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仮住まいの長期化と建て直し計画
仮住まいが、もとのマンションに住んでいた期間をこえました。もとのマンションには、引き渡しの翌日に引っ越しました。問題公表前に3ヶ月、公表後に2ヶ月住みました。仮住まいに転居して早いもので5ヶ月になりました。

建て直し計画はまだ固まっていません。役員さんたちは、区の担当者とともに、様々な模索を行っているようです。そろそろ決着をつけなくてはいけない段階に入るのではないかと思われます。

仮住まいに転居後は、確定申告の雑損控除の心配をしたり、木村建設への破産債権の届け出をしたり、銀行とローンの相談をしたり、固定資産税の減免のための手続きをしたりと、何かと事務手続きを抱えて来ました。今月末に、ヒューザーに対する破産債権の届け出をすると一段落です。

これで、いよいよ建て直しの計画に入るべき段階にいたったように思います。もっと早い時期に、それなりの形ができるのではないかという見込みもありました。しかし、区との話し合いは、だんだんと延び、ここまで来ました。建て直し以外にも、やらなくてはならないことが沢山あったためかと思います。

決して、頓挫しているということではないようです。様々なパターンが考えられるため、それを吟味し、調整するのに時間がかかっているという側面もあるようです。周辺との関係を配慮して最良となる計画を模索して来たためのようです。

周辺に配慮した計画が望ましいとは思います。しかし、周囲の要求には無理なものもあります。その他にも、時間的な限界を考え、断念したり、あきらめたりしなくていけないこともあります。そろそろ、決断しなくてはいけない時期が来ているように思います。

ところで、うちのマンションは建て直しが決まってから除却になるそうです。除却をしながら、計画を練ってもよさそうな気がしますが、そうはいかないようです。早期に除却してしまえば、危険とされる建物をなくし、建て直しまでの期間を短縮でき、仮住まいを短くできるように思います。しかし、除却したものの、建て直しが頓挫してしまうと、仮住まいがいつまでも続くことになってしまいかねません。そのようなことがないような対応が優先されているようです。

1月の時点で、都知事は、6ヶ月以内に建て直し計画を作れと言っていました。仮住まいへの補助の条件だと報道されていました。いよいよ、その締め切りです。それまでに確かな前進をしておきたいものだと思います。

これから、住民は、少なくとも二つの大きな仕事に取り組まなくてはならないと思います。一つは、建て直し。もう一つは、損害回復のための争い。住民の間で、役割分担を本格的にする必要があるように思います。

建て直しの役割では、早期の計画決定とその実現のための仕事をしなくてはなりません。損害回復の役割では、訴訟をふくめた対策を検討しなくてはなりません。両者お互いに密接に関わっているものの、分けて考えることも可能です。これからは、分けて考えた方が良いように思います。

もちろん、早期の計画決定が、良い条件で進めば、争いは必要は少なくなります。それが、望ましいと思います。しかし、それがうまく運ばない場合の備えが必要だと思います。また、一方で、損害の回復が順調であれば、計画は推進されます。

計画について交渉する相手と、損害の回復を求めて争うべき相手が重なっているのが厄介ですが、逆に、重なっているがゆえに、二つの仕事が関連して進行するような気がします。

いずれにせよ、仮住まいが長くならないようにしなくてはならないと思います。自分自身にとっても、公的対応にしても、速やかに計画を決定し、推進していくことが、負担を軽くするポイントだと思います。
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by gskay | 2006-06-19 23:59 | 建て直し
強気な首長
区長は、エレベーター事故について、製造元に対し強気な態度をとっています。しかし、保守や管理もかなり杜撰だったようで、区の公社の責任を考えると、製造元の責任ばかりを追及している場合ではないような気がします。

区長の主張に従って別のエレベーターに取り替えても、保守や管理がダメならダメです。徹底的に原因を明らかにして、根本的な問題の解消を目指すべきです。原因追及の過程で、絶望的な欠陥が明らかになってしまったなら、その時、取り替えを検討すべきです。

取り替え自体は選択肢として上がって当然だと思いますが、製造元による賠償で補うつもりというのは難しいような気がします。もともと、「きちんとメンテナンスをしないと危険」という製品です。また、他のエレベーターにシステムの不備が発見されていて、その交換やメンテナンスに不手際があったようですが、それは不具合のある部分を直せば済むことのようです。責任を追及しても、かわされるだけだと思います。

エレベーターの取り替えについての区長の強弁は、「態度の悪い業者だから」という位の根拠と世の中の流れに乗ったというレベルにとどまるような気がします。

ところで、この事故について、誰が悪いかと言う問題や補償の問題より、どのように悪いかということに、私は関心があります。今まで、それなりに動いていたのに、なぜ今、不具合が出たのかを明らかにしなくてはならないと思います。

とりわけ、経年変化への対応を心配しています。このエレベーターでは、経年変化に制御システムが対応できていなかった可能性があるような気がします。このような事故が他のエレベーターでは起こらないと信頼するに足る情報がありません。

報道で取り上げられた不具合のある他のシンドラーエレベーターでは、制御システムの不良があるようです。そうした不良への対応は当然重視されるべきです。その対応が杜撰であることも報道されていました。それは、メンテナンスの問題と言うべきか、製造の問題というべきか……?そちらについては、しっかりと「けじめ」はつけるべきです。

もし、問題のエレベーターも、他のエレベーターと同じようなシステムの問題だとしたら、問題は限定的になります。しかし、そうした解明された不良でなかったとしたら?

私の空想に過ぎませんが、経年変化への対応も必要ではないかと思います。そうした不具合は、従来は、現場の技術者が微調整できたのに、コンピューター化が足枷となって、難しくなっているのではないかと想像します。経年変化とコンピューター制御との関係は、未経験の領域ではないかと思います。

その他の微妙な条件の変化も、制御システムを混乱させているのではないかと想像します。設置された建物も経年変化をしていると思います。想定していないような使用方法による影響も、問題の制御システムが対応できていないのではないかと疑っています。これは、コンピューターの限界をこえているのではないかと思います。

もしそうだとして、制御システムをうまく管理すればよいのか、制御される装置の整備を制御システムに合うようにすればいいのかはわかりませんが、そうした検討から、少なくとも、制御システムの改善やメンテナンスの向上に寄与する教訓が得られると思います。

その昔、最初のジェット旅客機が悲劇の中で教訓を残したように、この事故も悲劇を乗り越えるような教訓を残せるよう、関係者は誠実に対応するべきだと思います。

その音頭をとることができる人が何人かいます。区長は、その1人だったはずだと思います。やらなかったからと言って、咎められることではないと思いますが、やって成果を出せれば、手柄だと思います。

これは、責任のなすり付け合いよりも重大なことだと思います。しかし、そこまでの仕事は考えてはおられないようです。

どうも、最近、事件や事故について、「強気な首長」が多いように思います。関係者の責任のなすり付け合いを批判します。しかし、その首長自身も、関係者に他ならず、自らの責任は棚に上げ、責任をなすりつけるための強弁や、存在をアピールするための強弁をはいているだけのことが多いような気がします。

何をすべきかもわからないが、何かをしなくてはならないという状況で、とりあえず、自分に火の粉がかからないように強弁をはいているように見えます。それだけならまだしも、無知や無責任からくる拙速な判断で、肝心な問題から目をそむけてしまったり、下手な対応で混乱させていることもあるようです。

ところが、そういう政治家に限って、人気があったりします。

私は、そういう政治家は苦手です。首長には、拙速を避け、堂々としていて欲しいと思っています。そそっかしく動き回ることと、誠実でやる気があることは別のことだと思います。また、強がってみせることと、信頼感を示す事も別だと思います。
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by gskay | 2006-06-17 00:37 | 政治と役所と業界
無神経な報道陣
エレベーター事故関連の取材過程の話が記事になっていました。少し前の記事です。事故の原因について、保守に重大な責任があるということが明らかにされる前のものです。製造元が全面的な責任があるかのごとく捉えられていた時期です。引用した記事を読んで、「彼ら」の無神経さを思い出しました。

JINビジネスニュース シンドラー幹部 国交省で110番騒ぎ


2006/6/12
国土交通省に事情聴取されたシンドラーエレベータの幹部が2006年6月9日、「身の危険を感じた」と110番、警察官がかけつけるという騒ぎを起こしていた。取材陣が詰め寄ったというわけでもないのに、幹部は3時間も省内に閉じこもり、失笑を買った。

このトラブルは6月9日、国土交通省がシンドラー社に対して事情聴取を行った時に起きた。3人の幹部が国土交通省の担当者に東京都港区の死亡事故や、日本各地の同社製エレベーターの不具合について説明し終えた午後2時20分ごろ、廊下に姿を見せた3人に、集まった約30人の報道陣が「どのような説明をしたんですか」などと質問した。3人は無言で、逃げるようにその場を立ち去った。

(略)

この様子を目撃した共同通信記者は、JINビジネスニュースの取材に答え、現場の様子を話し、そしてこう言った。

「私たちが幹部に詰め寄ったわけではない。でも、なぜか非常に警戒していた。建築指導課職員を通じ、カメラも回さないし、質問もしないと伝えたら、帰っていった」
(略)

この記事を見て、取材する側の一方的な主張にすぎないと思いました。

廊下に30人の取材陣がいて、ドキドキしないで居られますか?しかも、小走りに、口々に何かを叫びながら、マイクやレコーダーを突きつけて来ます。

「詰め寄ったわけではない」 ???

マンションの前に、取材クルーが一組いるだけで嫌になっていたころを思い出しました。

取材を受けてくれる人がみつかるまで、全部の家を「ピンポーン」とやっていましたっけ。ヒューザーの手配で、ガードマンがつくまで続きました。

住民集会があろうものなら、「約30人」の報道陣。あの手この手で、参加者に声をかけ、無理矢理押し入ろうという人も少なくありませんでした。マスコミが騒いで、会場の管理者や近隣から苦情が出ました。道路の通行の邪魔になっていたそうです。

報道陣は、集会が終わった段階で役員が会見すると言っているのに、嫌がる住民を取り囲んでいました。だれかが囮になって、道を作ったりしました。

へー、詰め寄ったわけじゃないんだ。

取り囲んだだけ……?(ひとりひとりの記者は、近寄っただけ。そして、質問のために声をかけただけ。)
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by gskay | 2006-06-16 14:01 | メディアの狂騒
現金決済と業界の非効率
ヒューザーと業者の間の決済は、現金だったそうです。これは、業界の常識に反していたそうです。手形が普通だそうです。

ヒューザーに言わせれば、コストダウンを実現する要素の一つということでした。アパグループも同様の方針らしいという話を聞きました。他にも、同様の手法で成功している企業があるそうです。代金をうけとる業者にとっては、流動性が高く、信用が高い現金が一番重宝ということだと思います。資金繰りや現金化に悩まずに済みます。

実際には、成長中の企業は信用に劣る部分があり、現金を使わざるを得なかったのかもしれませんが、それがコストダウンに繋がってしまうというのは、業界の構造的な非効率さの裏返しではないでしょうか。

現場で働いているのは、何重もの下請けを経た業者で、一つ一つの業者が個人に近いくらい、分節化されています。この業界の構造は、業者をとりまとめるだけのような仕事に大きな意味を持たせていると思います。そこには、手形の管理など複雑な事務仕事が伴っています。無意味とはいえないものの、それを少し整理することで効果が出てしまうくらい、非効率になっているようです。

効率的に資金を確保して利益を増やすための金融の手法が、利益に繋がらないばかりか、コストを上昇させているというのはおかしな話です。また、とりまとめが必要な程、現場がバラバラになっていながら、それぞれは報われていないというのも変な話です。しかもその構造は、質の向上には繋がっていないように思われます。むしろ、欠陥工事の温床です。

現状では非効率な面が強く、中間の過程を整理することができればコストダウンにも繋がります。これは、デベロッパーと現場の業者の距離を縮め、現場への報酬を増やし、仕事の質を高めるという理念が成り立ちます。業界の常識に縛られていたり、そこで利益を上げている人にとっては、冷笑の対象にしかならないようですが……。

コストダウンへの批判は、高コスト体質を肯定する主張であってはならず、質を落とす事への批判でなくてはなりません。直接の批判は、質を確保できないということに向けられるべきです。質を確保できない仕組みという点では、高コスト体質も同じです。

高コスト体質は、現場へのしわ寄せの上に成り立っています。その高コスト体質に対処せずに無理なコストダウンをすれば、問題につながります。無理なコストダウンによる問題と、中間過程が非効率で利益がでにくい高コスト体質とは、表面化の仕方が異なっているだけで、同じ問題だと思います。

現場にしわ寄せがいかないような、中間過程のコストダウンの努力なら歓迎すべきだと思います。

ヒューザーや木村建設に関しては、目指す方向は妥当でも、不徹底で、結局、理念で終わってしまったようです。ヒューザーは、中間過程の負担を減らすために、自社施工を試み始めた矢先でした。

アパをはじめ、同様の手法は、主流ではないが、それほど珍しいことではないようです。こうした手法と、旧来の高コストな業界とは対立することもあるかもしれません。当面の軋轢の後、最終的には、現場で仕事をする人が報われる仕組みへと発展するとともに、供給されるものの質を高めてほしいと思います。

今後、材料費が上昇すると予想されています。それは、中間過程が非効率な業界を直撃しかねないと思います。本来、中間過程の充実は、そうした衝撃を緩和するためにあるはずですが、逆に作用して、負担になるように思われます。

幸い、同時に、少子高齢化を目前とした住宅に関する最後の需要の波が予想されています。ここで、工夫できれば、未来が開けるのではないかと思います。

といっても、これは、難しいことなのかもしれません。住宅の質や購入者の満足を高めることができないままかもしれないと危惧します。

もし、ここしばらくで日本の住環境が改善しなかったら、見切りをつけます。

シンガポールのマンションの方が広いそうです。これは、政策的に誘導されているそうです。日本はダメな国らしいです。(ちなみに、ヒューザーのキャッチフレーズの受け売りです)
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by gskay | 2006-06-15 16:48 | 政治と役所と業界
住宅ローン金利軽減
3年間のローン金利軽減が始まりました。4月に銀行で相談し、6月の返済に間にあうように手続きをするということになっていました。

ゴールデンウィーク前後には、銀行内での稟議が済むと言う話でしたが、少し遅れました。6月の返済に間に合ったので問題はありません。先月末に手続きをしました。手続き自体は、あっという間にすみました。

1.5%の金利軽減で、最低の金利は、0.5%。もともとの金利が低かったので1.5%の軽減枠を使い切らずに、最低の0.5%になりました。

返済額については、仮住まいの家賃負担分に相当する金額を引いた額になるように設定されています。1.5%の枠には程遠いものの、金利の軽減は、大きなインパクトがあります。

この方針で返済すると、最終的な返済の総額を増やさずに済みそうです。毎月の返済額をそのままにして、元金を多く返すのはダメと言われましたが、月々の元金の返済を大きく減らさず済んでいます。これで、金利軽減の期間が終わっても元金が減らずに残っていると言う心配はなさそうです。

この調子で当分は返済を続け、今後、自己負担額が決まった段階で、再検討しようと考えています。

幸い、家計のバランスが崩れたという印象はありません。ローンに圧迫されるという事態は回避されたと思います。当初は、ローンが負担となってリスクになると考えていました。世間でも、そのように心配されていました。しかし、冷静に考えると、ローンを借りていたおかげで、むしろ、リスクが軽減されているような気さえします。

ただ、我が家は、例外的かもしれません。

仮住まいの家賃の負担については、住民の中でも、最小に近いと思います。区から提示されたURの賃貸マンションの中で、一番狭い間取りの部屋を選んでいます。細かくいうと、家賃について補助される金額も、限度よりもわずかですが少なく済んでいます。(ちなみに、物が少ないので、引越の補助も限度以下で済みました。)

他の方々については、区から提示された仮住まいは、それなりの広さだと高額な家賃であったので、自己負担も多くなっていると思います。必要な広さや生活とのバランスの問題です。また、引越費用も補助ではまかなえないのが普通ではないかと思います。加えて、倉庫等を手配している人もいるようですが、私は心配せずに済んでいるため、その辺りはよくわかりません。

私の場合、家具などは、ろくに揃う前にこうなったので、預けるべきものはありません。しかも、親戚や友人が、適当に引き取ってくれました。ちなみに、仮住まいに持って来たものの、引っ越した途端に使わなくなったものがあり、この週末に、実家に引き取ってもらうことにしました。もとのマンションに合わせて購入した物で、向こうでは愛用していましたが、生活スタイルが変わったのだとしみじみ思います。

その他の出費をみると、もとのマンションの管理費や積立金などの月々の出費は無くなりましたが、その分、仮住まいのマンションでの様々な費用がかかるので、ここはトントン。ただ、光熱費が、ビックリするほど高額になりました。狭くなったのに。(一体、どこに消えているのだ?建物や施設がやや古いため?)

今のところ、家族が少なく、物も少ないおかげで、我が家は、仮住まい中も家計のバランスを崩さずに済んでいるように思います。このバランスを保つようにしなくてはならないと思います。
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by gskay | 2006-06-14 16:51 | 損害と回復
公団への期待
公団は、新しい住環境の提供のリーダーの役目を果たしていました。成長の時代には、公団が提供する新しい住生活に大きな魅力があったと思われます。今は、別の観点から、公団住宅の末裔のURに注目しなくてはなりません。

公団マンションの値段は、決して安くありませんでした。むしろ、民間に比べ、高い場合が多く、高い価格とひきかえに、先進的な住環境と安心を手に入れたのだと思います。右肩上がりの成長を先取りするようなものだったのかもしれません。

公団住宅に住むには相当な収入が必要で、その審査も厳格なものであったそうです。公団住まいは、金持ちではないが、安定した豊かな生活の証のひとつであったのだと思います。加えて、公的なプロジェクトであり、先進性と安心感が魅力でした。

比較的収入が高い層に人気があり、価格に神経質になるより、先進的な企画が尊ばれる環境にあり、豊かな資金的環境で事業を進めることができたのではないかと思います。そのような状況では、厳しいコスト管理は要求されなかったのではないかと思います。

コストが多少かかっていても、先進的で魅力あるマンションであれば人気があり、最終価格で回収可能であるばかりか、その利益から次の事業のための資金の確保できるような情勢だったのではないかと思います。大胆に、次の事業へとすすめることができたのだと思います。

これまで、民間のマンション事業も、成長を前提とした体質を引き継いでいて、人気が出る企画を作れれば、多少、コストが余計にかかっても、価格に転嫁して解決できるという仕組みで進められてきたと思います。

社会が成長し、発展している時代には、そういう事業が歓迎されたのだと思います。

しかし、今は、成長の時代とは言いがたく、マンションや住まいについて、高いコストに見合うだけの魅力となる先進性というものを打ち出しにくくなっていると思います。競合相手となる供給業者も充実しました。

結局、公団の分譲マンションは、早々に、値段に見合う先進性が確保できなくなり、苦戦が強いられる事態となりました。公団による分譲の末期には目論み通りにいかない事業もだいぶあったようです。社会や経済の成長にともなって住生活が革新されている時代が終わり、成熟段階に入ったということではないかと思います。

これからの時代、成長を前提とした大胆で強気な分譲への人気が復活するとは思えません。にもかかわらず、今でも、業界には、先進性を理念とする高コスト体質が残っていて、そこに安住していると思います。成熟を遂げた今、先進性は期待できないにもかかわらず、コストへの意識は変わってこなかったと思います。

加えて、今回、公団でさえ、安心については厳しい見方をせざるを得ない状況が明らかになりました。先進性ばかりを重視し、次の事業を前提とした利益確保を優先し、高コストでも、安心は軽視される傾向があったのかもしれません。こうして作られてしまった建物が抱える問題の解消の目処は立っていないと思われます。今でも、作り続けられているのかもしれません。

ところで、個々の事業について言えば、安心に注目が集まり、品質を厳しく評価するようになっていくと思います。また、大きく需要を眺めれば、建て替えや再開発にシフトしていくと思います。

こうした変化は、先進的な魅力で新たな需要を掘り起こすことにしがみついた従来の高コスト体質では対応できないものです。目新しさは二次的なものになり、厳格な管理によって安心が確保されたマンションが安定して作られることが重視されるでしょう。

厳格な管理を行うなら、同じ性能なら低コストが要求されます。性能に厳しくなると同時に、コストの無駄に対しても厳しくなると思います。同じ費用であれば最大の性能を確保し、同じ性能であれば最小の費用で実現するという姿勢が求められていると思います。結果として、建物の寿命も延び、作り続けることを前提とした業界に変化が必要になると思います。

目新しいものを作り続け、新たな需要を掘り起こす仕組みには見切りをつけ、既存の建物の建て替えや、再開発という事業を充実させる必要があると思います。これは、同時に、より厳しい品質管理とコスト管理が要求されると思います。しかし、それに対応できる仕組みは未整備だと思います。

その未整備な部分をリードすることが、URに期待されているのではないかと思います。

あいにく、これまでの公団は、成長時代の住環境の改革のリーダーでしたが、杜撰な管理で、欠陥まで振りまいてしまったという点でもリーダーでした。その後始末として、いかに適切に建て替えを行うかが、成熟社会におけるURがリードしなくてはならないポイントだと思います。

URになって、「再開発」が強調されています。ピンとこない部分があり、イメージが掴みにくいと思っていました。

この状況になって、その「再開発」とは、成長の時代に作られ、中途半端に置き去りにされている建物の再開発ということではないかと、思うようになりました。欠陥住宅の建て替えや再開発をスタートにし、さらに既存の性能が不十分な建物へと事業を押し広げていくための絶好の機会は、今なのかもしれません。

今、URは、業界が大きく変身するためのリーダーとなることが期待されているように思われます。成長を前提として建物を作りまくる段階を終え、成熟したという前提で建物を作り直していく時代に入ったと思います。

成長が期待できない時代の再開発や建て替えは、厳しい意識を持った依頼になると思います。そのようにして、作り直された後の建物は優れた性能を持ち、寿命はとても長いものになると思います。それは、ある意味で、これまでの業界の利益に反します。当分の需要は高いものの、将来は、淘汰も必要になるのかもしれません。それでも、成熟を迎えた時代の変化として対応していくべきことだと思います。

変化に対し腰の重い業界をリードし、性能に優れ、寿命が長い建物を作る体制を確保してみせることが、当面のURの責務なのではないかと思います。かつて、成長を牽引するリーダーであったように、成熟の時代にも変革のリーダーとして活躍できるかどうかが試される時期に来ているように思います。

URには、これまでの先進性への挑戦から、どのような水準を求めるべきかという知識の蓄積があると思います。その性能を軸に、それを納得できるコストを実現する体制をいかに築くかが、URに求められていると思います。安全な街を作るために、URのような組織の活躍は欠かせないような気がします。

過去の不手際を非難することも大切かもしれませんが、これからの時代に対応するための変化に期待すべきではないかと思います。
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by gskay | 2006-06-13 13:32 | 政治と役所と業界
公団住宅は大丈夫?
耐震偽装事件のかげで、公団マンションの不適切な実態が、チラチラと見えます。かつて、公団の分譲マンションがありました。公団自体は、URという団体に引き継がれ、今は、分譲はしていません。

公営の住宅と混乱もあるようですが、公団住宅は、分譲でも賃貸でも、民間より安いと言うことは、今も昔も、全然ありません。むしろ、高価です。

公団は、新しい「住」のスタイルを提供してきた輝かしい歴史を持っています。ニュータウン建設を推進して街を変えてきました。様々な住宅設備を研究し、日本人の生活のスタイルを変えてきました。日本の住宅を改革して来たリーダーだったと思います。先進性と、公的な背景という安心とにより、日本で最大で最強のデベロッパーとして、様々な成果をおさめてきたと思います。

分譲の末期の頃は、値段の付け方が雑だったり、先進性が乏しくなったりと苦戦していたようですが、強気のままだったような印象があります。公的な団体であり、建設省ないし国土交通省と強い絆でつながっているだけで、「最強」だったと思います。

その公団の末裔であるURが、長年の不手際を追及されているようです。

耐震偽装の関連では、構造計算書を紛失していたり、管理が悪くて閲覧できなかったりという不手際が報道されました。これは、手続きの問題で、性能の関わる問題ではないのが、せめてもの救いでした。

一方で、欠陥工事によって大量の建て替えが行われているという話も伝えられました。欠陥工事は、施工レベルの問題で、立証や責任の整理が難しい問題ですが、前向きな対応は、問題に対する対応の見本になるものかもしれず、少なくとも、設計までは疑う必要はないようでした。

そんな中、欠陥工事で大量の建て替えが行われる団地から、耐震強度への不審が呈されました。引用を見る限り、かなりグチャグチャです。

都市再生機構マンション、耐震強度は基準の58%


 構造計算書を多数紛失していた独立行政法人・都市再生機構(旧都市基盤整備公団)が、東京都八王子市で1989年に分譲したマンション1棟の耐震強度が、最弱部分で基準の58%しかないことが、社団法人・日本建築構造技術者協会(JSCA)の調査で分かった。

 建築確認が免除されている公的機関が建設した建物の設計で強度不足が確認されたのは初めて。また機構はこのマンションの計算書も紛失したとして、「再々計算書」を作成したが、JSCAの分析では、同計算書には柱の強度の水増しなど十数件の不審点があった。事態を重く見た国土交通省は、機構の担当者から事情を聞くなど調査に乗り出す方針。このマンションでは悪質な手抜き工事も判明しており、機構による住宅の信頼性は大きく揺らぐことになりそうだ。

 このマンション(6階、19戸)は機構が88〜92年に建設したマンション群46棟のうちの1棟。構造設計は都内の設計会社に下請けに出されていた。元1級建築士・姉歯秀次被告(48)による強度偽装事件をきっかけに管理組合が、機構から提供された構造図の分析をJSCAに依頼。その結果、耐震強度は6階が基準の58%、1〜5階が65%しかなく、補強の必要がある。

 一方、機構は同マンションの構造計算書を「紛失した」として、「再計算書」、「再々計算書」を作成。この再々計算書についても住民側はJSCAに分析を依頼した結果、〈1〉柱の強度を割り増し〈2〉大梁(はり)にかかる力を低減〈3〉床の鉄筋量を過大評価——など十数か所に不審点が判明した。

 これらについて機構は「JSCAの調査結果の中身をよく検討し、対応を判断したい」としている。

 同マンション群では、鉄筋不足など手抜き工事が次々と発覚し、46棟中20棟を建て直す異常事態となっている。問題のマンションは建て替え対象とはなっていないが、手抜き工事も加わって実際の強度は58%を下回る恐れもある。

 国などに準ずる機関とされる都市再生機構は、建築確認を免除されており、計画を自治体に通知するだけで建設に着手できる。今回、強度不足が判明したことで、構造計算書を点検する動きが他の機構マンションにも広がる可能性もある。
(2006年6月2日3時3分 読売新聞)

民間が事業主である場合、確認申請を経て建築確認されます。一方、公的な組織では、計画通知と呼ばれる特例を経て建築確認が行われるそうで、微妙にニュアンスが異なっているようです。また、違法建築の取り締まりについても、特例です。

引用のケースは、再計算や再々計算の問題であり、設計段階の建築確認とは離れているので、一連の耐震偽装と同列に考えるべきではないと思われます。設計からダメだったとは言えません。

しかし、再々計算の不審点については、きちんとした対処が必要で、なぜ、不審な再々計算をしているのかを明らかにしなくてはいけないと思われます。「偽装」と、「見解の相違」は紙一重です。辻褄あわせに、不法な計算や書類の作成をしている点は同じです。この件は、位置付けは異なるものの、耐震強度偽装問題と捉えなくてはならないと思います。影響は小さなものではすまされないと思います。

まず、公的な組織でさえ耐震計算がいい加減だったとしたら、設計段階にしろ、補強のための耐震診断にしろ、信頼はできません。これは、国全体が耐震化に前向きになっていることに水をさすことになると思います。いい加減な検査がまかり通っているとしたら、そんなものに費用を費やす気にはなれません。また、そんなことで、違法として取り締まられるのも困ります。

また、いくら公的な組織で、特例の対象とはいえ、全容解明が必要だと思います。公団が、手がけた物件を全てチェックし、氷山の一角なのかどうかを明らかにしなくてはなりません。何といっても、最大最強のデベロッパーであっただけに、すごいことになりそうですが……。

きちんと対応したうえで、状況が明らかにならない限り、住宅の改革のリーダーであった公団は、施工の欠陥や、偽装にかけてもリーダーであったのではないかと疑わざるをえません。

その上、仮に沈静化を待ち有耶無耶に持ち込もうなどということがあるなら、隠蔽にかけてもリーダーだったということになりかねないと思います。うまく隠し通せば、誰も気付かないので、非難は起こらないとは思いますが……。
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by gskay | 2006-06-12 12:16 | 政治と役所と業界
エレベーター事故/追及の矛先が狂っている
他人事ではない悼ましい事件だと思います。

現場の安全や安心の確保や御家族のケアなど急場の対応がぬかりなく行われていることを望みます。また、事故の原因究明は、適切に急いで行って欲しいと思います。

事故の原因究明に関し、また、メディアの狂騒が始まってしまったように思われます。

問題は、エレベーターの管理や整備が適切であったのかという点だと思います。マンションを管理する区公社に責任があるとともに、エレベーター管理をしていた会社の責任が問うのが最重要だと思います。

しかし、現状は、製造したシンドラーという会社の追及になってしまっています。確かに、その会社の態度は共感できないところがあります。しかし、不合理であるかといわれると、そうではないと思います。

資料の提出など、捜査当局や国土交通省、都などが共有できておらず、個別に会社に請求しているようです。事態を重く見るなら、むしろ、当局同士が協力し、情報を共有しても良いように思います。当局同士の協力ができていれば問題とならないような気がするのですが……。

エレベーターは、メンテナンスが良好であるという前提で、整備のもとで運用されているはずです。だとすれば、メンテナンスが不適切であることが直接の原因である可能性が第一ではないでしょうか。

次に、無理な設計や、製造の不良などを検証すべきだと思います。もし、無理な設計や製造の不良があれば、問題は他に波及するので、高度な対応が要求されます。部品の老朽化など、新たな問題箇所があれば、しかるべき対応が必要です。しかし、今のところ、そういう情報はありません。

ブレーキに関し、保守管理が適切であったのかどうかを疑わせるような内容が報じられており、まずそこを追及するのが筋だと思います。

もし、メンテナンスが行き届いていないなら、それは、設計などの問題なのか、管理会社の問題なのかを追及する必要が出ると思います。

シンドラーに対する不信は、強いていえば、「不具合が多発していたらしい」、「値段が安い」というのが根拠のようです。しかし、不具合については、他との比較がなされていないのでナンセンスだし、値段については、何の指標にもなりません。

問題がメディアの餌食になってしまって、また、グチャグチャです。メディアは肝心なことを軽視していると思います。

直接には、エレベーター管理会社が何をしたのかを明らかにしなくてはならないと思います。「異常なし」と報告していたというではありませんか。能力をふくめてチェックするべきです。

もしかしたら、異常にメンテナンスが難しい機種なのかも知れません。だとしたら、メンテナンス能力を向上させて安全を確保しなくてはなりません。

シンドラーを悪者に仕立てる方向があるように思います。その陰で、肝心の追及の矛先を忘れていると思います。

少なくとも、今のエレベーター管理会社と、昨年度の会社、それに一昨年度まで担当していたシンドラー、そして管理をしている区の公社が何をしていたのかが明らかにされなくてはならないと思います。

報道では、このエレベーターについてシンドラーが管理している時代に報告書が提出されているとのこと。その内容が知りたいところです。

区公社の担当は、専門過ぎてわからなかったといわれていますが、内容次第では、管理を担当していた公社がしかるべき措置を行っていなかったというのが最大の原因ということになる可能性があると思います。

「シンドラーの態度がけしからん」とか、「値段がおかしい」という間接的なことを追及したところで、肝心の問題は解明されません。それでは、亡くなった方が浮かばれないと思います。
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by gskay | 2006-06-10 17:00 | 安全と安心
効率化と進歩の歪み
土地を遊ばせている人の味方として急成長した企業が、やり玉に上がっているような気がします。

便利で大きな駅の駅前の土地を遊ばせている人には、ビジネスホテル。総研しかり。東横インしかり。アパグループしかり。所有や経営のあり方は異なっていて、それぞれが特徴を出しているものの、駅前の土地を活用しようと言う動機は共通だと思います。

一方、小さな駅や、駅から離れた土地を遊ばせている人には、マンション。狭い土地には、ペンシルビルを建てて賃貸に。ある程度の大きさなら、分譲。

当たり前のビジネスなのに、なぜ、そういうビジネスを手がけると成長できるのでしょうか?逆に、既存の企業は、なぜ、それで儲けようとしなかったのでしょうか?ニーズはあったのに。

ポイントは、効率化やコストカットであるような気がします。効率化やコストカットを武器とみるかどうかが問題だったのだと思います。

提供する側からすると、効率化やコストカットは、それを武器にのし上がるという野心をもっている人にとってだけ魅力的です。むしろ、必要性を感じていない既存の業界にとっては、余計な脅威です。

ところが、業界の思惑とは別に、提供を受ける側に取っては、効率化やコストカットは歓迎です。

そこに、成長の余地が生まれます。そして、問題発生の余地も。

従来の非効率で高コストであったら実現しないような事業を実現してみせたのが、やり玉に上がっている企業ではないかと思います。

そのやり方が、問題発生によって、悪のようにみなされています。これについては、冷静に見なくてはならないと思います。

大抵、そうした野心をもって成長する企業の理念に対し、既存の業界は否定的だと思います。たとえ、それが可能でも。

はじめは、成長する企業に背をむけるのが、ほとんどだろうと思います。なぜなら、今は、困っていないからです。周りを見渡し、そうした効率化やコストカットが、ある程度当たり前になってからでも、対応は間に合います。だから、既存の企業や業界の人々は、積極的になる必要はありません。時には、抵抗する方が「得」であるときもある。さしあたっては、今の事業で儲かるだけ儲けるべきです。

一方で、そうした既存の業界の中には、良い立場を占めていない人もいます。そうした人が、成長する企業に歩調をあわせることがあります。ここで、成長する企業にペースをあわせられれば円満です。しかし、そうした人の中には、成長する企業から離れることができず、かといって、ついて行く事もできないという人がいます。そういう人が問題を起こすのではないかと思います。

古い業界に戻っても幸せになれるわけでもない。かといって、野心について行ける能力もない。そこに、問題を発生させる歪みが生まれるのだと思います。

古い体質で儲け続けようと言う態度は、ニーズがある限り仕事を続けて構わないと思います。同じ事に余計なコストをかけても余裕がある人が顧客になってくれるからです。それが、通用しなくなったら、対策を考えればよい。その時は、効率化やコストカットを目指すなり、付加価値による高級路線を目指せばいい。

二つの方向性があるものの、既存の業界は、付加価値による高級路線を選びがちで、効率化やコストカットを目指すことが少なかったように思われます。これが、やり玉にあがるような新たな企業が生まれて来る余地だと思います。

今でも、多くのマンションについては、表向きは、付加価値路線であるような気がします。これは、価格を下方に硬直させたい提供する側の都合です。これだけでは、提供を受ける側のニーズを汲み取れているとは言い切れないと思います。だから、成長する企業としてコストカットと効率化が生まれ、徐々に、古い体質を圧迫しつつあったのだと思います。

ところで、効率化やコストカットを実現し、新しい体質でのし上がろうとするとき、問題は、新しい体質自身から発生するわけでも、古い体質から発生するわけでもありません。それは、古い体質にもなじめず、新しい体質にもついて行けないところから発生します。そして、ひとたび問題が発生すると、古い体質からの攻撃の格好の的になるわけです。

効率化やコストカットは、概して善だと思います。しかし、そこに副次的に問題がおこるため、効率化やコストカットに躊躇せざるをえなくなることがあるのだと思います。

そういう問題さえ発生しなければ、いつの間にか、効率化やコストカット、あるいは、その反対方向に進む付加価値路線が、当たり前のものになっていくのではないかと思います。

それが進歩や豊かさだと思います。

新旧の対立よりも、新と旧の間にある歪みが問題だと思います。その歪みをとりのぞけば、進歩や豊かさが安定して提供されるようになるのではないかと思います。
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by gskay | 2006-06-09 13:18 | いろいろ
組織犯罪という「構図」の結末?
捜査は、「構図」の解明への期待は裏切ったものの、問題の様々な背景を明らかにしたと思います。関係者の起訴・追起訴のニュースが流れました。同時に、当初の見立てである組織的な犯罪という「構図」については、立証できないという方向だという見通しも報道されています。大捜査が行われた割には、煮え切らないという評価もあると思います。

力が足らず真相に辿りつけなかったのかも知れません。だとしたら、捜査陣の能力を追及しなくてはいけません。発覚から強制捜査までの期間が長過ぎて、証拠隠滅があって立件できないのではないかという批判もありました。その後の捜査も随分時間がかかっています。

しかし、全体像は、ほぼ把握されているのではないかと思います。膨大な書類と、膨大な関係者の取り調べが行われ、異例の検証もすすみ、最大のポイントは押さえられていると思います。

捜査を通し、大々的な捜査の根拠になった元建築士の発言がひっくり返りました。事件の経緯のうち、最大のポイントは、これで解明されたと思います。

結局、世の中も、マスコミも、立法府も、そして捜査機関も、元建築士の発言に振り回されたということだと思います。

一方で、最初から、「構図」には、無理があったとみる人もいました。そんな事件だったとしたら、なぜ、このような大々的な捜査に踏み切り、「別件」ではないかという疑問の声が出るような逮捕劇まで演じられたのでしょうか?しかも、「別件」ではないかという逮捕劇の一部には、処分にもちこみにくいケースも含まれているように思われます。

しかし、それは「別件」と捉えるからおかしいのであって、その容疑自体が、業界の中の悪弊をえぐり出したと思います。メディアは微罪にすぎない「別件」と非難しますが、ひとつひとつの容疑には、議論しなくてはならない問題が満載だと思います。

むしろ、そちらの方が、悪党の組織的な悪だくみという「構図」より、問題の背景となる本質に迫っているような気がします。そうした成果だけでも、画期的であったと思います。しっかりと、最終的な司法の判断を見極めたいと思います。

今まで、大々的に報道してきたメディアは、このような結末に対し、どう振り返っているのでしょうか?「構図」を受け入れて展開された「世論」は、これをどのように捉えるのでしょうか?いずれも、「構図」が解明されなかったことを非難するのでしょうか?

状況と、元建築士の発言だけがたよりの「構図」でした。私は、巻き込まれた立場で、近くから見ていて、極端な空想のひとつにすぎないと思っていました。

結局、関係者の誰からも、「構図」を支持するような発言は得られなかったようです。「誰も口を割らなかった」とみなし、想定された以上に強力に「組織的」だったとみることもできます。そのように信じたい人は、信じていればいいと思います。立証できなかっただけで、真実はわからないという見方もできると思います。

しかし、今や、「構図」を前提として考える妥当性は無くなってしまいました。

あっという間に、世の中を席巻したのは、登場人物のキャラクターが際立っていて、それをおもしろおかしくエスカレートさせて報道することができたからではないかと思います。被写体という材料として、格好の存在だったのだと思います。それを売り込むのに「構図」は都合が良かったのではないかと思います。

ただ、この結末により、今まで、「構図」で事件をみてきたほとんど人にとって、事件自体がどうでもいいことになってしまったのではないかと思います。この事件がはらむ他の大事な問題に一顧もせず。

偽装のきっかけは、「構図の」通りではなかったとしても、偽装が続けられ、エスカレートしていく経緯は明らかになったとはいえず、検証の余地は残っているのではないでしょうか。

私は、そこに新たな悪意を見出すのは難しいとは思っていますが、関係者の過失や不法行為の積み重ねは明らかにできると思っています。ひとつひとつは些細なものかもしれませんが、システムの根幹にかかわる問題があると思っています。「構図」のように、面白いものではありませんが……。

「構図」は、松本清張の世界のように壮大で、ハラハラとするものでした。しかし、それは、エンターテイメントとして整理され、素材が取捨選択されて、単純化されているから、面白いのだと思います。そういう気分で、人々は「楽しんだ」のではないかと思います。

しかし、現実は、ちっぽけな行為が、デタラメなシステムにより増幅され、深刻になってしまったという事件なのではないでしょうか。その全体像は、複雑で一筋縄で読み解く事は困難です。だからこそ、それを読み解く努力が必要なはずでした。しかし、その努力の機会は、松本清張ばりの「構図」によって奪われてしまったのではないかと思います。

結局、「構図」は、問題を矮小化してしまったと思います。

盛り上がったけれど、肝心な問題はぼけてしまいました。意図的にそのように仕組んだのならすごいことだと思います。例のブログさえ、筋書きの中の歯車のひとつにすぎないのでしょうか?それとも、たまたまなのでしょうか?それはそれで、新たな「構図」のネタになるかも?そっちこそ本質?

私は、重要なのは、「構図」の証明や、悪者の成敗ではなかったと考えています。世の中が「構図」に拘泥している間に、ほとんどの人には注目されないようなポイントがいくつも明らかになっています。捜査も、それに貢献しています。

今こそ、そのポイントのひとつひとつに対し、的確な解決を目指さなくてはならないと思います。マクロな構図はともかく、ミクロな問題点に真剣にならなくてはなりません。少なくとも、関係者はそのつもりで、捜査の事実上の終了を「けじめ」のひとつとしなくてはならないと思います。

私も、購入者、所有者として、やらねばならないことをひとつひとつやっていくつもりです。

何だか、消化不良です。しかし、それは、「構図」についての消化不良なのではなく、肝心な問題のひとつひとつについての消化不良です。
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by gskay | 2006-06-08 16:52 | 真相 構図 処分