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特定行政庁と地方議会
さすがに、「お互いに」要領をえたのか、改正による混乱を克服して、着工戸数が増えているという話もあります。しかし、それは、一戸建てや低層の建物。規模が大きいマンションは、いまだに低調だということです。

改正に対応できない申請者のお粗末さを非難する意見もあります。そんなことだから、まともな建物が建たないのだと……。そんな業者や建築士は淘汰されてしまえ?

私は、申請者の問題ではないと考えています。

ところで、民間の検査機関が弱気になって、申請に前向きに対応できないことは仕方がないと思います。しかし、特定行政庁が対応できないのは、許しがたいことだと思います。

民間検査機関では、民間の企業であるだけに、円滑で迅速な対応や、様々な付加的なサービスが期待できますが、機関側が無理だと判断したなら、受け付けない自由があると思います。経営上の理由で、リスクを負わないということが許されると思います。

それに対し、特定行政庁は、たとえギリギリまで時間を使おうときちんと処理しなくてはいけないのではないかと思います。

民間検査機関の場合、株主などの監視があるように、特定行政庁の場合、議会による監視があると思います。議会は、この状況をどのように考えているのでしょうか?

地方議会の議員は、その地方の業者が追い込まれている状況や、住宅の購入者や建築主の不満に耳を傾ける機会があると思います。その不満を議会に反映させることは難しいのでしょうか?

ところで、国が定めた業務ではありますが、特定行政庁という地方公共団体の事務であり、不都合は、地方公共団体がかぶらなければ行けない問題ではないかと思います。不利益を補償する必要があり、その主体は、地方自治体なのではないかと思います。

国と地方の間の責任分担が曖昧です。そのことを、それぞれの自治体はきちんと認識し、しかるべき立場を見いださなくてはいけないと思います。これには、業務にあたっている現場の担当者以上に、議員が敏感でなくてはいけないと思います。
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by gskay | 2007-09-30 13:44 | 揺れる システム
建築基準法改正の目的?
建築基準法の改正が建築業界を混乱させているようです。我が国の経済における建築の比重を考えると、この影響は甚大なものになるようです。実際の災害がおこってしまうことに比べれば、この程度の影響を問題視すべきではないのかもしれませんが……。

考えようによっては、建物がなければ、災害があっても建物への被害はありません。建物を建てさえしなければ、建築の過程での不正も起こりません。災害での建物への被害を減らし、建築の過程での不正を減らすには、とても効果的な法改正です。

しかし、これは、間違いです。失政というのは、こういうことを言うのだと思います。

内容をみれば、申請や審査を「厳格」にするという建前は、煩雑さや重複にすり替えられてしまいました。

コンピューター化への取り組みは、ほとんど考慮されていないのではないかと思われます。

新しく開発された先端技術の導入についても、全く前向きではありません。

ひょっとしたら、新しい建物を建てさせないという画期的な目的をもった政策なのかもしれません。スクラップ・アンド・ビルドに依存した仕組みを抜本的に見直した大胆な方針なのかもしれません。

新しい建物を建てることを困難にしてしまえば、既存の建物を壊して建て直すことはできません。新築できない以上、無理矢理にでも古い建物を長く使わなくてはならなくなります。これで、建物の寿命を一気に延ばすことができます。また、建築関係者の数も減らし、経済が建築に依存する程度を減らすことができます。

そのような目的だったとしたら、本当に大胆です。

すこし、エコかな?

性能が劣ることについては、「既存不適格」ということで放っておけばよいことです。下手に性能をチェックして低い性能が確認されてしまうと大変なことになることは、耐震偽装を通じて、みんなが知っていることです。

既得権益が縮小しない方向に進むのが普通だと思っていました。しかし、これは、既得権益を根刮ぎ破壊してしまうような政策です。

失政でないとしたら、革命的なすごい政策だと思います。
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by gskay | 2007-09-29 23:37 | 揺れる システム
「改革の影の部分」批判
問題は、政策の実務を担う行政組織、とりわけ官僚がダメだという点にこそあります。行政組織がまともであれば、高尚な議論にも意味があります。しかし、現状は、高尚な議論が何かの改善につながるというより、上滑りになり、目を逸らすことにつながるだけではないかと思います。

小泉改革以来の改革路線の影の部分を取り上げて、改革が批判されています。経済政策やその理念への批判です。その批判の内容をみると、高尚すぎると思います。そもそも、改革の方も、その拠り所についての議論は、高尚すぎますが……。

「規制緩和」、「小さな政府」、「官から民へ」、「新自由主義」、「市場経済」……。

そうしたことをめぐる議論が、高尚になりすぎていて、逆に現状からかけ離れて、陳腐になっています。

どんな理念や根拠であれ、それを実現に向かわせる仕組みがダメなら、空論であり戯れ言に堕してしまいます。

「改革の影の部分」への議論も、理念や根拠の部分でどんなに高尚な議論が行われようと無駄です。

それは、耐震偽装関連の議論にも共通する問題点です。

改革に好意的な立場も、批判的な立場も、そんな議論に熱中していないで、まず、行政組織、とりわけ官僚組織を何とかしなくてはいけません。

新しい総理大臣は、何を考えているのかはっきりしない総理大臣ですが、上滑りになりがちな高尚な議論は沈静化するのかもしれません。その分、しっかりと、目先にあるはずの官僚組織の問題に対処して行く可能性も期待できます。逆に、全く、官僚組織に手を加えることはないかもしれませんが……。
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by gskay | 2007-09-28 21:26 | 政治と役所と業界
木村社長と小嶋社長
いずれの刑事裁判も、耐震偽装そのものの裁判ではありません。

木村社長の場合、経理の不正が第一の問題で、これは否認していませんでした。これに加えて、問題を承知の上で建築主に引き渡したということが詐欺にあたるかどうかが争われました。木村社長はこれを否認しています。

判決では、詐欺にあたるということになったようです。しかし、木村社長は控訴していません。おそらく、経理の不正が、破産財団にとって税務などの点で有利になることがポイントだと思います。いたずらに裁判を長引かせることの方が不利だというのが、経済人としての判断なのだと思います。

この判決は、最高裁での施工や設計の責任を認めた判断と並んで、建築の基本的な仕組みに大きな影響を与える判断だと思います。

私自身は、木村建設への債権の請求に関しては、地裁の査定をうけて断念していますが、最高裁の判断やこの判決が査定以前にあったなら、簡単にはあきらめなかったかもしれません。

特に、破産債権に関する地裁の査定は、技術的な問題を重視した判断でしたが、最高裁の判断もこの詐欺について判決も、結果をめぐる判断であり、根拠が異なっているように感じられます。

ただ、そうはいっても、私は、木村社長に同情的です。経理の問題はともかく、詐欺については、公的な判断が出るまでのタイムラグの間の出来事であるので、悪意があったと単純に決めつけることはできないと思います。また、最高裁が問題にした「重大性」についても、行政的な判断や権限の行使に混乱があったことを忘れてはいけないと思います。

これは、小嶋社長についても同様です。問題になっている引き渡しの時期は、事件の発覚後ではあったものの、その事件の重大性が明らかになって公的な措置として公表されるにいたった11月17日よりも前でした。問題の引き渡しは、発覚後ではあるものの、重大性は不明な時期のことでした。

それでも、結果に対して責任を負うべきだという判断がくだされる方向にあるのかもしれません。

単に懲らしめるということが目的であるなら、フェアではないと思います。しかし、いい加減であった建築に関する責任関係を明確にするということであれば歓迎したいと思います。

ただ、あくまで、私は、小嶋社長にも同情的です。

小嶋社長に厳しい判決を下すのであれば、同じようなケースに対して厳しく対処するべきです。

また、11月17日以降の展開が、判決に影響するのだとしたら、言語道断です。事後の規則で裁くというのは、法定主義に反します。

たとえば、11月17日以降に広められたQu/Qunが0.5以下が重大であるという判断は、発覚の時点や、引き渡しの時点にあったのでしょうか?それは、11月17日にかけての国土交通省の担当者の「創作」にすぎないのではないでしょうか?その根拠をふくめ、それを司法の判断に組み込むことは問題だと思います。

私は、疑問を感じながらも、行政の判断には従っています。しかし、司法の判断は、行政の判断とは意味が異なっていて、厳密でなくてはならないと思います。

曖昧なことがすっきりするような大胆な判断は歓迎します。しかし、原則からの逸脱を納得してはならないと思います。
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by gskay | 2007-09-27 12:54 | 真相 構図 処分
私有財産としての土地
土地は分割される傾向にあるのではないかと思います。土地がひとつにまとめられる機会より、分割される機会の方が多いような気がします。

土地は高価な私有財産です。高価なだけに、「自分の土地」を持ちたいという願いが生まれるのだと思います。多くの人がそう願うために、相続などの様々な機会に分割が進むのではないかと思います。

土地の分割は、都市では土地活用の点でプラスになることは少ないように思われます。私有地に関する権利が強く保障されている我が国では、都市の再開発などの障害になりがちです。しばしば、公共性とぶつかってしまいます。

ところで、現在の土地の仕組みは、分筆や合筆が容易です。諸費用がかかるものの、土地の価値に比べればわずかです。分筆に費用がかからないことが、土地の分割を加速しているのではないかと想像します。

たとえ、土地の活用の点で不利になるとしても、分筆して「自分の土地」にすることにメリットを感じることができるのだと思います。

分筆しない方が有利であったり、合筆の方が有利な仕組みが、少なくとも都市においてあったとしたら、事情は変わるのではないかと思います。

猫の額と揶揄される土地に、ウサギ小屋と呼ばれる一軒家を建てることに、充分な魅力があるからこそ、そのような家屋が建ち並んでしまうのだと思います。しかし、それは、都市においては、公共的な土地活用の障害です。

土地を私有財産として持つことについて、少なくとも都市においては、見直しが必要ではないかと思います。私有財産を尊重することは大切なので、その権利を保障しつつ、公共性を確保する仕組みを工夫しなくてはいけません。

我が国は、その工夫を長らく怠ってきたのではないかと思います。

区分所有や権利の証券化などを、もっと魅力あるものにすることで、不毛な分割を避けることが必要ではないかと思います。
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by gskay | 2007-09-26 10:55 | いろいろ
「明確なビジョン」?
どれほどアメリカでの評価が高かったのかはわかりませんが、引用した記事を発信している人の立場は、かなり明確であることが知られています。そう言う点を考慮しながら読まなくてはいけないと思います。

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 「安倍首相、明確なビジョン示した」米では高評価


「安倍首相、明確なビジョン示した」米では高評価

9月16日8時0分配信 産経新聞

 【ワシントン=古森義久】日本の民主主義やナショナリズムの研究を専門とする米国ジョージタウン大学東アジア言語文化学部長のケビン・ドーク教授は14日の産経新聞とのインタビューで、安倍晋三首相の辞任表明に関連して、安倍氏が米国では日本の歴代首相のうちでも「明確なビジョン」を持った指導者としての認知度がきわめて高く、米国の対テロ闘争への堅固な協力誓約で知られていた、とする評価を述べた。
 ドーク教授はまず安倍首相の約1年に及ぶ在任の総括として「安倍氏は比較的、短い在任期間に日本の他の多くの首相よりもずっと多くの業績を残したが、その点がほとんど評価されないのは公正を欠く」と述べ、その業績として(1)教育基本法の改正(2)改憲をにらんでの国民投票法成立(3)防衛庁の省への昇格−の3点をあげた。
 同教授は米国の安倍氏への見方について「米国では安倍首相への認知が肯定、否定の両方を含めてきわめて高かった。たとえば、森喜朗氏、鈴木善幸氏ら日本の他の首相の多くとは比較にならないほど強い印象を米側に残した。慰安婦問題で当初、強く反発したこともその一因だが、日本の今後のあり方について明確なビジョンを示したダイナミックな指導者として歴史に残るだろう。安倍氏が米国の対国際テロ闘争に対し堅固な協力を誓約したことへの米国民の認識も高い」と語った。
 ドーク教授は安倍氏の閣僚任命のミスなど管理責任の失態を指摘しながらも、「戦後生まれの初の首相として日本の国民主義と呼べる新しい戦後ナショナリズムを主唱して、国民主権の重要性を強調し、対外的には国際関与を深める道を選んだ。安倍氏が『美しい国へ』という著書で日本の長期の展望を明示したことは、今後消えない軌跡となるだろう」とも述べた。
 同教授はさらに「逆説的ではあるが、安倍氏の辞任表明の時期や方法も、それ自体が業績となりうると思う。健康上の理由、政治上の理由、さらには唐突な辞任表明での責任の問題もあるだろう。だが安倍氏が国民投票法など本来、まずしたいと思ったことを達成し、さっと辞任するという動き自体が今後の政治指導者の模範例となりうる」と語った。
 同教授はまた「現在の日本での安倍氏への評価は戦後の旧来の産業社会の文化や規範を基準としており、情報社会の文化基準を適用していないために、『戦後レジームからの脱却』などがあまりよく理解されず、支持されないのだろう」と説明した。
                   ◇
 【プロフィル】ケビン・ドーク氏
 1982年、米国クインシー大卒、シカゴ大で日本研究により修士号と博士号を取得、ウェークフォレスト大、イリノイ大での各助教授を経て、2002年にジョージタウン大に移り、東アジア言語文化学部の教授、学部長となる。日本での留学や研究は合計4回にわたり、京大、東大、立教大、甲南大、東海大などで学び、教えた。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」「近代日本のナショナリズムの歴史」など。

前半の部分は、何気なく読みました。関心を持ったのは、後半です。

「戦後生まれの初の首相として日本の国民主義と呼べる新しい戦後ナショナリズムを主唱して、国民主権の重要性を強調し、対外的には国際関与を深める道を選んだ。安倍氏が『美しい国へ』という著書で日本の長期の展望を明示したことは、今後消えない軌跡となるだろう」とされる部分よりも、「現在の日本での安倍氏への評価は戦後の旧来の産業社会の文化や規範を基準としており、情報社会の文化基準を適用していないために、『戦後レジームからの脱却』などがあまりよく理解されず、支持されないのだろう」という部分が、政治的には重要だったのではないかと思います。

理解されなかったとか、支持されなかったというより、そこが様々な政治的な抗争のポイントで、抵抗された部分だと思います。その抗争自体に負けたというわけではないようですが、これからという段階で終わってしまいました。私にとっては、拍子抜けです。

『美しい国へ』については、理念的なことで、どうとでもとることが出来るような話だと思います。しかし、『戦後レジームからの脱却』については、具体的な利害に直結していて、様々な抵抗が避けられません。その抵抗には、官庁や業界からはもちろんのこと、「旧来の産業社会の文化や規範」の担い手であるメディアによる抵抗も含まれています。

そもそも、官庁や業界、それにメディアが、陳腐なものになっていなければ、『戦後レジームからの脱却』などというものは提唱されなかったはずです。その「戦後レジーム」といわれるものの源流を作った人物の孫だけに、そこから得られるメリットは最大限に享受した上での主張ではないかと思います。利益を享受してきたことへの是非はともかく、何が本来の姿で、何が不健全になってしまっているかがわかっているからこそ、何とかしようとしていたのだと思います。

ようやく、公務員制度や行政組織に具体的に手が入りはじめたばかりでした。これについては、今後、迷走したり、立ち消えになったりしないことを祈るばかりです。官僚制度はしぶとく、官僚制度をとりまくように存在する業界も同様です。国民の手が直接届かないところで、利権がからんで厄介です。そのもっとも代表的な業界は、メディアではないかと思います。公共事業を担う業界を差し置いて、最も手強い存在です。

ところで、政治の仕組みについては、小泉政権以来の大きな変化によって、少なくとも、自民党については、「戦後レジームからの脱却」がかなり達成されています。かえって、憲法に則った仕組みに近づいていると思うことがあります。改憲という手続きを含め、憲法に忠実で、また、両院の選挙制度の違いや、地方政治、政治資金についても、理念に忠実な姿勢を貫ける環境ができつつあるように思います。(それに関する法律のほとんどの部分は、かつて、自分たちで作った仕組みですが……)

すでに、自民党は、「与党」であることを前提とする体制や、中選挙区時代の派閥政治から脱皮し、他の政党との考え方の違いを議論でき、議論の成果を選挙で問える政党になっていると思います。これは、参議院選挙によって、より明確になりました。(その結果、芳しくない選挙結果を甘じて受けなくてはなりませんが……)

あいにく、他の政党や多くの政治家、関係者をみると、必ずしも変化についていけていないのではないかと感じることがあります。とはいうものの、一番汚いと思われがちな政治には、意外に浄化作用があるようです。

それでは、官僚やメディアはどうなのでしょうか?

清潔であるはずの、官僚やメディアに問題があるように思えてなりません。

官僚もメディアも悪意はないのかもしれませんが、現状のような陳腐化を放置することは危険な水準になっていると思います。

「明確なビジョン」というのはおおげさで、曖昧なままです。具体的なものを提示する前の段階でした。曖昧なまま、「戦後レジーム」へと揺り戻される危険をはらんでいます。むしろ、反動さえ生じかねません。そこまでいかずとも、しばらくは、陳腐化した「旧来の産業社会」からの脱皮への歩みを早めることはできないのかもしれません。
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by gskay | 2007-09-19 13:09 | 政治と役所と業界
官僚OBの政治資金と政治姿勢
かつて郵政省OBが選挙違反への連座を問われたケースもあるように、官僚OBの選挙や政治活動が、正しいやり方で行われているとは限りません。むしろ、かなりヤバいやり方がまかり通っているのではないかと思います。

そんな先入観を持っているので、引用した記事には、何が書いてあるのかと、見出しを見たときにはびっくりしましたが、これ自体は、重大なことではないと思います。これをきっかけとした動きがあるのかもしれませんが……。

官僚OBが、官僚組織や業界を背景として参議院比例区で当選するのは、少しずつ難しくなっているようです。拘束名簿方式であれば、このような現象は、表面にでることなく、同じような名簿順位を繰り返すことになったと思います。非拘束名簿の選挙は、かつての全国区のように、候補にとって大きな負担を強いる選挙ですが、社会の趨勢を無視した拘束名簿より、良いのかもしれません。

asahi.com:省関係者を「会社員」、佐藤信議員が報告書に - 社会


省関係者を「会社員」、佐藤信議員が報告書に

2007年09月14日22時00分

 今年7月の参院選で初当選した元国土交通事務次官の佐藤信秋参院議員(自民)が代表を務める資金管理団体が、14日公表された06年分の政治資金収支報告書で、個人献金をした国交省の現役局長や同省外郭団体のトップらの職業を「会社員」と記していたことがわかった。政治資金規正法の「虚偽記載」に当たる恐れがあるが、佐藤氏の事務所は「法律に触れるという認識がなかった」と釈明している。

 この政治団体は「佐藤信秋後援会」。同会が提出した政治資金収支報告書によると、06年の6827万円の寄付収入のうち、2927万円が個人からの寄付で、寄付者は300人を超えた。

 報告書の「寄付の内訳」欄では、寄付者のほとんどが職業に「会社員」と記されていた。しかし、その中には現役の国交省道路局長や河川局長、同省外郭団体の財団法人水資源協会理事長、旧建設省OBの青梅市長らも含まれていた。また、寄付当時は財団法人理事長で公正取引委員会が水門談合への関与を認定した豊田高司・元建設省技監も「会社員」とされていた。寄付者の大半が同省関係者とみられる。

 個人献金をした人の多くは佐藤氏と親交の深い国交省関係者で、佐藤氏の事務所スタッフには国交省OBがいるという。佐藤氏の政策秘書は「振り込みで住所と氏名しか分からなかった人の肩書を事務員が一律に会社員と書いた。本来の肩書と違うと気づいたスタッフもいたが、会社員でも法的に問題ないと思った」と釈明、収支報告書を訂正する考えを示した。

 政治資金規正法上の「虚偽記載」について、総務省は「故意または重過失で虚偽の内容を書いた場合が該当し、罰則の対象になる」と説明する。

 佐藤氏は旧建設省出身で、国交省道路局長などを経て、05〜06年に事務次官を務めた。今年の参院選では建設関連の業界団体などの支援を受けて比例区で立候補し、自民党の9位で初当選した。

 国土交通省の宿利正史官房長は「長年職場の同僚だった人々が、個人として自らの意思で献金するのは問題ない。政治資金収支報告書への記載の仕方は、佐藤議員が対処すべきものでコメントする立場にはない」との談話を発表した。

国土交通省の官僚仲間の応援は確実でしょう。しかし、業界については、求心力が低下しているのではないかと思います。

土木はともかく、建築については、業界といえど、国土交通省に好意的ではいられないのではないかと思います。国土交通省は、業界を守るどころか、はしごを外してみたり、後だしジャンケンをしてみたり、あげくは、自分の都合のよいようにルールを変えて、関係者を混乱させてみたり……。

できの悪いガキ大将のようで、都合が悪くなると、他人に責任をおしつけ、逃げ足は一番早い……。それから、宿題もサボっていたみたい。

この報道自体は、政治資金の管理に対して厳しい目が注がれている昨今ならではの、ややエスカレートした反応にすぎないと思います。ただ、官僚仲間が政治の水面下で何かを企んでいるような、何となくうしろめたさを感じさせるネガティブなイメージを抱かせる報道だと思います。

もともと、官僚OBの選挙は、低迷傾向です。それに拍車をかけ、今後、参議院の比例区、とりわけ自民党からは、露骨に官庁の既得権を代表するような官僚OBが消えていくのかもしれません。

今後、官僚OBの政治家は、少なくとも自民党については、個人の能力が最優先の資質になるのではないかと思います。背景にある組織の支持は、二の次という状況が生まれています。

実際、昨今、背景となる組織、つまり官庁や業界の既得権益の利害を代表するという姿勢が、国政を全体から見たときには、必ずしも利益とはならなくなっています。むしろ、出身の官庁と対立できるくらいの姿勢をとれるような人材でなくてはならないのではないかと思います。
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by gskay | 2007-09-16 07:22 | 政治と役所と業界