、「なぜそこだけ」という不公平感に根ざす主張と、全体(=国)の利益に反するという正義をふりかざす主張があるように思われます。

このうち、感情的な当事者批判は、「論」をなしていないので、「『自己責任』論」と「論」をつけるべきものではありません。しかし、火がついてしまえば爆発してしまう強力な存在です。ひとたびヒステリックな反応が進むと、対処は不能になります。対処できないがゆえに、大衆を操作するターゲットになるような気がします。「自己責任論」現象の勢いを支える力があります。

一方、理性的な主張のうち、「なぜそこだけ」という不公平感に根ざす主張は、過去の不満や未来への不安が背景にあります。これは、過去の不満を解消する努力をするとともに、未来への不安を解消することで解決することが出来ます。例外や不公平な扱いをなくすことで解決できます。

この主張には、うまく対応することが可能だし、対応が必要です。表裏一体にねたみや不安があるものの、建設的な対応や誠実な対応によって満足されやすく、納得が得られやすいものだと思われます。

ところが、もう一つの理性的な主張は、簡単ではありません。全体(=国)の利益に反するという正義をふりかざす主張を、簡単に納得させて解決することは困難です。これは、全体主義に変化する可能性があり、将来的には、これが一番厄介ではないかと考えています。

この主張には、国(あるいは全体)と国民(あるいは個人)は一体であるという意識が強く出ているように思われます。しかし、その意識は、いわゆる「愛国心」とは異なるものではないかと思います。

我が国のように、実効的な支配がほぼ完全である国では、やくざや山賊、軍閥、ゲリラなどの勢力に「税金」を巻き上げられる心配はほとんどありません。そうした行為は不当なものとされる一方で、我が国では、国民は、正当に税を払い、自らが主権者となっています。

しかし、自らを主権者として位置付けるわりには、国を実体のある組織としてイメージすることができません。これは、あまりに支配が完全であるために、かえって国の実体を意識できなくなっているのではないかと思われます。

確かに、選挙権のような権利はあるものの、代議制度と官僚システムは、そんな権利をちっぽけなものだと感じさせるほど、強力と感じさせます。そうすると、実質的なかかわりは、税を払っていることだけになってしまいます。

税を負担しているという事実から、国を自分のものだと過剰に意識します。このため、支出に敏感になり、無駄を省くことが正しい方策だと感じています。特に、個人の経済状況も財政も悪いため、国が、自分以外の他人に対し何かすることを積極的に否定します。その否定の論理として、「自己責任論」が使われていると思います。

徹底した「否定」の論理をもっています。このため、不公平感と同じように対応しても無駄です。

その論自体には、具体的な提案はなく、中身は空っぽです。根拠も曖昧です。しかし、「否定」し、非難し続けることが正義です。そこに、感情的な批判が加わって、大きな盛り上がりをみせるのが、最近の「自己責任論」現象ではないかと思います。

国に負担がかかってしまうことは、全部、ダメです。国の前では、個人が何かを求めることはゆるされません。「ひとりは、みんなのために」は成り立つものの、「みんなは、ひとりのために」は「否定」されてしまいます。

これが、一瞬の一部の現象で済まされている分には、過ぎ去るのを待っていればいいことです。しかし、持続し強力になると、全体主義の亡霊が復活するのではないかと恐れます。

それは、杞憂であり、妄想に過ぎないと笑って下さい。しかし、全体主義は民主的な手続きの上に出現し、しかも、不幸な結末を迎える傾向にあります。注意を怠ってはいけないと思います。

「自己責任論」現象は、メディアによる大衆煽動と相互に影響し合うことになると思います。その結果、実体を感じられないこれまでの国にかわって、特別な国を仕立てかねないと感じています。無謬で、聖なる存在の国です。ただし、何もせず、無責任です。

しかし、「自己責任」論者には、国との一体感があります。その国を批判することは、「自己責任」論者を批判することであり、国に負担を求めることは、「自己責任」論者に負担を求めることです。

国に対し、国民一人一人の存在を矮小化して位置付けます。非難や否定がエスカレートしたなら、そのような国では、国民一人一人に負担と犠牲ばかり強いることになり、不幸な結末を迎えるでしょう。どんなに強烈で説得力のある主張であったとしても、「否定」には、中身はなく、未来や発展、成長を期待することはできません。

徹底的な「否定」の上に成り立つような小さな政府には警戒が必要です。無駄を省いた小さな政府とは、似て否なるものです。「否定」の上に成り立つような小さな政府は、一歩間違えると、政府を国民の不満からまもる大きな組織になりかねません。その大きな組織は、世論をコントロールする装置として様々に機能するのではないかと思われます。そして、愚かな政策によって奪うだけの政府が出来るのではないかと想像します。嫌です。

ところで、「自己責任論」現象における正義の主張は、強い不安の裏返しでもあります。強い不安が、強い願望に変化しているように思われます。その願望は、根拠や証拠のない見込みをひとり歩きさせます。未来が不確定であるということの耐えがたさからも開放してくれます。

この願望や見込みによって、他人に不都合なことが起こった時に、自分はそうならないと確信することができます。そこに「安心」を見出します。根拠や証拠のない確信ですが、自分にも起こりうるという事実を直視しようとしません。

その心理が、助け合いではなく、他人に「自己責任」を負わせます。加えて、国の正義をかざした「否定」の論理を組み立てる。それが、自分のこととして考えることができないから、エスカレートしてしまいます。

「自己責任論」現象で表面にでてきた感情的な批判も正義の主張も、今に始まったことではなく、元々あったのだと思います。ただ、落書き的にネットで匿名に発言できるようになって目につくようになったのではないかと思います。本気で発言している人もいれば、面白がってブームに乗っているだけの人もいます。

その発言は、匿名性を剥ぐと、とたんにおとなしくなる傾向があります。「自己責任論」現象の中での発言は、それほどの確信があるわけではないのかもしれません。受入れられるものとも考えてはいないのだと思います。しかし、影響を無視することはできません。また、匿名性を剥がしても、おとなしくする必要がなくなった時こそ、全体主義の誕生だと思います。

こうした流れに身をまかせていてもいいのかもしれません。急速な全体主義化なんて起こらないかもしれません。しかし、何もしないでいる限り、「否定」と不安に自己呪縛され、他人に「自己責任」を押しつけ、犠牲を強いるという形でガス抜きをすることしかできない社会になっていくように思われます。自力で立ち上がることさえ許さない極端な理屈もあるようです。絶望的です。

しかし、そこまで行かなくても、極端に欲望や希望の抑制を求める社会が出現する可能性があると思います。昨今の歪んだ「拝金主義批判」とからまって、「品質が悪いのに高いもの」に我慢しなくてはいけない国になってしまいます。卑近な心配かもしれませんが、深刻なことだと思います。

何かをしなくてはいけません。あいにく、正義をふりかざす主張に対しては、不安や不満の解消のための建設的な対応や誠実な対応を示したところで、対応にはなりません。それさえも否定されてしまいます。

まず、国への過剰な思い入れを解消する条件を作る必要があります。

政治がもっと身近にあって、自分が関わっているという確信がもてるような国を作らなくてはならないでしょう。同時に、経済的には、個人の不安感も少なく、財政問題も騒がなくてすむような状況を作らなくてはなりません。「税」を媒介に、「ひとりはみんなのために」だけでなく、「みんなはひとりのために」を信じられる状況を作らなくてはいけません。

難しいかもしれませんが、努力は必要です。その努力をしないと、「自己責任論」現象は続き、エスカレートしてしまうのではないかと思います。

翻って自分の責任。所有者としての責任を誠実に果たすよう努力しているつもりです。加えて、被った損害を取り返す努力もしています。

(追記)この文は、独創ではありません。もとのマンションに泊まって行った友達が、その際に置いていった『「経済人」の終わり—全体主義はなぜ生まれたか』P.F.ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)を、参考にしています。とりわけ、「否定」という発想は、この本に影響されています。民主党の前の執行部時代のやり方にも重なると思って、悲しく思っていました。また、今の政権の「改革」も、一歩間違うと、そのような方向に進みかねないと思います。
[PR]
by gskay | 2006-04-26 12:01 | いろいろ
「拝金主義批判」批判
「拝金主義」と批判して、切り捨てていいのかどうかわかりません。この事件を含め、様々な事件によって、コストカットや、成り上がり的な「急成長」に対し、極端に否定的な空気があるように思います。

この事件は、「新しく急成長した企業による、違法な会計や過剰なコストカットが、社会に実害を及ぼした事件」と位置付けることができるのかもしれません。急成長した企業も、違法な会計も、過剰なコストカットも「拝金主義」と片付けて、批判することができます。

しかし、新たなビジネスへの挑戦の機会をものにした新たな成功者は評価すべきです。規制緩和や新技術によって、時機をとらえた急成長が目を引きます。その急成長や、それを支える野心は、不道徳なことでも迷惑なことでもないはずです。

また、そうした急成長の背景にある巧みな会計手法が攻撃のポイントになりがちですが、合法的である限り否定する理由はありません。巧みな会計を、いかがわしい錬金術とみなして、悪と決めつけるのは間違いだと思います。会計は、よく勉強して、上手に活用するべきものにすぎません。違法行為をしている人は取り締まるべきですが、上手に活用している人の足を引っ張るべきではありません。

「新しい時代の寵児」ともてはやされていたライブドアをひきずりおろしたときと同じ様な心理が働き、新しいビジネスの「急成長」や、その背後にある巧みな会計手法に対する否定的な空気が広がりつつあるような気がします。しかし、既存の業者は、その巧みな会計手法を駆使していないとでもいうのでしょうか?

さらに、同じ品質であれば、コストの競争になるのは当然です。

ヒューザーについては、品質管理に問題が出ました。結局、ヒューザーは、その問題を乗り切ることが不可能になってしまいした。しかし、全部の物件の問題ではなく、元建築士が関わった特定の物件の問題である事が明らかになっている以上、無闇に、ヒューザーがとってきた戦略を否定してはならないと思います。

本来なら、「安くて良いもの」こそ、多くの消費者には都合が良いはずです。逆に、同じコストで品質改良されているものも歓迎です。それらには、当然、競争力が生まれます。同じものなら安い価格で、同じ価格なら良い品質を。当たり前のことだと思います。しかし、それを、否定するような空気が蔓延し、高コストで、無駄の多い品物が、品質改良の努力もなしに、我が物顔で売られ続けるなら、不幸な事です。

もし、コストカットを悪とみなすなら、既存の高コストで品質が停滞した体質の保護になりかねません。コストカットへの警戒は、コスト競争を否定するのではなく、品質確保を伴わない過剰なコストカットへの警戒にとどまるべきです。

新しいビジネスも、会計の問題も、コストカットも、「拝金主義」という構図で全面的な否定をしてはならないと思います。

ところで、今、規制緩和や新技術が、社会の構造を変えようとしている気がします。そこに、新しい機会があります。一方で、その変化を歓迎しない人もいるのでしょう。機会を捉えそこねた人もいます。変化を逆風と感じる人もいます。

とりわけ、既存のあり方にこだわる業者や、規制を担当する官庁にとって、変化は必ずしも歓迎すべきものでないかもしれません。ここで、「成り上り」的に急成長する新しい業者に対する警戒感をもつ既存の業者と、規制を行う官庁の利害が一致してもおかしくありません。

さらに、そこには、メディアからの援護射撃が加わるような気がします。大衆心理の巧みな操作です。既存の勢力は、株主や広告主というスポンサーになっています。既存のメディアは、そういう道具であるという宿命を背負っているのかもしれません。

いずれのところからか、「『拝金主義批判』に対する『批判』」がおきてもおかしくはないと思います。

しかし、難しいことなのでしょう。ふつう、「拝金主義」批判は、既存の勢力に有利な議論です。コストカットのリスクや、違法性と言うしっぽをつかんだ後の議論だからです。その上、メディアが既存の勢力に支配された条件でなされる批判です。この批判は、消費者や大衆の側にメリットがなかったとしても、メディアで大衆を操作できなくなることは、極まれです。

「『拝金主義批判』に対する『批判』」を始めたところで、当事者、とりわけ、巻き込まれた急成長中の業者にはあまり意味はないような気がします。

コストカットにしても、新しいビジネスにしても、こうした既存の勢力との攻防に勝ち抜くことだけが活路です。批判の対象となるようなコストカットのリスクは、品質管理で低減しなくてはなりません。さらに、違法性をなくさなくてはなりません。もし、批判にさらされても、生き残らなくてはなりません。

正しさは、業績で示さなくてはなりません。退場を余儀なくされた人や企業は、その正しさを示すまで勝ち残ることができなかったということだと思います。

ところで、この攻防に勝ち残り、成長を終えた瞬間から、新しい勢力は、既存の勢力の側になるのかもしれません。挑まれる競争に対し、「拝金主義」と批判する側にまわる。「拝金主義批判」自体が、拝金主義の動機を持ち、かつての自分を批判しているだけなのかもしれません。
[PR]
by gskay | 2006-04-25 16:04 | いろいろ
期待と悲鳴?
国土交通省を中心とした建築の仕組みがうまく機能していません。そこに捜査のメスが加えられるという期待からみれば、この「大詰め」は納得がいかないのではないかと思われます。

イーホームズに限らず、建築の検査システムがうまく機能していないという点について、一部引用した毎日新聞の記事のように、

<耐震偽造>今週半ば一斉逮捕 木村社長、姉歯氏ら約8人(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060423-00000003-mai-soc)


(略)
捜査本部は、民間確認検査機関「イーホームズ」(東京都新宿区)に対し、公正証書原本不実記載(虚偽登記)容疑で強制捜査に同時着手する検討を始めた。多くのデータ改ざんを見逃した検査機関にも事件が波及する公算が大きくなった。
(略)
(毎日新聞) - 4月23日3時7分更新


と、追及への期待があります。

しかし、他の検査機関が捜査の対象にはなるかどうかは微妙だと思います。建築確認の中身の問題は、建築の専門家の自由の枠組みの手続きとして完結したものと位置付けられるからです。あくまで、専門家が民主的に運営するという体制として維持されるべきです。いたずらに捜査で縛るのは不適切であり、今後も、国土交通省の責任のままで残されると思います。

警察の対応は、二重の意味で正しいと思います。一つは、「民主的な仕組み」を蹂躙するような悪しき前例を作らずに済んだこと。もう一つは、もし、ここでそんな取り締まりを任されても、専門的すぎて技術的に困難なこと。

もちろん、国土交通省を中心に建築のシステムの問題は、今後も追及されなくてはいけません。しかし、それは、悪者を懲らしめるというレベルでは済まされません。早急に改善に取り組まなくてはいけない問題です。残念ながら、調査委員会の報告も、法令の改正案も、あまり解決にはつながらないのではないかと思います。この際、なりふり構わず、出来る限りの知恵をつぎ込むべきだと思います。そこに注目し続けることを報道機関に期待したいと思います。

建築の中身の問題は、これまでも、これからも国土交通省です。結局、警察は、企業運営の不正についての取り締まりを行い、建築の中身には積極的には手をつけないことになると思います。今後、建物の解体などにともなって様々な問題が明確になった時には、しかるべき形での追及は行われると思いますが、決して、それ以上のものにはならないのではないかと思います。

報道機関にとって、煽り立てた内容が捜査によって明らかになることへの期待があったと思います。しかし、警察は、「民主的な仕組み」や「専門領域」に対し敬意をはらって、節度をもった対応をしているように思います。これは、隠蔽であるとか、捜査能力の不足ではないと思います。

今や、民主的な仕組みを蹂躙しているのは、権力側ではありません。

本来、報道機関には、正義をめざし、民主的な仕組みを担っているという気概があると思います。多くの国民もそれを信頼して来ました。しかし、この事件での報道の逸脱は、そのあり方への疑問をおこさせることになると思います。

報道機関は、空想をしすぎました。ストーリーは、上出来です。しかし、都合の良い材料だけを用い過ぎ、無責任に混乱をつくりました。捜査が、報道機関の期待通りでないのは、捜査に責任があるわけではないと思います。

ここで、捜査の方向が、報道機関の思うにまかせないことへの、「言い訳」や「反省」、「謝罪」があれば、ぜひ、聞きたい。それが、出るなら、大丈夫。

しかし、現状は、報道機関自らが自分の首をしめていることに気付かず、わめきちらし、悲鳴を上げているように見えます。悲鳴を、捜査権力や国民が聞き届けてくれると期待しているようです。(どこかの、メール事件の当事者のように)

その一方で、自らが作った無理な構図を、さりげなく修正しているようにも見えます。もし、今後の流れが、報道機関の過ちを誤摩化せるような展開であれば、多くの国民は、気付かないままで居られます。

捜査側や担当の官庁も、報道についてかなり配慮しているし、国民も忍耐強いと思います。しかし、今回は、それでは済まされない可能性もあると思います。

私は、報道機関を嫌ってはいません。「ダメな報道機関」や「増長した報道機関」を嫌っています。
[PR]
by gskay | 2006-04-24 08:50 | 真相 構図 処分
スクープ
今後の展開にもよると思いますが、もし、引用した共同通信の記事が伝えることが正しいのなら、すごいことだと思います。ただ、「関係者の話」の「関係者」については、神経質に検討する必要があるのではないかと思います。それに、どうとでもとれる微妙な表現なのが気になります。

しかし、そこは、さすがに共同通信!「ガセ」ではないのだろうと想像します。民主党のメール問題で、情報のソースや信頼が問題になったばかり。その辺は、大丈夫だと思って今後の展開を見守りたいと思います。

ことと次第によっては、我が国の報道のシステムはガタガタになってしまいます。特に、地方紙が巻き込まれ、大変なことになりかねないと思います。NHKがヘマをしたとか、巨大新聞やキー局がトチったということとは、桁違いの問題になると思います。そんなことはないと思いますが……。

「開発業者に指示された」 姉歯元1級建築士


 耐震強度偽装事件で、姉歯秀次元1級建築士(48)が昨年11月、構造計算書を偽造した賃貸マンションの建築主に「ある開発業者に最初に偽造するよう指示され、その時の改ざん用のソフトを(その後も)そのまま使ってしまった」と偽造を始めた経緯を説明していたことが22日、関係者の話で分かった。
 警視庁などの合同捜査本部は、1級建築士の名義を建築デザイナーの知人に貸したとする建築士法違反容疑で週明けに姉歯元建築士を逮捕する。偽造の経緯についての捜査も進める。
(共同通信) - 4月22日9時20分更新

「ある開発業者」がどこであるのかが気になります。そこが明らかになった時、内容によっては、このブログの基調である「非ヒューザー陰謀説」を放棄する重大な根拠となります。

「ある開発業者」という黒幕の存在も重要ですが、それよりも重大なのは、「改ざん用のソフト」の存在です。もし、そういうソフトが存在したとすると、事件の様相が変わってしまいます。そのソフトの開発の経緯。そのソフトは複製可能なのか?入手の経路。そして、他に配布されていたかどうか。そのソフトが、「ある開発業者」経由で入手されていたとしたら、おそろしいことです。組織的であり、他への広がりを否定できません。

しかし、記事の文章は微妙です。元建築士が自らが作り、自ら用いただけともとれます。だとするなら、今、とりたてて問題にすべきことではありません。これまでも報道されて来た手口のことであり、ニュースとしての新しさはありません。そして、「ある開発業者」がいたとしても、「言った、言わない」というレベルの話にとどまり、直接、結びつけるのが難しいことは変わりません。

今、伝えるからには、そうではない核心がふくまれているニュースなのだろうと思います。ガセであったり、空振りというのは、時期が時期だけに許せない記事です。なぜ、この時期に、この表現なのか?もっと、別の意図がある記事なのでしょうか?

いずれにせよ、この件については、今後の展開を見守りたいと思います。

この1週間で、何となく、全体の構図の描き方が、これまでと変化して来ていると感じています。その中で、この記事は、元々の報道姿勢に忠実であると思われます。

現状では、木村建設もイーホームズも、経理を誤摩化してでも利益を求める企業であるという位置づけになりつつあります。その悪徳ぶりは、ライブドア問題と同じような構造で説明が出来るのかも知れません。木村建設の過剰なコストダウンの要請が偽造の動機となり、イーホームズの実力不足がつけこまれたという構図になりつつあると思いました。

検査機関であるイーホームズについては、資本の問題に限定して考えることで、他の検査会社などを追及せずとも、イーホームズのお仕置きで解決とみなすことができます。木村建設については、複雑な背景を指摘することが出来ますが、関連する他の業者が追及されない点は、検査機関の場合と同様の発想かもしれません。

この構図は、「金」に汚いずるい経営が、官庁の目を欺いて実力以上の事業を行い、それが破綻し、社会に実害を振りまいた事件という事になります。「金」についての道徳や、官庁の権威の問題となります。

「金」にばかりにうつつをぬかさず、官庁の監督や規制に従順であることが、「良いこと」と位置づけられることになるような気がします。その結果、官庁の監督や規制が強化され、競争や独創について否定的な方向に進むのではないかと懸念します。

建築の取り締まりについて、国土交通省や自治体が充分な力を発揮できていないと思っていました。その隙間に、警察などの捜査機関が入ってくるのではないかと想像していました。それは、建築自由の理想などからみると「逆行」ではないかと恐れてきました。しかし、「逆行」を懸念する必要はないのかと思います。

今までの動きを見る限り、警察のアプローチは、建築の内容や安全、建築に関するシステムに踏み込んだものはありません。建築の内容や安全については国土交通省と自治体の手に権限が残され、システムについてもあえて問題として取り上げないということなのかも知れません。

引用した共同通信の記事の詳しい中身は、今後明らかになると思います。「報道」自身を問う方向に進むかもしれません。また、あらたな偽装事件の構図をえぐり出すことにつながるのかもしれません。

「ずるい企業が社会に実害を与えた事件」という描かれつつある構図の中に、この記事はどのように位置付けたられるのかということに特に関心があります。現状では、「黒幕」の存在の証明は微妙になりつつあるようです。ヒューザーについても、無理な経営のツケが問題だと位置付けられつつあります。その流れに逆らうインパクトがある記事だと思います。
[PR]
by gskay | 2006-04-22 22:47 | 真相 構図 処分
不正な経理
イーホームズまで、架空増資だそうで……。

問題の本質である「見逃し」については、他の民間検査機関も、自治体も同じ。ただ、問題を明るみにすることができたのは、この会社だけでした。

書類の不備など、杜撰なことだらけであったと報じられる一方、現場レベルでは、良い評判もあります。実際のところは、私には、良くわかりません。

「見逃し」という問題の本質や、書類の不備などの杜撰な業務をつっつくと、他の機関に対しても対応しなくては行けなくなるのが厄介。それに、当面は、検査業務をしかるべき形にするのが第一の課題で、処罰は二の次。処罰のための調査を下手に進めると「大変」だから避けたい。

かと言って、「いろいろな意味」でイーホームズをそのままにはしておけない……。

やるべきことをやっていなかったことは、許せません。しかし、他の機関にできなかったことを、やってのけたことは評価すべきだと思います。そこが問題なのかもしれませんが。

ところで、イーホームズと木村建設では、随分と違ったニュアンスが含まれていると思います。

罰金やら懲役といった罰は、私などにとっては、とても不名誉なことで恥ずべき事です。しかし、企業の経済行為にとっては、ただのコストなのかも知れません。税金などと同じような必要経費の一つと位置付け、軽い罰金や懲役で、重い税金を取り返すことができるとしたら、割り切って、潔く粉飾を認めることもできるかも知れません。そういう利益が出る「取引」として……。(まさか、ありもしない「粉飾」をつくることまではしないと思いますが……)

 =====

なるほど、「大詰め」ですね。

イーホームズについても、木村建設についても、企業の経理の不正により、不正に事業が拡大し、それがこの事件につながったとこじつけることができないわけではありません。不正な経理をするような「悪者」がいけない。その上で、企業をきちんと監視する必要があるという結論をつけることもできます。

報道のレベルでは、そういう結論でいいのでしょう。建築についても、安全についても、取り組まなくてはいけない様々な問題は手つかずのままですが、これで幕をおろす方向なのかと想像します。報道する側も、受け手の側も、「悪者」を成敗し、これで充分だと思っているのかもしれません。官庁にとっても、多くの業者にとっても、都合の良い結論といえるかもしれません。
[PR]
by gskay | 2006-04-21 11:32 | 真相 構図 処分
玉突き衝突
始めは、「耐震偽装の事実」を伝えなかったということと、「耐震性能低下」を隠したことは同じであるというニュアンスで捉えていました。年頭のころ、この話を始めて聞いた時には、私は、そのように受け取っていました。ところが、問題の引き渡しの時点では、「耐震性能低下」は未確定だったということがわかり、問題のポイントが複雑だと考えるようになりました。

「耐震性能低下」を隠して引き渡しをしたことと、「耐震偽装の事実」を隠して引き渡しをしたこととは、似ているようで異なると思います。最近は、報道でも、「入力数値の低減」という「耐震偽装の事実」が伝えられなかったと記されるようになってきました。より正確になっていると思います。

「入力数値の低減」イコール「耐震性能低下」と直接結びつけられるものかどうかが微妙です。再計算を必要とし、それには日数がかかります。「公表」は、再計算により「耐震性能低下」が明らかになってはじめて行われました。

その辺の経緯については、「手続き」の面から明らかにして欲しいと思います。「発覚」から「公表」までのプロセスこそ検証されなくてはならないと思います。検査済の証書の取り扱いや、担当官庁の判断について議論し、入居済み物件などについても放置されてしまった経緯を明らかにして欲しいと思います。

問題の件についていえば、引き渡しなどは中止しておくべきだったと、私は思います。「公表前」であったという事情や、諸手続きが動き出している中で引き渡しを中止することができないという言い訳は、理解できないわけではありません。しかし、その善悪と言う点では、巻き込まれた人数を増やした以上、悪です。中止してさえいれば、巻き込まれた人を増やさずに済ますことができたのですから。

その悪については、特定の一部だけの追及ですませず、関わる人の全ての責任を検証すべきだと思います。なぜ、「耐震偽装の事実」は公表されなかったのか?これは、偽装事件の全体像とは分けてでも検証する価値がある問題であると思います。一応、緊急調査委員会の報告がありますが、ポイントをはずしていると思います。あらためて検証してほしいと思っています。

ところで、小嶋元社長のいう「玉突き衝突」というたとえは面白いと思います。「非ヒューザー陰謀説」を前提に、偽装した本人や見落とした検査機関を除けば、誰もが被害者といえるとともに加害者です。その様子をよく表現していると思いました。そして、誰も責任を負おうとしない様子も。

ざっと見ただけで、偽装をした本人、設計事務所、見落とした検査機関、施工業者、売り主である建築主、特定行政庁や国土交通省といった監督省庁、金融機関、買い手である住民といったところが、この「玉突き衝突」に巻き込まれています。
[PR]
by gskay | 2006-04-20 06:29 | 真相 構図 処分