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建て替え等の進捗状況
国土交通省のサイトの構造計算書偽装問題対策連絡協議会(第26回)議事概要に、ヒューザーが建築主の保有水平耐力比0.5未満の分譲マンションの建替え等の進捗状況(10月25日現在)という書類があります。10月25日現在で、3つのマンションで建て替え決議が行われていることがわかります。さらに、引用記事のように、一件が建て替え決議を行ったとのことです。

Sankei Web GS東向島が建て替え決議 ヒューザー分譲で4例目(10/29 16:52)


GS東向島が建て替え決議 ヒューザー分譲で4例目

 耐震強度偽装事件で強度が基準の31%しかない分譲マンション「グランドステージ(GS)東向島」(東京都墨田区、36戸)の住民集会が29日開かれ、区分所有法に基づく建て替え決議が行われた。区分所有者全員が賛成した。住民の追加負担額は1戸当たり、3200万円から1500万円で、平均2000万円。

 マンション販売「ヒューザー」(破産)が分譲し、強度が基準の50%を下回る東京、神奈川の11棟のうち、建て替えが決まったのは、GS溝の口(川崎市)などに次いで4例目。

 決議によると、現在と同じ11階建てで再建するが、各戸の面積は現在に比べ96%に縮小。総事業費は13億円を見込む。全36世帯のうち1世帯を除く全世帯が再建後のマンションに戻る予定だ。今後は建て替え組合を設立し、最長16カ月かけて建て替える計画。

 GS東向島の住民代表、田中拓さん(33)らは「ようやく一歩を踏み出すことができた」としつつも、「現行ローン3000万円に、2000万円の追加負担。経済的な課題は依然解決していない」としている。

(10/29 16:52)

再建後のマンションに戻らないということを明らかにしているのは、私が知る限り、報じられている1世帯だけです。いろいろと事情があるのだと思います。

マンション建替え事業方式についてをみると、大きく分けて、3つの手法があげられています。買い取り方式、個人施行、組合施行で、それぞれのメリットやデメリットが列記されています。

買い取り方式は、任意事業ということで、もともとの国のスキームもこの方式に分類されるようです。一方、個人施行および組合施行は、マンション建替え円滑化推進法に基づくものとされています。反対者が出た場合、任意事業や個人施行は頓挫してしまいます。

また、建て替え決議についても、区分所有法による決議によるか、管理組合総会による全員決議によるかという違いがあるようです。これも、反対者の有無により差が出ます。

反対者の有無が決議の形式や、事業の方式の差を作るポイントになるようです。また、民間事業者がどのように関与するかという点も、戸数を増やして分譲する事を念頭に置くと、事業の形式を考える上で大事なポイントになるようです。

さしあたり、「進捗状況」を見る限り、横浜の物件の改修を除けば、マンション建替え円滑化推進法に基づくものばかりで、現在のところ、任意事業が進められているところは無いようです。

事業手法等を検討中が3物件ありますが、このうち2つは、次第に事業が固まると思われます。しかし、藤沢については、すでに除却が開始されているものの、もともとヒューザー所有物件が多く残っていたりと、当初から複雑で、意思を決めるだけで大変なのではないかと想像します。
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by gskay | 2006-10-31 22:33 | 建て直し
木村建設への届出債権
引用した記事は古くなりましたが、この記事の内容については、木村建設管財人から10月25日付の通知を郵便で受け取りました。

木村建設管財人、マンション住民の債権認めず 耐震偽装

2006年10月18日20時43分
 耐震強度偽装事件にからみ、破産手続き中の木村建設の債権者集会が18日、東京地裁であり、破産管財人の加々美博久弁護士は、偽装被害を受けたマンション11棟の住民が届け出た債権を全額認めない方針を示した。一部マンションの住民はこれを不服とし、近く査定を申し立てる。

 管財人は「木村建設やヒューザーが主導した偽装はなかった」という国土交通省の調査結果を示すとともに、建設会社は設計図通り施工する義務があり、偽装に気づかなくても直ちに過失とは言えないと説明。住民側の提出書類からも不法行為は認められないとした。

うちの場合、施工の欠陥が明らかにされている訳ではありません。建築確認されている設計通りの施工にすぎず、その後の検査にも合格しています。違法建築を作ったという責任が施工にあるかという点については、管財人の対場からは否定する判断が下されました。

施工に違法建築の責任がないと裁判で決定された訳ではないので、異議があるなら査定の申し立てなどが必要です。その場合、建築確認されているからと言って違法な設計によって建築を進めて良いのか、あるいは、完成後の検査に合格しているから適法な施工であったと言えるのかという観点から争う事になるのかと思います。

ただ、そのようなことに力を傾けるべきかは疑問です。どうみても明らかな欠陥工事があったとしても、施工の責任を問うのは困難であるという現状があります。明らかな欠陥によって不都合が生じ、実際の居住に苦しんでいる人たちさえ救われない仕組みしかありません。責任を問おうにも、その責任が曖昧でどうしようもありません。

まして、住むだけだったら別に困っていなかったのに、「違法建築」と言うことで巻き込まれてしまった我々の場合、木村建設にどんな責任を問えばいいのか難しい問題です。

とりあえず、検査によって適法とされている限り、施工の責任を問う事はできないというのが、管財人の考えの基にあるように思います。裏返すと、適法でない建物を施工者が作ってしまっても、検査に合格すれば良いという発想があるように思われます。
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by gskay | 2006-10-30 23:15 | 損害と回復
責任の隙間
イーホームズにしても、国土交通省にしても、あるいは、他の関係者にしても、本当に不誠実であるのかと問い詰めると、答えが難しくなると思います。偽装を行った張本人は問題外として、その他の関係者が自らの責任をきちんと考えると、一見すると無責任に見えたり、他に責任転嫁をしているように見えた行動や判断になってしまいます。

問題発生時の責任を事前に考えていない仕組みであるため、明確に責任の所在を明らかにできません。当事者は、自らの責任に誠実であろうとして、深く考えれば考える程、「どうやら、自分の責任は、せいぜいここだけらしい。他は自分の責任ではない。」ということになってしまいます。

その結果、端から見ていると、不誠実に見えたり、責任逃れをしているように見えてしまうのだと思います。

そうなってしまう必然があるからといって、そうした仕組みを肯定することはできません。それでは、目の前の事態の解決にはならないし、今後のための教訓を残す事もできないからです。耐震偽装の問題でいえば、被害の解決や再建ができないばかりか、問題を繰り返しかねず、しかも、安全で安心できる街をつくることができません。

そのような枠組みの中で、今更、関係者が攻防を繰り広げている場合ではないと思います。

イーホームズによる糾弾キャンペーンは、デタラメな仕組みを踏み出して、あえて発言しているところは評価できます。中身の多くの部分は納得できます。キャンペーンのやり方を含め、必ずしも、全てが適切とはいえないように思われますが、今後に期待します。

一方、公的な強い裁量を持っている立場が、期待された役割を果たしきれていないように思われます。そればかりか、どうも、「身内」に甘いと感じられるような対応しかしていないのではないかと思います。それが、追及されないのは困ったことだと思います。そして、抜本的な改善に対し腰が重い様子をみると、将来への見通しが暗くなります。

責任については、隙間があって、無責任体制になっていたばかりか、問題への対応能力や改善能力まで失ってしまっているのではないかと思います。問題の発生と同時に、様々な立場の関係者が、不連続にしか連携することができなくなっているように思います。

これまでは、辻褄の合わないケースに気付かなかったためか、隙間を意識する必要がなかったのかもしれません。しかし、それがあらわになってしまいました。

起きてしまったことへの追及が不十分であるという指摘もあります。発覚してからの対応の混乱の責任についても、充分に解明できていません。そこにも、責任の隙間があるために、限界があるのだと思います。

そうした限界があるからといって、問題を分析し改善を行うことを怠ってはならないと思います。将来に及ぼす影響を見据えていく必要があります。小手先の対応で終わりにすることには疑問があります。まず、責任の隙間を埋めなくてはいけないという現実を見据えた対応の必要があります。そのために、関係者は、時に、立場をこえる必要があると思います。

ところで、小手先の対応で終わりにしてしまう動機としては、世間の注目の低下しているからというものもあると聞きます。その世間というのは、何者なのでしょうか?どんな風に世間の注目が作られてきたのでしょうか?そして、これからどんな風に?

世間の注目という要素については、読み間違えると混乱に拍車をかかってしまいます。そして、関係者自身が、自らを傷つけることになりかねません。世間というものは、一旦、火がつくと、しばらくは正当性などお構いなしの混乱になってしまうことに注意が必要です。

そうならないようにするには、先手を打って、立場をこえた大胆な対応をして行くのがいいように、私には思われます。
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by gskay | 2006-10-27 20:47 | 政治と役所と業界
国土交通省前事務次官の参議院出馬
私は、官僚のOBが国政を目指す事をいけないことだと思っていません。むしろ、優れた能力と豊富な知識と経験を、志の達成のために活用して欲しいと思います。

また、関連業界の数の力で選挙を戦うこともいけないことだと思っていません。選挙のためには、多くの人を結集することは必要です。そして、その支持者の意見や希望を国政に反映させることにも意味があると思っています。不特定の有権者に訴えて当選することと、組織に訴えて当選することとの間に優劣はないと思います。

ただし、それが、不適切な行動につながるのだとしたら許せません。選挙の違反や、政治家としての不適切な活動は、厳しく追及されなくてはなりません。特に、当選後の不適切な活動への追及が不十分ではないかと思います。変に政争の具になってしまうケースがある一方で、全く注目を浴びない密室で、不適切な利益誘導がまかり通っていたりしていると疑われています。そこが、不信の源になっているのではないかと思います。

来年の参議院の比例区から、耐震偽装発覚時の国土交通省事務次官を務めていた官僚OBが出馬するそうです。自民党から公認されています。

どの省庁OBでも、最近の比例区の選挙では、省庁や業界に関連した組織票が着実に減少しており、苦戦が強いらているようです。加えて、この候補の場合、耐震偽装に関連した判断について問題視する声が出ています。

この候補が自民党の公認になったということを自民党のサイトで見つけた時、ビックリしました。「あれ、この人って……」正直に言えば、反発する気持ちがなかったわけではありません。ただ、この人を良く知っているわけではありません。関係者として名前を聞いていただけです。

建築を巡る行政の仕組みや、業界のあり方を深く考えて行くと、彼にとっては仕方がなかったということが多くあったように思います。無責任で曖昧な体制しかない以上、いくら事務次官でも限界があったと思います。

このデタラメな建築の体制の中で、この候補が何を問題だと感じ、どのような意見を持っているかがポイントではないかと思います。問題の渦中で、もっとも大事なポジションを占めていた人物です。そこから、多くを学んでいることだと思います。それを、活かしていきたいということなら歓迎すべきではないかと思います。

事務次官としての限界に対し、国会からアプローチして改革するという志を持っての出馬であるかどうかを見極めたいと思います。もしそうなら、私にとっては同志であり、決して敵ではありません。

今のところ、主張らしい主張が流れていないので、何とも判断できません。その一方で、イーホームズからの批判が流れています。私は、イーホームズの主張を鵜呑みにするつもりはありません。

官僚OBを支える組織票が微妙である以上、是非、しっかりと主張することで、組織の外にも訴えていくような運動をして欲しいと思います。従来型の「利益誘導」を期待させるような運動ではなく、仕組みの大胆な改革による問題解決を目指した運動を展開して欲しいと願っています。

(とか何とか言っていますが、この事件に巻き込まれるまで、長い間、新聞も読んでいなかった位の不見識で、実は、参議院の比例区の選挙の仕組みは、最近まで知りませんでした。周囲の人に聞いても、わかっている人は少数でした。これは、これで問題ですな。)
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by gskay | 2006-10-26 16:57 | 政治と役所と業界
どうしても無責任になってしまう背景
公的な部分について突き詰めて考えると、強い裁量を許された国の行政のあり方が問われるべきだと考えています。強い裁量自体に対しては、私は、肯定的でも否定的でもありません。ただ、無責任な体制であるにもかかわらず、強い裁量が許されているという点には疑問を感じます。そして、耐震偽装に関わる様々な問題の元凶であるばかりか、事態が拡大したり、深刻になったりする原因になっていると思います。

無責任な体制には二つあり、そもそも責任関係がデタラメな体制と、責任を問われる場合にもごまかしがまかり通る体制とがあるように思われます。

建築の場合、責任関係がデタラメという側面が強いと思います。国の行政には、強い権限が与えられている一方で、無謬であるという前提があるようで、問題発生時の責任の所在がはっきりしていません。

誤謬をおかしようがないような業務であれば、何も問題ないのかもしれません。現在の体制の元が作られた戦後復興のころの状況は、それで充分だったのかもしれません。

しかし、今は違います。建築は巨大なものになり、高度なものになりました。それを規制したり、指導したり、認めたり、許可したり、取り締まったりという業務の責任は重大であるばかりか、高度になって難しくなっています。

本来なら、もっと早く責任関係を整理しておくべきでした。しかし、それがなされないままここに至ってしまいました。考えられている法律などの改正も、従来の意識を出ていないように思われ、残念です。

ところで、ごまかしがまかり通る体制ということだとしたら、話は別です。本来、行政の責任は、言論や国会によって厳しく追及されるべきものです。

たしかに、旧憲法の枠組みであれば、行政がある程度強引なことを進めることも可能であり、超越した存在であることも不可能ではなかったと思います。しかし、今の憲法の仕組みは、それとは異なっているのではないでしょうか。

旧憲法での行政のあり方の延長上に、強い裁量があるように思われます。本来、それをチェックしたり抑制したりする機能が国会には備わっているはずです。与党と野党の対立ということではなく、行政を担う官僚を、内閣が管理し、国会が監視するという仕組みであるはずです。責任はそこで追及されるはずでした。

しかし、どうも上手に機能してはいないように思われます。責任を問う仕組みが機能不全になっている以上、ごまかしは簡単です。むしろ、自律が求められていた時代よりも、状況は悪化しているかもしれません。

今回の事件について、ごまかしがまかり通っているかどうかはわかりません。ただ、国の行政の責任という点については、無責任な部分が多いと感じます。不適切な点もあると思います。しかし、もともとのデタラメさに加え、ごまかそうと思えば簡単な体制になってしまっているため、その責任を問うのは容易ではないようです。
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by gskay | 2006-10-25 21:23 | 政治と役所と業界
警告の限界と大きな期待
イーホームズの社長の耐震偽装に対する責任についての考え方は、賛否の両方から考える必要があると思います。

建築確認や検査の見逃しという事実には責任がないということを訴える点では、責任を受け止めようとしない態度のように見えます。

彼は、大臣認定プログラムを用いた制度上の欠陥を訴えています。私は、それをふくめて、技術的な限界ではないかと考えています。それを改善することは重要です。しかし、そのことと、建築確認や検査が、違法な設計に対し、「適法」という判断を下した責任とは別の問題ではないかと考えています。

不可避であったとしても、背負わなければならない責任があると考えます。それは、所有者になった住民にとっても同じことです。自らの責任に誠実でなくてはならないと思います。

それとは別に、もっと重大な「責任」についての議論があります。

建築確認や検査については、たとえ見逃しがあったとしても、違法建築自体は、建築主や施工、設計の問題であり、検査機関の違法に対する責任はないという考えもあるかもしれません。彼がどのように主張しているか詳しくは知りませんが、確認や検査の位置付けは、とても曖昧です。

その曖昧な仕組みに対する議論は、新たにピアチェックを入れるという話とすり替えられてしまいっています。しかし、無責任体制の上に、いくら新しい制度を重ねたところで、意味はないと思われます。

それはそうと、建築確認や検査には、誤謬は生じないと言う前提に立っていて、責任を問う仕組みがありません。違法建築に対する対応として、建築の前提になった建築確認や検査をどのように位置付けるのかがはっきりしません。建築中はともかく、出来上がってしまった建物については、取り消しのような手続きが取られるわけでもありません。手続きとしての「適法」がいかに否定されて、「違法」になるかということが、明確には決まっていません。

建築確認や検査の責任が曖昧であるために、他の関係者の責任を強く問う事ができるはずでした。建築確認や検査にどんな意義があり、彼がどんな責任を負わなければいけないかと問うことは、関連する建築主や、施工、設計の責任を問うことでもあり、強いては、所有者である住民の責任を問うものでもあります。彼の場合、関係者の責任を追及し、自らの責任をミニマムにしようとしました。見方によっては、責任転嫁のようにみえますが、普通なら、これは、まともな考えだと思います。

しかし、建築の無責任は、建築確認や検査に限った話ではありません。このため、他の関係者の責任を問う事にも限界があります。そういう実態を無視しているため、彼の努力は、暖簾に腕押しになってしまったように思われます。

もともと、曖昧な責任関係の上に成り立っているという仕組みを理解していたなら、嵐が過ぎ去るのを待っていても良かったのかも知れません。そうしている人がいるのではないかと思います。それが、良い事かどうかは別ですが……。

彼が、そのような条件にもかかわらず、警告を発し続けていることは、評価すべきかもしれません。しかし、そのような条件である限り、その警告は、何も残さない可能性があるのではないかと思います。どうせ、誰も責任を負う気はなく、負う筋合いもなく、放置されてしまうでしょう。それは、マスコミや世間が取り上げないからという問題ではないと思います。

彼に期待したい事は、マスコミが死んだと嘆くことではなく、建築システムの問題を目の当たりにし、切実に悩んだプロとして、民主的な責任体制を確立できるようにするための筋道を切り開くことです。

イーホームズの責任を許すわけにはいきません。発覚後の彼の行動も、混乱を拍車をかけた不適切なものだったと思います。その後の発言も、不誠実なものも少なくなかったと思います。いたずらに、自らが発覚の過程で果たした貢献を強調しすぎ、関係者を非難しすぎました。

しかし、それと、これからのことは別です。時代の道化になってしまわぬように、望ましい方向に修正し、努力して欲しいと思います。

立ち上がることはできないが、内心、この仕組みを変えたいと考えている人は大勢居ると思われます。彼は、その先頭をきっていく一人になることができると思います。
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by gskay | 2006-10-24 14:45 | 政治と役所と業界
広告会社選びの戦略
広告戦略は、単に売り上げを伸ばすという目標を達成するだけでなく、メディアをコントロールするものである必要があります。メディアにとどまらず、もっと大きな影響力を行使できれば、さらに良し。一般の国民が消費者として購買に参加することで経済を支えるという仕組みでは、広告こそ重大であるとともに、広告会社が軸となって陰に陽に様々な影響力が行使されているように思われます。

広告会社にとって、売り上げにつながるアイディアは当然重要ですが、その他にも大切なものがあるように思われます。そこを巡り、無料の情報誌を中心に独自の情報誌戦略を行って来た比較的新興の広告会社と、戦前より続く世界有数の老舗巨大広告会社とが、かなり長期にわたって、闘いを繰り広げているように思われます。

今のところ、無料情報誌中心の広告会社も、それなりには発展しましたが、世界有数の老舗には、ほとんど歯がたっていないように思われます。情報誌中心の新興広告会社からは、「情報誌業は虚業であり、不動産という実業を行ってこそ世間から評価される」という考えから不動産会社が作られました。しかし、虚業とか実業とかいう問題ではないと思われます。

その新興広告会社からも、不動産会社からも、多数の人材が輩出されています。ヒューザーの屋台骨を支えていた人材には、その不動産会社出身者がいることは良く知られていることです。

ヒューザーの広告戦略は、かなり偏っていたように思われます。はっきり言ってケチでした。コスト削減にもなるし、売るもの自体少なく、いつもほぼ完売が達成されていたので、それはそれで正しい戦略だったのではないかと思います。

ただし、企業としてさらに発展しようとする場合や、トラブルを乗り切ろうとした場合、その戦略では不十分です。ヒューザーはトラブルを乗り切れませんでした。

良く考えてみると、その新興広告会社自体が、トラブルを乗り切ることができなかったことを思い出します。その時は、情報誌という独自のメディアに加え、それ以上の影響力を目指していたのではないかと想像します。

ヒューザーがどのような広告会社を使っていたのか知りませんが、売り上げやコストのことは考えていても、トラブルのことまでは頭が回っていなかったのではないかと思われます。

日本では、企業が大きくなって来たなら、ある段階から老舗巨大広告会社とのおつきあいをすることが大切なのではないかと思われます。売り上げを延ばすノウハウだけでなく、トラブルを乗り切る様々なノウハウを持っていると期待できるからです。他の選択肢は、私には見つけられません。
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by gskay | 2006-10-23 17:15 | 政治と役所と業界
”コマーシャル”
いいものを作って安く売っているだけではダメです。しっかりとした宣伝活動が必要です。宣伝活動は、良いイメージを作る為に必要ですが、同時に悪いイメージを極力避けることにも役立ちます。

大きい会社は、このノウハウを熟知しています。広告は巨大なビジネスです。巨大なだけでなく、様々な意味で強力です。

イーホームズの藤田社長が投げかけた波紋は、ネットを中心に広がっているようですが、既存のマスコミは冷淡です。

既存のマスコミの能力にも問題があるのかもしれませんが、そもそも、放送だって新聞だって、見方を変えれば、「番組付きの広告」、「記事付きの広告」を発信している会社です。広告ぬきはありえません。このため、スポンサーの意向を尊重するのは当然だし、その意向を代弁する広告会社に強い発言力があるのも自然だと思います。

どちらかといえば個人の自発的な発信が行われるネットの中と、既存のマスコミとが一致しないのは、スポンサーの存在を考えれば当然です。既存のマスコミは、偏りを避けることができない背景を持っています。

その一方で、ネットが、市井の見方や、世論を反映しているといえるかというと、それは微妙です。ほとんどの一般的な日本人は、テレビや新聞の言う事に疑いをもたず、自らの見方を発信しようという意識もないように思われます。むしろ、ネットの中の世論の方が一部の特殊なものではないかと思われます。

結局、既存のマスコミを中心としたシステムは、これからも、大きな影響力を持ち続けるのではないかと思います。今後、時々、覆されることもあるかも知れませんが、それも、従来の暴露本のインパクトをこえる事は難しいのではないかと思います。

大勢の日本人は、既存のマスコミに満足してしまっています。そして、既存のマスコミは、免許制度等の様々な規制により強力に保護された存在です。

さて、そのようなマスコミに囲まれている以上、事業を拡大しようとするなら、”コマーシャル”には充分な配慮が必要です。

そういう点でも、ヒューザーは失格でした。あの会社は、広告費等を抑えていました。このため、既存のマスコミや広告業界のメジャーに影響力を行使することができませんでした。

単に売り上げを考えるだけなら、ヒューザーの広告は充分だったと思います。しかし、今回見えて来たように、広告はそれ以上の、「保険」になるようです。つまり、ケチってはいけないということだと思います。

広告の「力」の正当性を問うのは愚かなことです。そういう「力」がある以上、使いこなせれば有利です。そうでなければ、不利になります。「力」に対抗できるようになるか、「力」を超越するような何かが登場するまでは仕方がないことです。

(追記)はじめは、「広告付きの番組」、「広告付きの記事」と書きましたが、書き改めました。自分で変更しておきながら、複雑な気分です。
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by gskay | 2006-10-21 14:20 | メディアの狂騒
イーホームズの社長のこれから
執行猶予つき有罪判決だそうですが、耐震偽装とは関係ない裁判です。強いて言うなら、財務を装ってまで無理な会社を作ってしまったことが、業務に対して実力の足りない検査機関を作り、それが見逃しにつながったとこじつけることができるのかもしれません。世間はそれでいいとしても、さすがに裁判所では、そのこじつけは認められなかったようです。

見逃しについては、イーホームズに限った話ではありません。技術的な問題についての議論や、責任の体制についての議論がなされたなら、他の機関や自治体にも影響が及ぶ問題になったかもしれませんが、そこまでの追及は無かったようです。

技術の問題は、国土交通省という行政当局のなわばりのままとなり、司直の及ばないところとして続きそうです。司直としては、民主的な建築の仕組みを尊重しているとも考えられますが、結局、行政の力が強くなっただけのように思われます。また、法律の網についても民主的な仕組みには制限が加えざるを得ない方向に進みつつあるように思います。

これは、責任の所在が曖昧で、誰も責任を背負うという態度を示さなかった以上、仕方がないことかも知れません。責任を背負おうとしなかったという点では、この社長の態度には腹が立つところもありましたが、仕組みがわかってくると、仮に責任感が強かったとしてもどうしようもなかったのかもしれないと思います。

建築は、民主的な仕組みが目指されていたはずですが、誰もが無責任な仕組みへと成り果てていたのかもしれません。彼は、その中で、じっとしていても良かったのに、自分の責任と他人の責任を区別しようと頑張ってしまいました。このために足をすくわれたのかもしれないと思います。無責任な仕組みの上に成り立っているということを見極めていれば、別の対応もあり、異なった状況が生まれていたかもしれません。

無責任体制についていえば、業界の人々はそれでいいかもしれませんが、こちらとしては困ります。何も起こらなければいいのですが、そうでない以上、責任についての曖昧さを解消していく必要があると思います。この社長には、そういう責任の仕組みを追求して欲しいと期待します。

ところで、関連して、他の耐震偽装が浮かび上がっているようですが、その会社には体力があると思われるので、問題自体は重大ですが、ヒューザーのようなことにはならないと思います。耐震強度に問題があったとしても、混乱がないように処理されることを期待したいと思います。未完成なら、手付けの倍返しで済みますが、すでに住民がいるのなら、特別な配慮が必要だと思います。

そういう点では、ヒューザーについて、この社長はあまり上手に後始末をつけられず、むしろ混乱の原因を作ってしまったように思います。他の耐震偽装についても、真実の公表は大切だと思いますが、少し考えた上で、適切な方法でなされるべきだと思います。
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by gskay | 2006-10-19 22:40 | 真相 構図 処分
情報把握
藤沢の物件の建築費を融資した金融機関はこの事情をいつ把握したのでしょうか?住民と同様、公表されてからということなら仕方がないことのような気がします。私は、公表されてからのような気がします。

もし、知っていて住民への引き渡しを黙認し、ちゃっかり回収したということだと、責任を問うことはできないとは思うものの、完全に妥当であったは言い切れないような気がします。とはいうものの、知っていたなら、企業としての利益の確保のため、むしろ回収を急いだだろうと思われます。

木村建設破綻の引き金になったメインバンクの行動も、そうした論理に貫かれているのだと思います。

ところで、金融機関や住民に知らせなかったことが、ヒューザーの判断ミスと言えるでしょうか?

もし、知らせていたら、公表前に混乱が起こってしまった可能性があります。これは、ヒューザーの経営的にも、公的な機関にとっても不都合があったと思われます。

公的な機関の対応は、深刻さが判明してからは、手の平を返したようなものになっていて、発覚から公表までの経緯まで、ヒューザーなどの関係者の問題だとしています。まるで、公的な機関は関係がなかったかのような態度です。

金融機関からの借入の決済等は、ヒューザーの判断であるし、住民に知らせなかったという責任もヒューザーにあるといえると思います。しかし、一連の流れで公的な機関が、この問題をどのように捉えていたかは、公表等の鍵を握るものでした。

発覚から再計算を経て公表に至るまでの経過で、それぞれがどのような情報を把握し、どのような責任を負っていたのかをはっきりさせる必要があると、私は思っています。息をひそめて嵐が過ぎ去るのを待っている関係者がいるのではないかと思っています。
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by gskay | 2006-10-18 07:50 | 真相 構図 処分