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木村建設破産管財人の意見書
木村建設破産管財人は、マンション購入者の破産債権を認めていません。そこで、東京地方裁判所に破産債権査定申立を行いました。この申立は、マンションによっては全住民が行っているところもあるという話もききますが、うちは、各自の判断です。私は申立の手続きを行いました。

その申立に対し、破産管財人側からの意見書が出され、郵送されて来ました。約2週間前のことです。弁護士5人の名前が記されているもので、破産債権を認めないという意見書です。

私の方は、建設業を営むものに違法建築を作ることが許されるわけもないのに、違法建築が作られたのだから、作った木村建設には責任があると主張しています。

これに対し、管財人側は、いくつかの点から反論しています。まず、木村建設が偽装には関わっていないという点をあげています。

次に、設計を行う建築士は適法な設計を行わなければならず、また、建築確認は審査によって適法であることを確認しなくてはならない点をあげ、木村建設のような施工の業者が行う工事は、建築士の適法な設計と、建築確認による適法の確認を前提に、設計図書通りの工事をする義務があると主張しています。

この部分が議論のポイントです。管財人側は、法制度は、設計図書通りの工事を要求するのであって、適法であるかどうかをチェックすることは要求されていないと主張しています。

また、建築にあたり、偽装を発見できないままに工事した点について、いかなる過失があったかを明確にせよと要求しています。

さらに、国土交通省による指定確認検査機関の処分に差異があったことを取り上げて、過失は事案毎に異なると主張しています。

私は、建築に関わる全ての関係者が、適法な建築を作る義務を負っていると考えています。関わる業者それぞれが、違法建築に責任を負うと考えます。もし、責任の分担が法に明記されているのであれば、それに従うべきです。しかし、そこが明確ではありません。違法な設計図書を知らずに用いたのだとしても、違法建築を作ってしまったことには責任があると考えています。

ということで、過失を具体的に明らかにすべきという争点は、必要ないと考えています。そこを争う気は、私にはありません。

適法な設計図書で、違法建築をしたのなら、建築業者の責任は明白と思われます。しかし、違法な設計図書通りに工事した場合の責任は、明記されてはいないと思います。法の不備な部分です。

なお、国土交通省による行政処分の差異は、過失の差異に基づくという主張には疑問があります。行政処分の差異については根拠(指定確認検査機関の処分の基準、建築基準適合判定資格者の処分の基準及び登録住宅性能評価機関の処分の基準について)が示されているもののの、それが過失の差を直接的に意味するとは思えません。

確認制度が不備で、あらゆる建築主事も検査機関も全滅であったというのが実態です。別の意図によるものではないかとさえ思われます。行政処分(指定確認検査機関及び登録住宅性能評価機関の処分について)を参考にした議論には、納得できません。

さて、今後については、徹底的に争うべきか、あきらめるかを判断しなくてはなりません。あきらめる根拠としては、配当の原資となる資産の大きさがあります。主張が認められても配当が少ないのなら、負担ばかりで無駄です。弁護士に依頼してまで頑張る見返りはないと思います。

一方、法の不備を問う闘いというのは、意義があることかもしれません。しかし、裁判所が下す判断が、どのようなものになるにせよ、立法によって是正されるべき問題だと思います。ここで長く争うより、とっとと国会で議論した方がいいと思います。

ところで、意見書に微妙に誤字を見つけてしまいました。私も、誤字や脱字に関しては、人のことは言えないので、お互い様です。

意見書を受け取ったことを認める書類を記入し、裁判所と破産管財人にファックスしました。
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by gskay | 2007-01-31 10:27 | 損害と回復
危機管理の教訓
耐震偽装を含め、数年来の企業不祥事の原因について、いろいろと分析されています。私は天の邪鬼なのか、私には納得のいかない説明がまかり通っています。そういう分析では、今後も抜本的な解決をはかるのは難しいだろうと思います。

その一方で、不祥事と言う危機に直面した企業のサバイバルについては、数年来の不祥事のおかげで、様々なノウハウが蓄積されているように思います。サバイバルに成功した見本のようなケースもあれば、火に油を注ぐ結果になり復活ができなくなってしまったケースもあります。

まだ中途の段階であり、サバイバル成功とはいえないものの、アパグループは見事だと感心しています。

まず、基本的に、自らの責任や過失を認めてはいけません。発覚しただけで自らの責任や過失を認めることは、損害の補償などで不利になる可能性があります。謝らざるをえない「決定的」なポイントまでは頑であるべきです。

アパは、イーホームズに問題を指摘されても、頑として認めませんでした。はっきりしないうちから認めてしまうと、そこで調査などがストップし、全ての責任を負うはめになりかねません。それを避けなくてはいけません。

確かに、もしかしたら、さらなる調査やあらたな問題の発覚によって真相が明らかになってしまうかもしれません。しかし、調査や追及が途中で止まってしまえば逃げ切ることができます。頑に否定する必要があります。

また、中途半端に自分の責任を認めてしまうと、あらゆる責任を負わなくてはいけなくなる危険があるだけでなく、本来の責任の範囲を確定するための以後の調査の費用が自腹になりかねません。

ただし、頑に否定し続けることにはリスクが伴います。責任や過失について、「決定的」な調査結果が出た場合、判断を誤ると大変なことになります。「決定的」というのは、科学的な因果関係や、論理的な必然性を、必ずしも意味しません。マスコミが動き出したとか、役所や政治家が動き出したというような事情で、「決定的」となるようです。

この「決定的」なポイントで、態度を変えることに失敗した会社はたくさんあります。パロマやシンドラーエレベーターなど、それまでの個別の対応では、自らの責任や過失については否定しつつ、それなりに切り抜けてきました。その対応を、「決定的」なポイント以降も続けてしまい、大変なことになってしまいました。ヒューザーもイーホームズも、態度を変えることには失敗していました。

アパは、不祥事が表ざたになった途端、直ちに態度を翻しています。報道陣に頭を下げることで、「潔い」という評価さえ得ています。謝罪会見では、何も説明していないのと同じでも、涙の映像のような強い印象を与えるシーンを撮影してもらえれば、その後は、くり返し放送される可能性があります。

ここで、きちんと筋道たてて説明しても、取材陣はそんなことを理解してはくれません。望まれてはいません。むしろ、取材陣の質問が厳しくなり、あたかも正義のジャーナリストによって追及される悪徳業者という構図になってしまいます。

必要なのは、それ以上の追及をうけないこと。だとしたら、内容らしい内容は必要無く、とにかく謝り続ける必要があります。加えて、感情に訴えるような「涙」のような武器を駆使し、今後、くり返し流されることになるシーンを提供しなくてはなりません。

もちろん、必ずしも好意的に受け入れられるとは限りません。しかし、そうしなければ活路はありません。記者の厳しい質問の餌食になってしまいます。また、謝り続けるだけではダメです。良い素材となるシーンを提供しなくてはなりません。

意図的かどうかは不明ですが、アパの場合、女性社長のマスカラが涙で流れて、凄まじいことになりました。これは、素材としての強い印象を持ちます。その状況で、厳しい質問を浴びせる記者がいたとしたら、その記者の方が責められかねません。

演出でできることかどうか解りません。ただ、流れやすいマスカラを使うなどといった工夫は考えられるように思います。今後の参考になるように思います。

また、その映像が効果的に世間に広まり、好意的な評価を残すためには、裏切らない「友人」を有名人に持ち、コメントさせるのが有効であるようです。影響力のある人物を、積極的に企業の広報誌やイベントなどに登場させることで、しっかりとした絆が築かれていくようです。その辺りは、広告会社がどうとでもしてくれるのでしょう。

一方、あまり、政治家に期待してはいけません。政治家による圧力や介入の効果は、「決定的」なポイントを回避することには、ほとんど役に立ちません。おそらく、「決定的」なポイントがくるまでの時間の、精神的な安定に役立つだけです。何もしないのは不安です。しかし、政治家に頼んでいるなら期待を持って過ごすことができます。不安でいるより、期待をもっている方が、前向きに時間を過ごすことができることが多いという効果はあるように思われます。

政治家が関わったとしても、隠ぺいなど、なかなか困難です。政治家の関与は、むしろ、問題が大きくなった場合に、逆効果になることもあり、十分な配慮が必要です。政治家の存在が、印象を悪くすることもあるばかりか、その政治家に見捨てられて、仕打ちをうけてしまうこともあります。

さて、アパは、とても参考になる危機管理をしているように思います。しかし、最初の耐震偽装であるヒューザーは、様々な意味で、アパと逆です。イーホームズについても、同様かもしれません。

会見などで、自らの主張を展開しようとしました。そんな話に、マスコミは関心ありません。科学的であったり、論理的である主張は、取り上げられません。なぜなら、良い映像にならないからです。メディアにとってダメな素材しか取材できないとなると、取材側も困ります。そこで、正義のジャーナリストによる激しい追及というような構図を作って、良い素材になるように努力する必要が出てきます。

会見の席などでは、もっと有効に、メディアに好まれるような素材を見せるための時間として使うべきです。

ちなみに、私は一回しか出ていませんが、ヒューザーの小嶋社長の住民説明では、ぐっと涙おさえ、歯をくいしばるように説明するシーンがたびたびありました。水を飲んで、感情を抑えようとしていました。そういうところを見せたがらない人物なのだと思います。説明も明解でした。

私が出ていた説明会は、マスコミはシャットアウトでしたが、たとえマスコミに取材をさせても、あれでは映像的にはダメだったのかもしれません。もし、そこで、感情のままに涙できるようであれば、展開は変わっていたかもしれません。

さらに、広報誌や広告も、ヒューザーは、とてもそっけないものでした。有名人が登場することもなく、広告費を抑えているいることが、価格競争には有利になりましたが、思わぬところで裏目に出てしまったように思います。

政治家の関与が、大きな政治的な問題になってしまったのも、ヒューザーの場合、逆効果でした。たとえ、関与する政治家が問題に真剣に取り組んでいただけだとしても、そのようには見てくれません。政治家の影をいかに薄くするかという配慮も必要だったようです。

これらは、真相や責任の所在そのものとは、関係のないことです。しかし、騒ぎが大きくならなければ、そうしたことは追及されずに済む以上、大事にしなくてはなりません。厳しい注目があると、当局の取締も、捜査による追及や裁判も厳しくなります。逆にいえば、注目を小さくすることができさえすれば、一般的な非難だけでなく、様々な追及や処罰さえかわせる可能性が出て来ます。

小手先の技術とあなどることはできないと思います。センセーショナルな報道と、根拠の乏しい断片的な印象が流れを作ります。短期的には、それをコントロールしなくてはなりません。そして、なるべく早く、人の記憶から忘れ去られるようにするのが良いのかもしれません。
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by gskay | 2007-01-30 08:29 | メディアの狂騒
耐震偽装捜査が及ぼしたインパクト
久しぶりに、ヒューザーのマンションを購入する際にお世話になった元営業さんに会いました。再就職して頑張っておられるようでした。というより、むしろ、頑張り過ぎかも。ヒューザーで混乱に巻き込まれただけに、過剰に頑張ってしまうのかとも思いました。ご無理なさらぬように。

この元営業さんは、拙ブログを読んでくれているとのこと。拙ブログでは、ヒューザーには経理の不正が見つからなかったらしいということを書いたことがあります。それに関連し、「そうなんですよ!」と胸を張っていました。

平成17年12月に行われた捜査で、根こそぎ押収された資料をひっくり返しても、罪を問う事に都合がよいような経理の不正は見つかってはいないのではないかと思われます。もし、経理の不正があれば、有罪にするのは簡単です。

小嶋社長の詐欺容疑は、検察にとっても裁判が難しいと思われ、罰を与える根拠なら、おなじみの経理の不正の方が良いと思われます。しかし、その尻尾をつかむことはできていない様子。

捜査当局にとっては、経理の不正を暴くのはお手の物。にもかかわらず、見つかっていないのは、そもそも、尻尾を出していないとか、見落としているのではなく、そういう不正はなかったということかもしれません。

ところで、ヒューザーは、究極の「悪徳」業者のような言われようでした。破産に至ったことを、当然の報いだとする評価もあります。

私は、もともとは、ヒューザーには、破産しないで欲しいと考えていました。しかし、マンションも売れなくなって、経営が苦しくなり、従業員も雇い続けられない状況になって、もはや復活は絶望的となりました。この時点で、破産は仕方がないことだと考えるようになり、住民からの申し立てに賛同しました。

この申し立てに賛同したことに後悔はありません。しかし、今、その判断の材料となった前提となる見立てが充分ではなかったと反省しています。元営業さんと話した事を反芻してみて、経営が追いつめられるにいたる大事なステップを見落としていたことに気付きました。

問題が公表され、大きな問題として取り上げられた時点で、ヒューザーの運命が決まっていたと思い込んでいました。もう商売が成り立たなくなったのだからと。

しかし、よく思い返してみると、従業員が退職するまでには、公表から50日程度を要しています。始めの1ヶ月くらいは、本気で危機を乗り越え、再評価によって事業を盛り返し、瑕疵担保責任も果たせると考えていたのではないかと思います。

しかし、それが不可能になった。そのきっかけは、捜査による資料の押収だったのではないかと思います。

資料として企業活動に必要な書類もコンピューターも何もかも押収されてしまえば、事業の継続は困難になります。大企業で、捜査されたのが一部のセクションにとどまっていれば、持ちこたえることもできるかもしれません。しかし、ヒューザーのように事実上、マンションデベロッパーとしての事業しかしていない場合、捜査による資料の押収は、企業活動にトドメを差すことになります。

風評などにより、企業の成績が悪化した事が、ヒューザーの息の根をとめるきっかけだと考えていました。しかし、どうもそうではなかったのではなかと、今は考えています。

結局、資料は、捜査当局にとって、どれだけ事件の解明に役立ったのでしょうか?

調べてみなければわからなかったことでしょう。しかし、そのために事業が続けられなくなることもあるわけです。その影響はとても大きなものです。

そのような意図があったかどうかはわかりません。ただ、間接的にせよ、結果がそうなっています。悪事を暴くことよりも、企業の息の根を止めるという効果の方が、大きかったように思われます。行き当たりばったりの恣意的な捜査で、企業活動に重大な支障が生じてしまうことは、なるべく避けてほしいと考えます。

新たな耐震偽装の発覚、公表においては、ヒューザーに対して行った捜査との間に不公平にならないような配慮が必要だと思います。例外無く捜査を実施するのか、それとも、ヒューザーに対して行った捜査の反省の上で冷静に対応するする方針であるのかをはっきりさせて欲しいと思います。
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by gskay | 2007-01-29 08:43 | 真相 構図 処分
アパホテルの耐震偽装公表の経緯
このタイミングに公表されたことで憶測が飛び交っています。これまでは、メディアが沈黙している一方で、藤田さんが告発を続けていました。藤田さんの本が出てから1ヶ月。そして、政治情勢もいろいろあるようです。加えて、選挙も。そうした事情から、憶測が生まれているようです。

私は、どうような背後関係があるのかは知りません。私には、そんな陰謀めいたことや不正が行われているという証拠はみつけられません。私に見つけられるような陰謀じゃ、陰謀としては情けない限りですが……。

ところで、国土交通省の「構造計算書偽装問題とその対応について」のサイトの中の構造計算書偽装問題対策連絡協議会(第19回)議事概要には、『違反行為若しくはその疑義に関する情報を把握した場合の初動対応と公表のあり方について』国住指第541号があり、公表に至る流れを知る事ができます。とりあえず、私が把握している公表に関する指針となる書類は、これだけです。

その書類によると、公表には二つのパターンがあります。物件の所在する特定行政庁が疑義の判明や違反事実の確認した場合、所有者への通知をへて、「違反の態様に応じ、公表の公益性と所有者の財産権の保護等を比較考量した上で公表」するというのが一つ。

特定行政庁から地方整備局等への報告をへて、国土交通大臣が「著しく危険もしくは悪質であり、社会的影響が大きいと認められる場合」に公表するというのが、もう一つです。

アパのケースではどちらに当たるのでしょうか?京都市が主体のように思われるので、前者のような気がします。かといって、国土交通省も公表に関わっているようなので、後者でもあるような……。はっきりした判断の材料は、私は持っていません。

調査に時間がかかりすぎているのではないかという疑問があるようです。6月にわかって調査を開始したとしても半年かかっています。それに対する疑問のようです。

再計算するだけでも、時間がかかります。その知識や技術を持っている人も限られています。そうした人をかかりきりにさせるわけにもいきません。このため、時間がかかったと考えることができると思います。順番にこなして、やっと辿り着いたのではないかと思います。

さらに、すでに国土交通省が発表しているように、物件は多数有ります。


耐震強度偽装: マンション15件強度不足か 無作為調査で設計ミス判明


2006年12月27日
マンション15件強度不足か 無作為調査で設計ミス判明

 国交省は27日、耐震強度偽装問題を受け無作為に選んだ全国の10階建て前後のマンション389件の構造計算書を調査し、15件で不整合など強度不足の疑いが見つかったと発表した。いずれも偽装ではなく設計ミスの可能性が高いという。

 国交省は、関係自治体を通じて設計者らに事情を聴くなど精査し、強度不足が確認されれば改修を求める。

 調査は、姉歯秀次被告(49)以外の建築士が構造計算した物件で偽装が見つかったため、最近5年間に建築確認したマンション約6000件から389件を選び2月に着手。221件の調査が終わり、構造図と構造計算書の不整合などのミスが15件あった。

 また同省は、国指定の民間確認検査機関が建築確認した103件の別の抽出調査で、東京都大田区の14階建て分譲マンションの強度不足を確認したと発表。


共同通信


こうした物件の調査も進めなくてはならないとなると、作業量は膨大になり、時間がかかってしまうのではないかと考えることもできます。

また、マンションではなく、ホテルから公表されたのかという点については、ホテルの方が所有が単純だからという事情があると思います。マンションの場合、所有者が複雑です。おそらく、問題となるようなマンションがあったとしても、ホテルよりも、「財産権の保護等」への配慮が難しいのだと思います。

藤田さんの告発や出版との関係が気になるところではあります。

藤田さんは、春には問題を把握していたとのこと。それを受け、6月7日の国会の委員会で議論が行われたのではないかと思われます。ただ、この経緯は、『あり方について』が通達される平成18年5月11日よりも前のやりとりになるので、通達以降の6月の時点をスタート地点としているのかもしれません。

妥当かどうかは別として、そういう取り上げ方も出来るのかも知れません。

今回の公表に至る事情と、藤田さんの告発や出版、国土交通省の事情や、政治情勢、選挙、そしてメディアや広告会社の事情など、様々な問題をからめて考えることができないわけではありません。しかし、この件に関する限り、実際に起こっていることは、大きな陰謀のようなものではないと考えることもできます。

ただ、それぞれが、それなり波紋を作る問題であるばかりか、その波が偶然に重なり、干渉し合って、別の大きな問題に発展する可能性があります。必然的なものであろうがなかろうが、意図的なものであろうがなかろうが、受け止めていかねばなりません。
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by gskay | 2007-01-27 10:32 | 揺れる システム
アパの耐震偽装
アパの耐震偽装については、断片的に聞こえてくる情報を聞くかぎり、時間の問題で公表されるであろうと思っていました。私の周囲では、アパの耐震偽装についての隠蔽工作があったとみる雰囲気があります。藤田さんの著書もそれを扱っています。私には、わかりません。別の見方をすると、そんな大それたことではないかもしれません。

また、アパの耐震偽装の隠蔽のために、藤田さんの刑事告発が行われたかどうかについても、私にはわかりません。今のところ、アパの耐震偽装を担当していた官僚や、藤田さんの刑事告発を担当した捜査当局が、そのような意図をもっていたと断定する根拠はなく、もし、そのような意図があったとしても、その目的は達成されたとは言えないようです。

とりあえず、藤田さんの糾弾が実を結ぶ方向になっているように見えますが、「悪徳」業者を叩いたところで、問題の本質には迫れないし、対策も実現できない事と思います。

ところで、アパの耐震偽装については、偽装そのものについて、建築主がどの程度の影響力を持っていたかが問題になります。関与は、否定すると思いますが……。

姉歯や浅沼などは、構造設計の能力がないのに、誤摩化していたケースですが、アパの場合は、もっと深刻で、かつての「構図」に相当する背景が、ひょっとするとあるのかもしれません。

姉歯や浅沼のケースは、「ばれないといいな」という犯行で、こっそり行っていたものでした。浅沼のケースはともかく、姉歯のケースは、本人の思わせぶりな発言と状況や登場人物のキャラクターによって、「構図」が作られてしまいました。基本的に、建築主も施工も、元請けの設計事務所も、ヒューザーの小嶋社長の言うところの「玉突き衝突の被害者」だと、私は考えています。ただし、責任の有無は別です。

そのような「玉突き」であるかどうかは、微妙です。姉歯や浅沼は、元請けに書類を提出したところで、彼らの関与は終わりでした。しかし、アパのケースでは、確認申請後にも、どうやら関与の痕跡がみられるようです。

すでに、アパの問題は、建築中のマンションの問題が、6月の国会の委員会で取り上げられており、「隠蔽」と言えるかどうかはわかりません。少なくとも、確認申請に提出された書類が不適切に処理されていたというようなことが明らかにされています。それに関連した調査が続いていたと考えることもできます。今後、発覚後の経緯についても不整合のある部分が出て来るかもしれません。

偽装の経緯とともに、発覚や公表、処分の経緯についても、かなり慎重に真相を見る必要があると感じています。今までの経験からみて、公的な見解に対しても、メジャーなメディアに対しても、完璧にフェアであることを望むのは困難であろうと思います。彼らの能力や、彼らの意図、彼らの背景にある事情を差し引いて受け止めなくてはいけないと思います。

アパが、政治家を使って、問題を封じ込めようとしていたかどうかについては、解釈次第だと思います。政治家とともに問題に取り組むこと自体は不当ではないと思います。政治家に相談したり、政治家とともに問題に取り組むと、すぐに不当な圧力を行使したとか不当な介入だと騒ぎ立てますが、それには、疑問です。問題に対して、政治家が頑張ること自体は望ましいことでは?ただし、「不当」はダメです。
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by gskay | 2007-01-25 18:54 | 揺れる システム
「あるある」騒動
そういう番組が作られたのは単純に許しがたいと思います。「科学をなめるな」と言いたいところです。というより、むしろ、「科学では、そんなことまでわからない」と白状すべきかも。

科学に対する無理解が、メディアが流すエセ科学に対する無批判な「信仰」を作っているように思います。その一方で、まともな科学に対しては、無関心であったり拒否的。

「あるある」の納豆騒動では、メディアの主張のサポートにエセ科学が用いられました。一方、耐震偽装や不二家の「消費期限・賞味期限」騒動では、ネガティブな他者へのバッシングに用いられました。

ポジティブなイメージを演出するために用いたウソやデタラメがバレた場合は、とりあえず、虚構を作った人たちは、ねつ造を責められるようです。

一方、ネガティブな他者へのバッシングのためのウソやデタラメの場合、苛烈なバッシングの後は、安全や安心を損なったまま、時間とともに風化してしまうようで、バレる事も少なく、お咎めはないように思われます。

どちらも、ウソやデタラメであることに変わりはなく、科学的な根拠や理性的な判断をないがしろにしている点では共通しているように思われます。いずれも、誤解や偏見をうみ、悪影響を残すものです。しかし、メディアが一次的な当事者である場合と、二次的な批判者である場合とでは扱いが異なるようです。

耐震偽装でも、不二家騒動でも、科学的観点からの本当の危険性は明らかにはなっていないと思います。

耐震性能の真の評価はわからないまま、当時は、不思議な専門家が登場していました。藤田さんの著書でも、批判的に取り上げられていました。

一方、不二家騒動においては、消費期限や賞味期限が親しみやすい指標であったためか、食品の安全の専門家はあまりメディアに登場しなかったように思います。おそらく、専門家にとって、安全や安心について、メディアに歓迎されるような発言をするのが難しい問題だったのではないかと思います。

また、不二家の問題は、材料の品質の管理の問題であって、製品の品質が保たれれば良い問題ではないかと思います。消費期限も賞味期限も、独自の品質チェックができない消費者への指標であり、加工のための材料として用いようとする二次的な生産者を拘束するような指標だったのでしょうか?

不二家は、他に、自ら定めた「期限」を誤摩化すというような信頼を裏切ることをしていたことは許し難いことですが、発覚の発端である材料の期限問題に限って言えば、私には、悪いとされている部分の意味がわかりません。

真に科学的であろうとすると、メディアには歓迎されないように思います。大抵の問題が、そんなにセンセーショナルな問題ではなくなってしまいます。問題の重大性については、科学的な評価とは別の価値によって示されなくてはならないものではないかと思います。例えば、法令遵守であるとか、信頼であるとか、経済性とか。

ところで、「あるある」については、放送局の経営陣や職員などへの厳しい批判が出ているようです。放送を司る大臣は、厳しい処分を求めているようです。

放送は、免許による事業であるので、公的な処分があることは仕方がないことだと思います。しかし、企業の内部の処分に口を出すことには疑問です。放送するという免許を停止するような処分を、適切な手順をもって実施すべきだと思います。

大臣のコメントでは、世間を納得させれば、手続きを超越した処分でも良いということなのでしょうか。このコメント自体が、メディアを通して聞いているに過ぎないだけに、どのように考えたら良いのかわかりません。

明示されたルールに基づく、正当な処分が望ましいと思います。
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by gskay | 2007-01-24 22:48 | メディアの狂騒
仮住まい1年
ふと気がつくと、仮住まいに転居して1年になります。まあ、無事にすごすことができたように思います。

部屋のサイズが小さくなる機会に、いくつかの家具を処分したので、窮屈ということはありません。耐震偽装の発覚は、家具をこれから充実させようという段階での発覚であったので、痛みを少ししか感じずに済んだのかもしれません。もとのマンションは、未使用の部屋があったくらいで、まだ、広い部屋の生活に馴染む前だったように思います。

ところで、仮住まいに移って、外食が増えました。

周囲の飲食店は減りました。繁華街に地下鉄で出るにも、駅までの距離は遠くなりました。にもかかわらず、外食の回数が増えています。

ちなみに、スーパーマーケットは、とても近くなりました。

仮住まいで過ごす時間は、通勤に要する時間が増えた分を差し引いても、もとのマンションに比べて短いように思います。休日も、部屋で過ごすより、スポーツ施設にいたり、街に外出していることが多いように思います。

そういう生活を前提にしているのかどうかまではわかりません。実態として、ヒューザーのマンションの方が、今のマンションよりも、長く過ごしてしまうような部屋でした。

ヒューザーの部屋はいい部屋だったのかもしれません。

……という話をしたら、「危ないマンションで長い時間すごしたら、その部屋で大地震にみまわれる確率がますます高くなるから、さらに危険じゃないか!」と言われました。

確かに……。

単に耐震性能の面でリスクがあるだけでなく、滞在時間が長くなると言うリスクも、ヒューザーのマンションにはあったのか……。

快適に長く過ごせる部屋というのは、本来は魅力のはずですが。
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by gskay | 2007-01-23 23:24 | 仮住まい
読みました。
『月に響く笛』を、ついに読みました。中身に関するコメントは、おいおいに。

入手しようとは考えていましたが、ブログの更新もイレギュラーになるような生活をしていて、読書量も低下しており、気力がありませんでした。そのため、後回しになっていました。

業を煮やした友人が、「読め!」と。

その友人は、発覚当初に、わが揺れるマンションに宿泊して行った勇者です。勇者というより、専門的に冷静に考えることができる賢者というのが正しいのかもしれませんが……。

その友人にとっても、耐震偽装は他人事ではありませんでした。子どもの時からのつきあいですが、何と言う偶然かと思いました。

おかげで、以前よりも頻繁に接触するようになっています。

久しぶりに予定のない週末だったので、一気に読みました。知りたかったことがたくさん書いてあり、有意義でした。驚くような内容は、正直なところ、ありませんでした。

拙ブログと立場も違えば、考え方も違うと思います。しかし、問題意識は、程度の差はあれ、共有しているのではないかと思いました。この事件に巻き込まれて、はじめて見えて来たものです。

すでに気付いていた人は大勢居るかも知れません。しかし、私は、この事件に巻き込まれるまで気付いていませんでした。おそらく、本を読む限り、藤田さんもそうだったのだろうと思います。
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by gskay | 2007-01-22 11:12 | いろいろ
阪神淡路大震災の日
「いやー、大きく揺れたねぇ」と呑気にいっていられるような、大地震があっても平気な街が出来ているかといえば、残念ながらNO。

地震を防ぐ事はできないものの、災害にならなければいいわけで、その要は建築だと思います。

私は、これまで、震災被害には無関心だったように思います。耐震偽装に巻き込まれて、ようやく真剣に考えるようになりました。認識不足であったと反省しています。

耐震を巡って、1年以上も考え続けています。

今の発想の体系は、いくら法律を積み重ねていったところで、根本的な考え方がしっかりしていないため、デタラメになりやすいという脆弱な体系だと思います。

建築基準についても、建築に関する資格についても、それを司る公的機関の位置付けについても、それを総括的な定めたものがないのではないかと思います。関わる人や組織の責任や義務がはっきりと定められていないと思います。

震災の反省から、少なからぬ制度の変更がありました。しかし、それで充分ではなく、耐震偽装など、不適切な建築を防ぐ事はできませんでした。さらに、制度改正が進められていますが、私は、今行われているような制度改正では、問題の根本的な解決は不可能であると考えています。

関わる人や組織の責任や義務をはっきりさせることからはじめなければなりません。特に、公的な立場が果たす役割を明確にする必要があると思います。公的な立場は、決して無謬ではないということを認めることも必要だと思います。

無謬を前提とした無責任でデタラメな仕組みでは、対応が不適切になったり、遅延する原因を作っているだけではないかとさえ思います。

無謬ではないという前提のもと、公的機関の責任や役割を明確にすることが必要だと考えます。

あれだけの震災があって、これだけの時間が経過しても、こんな状態であるという現実をどのように受け止めるべきかと反省しています。
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by gskay | 2007-01-17 22:05 | 安全と安心
反規制緩和批判
耐震偽装をはじめとする問題を、規制緩和の悪弊と単純に決めつけることに疑問を感じています。私は、これらの問題は、規制緩和によって起きたのではなく、元から存在するルールのコアとなる部分が曖昧でデタラメであることによって起きたと考えています。そして、その曖昧でデタラメなルールを、当局の「裁量」で行き当たりばったりに処理してきた仕組みが破綻したのだと考えています。

必要なのは、規制を強化することではありません。当局の「裁量」を制限し、きちんとした規則によって管理する体制こそが必要です。

これまでの「裁量」は、結局、役に立っていないばかりか、手間ばかりかかる仕組みになっています。意味の無い手間を減らすことこそが、「規制」緩和ではないかと思います。

海外より障壁として非難された「規制」とは、ルールの厳しさや手続きの厳格さではないと思います。非難されたのは、ルーズで無責任であるが、複雑で手間ばかりかかり、時間がかかる「裁量」に根ざした「規制」だったと思います。「御上のお気持ち」次第の仕組みが障壁の正体だったと思います。

どんなにルールをいじっても、「裁量」に根ざす仕組みが核として残る限り、規制として機能しない「規制」が幅を利かせ続けることになると思います。そのような「規制」こそ排除すべきだと思います。そういう方向性が、今必要な「規制緩和」ではないでしょうか。

ルーズな「裁量」が、「御上意識」ばかりを肥大させ、無責任な体制を作ってしまったということの反省が必要だと思います。

核となるルール自体は厳しくしてもいいと思います。ただし、明確に示されていて、「裁量」の入り込む余地を制限しなくてはならないと思います。「裁量」によりねじ曲げられることのないルールを作ることで、「官から民へ」、「中央から地方へ」という流れも、「専門家による自由」も保証されるのではないかと思います。

私たちは、問題としなくてはならない「規制」の正体を見誤ってきたのではないかと思います。
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by gskay | 2007-01-15 21:42 | 政治と役所と業界