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「王様の耳はロバの耳!」(5)
ロバの耳については、ようやく、熱が冷めて来ました。

ところで、能登の地震の時は、忙しすぎて更新もままなりませんでした。能登での出来事に注意していなかったことを反省しています。今度の新潟の地震については、少し注意しておこうと思っています。

外国にいるため、国内の事情全般に乗り遅れている観があり、努力しないと事情の把握ができません。マスメディアの力を思い知ります。ただ、現状では、マスメディアは大きな問題を抱えていると思いますが……。

さて、熱が冷めつつあるロバの耳。床屋についてです。

職務上知り得た秘密、あるいは秘密にすると約束した内容について、他人に漏らさないよう努力したことは認められるべきだと思います。穴をほって、誰にも聞かれないように叫んだのですから。

しかし、そうした意図に反し、問題の葦がはえてきてしまう。そうすると、意図しているかどうかは別として、結果として秘密を漏らしたことになってしまう。そういう「結果として」という罪も、この世の中にはあります。

従って、法の内容次第ですが、裁かれる必要はあるのかもしれません。有罪か無罪かは別として。ちなみに、事実関係については、争う余地が少ないように思われます。とはいうものの、おそらく法律が想定していないケースなので、筋の悪い裁判になると思います。

そういう筋の悪い裁判とは別に、別件の裁判があります。別件の裁判は、王様の気分による裁判かもしれないし、事情をわかっていない庶民からの圧力に抗しきれなくなって行われるかもしれません。

耐震偽装になぞらえるなら、免許や登録、経理の手続きに誤摩化しがあったというような内容の別件の裁判。有罪を前提に、床屋を痛めつけたり、抹殺しようとする。規則については、お手盛りの解釈で。

ロバの耳を隠す必要がある状況では、別件でも捕らえて、処罰する必要もあろうかと思います。床屋の免許や登録、経理と、ロバの耳事件は直接関係ありませんが、なぜか、王様の気分も晴れ、庶民も満足するようです。

そんな不正を働く悪人の言葉は、聞く価値もない。そんな悪人はこらしめられて当然。

床屋は、いいふらそうとしたわけではありません。秘密の漏洩を防ぐ最大限の努力をしました。まして、この床屋が、王様の耳がロバの耳である原因でもありません。

耐震偽装の関係者でいうなら、検査に関わっているが、いい加減な検査をして見落としていたわけではないし、耐震偽装の物件の販売に関わっているが、意図して耐震強度の不足を隠して引き渡したわけでもない。まして、耐震強度の偽装には関わっていない。

むしろ、くそまじめなくらい、職務や規則、約束に忠実であろうとしている。

だとしても、捕われ、裁判にかけられる。刑事裁判にかけられること自体、すでに刑罰のようになってしまっている我が国は、イソップの寓話よりもひどい状況にあるような気がします。

肝心なのは、王様の思慮不足。耐震偽装においては、国のシステムの曖昧さと中央官庁の官僚の機能不全。

それに、強いていうなら、隠蔽体質とお手盛りの裁量。

「王様の耳はロバの耳!」では、床屋を許すところから、事態は急速に好転します。そもそも、ロバの耳は、王様の思慮不足のあらわれであり、それが解消されました。

耐震偽装の問題では、表面的な後始末については、それなりに進みつつあります。

しかし、ここへ来て、事件の隠蔽やデタラメな対応に、メスが入れられる兆しがでてきました。根幹の部分は解決していません。だからこそ、事態は混乱に向かっているのかもしれません。

そもそも、対応の判断基準もデタラメなら、設計のための計算プログラムの取り扱いもデタラメだったことこそ問題です。しかも、それを隠そうとした意図があり、都合の悪い関係者を抹殺しようとした。

ロバの耳の王様よりも、たちが悪いかも。
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by gskay | 2007-07-17 02:18 | いろいろ
新潟の地震
平成16年の時には、冬になり、暖をとるため、自家用車で寝起きしてエコノミークラス症候群になった人が少なからず出たという話がありました。今度は、夏なので、脱水も加わるので、平成16年の時と同じではないものの、注意が必要だと想像します。

電気などが止まってしまうと、涼しいのは車の中だけということになり、冬の暖房と同じようなパターンになってしまうかもしれないと心配します。

血栓による循環障害が、そんな単純な説明で解決できるとは思えませんが、念には念を入れる必要があると思います。

夏ということで、衛生面が心配です。食中毒にはじまり、トイレの清潔の確保は健康に密接にかかわる一大事だと思います。また、悪臭に対する対策は早期に行わなくてはならないと思います。

建物の被害については、少しずつ情報が流れているようなので、今後、注意しておこうと考えています。流れている画像を見る限り、木造家屋に被害があったように思われます。日本人の多くは木造家屋に住んでいます。公的に手をつけやすいマンションだけでなく、どちらかというと放置されてきた木造家屋にしっかりとした対応をしなくてならないと思います。
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by gskay | 2007-07-16 23:33 | 安全と安心
「王様の耳はロバの耳!」(4)
しつこく考え続けています。王様の耳は、アポロンの配慮で普通の耳になったとして、それをどうするかです。

ロバの耳であるという噂を公的には認めず、世間で問題になっていることについては無視し、公表のようなことはしない。

あるいは、噂を打ち消すために、世間に王様の耳を披露する。

庶民の動揺をおさえるためには、披露した方がいいと思うものの、庶民の関心は長続きしないし、一貫性もとぼしいことから、公表せずに時間の経過を待つというのも一つの選択肢になると思います。

披露する場合には、もともと普通の耳だったと言い張るパターンと、アポロンの配慮で普通の耳に戻ったということを明らかにするパターンがあります。

床屋や葦にとっては、アポロンの配慮を明らかにしてくれた方がおさまりがいいのではないかと思います。ただ、どうしても、もともと普通の耳だったと言い張りたいのなら、床屋については、黙っていてもらうための工夫は、この時点でも可能で、交渉次第。葦については、伝説ということで……。

しかし、庶民の信頼を取り返すという目的のためには、必ずしもロバの耳であったことを隠すべき悪者だと見ては行けません。ロバの耳自体は、庶民の信頼とは直接関係がありません。むしろ、背後にあるアポロンによる罰という点の方が、信頼を揺さぶるには大きな要素ではないかと思います。アポロンに咎められるような思慮の王様だというのは一大事です。

ロバの耳が、庶民の噂になっていることが、王様に対する不信のあらわれである可能性があります。だとしたら、ロバの耳事件をやり過ごしたとしても、次々と似たような事態が発生するだけだと思います。

信頼を取り戻すためには、王様が思慮深いということを明らかにしなくてはなりません。

そうすると、以前は思慮が足りなかったが、今は大丈夫という話を公表するのがいいように思います。ついでに、床屋にも配慮しつつ。もちろん、葦にも。

庶民の不信は、以前の王様に対するもので、「今は、この通り、大丈夫」と高らかに宣言し、庶民の認識をがらっと変えてしまうということが可能かもしれません。しかも、アポロンのお墨付きもついていて安心です。

そういうやり方は、いい国をつくることに役立てることができると思いつつ、これを悪用する方法もあることに気付きました。

アポロンの話はでっち上げ。床屋は情報操作のための工作。葦もことによると。庶民の不信感を揺さぶっておいて、一気に逆方向の証拠を披露。しかも、庶民の不信を打ち消すストーリーつき。そのストーリーは神聖なもので、不可侵。

庶民は、そこまでまぬけではないかもしれませんが、そう誘導することは、不可能ではないと思います。

普通、「王様の耳はロバの耳!」の話で、こんなことを考えることはないかもしれませんが、選挙でのネット上での発言とからめて考え始めて、大きく逸脱してしまいました。
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by gskay | 2007-07-16 23:19 | いろいろ
「王様の耳はロバの耳!」(3)
王様の耳が、ロバの耳にされるには、いきさつがあります。このいきさつも、いろいろなバージョンがあるようです。

有名どころでは、「触ると何でも金になる」という話。太陽神アポロンを無能呼ばわりした王様に対し、アポロンは、「願いをひとつかなえてやろう」と。そこで、王様は、「触ったものが何でも金になるようにしてほしい」と。

その願いはかなうものの、触ったはしから金になるので、親しい人も金になり、食べ物も。食べ物にいたっては、触らないように注意して家来に食べさせてもらったのに、のどで金になり、窒息しそうになる。それで、助けと許しを請い、何とかしてもらいます。

ここで、ロバの耳にされてしまうというバージョンもあります。しかし、もうひとひねりあるバージョンもあります。また、アポロンではなく、デオニソスのバージョンもあります。

いずれにせよ、この願いは、破滅につながる願いであり、幸せが吹き飛んでしまいます。王様自身の個人の欲望だったという説と、民を飢えさせないための願いだったという説があります。民のためという部分を活かしたバージョンでは、この力を落とすために浸かった川から砂金がとれるようになったという話が加わっているようです。

もうひとひねりあるバージョンでは、反省して、金や富に対する欲望を捨てた王様の話になります。王様は、富の追求にこりて、田園で芸術生活に入ります。そこで、パンという神に心酔します。笛の達人です。この笛の達人とアポロンが音楽の腕比べをします。アポロンは竪琴の達人です。結果、アポロンの演奏が優れていると判断されました。しかし、当のパンのことは脇において、それに王様は断固抗議。

「おまえ、一体、何を聞いていたのだ!」ということで、そんな出来の悪い耳は、「ロバの耳にしてしまえ!」そこから、床屋のエピソードになります。

肝心の演奏を聴いておらず、心酔するパンを勝たせたかっただけ。それは、現実を直視できない王様の態度を表しているとされています。どんなにすばらしかったとしても、人物でも、信仰でも、規則でも、現実を無視して執着するべきものではないということだと思います。

床屋のエピソード以降も、様々なバージョンがあり、民衆の知るところとなって、恥ずかしい人生を送らなくてはならなくなったというバージョンもありますが、床屋を許し、現実にそった思慮深さにより、アポロンに罰を解かれる話の方が高度な気がします。

富の追求と破滅から、愚かしい遵守や墨守の弊害を経て、国や民にとって本当に必要なものを知ろうとする思慮深い名君になっていく話とまとめるのがいいように思います。

経済至上主義から、道徳の尊重へと価値がシフトしようとしています。道徳の尊重自体に異議を挟む余地はないかもしれません。しかし、その進め方については、思い込みにとらわれてはならず、現実を直視しなければはいけないと教えられているように思われます。
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by gskay | 2007-07-16 06:23 | いろいろ
「王様の耳はロバの耳!」(2)
政党のホームページの更新は、平気だとか。選挙の「政党」や国会内の「会派」や政治団体は、それぞれきちんと区別することが可能なのかもしれません。個人の候補のことになると、逃げも隠れもできなくなるのではないかと思いますが、団体であれば、何とでもなるのかもしれません。

もちろん、内容については細心の注意を払って。

選挙に直接関係ない(といっても、応援活動などをしている)政治家も、かなり自由に発言しているような様子です。なるほど、それほど気にしなくてもいいのかもしれません。

しかし、「御上のお気持ち次第」な側面があるので、十分に注意する必要があると思います。また、リスクよりも見返りが大きいなら頑張ってもいいかもしれません。とりあえず、この選挙では様子眺めです。

さて、「王様の耳はロバの耳!」は、とても奥が深い話であるとともに、様々な意味を込めることができると思います。人によって、いろいろな思いを当てはめることができると思います。だからこそ、様々なバージョンが作られているのだと思います。

コメントをくれた、判らん さん へ。
元建築士がアポロンという読みは全く想定していませんでした。

私は、元建築士は、「ロバの耳」の一部だと思います。いや、むしろ、思慮が足りない王様の「思慮の浅さ」かも。耐震偽装事件やその隠蔽、曖昧な耐震基準、デタラメな検査制度、杜撰な大臣認定プログラム。元建築士の存在は、そうした一連の「ロバの耳」あるいは「思慮の浅さ」の一部だと思っています。官僚制度の問題に行き着く問題です。

恐ろしいのは、周辺にあった「悪のトライアングル」という構図や、「安かろう悪かろう」や「過剰なコスト削減」、「官から民へ」あるいは「規制緩和」の弊害などが叫ばれましたが、実は、これは的外れであったということです。

「ロバの耳」だと考え、それをリセットしたから、みそぎは完了?

政治家と業界の癒着という批判も、つきつめて考えると、少なくとも第一次の耐震偽装に関しては、怪しいと思います。まあ、第二次の耐震偽装のアパとその周辺の問題については、微妙かもしれませんが、それでも、合法な範囲だったらいいのかもしれないと思います。

それに引き換え、官僚制度の問題については、少数しか注目していない点が重要かと思います。

「政治家なんて使い捨て」、「業者はとかげのしっぽ」、「肝心なのは脈々と続く官僚制度」などという考えがまかり通っているだけでなく、能力不足に、責任逃れ。果ては、隠蔽や情報の操作まで?

本当にそんなことが行われているとしたら、恐ろしいことです。

ここで、「ロバの耳なんてことは、ありません。ほら、王様の耳は普通でしょ?」という演出が披露される可能性もあり、注意しておくべきだと思っています。特に、「実は、こんなことがあったが、今は、ばっちり大丈夫。問題も解決済み。関係者もみな満足。官僚制度は、この事件から多くを学び成長しました。」というパターンに注意が必要ではないかと思っています。

視線をそらせておいて、けむに巻くというトリックが不首尾になりつつあります。このままでは、官僚制度に対する国民の視線は厳しくなります。下手に隠そうとした分、ややこしく、国会からの監視も強くなるおそれがあります。

政治家が官僚にものを言うのはけしからん?

いや、「けしからん政治家」がいるだけで、官僚にものを言ったからといって、政治家がけしからんということはありません。

今、官僚に対し、直接手が届きません。しかし、まともな政治家を選べば、話は別です。官僚に誤摩化されたり、いいなりにならない政治家が増えて欲しいと思っています。

でも、そういう方向には進まず、誤った方向に進んでいる可能性もあると思います。
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by gskay | 2007-07-16 04:35 | いろいろ
「王様の耳はロバの耳!」
選挙中は、どの程度のことを書いていいのか見当がつきませんが、放送や新聞、雑誌を参考に無難なことを書いている限り、お咎めはないものと考え、我慢できないので気がついたら書こうと思います。ちょっとバタバタした生活が一段落し、いろいろと思っていることがたまっているので。

このブログ自体、つぶやいているだけですが、穴にむかって「王様の耳はロバの耳!」と言った床屋さんも、罰がこわくて配慮していたように、私もどんな目にあうのかわからないので腰がひけます。ネットで言いたい放題言う事に対しては、厳しい見方をする人も少なくないようです。

それはそうと、王様の耳がロバの耳になった経緯は?だまっていられなかった床屋さんはどうなってしまったのか?そして、王様の耳は?

もとになったイソップの寓話から、寺山修司の戯曲まで様々なバージョンがあるようですが、言いたい事を言えないストレスの話だけではないようです。あるいは、噂は止められないとか、隠匿していてもバレるという話だけでもないようです。

そもそもは、太陽神アポロンに対し、思慮が足らずに言いがかりをつけた王様(ミダス王)が、お仕置きとしてロバの耳にされてしまったことがことのはじまりのようです。思慮が足りない言動の王様も王様ですが、アポロンも大人げないように思います。

たとえ理不尽な約束といえども、約束を破った形に追い込まれた床屋さんを、極刑にしようと考えた王様やその家来については、それはそれで仕方がないかも知れないと思います。約束だったのだから……。

一応、床屋さんは、他人の耳に届かないように配慮してはいます。その辺に、情状酌量の余地があるのかもしれません。この点で、床屋さんの行為が不法行為にあたるのかどうかは、とても微妙な問題なりますが、その微妙な問題に対し、王様は無罪と判断。床屋さんは救われます。その思慮深い判断を認めたアポロンは、王様の耳を普通の耳に。

どういうこと??

そもそも、なぜ、王の耳がロバの耳ではいけなかったのでしょうか?そして、なぜ、それを秘密にしなくてはいけなかったのでしょうか?別に、ロバの耳である事に問題性がなければ、秘密を守る努力もいらなかったように思います。

ロバの耳は、異民族の王族の象徴で、統治に正当性がないことを表しているというような話もあるようで、その関係から考えてみるべきかもしれません。

ところで、物語には、「王様の耳はロバの耳!」を広めてしまう葦(風であったり、井戸であったりするバージョンもあるみたいですが……)と、それを噂して動揺する(面白がる?)庶民も登場します。この存在が曲者のような気がします。

私の勝手な想像ですが、正当性に問題がある支配者が恐怖政治に陥り、言論が統制され、庶民の不満が高まり緊張が進む。ここで、取り締まりの強化をすれば泥沼になるが、寛容な対処に成功すれば、問題となっていた正当性だって、もはや問題にならなくなる。そんな話ではないかと、こじつけて考えてみました。

このこじつけにより、王様と庶民の関係については納得した気持ちになっています。とりあえず、王様も庶民も安泰なので、めでたい事だと思います。

ただ、アポロンが何者なのかがわかりません。それにロバの耳の意義。

このこじつけでは、アポロンもロバの耳も、王様の思慮深さと庶民の関係には積極的な役割を果たしていません。なぜなら、普通の耳にならなくても、ロバの耳のままで、思慮深い名君になれるからです。

「そういえば、ロバの耳だった」と、問題視されていない状況もいいと思います。あるいは、「うちの王様の耳って、ロバの耳なんだよね」と誇らしげに語る庶民がいてもいいと思います。「昔は思慮が足りなくてロバの耳にされてるけど、今は名君」ということもありえると思います。

ロバの耳をどうでもよくすることはできると思います。

ところが、実は、庶民の方にも問題があって、どうでもいい「ロバの耳」にこだわり続けて、すでに思慮深い名君へと成長した王様の邪魔をしてしまうのかも知れません。「王様の耳はロバの耳!」とセンセーショナルに煽る葦。どうでもいいことに動転する庶民。

問題は、王様の思慮深さであるはずなのに。

庶民がそうであるから、アポロンを登場させて、取り繕わなければ行けないのかもしれません。結局、王様と庶民の関係を安定させるには、王様と庶民だけにしておいてはダメだということを言っているのかもしれません。

そのダメな部分を重視しすぎると、普段から、問題があったとしても、庶民に対しては隠匿しておいて、解決してから都合よく公表するのがよいということになるのかもしれません。あるいは、あることないこと、事後に創作する。その都合のよさは、王様にとって心地良いだけでなく、案外、庶民にとっても心地良いものなのかもしれません。

「王様の耳はロバの耳!」と穴に向かって叫ぶことまで禁止すると、息苦しくなるのは確かです。しかし、それを野放しにすると、どうでもよいことが、どうでもよくなくなってしまうこともあります。ついには、意図的に取り繕わなくてはならないほどにこじれてしまうこともあります。そうなると、王様の耳を普通の耳にして庶民に示さない限り、庶民は納得できなくなってしまいます。

どうでもいいことなのに。

どうでもいいことを流布されることもあれば、深刻なことを流布されることもある。そこで、都合の良いのことを叫ぶサクラを用意したり、それを広める葦を仕込んでおいたり。そういう心理的な闘いはエスカレートします。

その闘いの決着がついた暁に、「カミの手」で都合よく取り繕う。「カミ」がそうしたという真相が明らかになって、かえって納得できるような形で。逆に、「カミ」に見放されたら、負けてしまうと考えさせる。負けてしまえば、もちろん、取り繕うこともできない。

アポロンはそんな「カミ」として、この話に不可欠な存在なのかもしれません。

本当は、アポロンは王様の耳をロバの耳にしていないし、最初から王様の耳は普通の耳だったのかもしれません。実は、この床屋はほら吹きだったり、工作員だったりして。でも、誰にもわかりません。

選挙は、放っておくと、「王様の耳はロバの耳!」と穴も掘らずに叫ぶ人が増えてしまう特殊な緊張状況を作ってしまいます。だからこそ、ある程度の規制が必要なのかもしれません。

真実さえ、言ってはいけないのか?

たとえ真実だとしても、我慢する方がいいような気がします。

ねじ曲がってややこしくなって、取り繕わなくてはならなくなるからです。得体のしれない「カミ」の手を借りて。

選挙という心理戦が繰り広げられている間は、たとえ規制がなくても、穴に向かって叫ぶことさえ注意するべきではないかと思います。どうでもいいことがエスカレートし、その後を、「カミ」によって取り繕わねばならなくなります。取り繕うことによって、訳がわからなくなるだけでなく、「カミ」のことであるために、不可侵になりかねません。
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by gskay | 2007-07-14 09:37 | いろいろ
大臣認定プログラムと適法性
耐震偽装の鍵は、大臣認定プログラムのデタラメな運用だと思います。元建築士がしたことは、耐震性能が足りないかも知れないという建物を残しましたが、本人が「悪意は無く、設計についての発想の問題だ!」と言い張れば、全く展開は異なっていたと思います。

元建築士については、構造設計を熟知した上で偽装に手を染めた訳ではないと、私は考えています。まともに計算する能力はないが、プログラムを使う事で、何となく形になったものを出す事が出来たというレベルで、辻褄があわないところを、いい加減な数値で誤摩化していたというのが真相だと、私は思っています。

彼のしたこと全てが、耐震性能の不足に直結しているわけではありません。過剰性能もあるようです。単に能力に問題があっただけだと思います。

能力がなくても仕事ができてしまう仕組みを、現在の構造設計や大臣認定プログラムは孕んでいます。

彼は、あたかも構造設計の達人であるかのようにふるまい、ふるまい続けました。ふるまい続けることができたばかりか、多くの人が、そんな彼の話をまじめに聞いて取り上げています。そのくらい、構造設計や大臣認定プログラムは、肝心なところが隠されたブラックボックスの中にあるのだと思います。

構造設計やプログラムに詳しい人からみれば、実にバカバカしいことのようです。

少なくとも、大臣認定プログラムは、不正な数値を入れて計算できないように設計されるべきです。しかし、汎用性を高め利便性を高めると称して、不正な数値の入力が可能になっているとのこと。これは、日本と異なる基準の国の建物を設計する上で便利なのだそうです。専門家が問題視しているポイントです。

日本の建築基準への「適法性」を確保するためのプログラムだという前提が置き去りにされています。その問題には、誰も気付かなかったのでしょうか?

もし、そのような不正な手続きで認定プログラムを使うことができるとしたら、認定プログラム以外の方法と何ら変わらず、しかるべき審査が必要なはずでした。しかし、「認定」があるばかりに、その審査の対象外。適法性を保証するプログラムであるがために、その結果はすでに適法とみなされたようです。

プログラムの違いや、計算手法の違いで結果は異なるものの、このプログラムを使っている限り、「適法」なはずでした。実際は、不正な数値を入力できたけれど……。その不正な数値を入力できる所まで、適法だと考えるべきだったのかもしれません。不正な数値の入力も、「設計の発想」と言い張れば、言い張れるような仕組みだったのです。

元建築士は、「きちんと見ていればわかる」と主張していますが、元建築士は、構造計算に疎いばかりか、建築確認のプロセスや大臣認定プログラムの仕組みにも疎かったのだろうと思います。にもかかわらず、この件も、イーホームズをはじめとする検査側の主張より、元建築士の主張が広く受け入れられているように思います。

私も、大臣認定プログラムという制度設計のずさんさを知るまで、検査機関の怠慢が問題ではないかと考えていました。しかし、検査の担当者に責任をなすり付けることで解決するような、そんな浅薄な問題ではないようです。

なぜ、「適法」と判断する事ができるのかということを真剣に問わなくてはいけないと思います。それは、逆に「違法」を指摘する根拠にもなるように思われます。そこが、全く論じられずに、ここまで来てしまったようです。

大臣認定プログラムと検査の関係がいい加減で、どのような根拠で「適法」という確認がなされるのかということが曖昧です。その「適法」の効力がどのようなものであるのかも曖昧なままです。また、発覚した問題に対しても、しっかりとした検証なしでいい加減な対応が行われ混乱してしまいました。

その曖昧さやいい加減さの根幹には、官僚の裁量があり、「御上のお気持ちひとつ」という仕組みがあるのではないかと思います。

もし、その「御上」の対応が適切であったなら、悪影響は最小限に抑えられたと思います。そうであれば、それ自体は、歓迎すべき事かもしれません。

ただ、この耐震偽装での「御上」の対応が適切であったのかどうかはわかりません。悪いとも言えないし、もちろん良いとも言えません。なぜなら、そこも検証していないのですから。

聞けば、建築確認申請の現場は、法改正によって混乱しているとのこと。肝心の大臣認定プログラムについても、何だかわからない状況です。

そうだろうなと思います。きちんと検証せずに、小手先の対応をしているのですから。むしろ、きちんと検証することに背をむけているのではないかとさえ感じられます。
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by gskay | 2007-07-13 00:41 | 揺れる システム
きっこ
久しぶりに読みました。耐震偽装関連で読んではいたものの、自分が見ているものや経験している出来事とは異なることが描かれていると感じていたので、読み流していました。とはいうものの、耐震偽装事件の一連の流れに対して、大きな影響力があったことは確かです。

「構図」が大々的に構築され、流布された理由のひとつに、きっこの存在の関与があったと思います。あの時、あの様にまくしたてておきながら、今回は、今さらと思う内容が書かれています。官僚の問題という点で、一貫性はあると思います。しかし、あの時、この問題の重要性に気付いていたのかいないのか、ふたをしてしまった張本人に他ならないと思います。

確かに、今回の記事は、私が見てきたことや、感じてきたことと合っていると感じています。ただ、遅すぎてタイムリーではないと思います。参議院選挙にあわせた時期であることに意義を見出しているのかもしれません。

きっこの問題意識については、官僚制度の問題点を、悪人が官僚制度に巣くっていることだと考えているようですが、それでは不十分だと思います。官僚制度の問題点は制度そのものにあると私は考えているので、悪人を断罪するだけではダメだと思っています。

政権交替したくらいでは問題は解決しないし、この時点の政権交替は、受け皿として期待される政党のレベルに問題があると考えています。いくら、現連立政権の粗があっても、受け皿の方が問題です。

野党という立場にありながら、全く問題の本質にメスを入れることができなかった政党の肩を持つのは難しいと思います。耐震偽装に巻き込まれたという立場から見る限り、それなりに頑張っている野党議員もいましたが、結局はパフォーマンス以上の意味はなかったと思います。むしろ、問題意識を誤った方向に誘導する片棒を担いでいたのではないかと感じています。

「与党と官僚や業者の癒着」は、確かに批判されるべきことです。しかし、それ以上に、野党の非力が問題です。

きっこが考えているような方向性は、現状では、現政権の構想や、二つの与党の発想に比べて、優る点はないと思いました。

素直に言えば、前国土交通事務次官の選挙をおだやかに眺める気分にはなれません。民間人だったら、全く別の立場に追い込まれて当然だったとさえ思います。しかし、制度が、そんな制度であったため、仕方がありません。

まず、そんな制度を何とかしなくてはならないと思います。そのためには、国会を中心とした政治制度の見直しをするとともに、それを支える政党のレベルを上げる必要があると思います。その上で、内閣の能力や権限を強め、官僚制度の旧弊を改めて行かなくてはならないと思います。

そうしたもっと大事なことをめざそうという意気込みが、前事務次官を公認している政党から感じられるのも確かで、私にとっては、とても悩ましい状況です。

きっこのいうような単純な問題ではないと思います。耐震偽装の初期のような誤った方向性を、また作ってしまう可能性があると思いました。

ところで、選挙スタート。言いたいことは、きっと山ほど出て来ると思います。しかし、沈黙しておくのが無難かと感じています。選挙とは直接関係ないとしても、政治についてのことや、行政、官僚についてのことも、しばらくは控えた方がいいのかなと感じています。

少し、息苦しさを感じます。
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by gskay | 2007-07-11 23:45 | メディアの狂騒
参議院選挙〜連立政権および選挙協力の枠組みの問題点
与党第一党の苦戦が報じられていますが、その党や内閣からの声に耳を傾けてみると、今度の参議院選挙に対し、歴史的な意義を与えようという意欲を感じます。

衆議院は、議院内閣制での内閣との一体性があり、行政的な面に優越的な立場が与えられています。しかし、法律の制定については、衆議院で圧倒的な多数を占める与党が出現しない限り、参議院の判断が重要です。

政府提案の法案については、余程のことがない限り、衆議院は通過する仕組みになっています。しかし、参議院では、少数意見を反映した勢力の議員が当選できる仕組みがあるため、参議院では絶対多数を占める政党が出現すること自体がそもそも困難で、法案を可決するには、少数議員の政党と協力する必要があります。ここが、連立の必要性が発生するポイントです。

衆議院が、小選挙区中心の選挙制度であるため、拮抗する二大政党が出現しやすいばかりか、衆議院第一党は過半数を下回る可能性は低く、衆議院の選挙結果がただちに政権の決定につながります。

しかし、それだけでは、法案のための参議院での勢力確保が完全ではないため、連立が必要になります。その合従連衡が参議院で行われ、それが政権の枠組みになるものと思われます。

ところが、現在のところ、連立内閣を背景とした選挙協力が行われているようです。このため、政権の枠組みが、参議院内での合従連衡によるのではなく、選挙協力の枠組みになってしまっています。衆議院選挙でも選挙協力が行われました。この参議院選挙もその延長になるようです。

しかし、その選挙協力が参議院のあり方、ひいては政権のあり方を歪めてしまいます。どうやら、衆議院第一党の上層部はそこに気をかけているのではないかと思います。連立与党第二党の一部も、同様であるように思われます。

参議院での合従連衡を背景とした衆議院選挙での選挙協力や連立内閣は妥当な方針ですが、連立政権を前提とした参議院選挙での選挙協力は、政党の存在意義を薄め、その政党自体を弱体化させる可能性があります。

もともと、政党の地方組織や末端組織では、選挙協力は決してスムーズではないと思います。もし、惰性で選挙協力を続けてしまうと、地方組織や末端組織が崩壊してしまうかもしれません。

与党第一党の幹事長は、その辺のことを熟知して統一地方選挙から一貫した方針を貫いているように思われます。

与党第二党については、選挙協力体制の混乱への懸念は強いようです。加えて、野党第一党に親しい勢力もあり、事情が複雑です。国のあり方を問う今後の議論では、与党第一党と協調するのは難しい部分もあるのではないかと思われます。

そうした事情が、参議院選挙のあり方を深く考えさせ、政治のあり方を考え直す機会になっているように思われます。

こうした与党の発想に対し、参議院を政権交替のための選挙と位置づけている野党の論理は幼い発想であるような気がします。

もちろん、参議院の選挙結果次第では、衆議院の与党第一党議員の中に動揺が走る可能性があり、確かに、政権交替のきっかけになる可能性はあります。前回の選挙が、選挙協力を背景とした勢力分布であることから、動揺は避けられないかもしれません。

しかし、仮に、政権与党が劣勢をある程度挽回できたり、異なる仕組みの二院がある意味が理解されるようなことになれば、そのような混乱は最小限にとどまる可能性もあると思います。

統一地方選挙後の参議院選挙は自民党は、地方組織の統率が難しいため、不利だと言われてきました。このため、地方組織の引き締めのための衆参同日が有利だと言われてきました。今回も、それを選択する可能性がありましたが、逆風が強すぎて逆効果になりかねないためか、そういう方向ではないようです。また、幹事長をはじめとする、地道な努力の積み重ねも効果が期待できると判断されているのかもしれません。

同日を避けられた分、参議院というものの本来のあり方を見直す機会が与えられたように思われます。

ひょっとすると、政権および衆議院と、参議院が完全にねじれてしまうこともあり得ると思います。その状況は、次の新たな政権の枠組みの基盤になると思います。それを受け入れる準備もできているようです。

こうした与党上層部の発想は、不徹底であるように思われます。結局は、ちぐはぐな選挙になってしまうのかもしれません。少なくとも橋本政権にはできなかった発想であり、徹底するのは容易ではないと思います。

ところで、私は、連立解消と選挙協力解消を契機に、前回の衆議院選挙が選挙協力の賜物であったことをふまえ、矛盾の解消のために総選挙に訴えるという可能性があると見ていました。その見立てははずれたようです。

見立ては外れましたが、二院制である国会のあり方や議院内閣制、衆議院の優越などの仕組みを尊重している政治家が居るということがわかりました。これは、私にとって大きな発見です。

参議院の存在意義は、しばしば問題になってきました。今回の選挙が、同日にならなかったおかげで、現在の選挙制度の下での参議院の存在意義が確認される画期的な選挙になるのではないかと思います。

こんなことを考えるようになったのは、耐震偽装に巻き込まれ、国政を身近に感じるようになったからかもしれません。同時に、耐震偽装当時の国土交通省事務次官が比例区から出馬するということでさらに関心が高まりました。

前次官の選挙には、もはや関心はありません。期待はできないということが、何となくわかりました。だからと言って、我が国の選挙制度は、減点ができる仕組みではありません。彼を支持する人がいるのであれば、それは受け入れるしかないだろうと考えています。

今は、そんなことよりも、国政の根本的なあり方をめぐる動きに関心があります。
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by gskay | 2007-07-11 12:25 | 政治と役所と業界
申請や手続きの電子化
様々な分野で、障害や困難を乗り越えて、文書の電子化が進んでいます。しかし、官公庁は、紙の書類が中心でないとダメなのかもしれません。電子化へのアレルギーさえあるのかもしれません。

確かに、申請書の正本や、バックアップのための印刷は必要だと思いますが、書類の処理の中心をコンピューターに置き換えるのは、もはや難しくない時代が来ていると思います。

国によっては、手続きに必要な様々な書類はネット上で申請者が作成する仕組みを活用しています。そのデータは、ただちに政府に保存されると同時に、PDFなどの書類として出力され、それを印刷しサインして窓口に持って行くという仕組みが整備されています。手続きのための正本はサインをした紙であるものの、窓口の担当者は、コンピューター端末の画面を見ながら、問題がないかをチェックします。

これは、窓口の担当者にとっても、都合がいいようです。「間違って入力したらどうするか?」、「始めから入力のやり直し?」などというような問題も、私が経験した限り、訂正箇所を手書きで訂正した書類にサインをして出したら、問題なく受理され、担当官がさっと、電子情報を修正しているようでした。

社会保険庁の問題は、電子化への対応の根本的なミスがあったように思います。本来、電子化は省力化しつつ、利便性を高めるべきもので、かつ、システムは常に更新され進化するものです。上層部も現場も、基本的な態度に問題があったのではないかと思います。
(それ以外の、もっと罪深いことも行われていたようですが)

また、一部の電子申請のシステムが、利用者が伸びないために姿を消したりしています。出来の悪いシステムが姿を消すのは仕方がないことだと思います。利用者が悪いとか、周知の不足などがいわれていますが、少しづつ進化させるという努力をおこたり、おそろしく前時代的で融通の利かないシステムを放置したことが原因だと思います。

中には、とても便利なシステムもあります。しかし、一般の人を相手にするシステムとしては、難易度が高いと思われるシステムもまだまだあります。

ところで、建築については、様々な場面で公的な手続きが必要になります。その手続きの電子化はどの程度進んでいるのでしょうか?

大臣認定プログラムとやらも、ネットからの申請や、電子媒体による申請には至っていなかったように思われます。印刷物をチェックするだけで、コンピューターでの計算の中身はチェックしていなかったと思われます。

プログラムを利用する際、その利用の仕方まできちんと記録し、電子的な形で提出したりチェックしたりする仕組みがあったら、耐震偽装のようなバカバカしい問題は起きなかったのではないかと思います。

一般人相手のシステムではなく、プロ向けのシステムです。そもそも、仕事の中身は、コンピューター相手。にもかからわらず、紙での申請にこだわる理由があるのでしょうか?

今回の法律改正では、どのような扱いになっているのでしょうか?そもそも、今回の改正に対応した大臣認定プログラムは出来上がったのでしょうか?

どの役所でも、仕事机の上にはコンピューターがあります。しかし、仕事の本質的な部分では、コンピューター化を拒否する流れが、まだまだ強いのではないかと思います。

行政における官僚の裁量の問題に比べれば表面的なものにすぎませんが、我が国のシステムが抱える深刻な問題の一つだと思います。官庁の電子化への対応のまずさが、我が国の足を引っ張っています。誤摩化しきれないほころびが、あっちこっちで噴出しているように見えます。
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by gskay | 2007-07-11 08:35 | いろいろ